時の泡沫
そこに、都合よく戻ってきたのは副長。
「……何だよ、解散だっつったのに未だ皆ここにいたのか? 俺の部屋なんだからさっさと出てけってんだ」
むっつりとした表情をしている副長の前髪は、何故か濡れている。もちろんここにいる面々は皆それに気付いたが、ただ副長を見つめるだけで敢えて誰も突っ込もうとはしなかった。
「……何だよ、俺の顔に何か付いてんのか? 気持ち悪ぃからさっさと出てけ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りながら皆を部屋から追い出すと、副長は大きなため息を吐いて障子戸を閉めようとする。
だが、皆が笑いながら各々の部屋に戻る中、私がその場から動こうとしていないことに気付き、眉を顰めた。
「どうした? 未だ何かあんのか?」
あからさまに嫌そうな顔をされてしまったが、それは副長の中に後ろめたい気持ちがあるからという事に私は気付いている。
「はい。お聞きしたい事がありまして。明日の事で」
「……座れ」
仕方なさそうに私を部屋に入れた副長は、むすっとした表情で定位置に腰を下ろした。
「で? 聞きたい事ってのはなんだよ」
「先程、明日出動の面々の名前を確認しましたが、そこに私の名前がありませんでした。何故ですか?」
今回の計画に参加するのは、錚々たる顔ぶれだ。既に仕事を与えられている一部の者を除いては、全ての幹部が出動している事になる。だがその中に私の名前が入っていない事が些か納得いかなかった。
「ああ、その事か」
副長の顔が、少しだけ緩む。きっと先程の件で鬼の面が剥がれそうになり、気を取り直す為に慌てて顔を洗いに行っていた事を突っ込まれるかと警戒していたのだろう。
――後で期待に応えるべきか。
「別にお前がどうこうってわけじゃねぇよ。お前にはもう少し村山について追ってもらいたかったからな。未だにあいつの情報は入って来ねぇ。どんな結果であれ、せめて消息だけははっきりさせておかねぇと色々と困るからな」
なるほど、そういう事かと納得した。確かに今も必死に吉村さんが探ってくれているのだが、何一つ手がかりが無いとは聞いている。この件に関しては私も未だ動きたかったので、ありがたかった。
「ついでに言っちまうと、お前を伊東の件に関わらせたくなかったんだよ。なんつーか、面倒くさい事になりそうだろ」
「面倒くさいって……」
「じゃあ言い方を変える。この件にはお前を関わらせない方が良いと思ったんだよ。お前の話が漏れたり、あいつに暴走されたらまずいだろ。ま、そういうわけだ」
「暴走って……恐ろしい事を言わないで下さいよ。とりあえず分かりました」
確かに私としても、あの人に関わりたくないという気持ちは過分にある。この采配には感謝しよう。
だがそれ以上に気になるのは藤堂さんの事だ。原田さん達が意見した、逃がしたいという気持ちとは別に、私の中で引っかかっていた事。
「もう一つ。既にお伝えしてありますが、以前藤堂さんにお会いした時、何かを決心したような素振りが見えていた事が気になります。察するに、自らの為と言うよりは新選組の為に何かをしようとしているようにも感じられたので……」
本当は、新選組に戻りたかったのではないか。藤堂さんと会ったあの日からずっと、私はそう思い続けていた。 だが一度袂を分かった者は、二度と戻ることを許されない決まりになっている為、望みは無いのだ。だからこそ、何か別の形で新選組の為に動こうとしているのでは無いかと思えてしまって。
「『幸せになってね』という言葉が、私にはまるで遺言のように聞こえました。藤堂さんは、これから起こる事を予測しているのかもしれませんね」
「何が言いたい?」
私が遠回しに言うのが気に入らないのだろう。とても不機嫌な顔で私を睨みつけてくる。
「別に……ただ素直な事は悪い事では無いんですよ、と言いたかっただけです」
「……ふん、余計なお世話だってぇの」
そう言った副長は、私から視線を外すと、どこか遠くを見るような目で言った。
「命懸けの戦闘中ってのは、何が起こるか分からねぇもんなんだよ。あとは運と実力だ」
「なんだ、やっぱり聞いてたんですね」
井戸で顔を洗って戻った時に、丁度局長の話が聞こえたのかもしれない。とことん不器用な人だと思い、小さく笑ってしまった。
「では、私が素直じゃ無い人の代弁をしましょうか。大切な人達が、誰一人欠ける事なく戻ってくる事を祈っています」
「……ああ」
複雑そうな顔で答えた副長に頭を下げると、私は副長室を後にする。障子戸を閉める時に一瞬見えた副長の顔が、泣きそうに見えたのは気のせいだと思っておく事にしよう。
