時の泡沫

 北白川の土佐藩邸にある陸援隊の屯所前では、多くの隊士と思しき者達が集まっていた。聞こえてくるのはやはり、坂本、中岡両名の名前だ。見ていても皆が混乱している事が分かり、衝撃の大きさが伺われた。

 だがその中に不穏な空気が流れている事に気付く。どうも数人がもめているようなのだ。人の行き来が多い為隠れる所が少なく、どうしても遠目からしか確認が出来ないのだが、数人が一人の男を責めているようにも見える。何が起きているのかと必死に目をこらして見ていると――。

「村山さん!」

 恐れていた事が現実となってしまったようだった。羽交い絞めにされ、屯所の中に連れて行かれる村山さんの足はふらついており、相当殴られたのではないかと思しき状況だ。このままでは命が危ないかもしれない。だが、近寄る事すら出来ない今、私にはどうする事も出来なくて。暫く様子を見ていたが、その後村山さんの姿を見る事は無かった。

 明け方、何の収穫も無いまま屯所に戻ると、副長が待っていてくれた。私の疲弊しきった顔を見て全てを察したのか、少し休めと部屋に追いやられる。村山さんが正式に捕縛されたという知らせが入ったのは、それから半刻程後の事だった。

 情報が錯綜する。次々と持ち帰られる情報は、どれもやっかいな物ばかりだった。それが正しいか否かを調べる時間すらない状況は、副長をいらだたせる。

「くそっ! 終わりが見えねぇ!」

 ガリガリと頭を掻きながら副長はぼやいた。村山さん捕縛の知らせの後、次いで届いたのは坂本殺しの下手人の一人が原田さんだと言う話だった。どうやら現場に刀の鞘が落ちていたようなのだが、それが原田さんの物だと断言した者がいるというのだ。それが面倒な事に、伊東さんだという。

 更に悪いのが、現在重症の中岡の証言の中に、「下手人は『こなくそ』と言っていた」という物があるらしく。それが伊予弁だという事から、伊予出身の原田さんが下手人だという信憑性を強くしてしまったのだ。

「村山は、坂本暗殺の嫌疑で捕縛されたらしい。って事は、新選組と繋がりがあると思われてるに相違ないだろうな」

 悔しそうに言う副長は、間違いなく村山さんを心配しているからだろう。口では何だかんだ言いながらも、結局は優しい人なのだ。

「明日には詮議にかけられるらしいが、何とか切り抜けてくれる事を祈るしかねぇ」

 その言葉に、私は静かに頷いた。
 だがその願いは虚しく、詮議が行われたという話を最後に、村山さんの消息は絶たれる。殺されたとも、拷問後幽閉されたとも言われているが、誰一人仔細を確認出来ずにいた。

 だからと言って、我々もそれだけに関わっているわけにはいかない。何故なら、いよいよ伊東さんの暗殺を決行する事が決まったから。今回は副長室に局長を初めとする幹部が集められ、段取りを説明された。

「決行は明日の夜、近藤さんの妾宅にて酒に酔わせた後、七条油小路周辺で待ち伏せて斬る」

 どうやら私が村山さんの件で駆けずり回っている時に話が進んでいたらしい。

「出動する面子はここに書かれた通りだ。伊東には、国事の相談をしたい事と、今後の活動資金の用立てについて話をしたいから、秘密裏に一人で来るよう文を出してある。奴の事だ。警戒はしながらも共は連れてこないだろう。奴を斬れば御陵衛士の者達が遺体を取りに来るはずだ。残りの者はそこで全て一掃する。良いな」
「承知!」

 皆が応える。ところが原田さんだけは浮かない顔をしていた。

「なあ土方さん。平助はどうするんだよ。あいつもきっと来るぜ?」

 その言葉に、皆がハッとしたように副長を見る。けれども副長は表情を変えぬまま言った。

「さっきも言った通りだ。御陵衛士は一掃する。それだけだ」
「でも平助は俺達の同志だったんだ! 試衛館の時からの仲間なんだぞ!」
「俺には……斬れねぇよ」

 原田さんが、小さく呟く。隣に座っている永倉さんも、唇を噛み締めながら頷いた。
 だが、副長は表情を変えずに言う。

「これは命令だ。どうしても無理だというならお前達は外れれば良い」
「土方さん、それは……!」
「もう一度言う。命令だ」
「……分かったよ」

 うなだれる二人を横目に、副長は立ち上がった。

「話は以上だ。解散」

 そう言うと、副長は足早に部屋から出て行った。
 残された私達は、重い雰囲気の中誰も立ち上がろうとしない。そんな空気を吹き飛ばそうとしたのか、局長が口を開いた。

「すまんな、みんな。歳も本当は平助を助けたいんだ。だがそれを公に認めてしまっては、全てにおいての決心が鈍ってしまう。あいつも副長として必死なんだ」
「それは分かっているけどよ……」

 分かっているからこそ、素直な気持ちを隠したまま鬼として命ずることしか出来ない副長が心配なのだろう。

「一番傷付くのは土方さんじゃねえか」

 そう言って頭を掻き毟っている原田さんを見た局長は優しく微笑むと、しばし何かを考えていたようだが、やがて小さく頷きながら言った。

「とりあえず話し合いは終わった。だからここからは俺の独り言になるから聞き流してくれよ」

 わざとらしく腕を組み、目を瞑りながら局長は続けた。

「命令は絶対だ。伊東さんを斬った後、遺体を取りに来た御陵衛士達も斬る。だがきっと人数も多く乱戦となるだろう。皆が命懸けで戦うんだ。お互いを見ている暇など無い。誰かが戦いの最中、敵を取り逃がしてしまう事があってもおかしくはないだろうなぁ」
「近藤さん……!」

 そこにいる全員が息を飲んで、局長を見つめた。だがその当人はとぼけた表情で、「ん? どうした? 何か聞こえたか?」と言うだけだ。
 思わず皆の顔に浮かんだ笑みは、とても晴れ晴れとしたもので。新選組と言うのは、つくづくよく出来た人間の集まりなのだと痛感させられた。
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