時の泡沫
ふと気が付くと、障子戸の隙間から日の光が差し込んでいた。
座布団を枕に横になり、羽織をかけられていた私はゆっくりと体を起こす。
「いたたたた……体が……」
「年ですか?」
「んなっ!?」
固まってしまった体の痛みに呻いていると、憎たらしい突っ込みが入る。思わず声のした方向を睨むと、そこにはクスクスと笑っている沖田さんがいた。しかも座って何かを食べているようだ。
「沖田さん……もう起きて大丈夫なんですか?」
思わず立ち上がろうとしたが体が思うように動かず、仕方なしに四つん這いで沖田さんに駆け寄る。その姿に思わず吹き出した沖田さんは、そのまま咳き込んでしまった。
「ゴホゴホッ! わ、笑わせないで下さいよ、山崎さん」
涙を流しながら咳き込み笑う沖田さんは顔色も良くなっていて。
「じゃあ勝手に人を見て笑わないで下さいよ」
「そんな事言われ……ゴホゴホッ! 言われても無理ですよ。あんな面白い事をされてしまったら」
いつもの笑顔の戻った沖田さんに、嬉しくなった。
「ところで、さっきから何を食べているんですか?」
ようやく体の動き始めた私は、沖田さんの器の中を覗き込む。そこにはお粥が入っていた。ただし、割と豪快に野菜が突っ込まれた物ではあったが。
「……これ、ひょっとして副長ですか?」
「ご明察。味は悪くないんですけどね。野菜が硬いままでして」
「なるほど。よっぽど急いで作ったんでしょうね」
副長が厨に立ってお粥を作る姿を想像し、二人で笑う。それがまた嬉しくて、更に笑みが深くなった。
「で? その副長はどちらに?」
「どうやら夜通し起きていたようで、さすがに眠いからと部屋に戻りました。ついさっきですよ」
「そうだったんですね。じゃあ私だけ寝てしまってたわけか……」
「大丈夫ですか? 襲われた跡とかありません?」
「まさか! 副長がそんな事をするはず……」
ハッとして襟の内側を見る。が、すぐに私は顔を戻し、沖田さんに笑顔を見せた。
「無い無い! 副長はそんな事をするような方じゃありませんよ」
じんわりと冷や汗が出る。
『無い』とは言いながらも、実は『外から見える所には』という言葉を付け加えねばならないのだ。案の定、襟で隠れるギリギリの場所にはしっかりと所有印が刻まれていた。後でしっかり注意しておかねばなるまいて。
「本当ですか……?」
思い切り疑いの眼差しで見ている沖田さんにうんうんと頷いて見せると、私は急いで話を変えた。
「それで、体調の方は如何ですか?」
「それが、不思議な事にすっきりしているんです。よく寝たからなのかなぁ? 食欲もあるんですよ。申し訳ないんですが、他に何か作ってもらえますか? これはさすがに食べられそうにないので」
未だたっぷりと野菜の残っている器を渡される。そんなに酷い出来なのかと箸で野菜をつついてみると、全く先が通らない硬さのままだった。
「……これは確かに食べられませんよね。改めて煮込みましょう。今も未だあっさりした物が欲しいですか?」
「そうですね……あっさりした物の後、甘い物が欲しいです」
「分かりました。しばらくお待ちくださいね」
見た目だけでなく、中身まで元気になってきているようだ。私は喜びに舞い踊りながら厨へと向かった。
その日は一日穏やかに過ぎていった。
咳はあれども喀血は無く、部屋を訪れる者達との会話を楽しむ事が出来る程度に落ち着いていて。この調子でいけば、ひょっとして……そんな淡い期待を持ってしまう程に顔色も良くなっていた。
だが、夜になると再び咳は増えていき。眠りたいのにそれを許してくれない苦しみが、沖田さんの胸を襲う。
少しでも楽になるようにと試しに試し、枕を高くする事でようやく咳は落ち着いたものの、それは深い眠りに落ちる事を妨げるという悪循環だった。
「ゴホッ、ゴホゴホッ!……すみま……せん、山崎さん……貴方も眠りたいでしょ……ゴホッ!」
「私の事は気にしなくて良いんです。それより今は貴方の体ですよ。もう一度咳止めを飲んでおきましょう。松本先生から頂いているので」
薬を飲めば少しは違うという事が分かっているため、今ではもう薬を嫌がる素振りを見せなくなっている。その代わり、私も必ず甘い物を準備するようにはしていた。
「今日は凄い物をご用意しました。副長が出先で買ってきてくださったんですけどね……」
「ゴホッ、何ですか? その笑顔、気持ち悪いですよ。もったいぶらずに……ゴホッ! 見せて下さいよ」
「気持ち悪いって失礼な。……これです!」
「わあ……!」
私が満面の笑みで取り出した物。それは、誠の旗を模した飴細工だった。
「職人に頼み込んで作ってもらったそうです。これを食べて早く元気になって、また一緒に戦おうっていう、副長の気持ちの表れですね」
「土方さんが……」
飴細工を持ち、じっと見つめる沖田さんの瞳が潤み始めているのが分かる。様々な角度から飴細工を見ながら、沖田さんは笑った。
