時の泡沫

 暫くは動けないからと、一旦解散した私達は各々部屋に戻った。だが横になったものの、坂本の事が気になってどうにも寝付けない。

「こうしてる間にも、皆駆けずり回ってはるんよな……」

 やはり元監察という事もあり、つい彼らの事を考えてしまう。今この屯所内に、監察の者は一人も残っていない状況だ。そうでなくとも人手の足りない監察。きっと困っている事だろう。

「どうせ寝られんのやったら、動く方が効率ええやんな」

 善は急げと、町人に姿を変える。皆を起こさぬように気配を消し、私はこっそり屯所を抜け出そうとした。――が。

「お前の考えが読めない俺だと思うか?」

 門の所で待ち構えていたのは、腕組みをして睨む副長。思わず頬を引きつらせると、軽く頭を叩かれた。

「……痛いです」
「痛くしたんだよ、馬鹿が。また勝手に一人で動こうとしやがって」
「だって眠れないんです。時間が勿体ないじゃないですか。監察も手が回らないでしょうし、少しでも情報を集めてきます」
「だったらまず俺に一言断ってから行け。それが道理ってもんだ」
「……ご尤もで」

 分かってはいたが、言えば反対されそうだと思い、こっそり出て行こうとしていたのだ。

「危険な事さえしなけりゃ反対はしねぇよ。今は少しでも情報が欲しい時だからな。良いか、絶対に深追いだけはするな伊東の時のような事になったら……許さねぇぞ」
「承知しました」

 眉間に皺を寄せてはいるが、その目には心の底から私を心配している気持ちが溢れている。私はそれに応えるように、微笑んで頷いた。
 すると、副長の手が私の頬に触れる。そのまま手は私の頭の後ろへと移動し、ゆっくりと引き寄せられた。そして副長の影が私の顔に重なりかけた時。

「恋仲感を漂わせるのは結構ですが、時と場所を考えて下さいね。ついでにその格好は頂けないので、せめてお琴さんの姿でお願いします」
「……吉村っ!」

 プルプルと肩を震わせて笑いをこらえている吉村さんがそこにいた。思わず副長から飛び退いて離れると、プッと吹き出されてしまう。

「副長の溺愛ぶりは知っていましたが、こうして実物を見ると何とも……殺伐とした雰囲気が吹き飛びますね」
「吉村、てめぇ……」
「良いネタを頂きました。ところで坂本の件ですが」

 さりげなく本題を話し始めた吉村さんだったが『良いネタ』という言葉がとんでもなく恐ろしい。副長も、本気で冷や汗をかいているようだ。
 だがそんな事などお構いなしに、吉村さんは話し続けた。

「下手人は未だ上がっていませんが、巷では新選組の線が濃厚だという話になってきています。他には見廻組や紀州藩という話も出てはいますが、今の所はほとんどの者が新選組を疑っているようです」
「ちっ……やっぱそうなっちまうか」

 一瞬で現実に引き戻された思考が、鬼の副長の顔を呼び覚ます。

「瀕死の重傷である中岡が辛うじて話のできる状況にあるようで、今土佐が必死に治療しながら話を聞こうとしているらしいのですが、それ以上の事は未だ……」
「そうか、分かった。引き続き探ってくれ」
「承知しました」

 吉村さんが踵を返し、走り去ろうとする。だがそれを私は慌てて引き止めた。

「吉村さん! 海援隊と陸援隊に手は回していますか?」
「……さすがですね。海援隊には一人付いていますが、陸援隊にまでは人が回せていません。お願い出来ますでしょうか」
「分かりました」

 目を合わせ、小さく頷くと吉村さんは今度こそ走り去る。その姿を見送りながら、私は言った。

「嫌な予感がしているんです。万が一の場合は村山さんを連れ帰っても良いですか?」

 それは根拠のない不安。 けれども何故か私の中で確信のように思えてならず、副長に許しを乞うた。だが、望んだ答えは返ってこない。

「ダメだ。そんな事をすれば、痛くも無い腹を探らせる事になりかねねぇ。何の為に新人隊士を間者に仕立てたと思ってんだ。繋がりが浅い分、漏れる情報も少ねぇからだろうが」

 鬼、だった。今目の前にいる男に、情と言うものは存在しないのだろうか。紡がれた言葉はとても冷たかった。

「見殺しにしろ……と?」
「んな事は言ってねぇよ。ただ、無謀な事はすんなって事だ。村山だって覚悟をして乗り込んでるんだからよ」

 そう言った副長だったが、同時に歯を食いしばっているのに気付く。まったくこの人はどこまで不器用なのか。

「分かりました。その時最善の策を取るように努めます。彼を信じましょう」

 新選組との繋がりが未だ浅いからこそ、他人から見て新選組隊士らしさを感じる事は少ないだろう。色に染まっている、潜入に手慣れた監察に比べればむしろ疑われる可能性が低くなると考えたのだ。

「私も敢えて深入りはしませんからご安心を。とりあえずの現況だけ探ってきます」
「ああ、頼む」

 では、と頭を下げると、私は急いで陸援隊の屯所へと向かった。
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