時の泡沫
だが程なくして、その探索は虚しく終わりを迎える。
定期報告で合流した吉村さんに連れて行かれた先には、誰が見ても息が無いと分かる村山さんの死体が打ち捨てられていた。その体には無数の刀傷があり、尋常では無い恨みと怒りが感じられる。彼も必死に防戦したのだろう。数え切れない程の刃こぼれと、誰の物とは分からない血と脂の付いた刀には、荒々しい文字で『天誅』と書かれた紙が突き刺さっていた。
「村山さん……」
開かれたままの瞼をそっと閉じ、手を合わせる。
死斑は現れているが、体に温もりが残っており肌が柔らかい所を見ると、殺されてから未だ一刻経っていないくらいだろう。あともう少し気付くのが早ければ……と悔やまれてならなかった。
「すみません、こんな危険な任務を一人で任せてしまって……」
どんなに謝っても悔やんでも、村山さんが息を吹き返すことは無い。それでも私は、謝罪の言葉を口にし続ける。
「本当に……ごめんなさい……」
そんな私に吉村さんは何も言わず、静かに傍らで寄り添っていてくれた。
――震える拳を握りしめながら。
その後私達は屯所に戻る。
出来る事ならこのまま彼を屯所まで連れ帰りたかったのだが、生憎今その手段も人手も無い。仕方なく、翌朝引き取りに来る事を目の前の家の者に伝え、その場を離れたのだった。
屯所には既に、御陵衛士を討伐に向かった者達が戻って来ていた。雰囲気から察するに、事は上手く運んだらしい。手傷を負った者はかなりいるようだが、命に別状は無いと聞きほっと胸を撫で下ろした。
村山さんの件を副長に伝える為、吉村さんには簡単な傷の手当てをお願いし、副長室へと向かう。だが一歩幹部の部屋の領域へと入ると、途端に重苦しい雰囲気に包まれた。不安な面持ちになりながら局長室を尋ねると、そこには涙にくれる幹部達の姿があって。
「……まさか……」
部屋を見渡すと、局長、永倉さん、原田さん、井上さんが声を殺して泣いている。だがそこに、副長の姿は無かった。
「……っ!」
全てを察し、局長室を飛び出る。向かった先は副長室。確認も取らずに私は部屋に飛び込むと障子戸を閉め、そのまま文机に向かい座っている副長に飛びついた。
「……お帰りなさい。お疲れ様でした」
それだけを言い、強く抱き締める。突然の事に驚きはしたようだったが、副長は何も言わず、そのまま私に抱き締められていた。大きな背中が小さく震えていると言うのは、こんなにも深い悲しみを表現するのか。時折かすかに聞こえる嗚咽は、副長の心の叫びなのだろう。
――すまない、平助。助けてやれなくて。
私には、副長がそう泣き叫んでいるように思えてならなかった。
「いい加減離れろ、馬鹿」
暫くして落ち着いたのか、副長が言った。その声音には疲れが混じっていたが、それでも副長らしさが感じられてほっとする。
「頭ごなしに馬鹿とは酷いじゃないですか」
ゆっくりと副長から離れ、目の前に座った。ブスッと口を尖らせて言えば、目を赤くした副長が小さく笑う。
「声もかけずに部屋に入って突進してくる奴は、馬鹿じゃなきゃ何なんだ?」
「んー……阿呆?」
「どっちも同じじゃねえか」
呆れたように私を見た副長だったが、フッと笑みを浮かべると、私の頭をポンポンと叩いて言った。
「飛び込んで来た割には、障子戸を閉める冷静さはあるんだな」
「私はいつだって冷静ですよ。全開であんな事はできませんしね」
ペロリと舌を出して肩を竦めて見せると、副長の笑みが深くなる。そして私の頭に置かれていた手がゆっくりと頬に触れ、そのまま引き寄せられた時――
「なあ新八、あんな事って何だ?」
「知らねぇよ。見えてねぇんだから」
「でもよぉ、障子戸を閉めてじゃなきゃ出来ねぇって事は……」
「……ちょっくら穴開けて覗いてみるか」
部屋の外からぼそぼそと聞こえて来た二人の会話に、私達は目を合わせて思わず吹き出してしまった。一応隠れているつもりのようだが、二人の影はしっかりと障子戸に透けて見えている。きっと副長を心配して見に来たのだろう。
「ったく……」
副長が徐に立ち上がる。そして口の端に照れ隠しの笑みを浮かべながら、スパーン! と障子戸を全開にして怒鳴りつけた。
「お前ら何やってんだ!」
「ひいっ!」
突如姿を現した副長に、飛び上がって驚く二人。だがそれ以上に、何故か副長が驚いていた。
「こいつらだけなら未だしも……何で近藤さんまで隠れてやがんだっ!」
その言葉に私も廊下を覗くと、四つん這いになりながら慌てて逃げようとしている局長のお尻が見えた。
「……局長……」