「……何だよ、解散だっつったのに未だ皆ここにいたのか? 俺の部屋なんだからさっさと出てけってんだ」
むっつりとした表情をしている副長の前髪は、何故か濡れている。もちろんここにいる面々は皆それに気付いたが、ただ副長を見つめるだけで敢えて誰も突っ込もうとはしなかった。
「……何だよ、俺の顔に何か付いてんのか? 気持ち悪ぃからさっさと出てけ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りながら皆を部屋から追い出すと、副長は大きなため息を吐いて障子戸を閉めようとする。
だが、皆が笑いながら各々の部屋に戻る中、私がその場から動こうとしていないことに気付き、眉を顰めた。
「どうした? 未だ何かあんのか?」
あからさまに嫌そうな顔をされてしまったが、それは副長の中に後ろめたい気持ちがあるからという事に私は気付いている。
「はい。お聞きしたい事がありまして。明日の事で」
「……座れ」
仕方なさそうに私を部屋に入れた副長は、むすっとした表情で定位置に腰を下ろした。
「で? 聞きたい事ってのはなんだよ」
「先程、明日出動の面々の名前を確認しましたが、そこに私の名前がありませんでした。何故ですか?」
今回の計画に参加するのは、錚々たる顔ぶれだ。既に仕事を与えられている一部の者を除いては、全ての幹部が出動している事になる。だがその中に私の名前が入っていない事が些か納得いかなかった。
「ああ、その事か」
副長の顔が、少しだけ緩む。きっと先程の件で鬼の面が剥がれそうになり、気を取り直す為に慌てて顔を洗いに行っていた事を突っ込まれるかと警戒していたのだろう。
――後で期待に応えるべきか。
「別にお前がどうこうってわけじゃねぇよ。お前にはもう少し村山について追ってもらいたかったからな。未だにあいつの情報は入って来ねぇ。どんな結果であれ、せめて消息だけははっきりさせておかねぇと色々と困るからな」
なるほど、そういう事かと納得した。確かに今も必死に吉村さんが探ってくれているのだが、何一つ手がかりが無いとは聞いている。この件に関しては私も未だ動きたかったので、ありがたかった。
「ついでに言っちまうと、お前を伊東の件に関わらせたくなかったんだよ。なんつーか、面倒くさい事になりそうだろ」
「面倒くさいって……」
「じゃあ言い方を変える。この件にはお前を関わらせない方が良いと思ったんだよ。お前の話が漏れたり、あいつに暴走されたらまずいだろ。ま、そういうわけだ」
「暴走って……恐ろしい事を言わないで下さいよ。とりあえず分かりました」
確かに私としても、あの人に関わりたくないという気持ちは過分にある。この采配には感謝しよう。
だがそれ以上に気になるのは藤堂さんの事だ。原田さん達が意見した、逃がしたいという気持ちとは別に、私の中で引っかかっていた事。
「もう一つ。既にお伝えしてありますが、以前藤堂さんにお会いした時、何かを決心したような素振りが見えていた事が気になります。察するに、自らの為と言うよりは新選組の為に何かをしようとしているようにも感じられたので……」
本当は、新選組に戻りたかったのではないか。藤堂さんと会ったあの日からずっと、私はそう思い続けていた。 だが一度袂を分かった者は、二度と戻ることを許されない決まりになっている為、望みは無いのだ。だからこそ、何か別の形で新選組の為に動こうとしているのでは無いかと思えてしまって。
「『幸せになってね』という言葉が、私にはまるで遺言のように聞こえました。藤堂さんは、これから起こる事を予測しているのかもしれませんね」
「何が言いたい?」
私が遠回しに言うのが気に入らないのだろう。とても不機嫌な顔で私を睨みつけてくる。
「別に……ただ素直な事は悪い事では無いんですよ、と言いたかっただけです」
「……ふん、余計なお世話だってぇの」
そう言った副長は、私から視線を外すと、どこか遠くを見るような目で言った。
「命懸けの戦闘中ってのは、何が起こるか分からねぇもんなんだよ。あとは運と実力だ」
「なんだ、やっぱり聞いてたんですね」
井戸で顔を洗って戻った時に、丁度局長の話が聞こえたのかもしれない。とことん不器用な人だと思い、小さく笑ってしまった。
「では、私が素直じゃ無い人の代弁をしましょうか。大切な人達が、誰一人欠ける事なく戻ってくる事を祈っています」
「……ああ」
複雑そうな顔で答えた副長に頭を下げると、私は副長室を後にする。障子戸を閉める時に一瞬見えた副長の顔が、泣きそうに見えたのは気のせいだと思っておく事にしよう。