時の泡沫
そしていよいよ当日の朝を迎えた。いつもよりも早く目覚めた者が多く、落ち着かないのか道場での朝稽古はいつも以上に活気に満ちている。普段は皆の打ち合いを見ているだけの局長までも、珍しく一緒になって汗を流していた。
例に漏れず落ち着かない私も、朝食をすませるとすぐに村山さんの消息を確認すべく屯所を離れた。伊東さんの件に関わる者たちが各々配置に着くのは、日が暮れてからになる。それまでに何か手掛かりを見つけられれば。そう願いながら、私は心当たりをしらみ潰しに当たって行った。
だが、夕刻になっても手掛かりは掴めず。仕方無しに一旦屯所に戻ると、既に局長達は妾宅に出かけていた。油小路に詰める者達も、本格的に出掛ける準備を始めている。
「よう、山崎。何か収穫あったか?」
廊下を歩いていると、私の姿を見つけた永倉さんが声をかけてきた。もう今すぐにでも出られる状態で、暇を持て余していたようだ。
「残念ながら未だ……」
「そっか。こっちも今からだし、お互いさっさと済ませちまおうぜ」
ニッと笑って私の肩を抱き、頭をクシャクシャと撫でてくる。それは以前、落ち込んでいる藤堂さんを励ます時に永倉さんがよくやっていた仕草だった。
「はい、皆さんお気を付けて。無事の帰還をお祈りしています」
「おう、任せろ! 俺が全て丸く収めてみせるぜ!」
握りこぶしを天に突き上げながら、永倉さんは言った。その言葉の頼もしさに、私も思わず笑顔になる。
「ん、良い笑顔だな。戻って来た時もその笑顔で俺達を迎えてくれよ」
「はい。きっと」
それは、皆を無事に連れ帰るという確約。永倉さんはもう一度私の頭をクシャクシャと撫でると、「んじゃ、行ってくる」と言って皆の集まっている大広間へと向かった。
その姿が見えなくなり、やがて彼らが出立すると、途端に屯所が静かになる。人の気配がほぼ皆無の屯所はとても寂しく、居心地が悪かった。
「うちも……もっぺん出て行こかな」
留守を任されている隊士に一言声をかけ、改めて屯所を出る。土佐藩邸周辺はもちろん、土佐に関わりのある人物の行きそうな場所も全て当たり終えている今、次に情報が落ちていそうな場所はどこか。
思案を巡らせながら当てもなく歩いていると、「山崎さん!」と私の名を呼びながら走り寄ってくる者があった。それは吉村さんで、どうやら必死に走って屯所に向かっていたらしい。
「そんなに慌てて……何かありましたか?」
肩で息をしている吉村さんは、興奮状態でもあるようだ。これは何か情報を掴んだという事だろう。
「村山は……詮議の後、釈放……されていま……した!」
未だ整わぬ息のまま必死に伝えてくれた情報は、私に大きな衝撃を与える。
「本当ですか!? 彼は無事なのでしょうか」
「少なくとも、十七日の昼までは……間違いなく生きていたようです。目撃証言も取れています。ですがその後の足取りが全く掴めていません」
嫌な予感がした。釈放されたと言うのは喜ばしい話だが、その後の足取りが掴めないという事は、その釈放自体に裏があるという可能性が高いからだ。
「その目撃証言は何処で?」
「それが……壬生寺に程近い所なんです」
「……はめられたか……」
私の言葉に、吉村さんも苦しげに頷く。私達は今、言葉に出さなくても間違いなく同じ事を考えているのだろう。
――村山さんは釈放されたのではなく、泳がされたのだ、と。
想像するに、詮議の前から村山さんは新選組に関わりのある者では無いかと当たりを付けられていたと思われる。そして土佐藩全体が、近江屋の件の下手人を新選組だと思っていれば、どのような行動に出るかは火を見るよりも明らかで。
だが村山さんを下手人として拘束はしたものの、実際に手を下したのは新選組ではない為、暗殺の証拠など出るはずはない。しかしそれでは腹の虫が収まらず、泳がせて新選組との繋がりを炙り出し、何とか間者としての証拠を掴もうとしているのだろう。
そうなると、村山さんは今とてつもなく危険な状態にあるのではないか。陸援隊を釈放と言う形で追放され、行く当ても無い村山さんが、身を寄せる為に思いつく場所は――。
「彼が自分の釈放の意味に気付いていれば、国に帰るなど京から離れる選択肢を選ぶでしょう。ですが壬生で見かけたという事は、考えが浅かったと捉えた方が良いですね」
私の言葉に、吉村さんが頷く。
「さすがにそのままの足で屯所に行くのは憚られると思ったんでしょうが、壬生はまずい。洋式訓練で我々は未だに壬生には通っていますからね。八木さんにでも頼ろうとしたのでしょうか」
吉村さんの言う通り新選組は幕府陸軍に倣い、壬生寺にてフランス式の戦闘訓練を行っている。その為、屯所を壬生から移転して以降も壬生とは深い関わりを持ち続けていた。いわば壬生は、新選組の故郷の様な場所なのだ。そんな所に姿を現してしまえばどうなるかは、火を見るより明らかだ。
「山崎さんにすぐお伝えせねばと思い屯所に向かっていたのですが、会えて良かった。この後の動きをどうするか指示を頂けますか?」
「もちろんこのまま壬生に向かって彼を探します。今動けるのは私達二人だけですので、かなり厳しいとは思いますが……お願いします」
考える間も無く即答した。きっと今この瞬間も、村山さんは追われているはずだ。一刻の猶予も無い。
私達は頷き合うと、すぐに壬生へと向かって走り出した。走りながら探索の稼働範囲を東西は堀川通りから千本通り、南北を松原通りから六角通りまでと定める。そして敵が潜んでいる事を想定し、二手に分かれながらも定期的に顔を合わせるようにして探索を続けた。
