序章
春先だというのに、だいぶ風が冷たく感じる。
まだ月が出てさえいれば、その明るさで少しは明るいというのに、今日のような朔の夜だとそうは行かない。
軍服を着た一人の優しげな風貌の青年が、廃墟の中から出てこれば、小袖を着崩した銀髪の女性がそちらへと目を向けた。
「手がかりは?」
「ないに等しいね」
青年の言葉に女性は大きな溜息をついた。
こうして深夜の廃墟に出向くのは今回が初めてではない。
すでに何軒もの廃墟に出向き、様々な調査をしてきた。
けれどなんの成果も得られないのは、自分たちの力不足なのか、相手が用意周到なのか。
こうして毎日のように廃墟に出向いているのに、なんの証拠もつかめないままだった。
「そっちは何かつかめたの?」
青年が尋ねると女性は首を横に振った。
「私の情報網でも新しいものはなかった」
「そうか…」
立つ鳥跡を濁さずとは言うものの、こう言う時くらい、何かしらの手がかりを残して欲しいと思う。
何かないものか、と考えてもう一度廃墟に戻ろうとすれば、
「こんなのが落ちてたぞ」
軍服を纏った隻眼の少年が、本の落丁部分のようなものを差し出した。
「落丁か…。帰って調べる価値はあるとは思うのだけど…」
落丁を受け取った青年は困ったように眉をひそめた。
「外国の言葉で書かれてるみたいだね…。
これがどこの国の言葉なのかわからなければ、今起きてる時間との関連性が見えてこないよ」
青年がそう行った時、少年はニヤリと笑った。
「安心しろ、俺はその字の翻訳が出来そうなやつに心当たりがある」
少年はそう言いながら、青年から落丁を受け取った。
「任せられる人がいるなら良いけど、どっかのお偉いさんとかならうちからの仕事は受けてくれないと思うけど」
「大丈夫だ。確かに華族の人間だが、読書の虫で、今までにもそのお偉いさんとやらに文献を訳しているという経歴もある」
「まあ、信頼のできる人なら僕は構わないよ」
「あたしも、そう思う。どうせあたしたちだけじゃこんなの解読できないんだし……」
「それじゃあ、決まりだな」
少年はさらに笑みを浮かべて、今はもう干からびてしまったこの廃墟の池を見た。
水があれば少年の姿がありありと映し出されていたのだろう、と思うが今はそんなことはどうでもいい。
「その人の名前はなんと言うのかな?」
青年が訊くと、少年は雲ひとつない月だけの空を見上げた。
「彼女の名前はーーー……」
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