「あ……あはははは……山崎くんが物凄い剣幕で飛び出して行ったのが気になってね。歳も部屋に戻ったまま出て来ないから……ほら、局長としてはやはり部下を気遣う必要があるからして、その……」
何とか取り繕おうとするも、根が素直なだけに言い訳が思い付かないのか、しどろもどろになっている。
「で? こっそり外から様子を伺ってたってか。近藤さんはこいつらに流され過ぎだ! 悪い影響受けてんじゃねぇよ!」
「ええ!? 俺達が悪いのか!?」
心外だとばかりに驚いた表情を見せる永倉さんと原田さんにゲンコツを落とした副長は、気が付けばいつもの副長の顔に戻っていた。
「痛ぇよ、土方さん!」
「痛くしてんだよ、馬鹿が!」
「もう少し力の加減ってもんをだな……!」
この掛け合いが、とても嬉しい。三人が言い争う姿を笑いながら見ていると、同じくそれを見ていた局長が私に近付いてきて言った。
「ありがとう山崎くん。歳を元気付けてくれて」
その顔は、心の底からほっとした表情で。この人も、副長の事が心配でたまらなかったのだろう。副長を見る眼差しは、まるで実の兄のように優しかった。
「歳はいつも一人で溜め込むからなぁ。だがこんな短時間で浮上出来るのは珍しい。山崎くんは心のお医者様でもあるようだ」
「勿体ないお言葉です」
思いがけず局長に褒められ、何だか照れくさかった。だがもし本当に私の存在が、副長に良い影響を与えられているのなら、これ以上嬉しい事は無い。
「局長もお辛かったですよね……」
「ああ、だが俺はさっき思い切り泣いたからな。少しは違うさ。それに未だこの件については終わっていないのでね」
そう言った途端、穏やかに笑っていた局長の表情が一変した。じゃれ合っていた三人も、局長の言葉が聞こえたのだろう。表情が引き締まり、いつの間にかこちらを見ている。
「一体何が……?」
状況の読めない私が動揺していると、局長はポン、と私の頭に手を置き、ニコリと笑う。そしてまたすぐに厳しい局長の顔に戻ると、言った。
「皆、気持ちの切り替えは出来たか?」
その言葉に、三人がコクリと頷く。
「その場にいなかった山崎くんにも分かるように、もう一度あの時の状況を確認しようか」
局長がそう言って、皆に着座を促す。そのまま今度は副長室で話を続ける事となったのだが、そこからの話は、副長があれだけ落ち込むのも致し方ないと思う程に辛く悲しいものだった。
定期報告で合流した吉村さんに連れて行かれた先には、誰が見ても息が無いと分かる村山さんの死体が打ち捨てられていた。その体には無数の刀傷があり、尋常では無い恨みと怒りが感じられる。彼も必死に防戦したのだろう。数え切れない程の刃こぼれと、誰の物とは分からない血と脂の付いた刀には、荒々しい文字で『天誅』と書かれた紙が突き刺さっていた。
「村山さん……」
開かれたままの瞼をそっと閉じ、手を合わせる。
死斑は現れているが、体に温もりが残っており肌が柔らかい所を見ると、殺されてから未だ一刻経っていないくらいだろう。あともう少し気付くのが早ければ……と悔やまれてならなかった。
「すみません、こんな危険な任務を一人で任せてしまって……」
どんなに謝っても悔やんでも、村山さんが息を吹き返すことは無い。それでも私は、謝罪の言葉を口にし続ける。
「本当に……ごめんなさい……」
そんな私に吉村さんは何も言わず、静かに傍らで寄り添っていてくれた。
――震える拳を握りしめながら。
その後私達は屯所に戻る。
出来る事ならこのまま彼を屯所まで連れ帰りたかったのだが、生憎今その手段も人手も無い。仕方なく、翌朝引き取りに来る事を目の前の家の者に伝え、その場を離れたのだった。
屯所には既に、御陵衛士を討伐に向かった者達が戻って来ていた。雰囲気から察するに、事は上手く運んだらしい。手傷を負った者はかなりいるようだが、命に別状は無いと聞きほっと胸を撫で下ろした。
村山さんの件を副長に伝える為、吉村さんには簡単な傷の手当てをお願いし、副長室へと向かう。だが一歩幹部の部屋の領域へと入ると、途端に重苦しい雰囲気に包まれた。不安な面持ちになりながら局長室を尋ねると、そこには涙にくれる幹部達の姿があって。
「……まさか……」
部屋を見渡すと、局長、永倉さん、原田さん、井上さんが声を殺して泣いている。だがそこに、副長の姿は無かった。
「……っ!」
全てを察し、局長室を飛び出る。向かった先は副長室。確認も取らずに私は部屋に飛び込むと障子戸を閉め、そのまま文机に向かい座っている副長に飛びついた。
「……お帰りなさい。お疲れ様でした」