例に漏れず落ち着かない私も、朝食をすませるとすぐに村山さんの消息を確認すべく屯所を離れた。伊東さんの件に関わる者たちが各々配置に着くのは、日が暮れてからになる。それまでに何か手掛かりを見つけられれば。そう願いながら、私は心当たりをしらみ潰しに当たって行った。
だが、夕刻になっても手掛かりは掴めず。仕方無しに一旦屯所に戻ると、既に局長達は妾宅に出かけていた。油小路に詰める者達も、本格的に出掛ける準備を始めている。
「よう、山崎。何か収穫あったか?」
廊下を歩いていると、私の姿を見つけた永倉さんが声をかけてきた。もう今すぐにでも出られる状態で、暇を持て余していたようだ。
「残念ながら未だ……」
「そっか。こっちも今からだし、お互いさっさと済ませちまおうぜ」
ニッと笑って私の肩を抱き、頭をクシャクシャと撫でてくる。それは以前、落ち込んでいる藤堂さんを励ます時に永倉さんがよくやっていた仕草だった。
「はい、皆さんお気を付けて。無事の帰還をお祈りしています」
「おう、任せろ! 俺が全て丸く収めてみせるぜ!」
握りこぶしを天に突き上げながら、永倉さんは言った。その言葉の頼もしさに、私も思わず笑顔になる。
「ん、良い笑顔だな。戻って来た時もその笑顔で俺達を迎えてくれよ」
「はい。きっと」
それは、皆を無事に連れ帰るという確約。永倉さんはもう一度私の頭をクシャクシャと撫でると、「んじゃ、行ってくる」と言って皆の集まっている大広間へと向かった。
その姿が見えなくなり、やがて彼らが出立すると、途端に屯所が静かになる。人の気配がほぼ皆無の屯所はとても寂しく、居心地が悪かった。
「うちも……もっぺん出て行こかな」
留守を任されている隊士に一言声をかけ、改めて屯所を出る。土佐藩邸周辺はもちろん、土佐に関わりのある人物の行きそうな場所も全て当たり終えている今、次に情報が落ちていそうな場所はどこか。
思案を巡らせながら当てもなく歩いていると、「山崎さん!」と私の名を呼びながら走り寄ってくる者があった。それは吉村さんで、どうやら必死に走って屯所に向かっていたらしい。
「そんなに慌てて……何かありましたか?」
肩で息をしている吉村さんは、興奮状態でもあるようだ。これは何か情報を掴んだという事だろう。
「村山は……詮議の後、釈放……されていま……した!」
未だ整わぬ息のまま必死に伝えてくれた情報は、私に大きな衝撃を与える。
「本当ですか!? 彼は無事なのでしょうか」
「少なくとも、十七日の昼までは……間違いなく生きていたようです。目撃証言も取れています。ですがその後の足取りが全く掴めていません」
嫌な予感がした。釈放されたと言うのは喜ばしい話だが、その後の足取りが掴めないという事は、その釈放自体に裏があるという可能性が高いからだ。
「その目撃証言は何処で?」
「それが……壬生寺に程近い所なんです」
「……はめられたか……」
私の言葉に、吉村さんも苦しげに頷く。私達は今、言葉に出さなくても間違いなく同じ事を考えているのだろう。
――村山さんは釈放されたのではなく、泳がされたのだ、と。
想像するに、詮議の前から村山さんは新選組に関わりのある者では無いかと当たりを付けられていたと思われる。そして土佐藩全体が、近江屋の件の下手人を新選組だと思っていれば、どのような行動に出るかは火を見るよりも明らかで。
だが村山さんを下手人として拘束はしたものの、実際に手を下したのは新選組ではない為、暗殺の証拠など出るはずはない。しかしそれでは腹の虫が収まらず、泳がせて新選組との繋がりを炙り出し、何とか間者としての証拠を掴もうとしているのだろう。
そうなると、村山さんは今とてつもなく危険な状態にあるのではないか。陸援隊を釈放と言う形で追放され、行く当ても無い村山さんが、身を寄せる為に思いつく場所は――。
「彼が自分の釈放の意味に気付いていれば、国に帰るなど京から離れる選択肢を選ぶでしょう。ですが壬生で見かけたという事は、考えが浅かったと捉えた方が良いですね」
私の言葉に、吉村さんが頷く。
「さすがにそのままの足で屯所に行くのは憚られると思ったんでしょうが、壬生はまずい。洋式訓練で我々は未だに壬生には通っていますからね。八木さんにでも頼ろうとしたのでしょうか」
吉村さんの言う通り新選組は幕府陸軍に倣い、壬生寺にてフランス式の戦闘訓練を行っている。その為、屯所を壬生から移転して以降も壬生とは深い関わりを持ち続けていた。いわば壬生は、新選組の故郷の様な場所なのだ。そんな所に姿を現してしまえばどうなるかは、火を見るより明らかだ。
「山崎さんにすぐお伝えせねばと思い屯所に向かっていたのですが、会えて良かった。この後の動きをどうするか指示を頂けますか?」
「もちろんこのまま壬生に向かって彼を探します。今動けるのは私達二人だけですので、かなり厳しいとは思いますが……お願いします」
考える間も無く即答した。きっと今この瞬間も、村山さんは追われているはずだ。一刻の猶予も無い。
私達は頷き合うと、すぐに壬生へと向かって走り出した。走りながら探索の稼働範囲を東西は堀川通りから千本通り、南北を松原通りから六角通りまでと定める。そして敵が潜んでいる事を想定し、二手に分かれながらも定期的に顔を合わせるようにして探索を続けた。