それだけを言い、強く抱き締める。突然の事に驚きはしたようだったが、副長は何も言わず、そのまま私に抱き締められていた。大きな背中が小さく震えていると言うのは、こんなにも深い悲しみを表現するのか。時折かすかに聞こえる嗚咽は、副長の心の叫びなのだろう。
――すまない、平助。助けてやれなくて。
私には、副長がそう泣き叫んでいるように思えてならなかった。
「いい加減離れろ、馬鹿」
暫くして落ち着いたのか、副長が言った。その声音には疲れが混じっていたが、それでも副長らしさが感じられてほっとする。
「頭ごなしに馬鹿とは酷いじゃないですか」
ゆっくりと副長から離れ、目の前に座った。ブスッと口を尖らせて言えば、目を赤くした副長が小さく笑う。
「声もかけずに部屋に入って突進してくる奴は、馬鹿じゃなきゃ何なんだ?」
「んー……阿呆?」
「どっちも同じじゃねえか」
呆れたように私を見た副長だったが、フッと笑みを浮かべると、私の頭をポンポンと叩いて言った。
「飛び込んで来た割には、障子戸を閉める冷静さはあるんだな」
「私はいつだって冷静ですよ。全開であんな事はできませんしね」
ペロリと舌を出して肩を竦めて見せると、副長の笑みが深くなる。そして私の頭に置かれていた手がゆっくりと頬に触れ、そのまま引き寄せられた時――
「なあ新八、あんな事って何だ?」
「知らねぇよ。見えてねぇんだから」
「でもよぉ、障子戸を閉めてじゃなきゃ出来ねぇって事は……」
「……ちょっくら穴開けて覗いてみるか」
部屋の外からぼそぼそと聞こえて来た二人の会話に、私達は目を合わせて思わず吹き出してしまった。一応隠れているつもりのようだが、二人の影はしっかりと障子戸に透けて見えている。きっと副長を心配して見に来たのだろう。
「ったく……」
副長が徐に立ち上がる。そして口の端に照れ隠しの笑みを浮かべながら、スパーン! と障子戸を全開にして怒鳴りつけた。
「お前ら何やってんだ!」
「ひいっ!」
突如姿を現した副長に、飛び上がって驚く二人。だがそれ以上に、何故か副長が驚いていた。
「こいつらだけなら未だしも……何で近藤さんまで隠れてやがんだっ!」
その言葉に私も廊下を覗くと、四つん這いになりながら慌てて逃げようとしている局長のお尻が見えた。
「……局長……」
「あ……あはははは……山崎くんが物凄い剣幕で飛び出して行ったのが気になってね。歳も部屋に戻ったまま出て来ないから……ほら、局長としてはやはり部下を気遣う必要があるからして、その……」
何とか取り繕おうとするも、根が素直なだけに言い訳が思い付かないのか、しどろもどろになっている。
「で? こっそり外から様子を伺ってたってか。近藤さんはこいつらに流され過ぎだ! 悪い影響受けてんじゃねぇよ!」
「ええ!? 俺達が悪いのか!?」
心外だとばかりに驚いた表情を見せる永倉さんと原田さんにゲンコツを落とした副長は、気が付けばいつもの副長の顔に戻っていた。
「痛ぇよ、土方さん!」
「痛くしてんだよ、馬鹿が!」
「もう少し力の加減ってもんをだな……!」
この掛け合いが、とても嬉しい。三人が言い争う姿を笑いながら見ていると、同じくそれを見ていた局長が私に近付いてきて言った。
「ありがとう山崎くん。歳を元気付けてくれて」
その顔は、心の底からほっとした表情で。この人も、副長の事が心配でたまらなかったのだろう。副長を見る眼差しは、まるで実の兄のように優しかった。
「歳はいつも一人で溜め込むからなぁ。だがこんな短時間で浮上出来るのは珍しい。山崎くんは心のお医者様でもあるようだ」
「勿体ないお言葉です」
思いがけず局長に褒められ、何だか照れくさかった。だがもし本当に私の存在が、副長に良い影響を与えられているのなら、これ以上嬉しい事は無い。
「局長もお辛かったですよね……」
「ああ、だが俺はさっき思い切り泣いたからな。少しは違うさ。それに未だこの件については終わっていないのでね」
そう言った途端、穏やかに笑っていた局長の表情が一変した。じゃれ合っていた三人も、局長の言葉が聞こえたのだろう。表情が引き締まり、いつの間にかこちらを見ている。
「一体何が……?」
状況の読めない私が動揺していると、局長はポン、と私の頭に手を置き、ニコリと笑う。そしてまたすぐに厳しい局長の顔に戻ると、言った。
「皆、気持ちの切り替えは出来たか?」
その言葉に、三人がコクリと頷く。
「その場にいなかった山崎くんにも分かるように、もう一度あの時の状況を確認しようか」
局長がそう言って、皆に着座を促す。そのまま今度は副長室で話を続ける事となったのだが、そこからの話は、副長があれだけ落ち込むのも致し方ないと思う程に辛く悲しいものだった。