「誠の旗の形じゃ、食べにくいじゃないですか。……ゴホッ、土方さんってば、私が食べられないだろうと踏んでこの形にしたんでしょうね。でもそうはいきません」
そう言って、ぱくりと飴にかぶりつく。少々大きかったようで苦戦していたが、旗の形が少し変わり始めた時、大粒の涙が一つ零れ落ちた。
「……甘いです」
「そりゃそうですよ。飴ですから」
「飴だけじゃなくて……」
「副長も、ですか?」
それには答えず、再びぱくりと飴を口に入れる沖田さんを見ながら、私も切に願った。
この誠の旗の力で、一日でも長らえるように、と。そして願わくば、一度でも多くの戦場に足を運べる体を取り戻せるように、と。
綺麗に飴を食べ終えた沖田さんは、不思議と咳も収まり眠りに就く事が出来た。
「恐るべし、誠の旗の力……!」
冗談のように呟いたが、そこには心の底からの安堵がある。誠の旗は沖田さんにとって、とてつもなく大きな存在なのだろう。大切な物、大好きな人達。それらを全て集約した、生きる象徴なのかもしれない。
病とは、人の心持ち次第で症状が大きく変わるものなのだな。今回の事は、それを感じさせてくれる一件だった。
そして迎えた入院当日、十五日の朝。再び元気になった沖田さんの姿を見る事が出来た私は、夜の入院準備をすべく屯所内を走り回っていた。
この入院には、私は付き添わない事になっている。その為松本先生達の手を煩わせぬよう、足りない物が無いかの確認を行っていた。万が一不便があれば、先生やその使いの者が屯所に来てしまう。それでは困るのだ。
――そう、坂本暗殺決行は、翌十六日を予定していたから。
「副長、一通り準備は出来ました」
「そうか」
それでも昼前には荷物がまとまり、一段落する。あとは南部先生からの連絡を待つだけだ。それも思っていたより早く届き、夕方には沖田さんを診療所へと送り届けたのだった。
座布団を枕に横になり、羽織をかけられていた私はゆっくりと体を起こす。
「いたたたた……体が……」
「年ですか?」
「んなっ!?」
固まってしまった体の痛みに呻いていると、憎たらしい突っ込みが入る。思わず声のした方向を睨むと、そこにはクスクスと笑っている沖田さんがいた。しかも座って何かを食べているようだ。
「沖田さん……もう起きて大丈夫なんですか?」
思わず立ち上がろうとしたが体が思うように動かず、仕方なしに四つん這いで沖田さんに駆け寄る。その姿に思わず吹き出した沖田さんは、そのまま咳き込んでしまった。
「ゴホゴホッ! わ、笑わせないで下さいよ、山崎さん」
涙を流しながら咳き込み笑う沖田さんは顔色も良くなっていて。
「じゃあ勝手に人を見て笑わないで下さいよ」
「そんな事言われ……ゴホゴホッ! 言われても無理ですよ。あんな面白い事をされてしまったら」
いつもの笑顔の戻った沖田さんに、嬉しくなった。
「ところで、さっきから何を食べているんですか?」
ようやく体の動き始めた私は、沖田さんの器の中を覗き込む。そこにはお粥が入っていた。ただし、割と豪快に野菜が突っ込まれた物ではあったが。
「……これ、ひょっとして副長ですか?」
「ご明察。味は悪くないんですけどね。野菜が硬いままでして」
「なるほど。よっぽど急いで作ったんでしょうね」
副長が厨に立ってお粥を作る姿を想像し、二人で笑う。それがまた嬉しくて、更に笑みが深くなった。
「で? その副長はどちらに?」
「どうやら夜通し起きていたようで、さすがに眠いからと部屋に戻りました。ついさっきですよ」
「そうだったんですね。じゃあ私だけ寝てしまってたわけか……」
「大丈夫ですか? 襲われた跡とかありません?」
「まさか! 副長がそんな事をするはず……」
ハッとして襟の内側を見る。が、すぐに私は顔を戻し、沖田さんに笑顔を見せた。
「無い無い! 副長はそんな事をするような方じゃありませんよ」
じんわりと冷や汗が出る。
『無い』とは言いながらも、実は『外から見える所には』という言葉を付け加えねばならないのだ。案の定、襟で隠れるギリギリの場所にはしっかりと所有印が刻まれていた。後でしっかり注意しておかねばなるまいて。
「本当ですか……?」
思い切り疑いの眼差しで見ている沖田さんにうんうんと頷いて見せると、私は急いで話を変えた。
「それで、体調の方は如何ですか?」
「それが、不思議な事にすっきりしているんです。よく寝たからなのかなぁ? 食欲もあるんですよ。申し訳ないんですが、他に何か作ってもらえますか? これはさすがに食べられそうにないので」
未だたっぷりと野菜の残っている器を渡される。そんなに酷い出来なのかと箸で野菜をつついてみると、全く先が通らない硬さのままだった。
「……これは確かに食べられませんよね。改めて煮込みましょう。今も未だあっさりした物が欲しいですか?」
「そうですね……あっさりした物の後、甘い物が欲しいです」
「分かりました。しばらくお待ちくださいね」
見た目だけでなく、中身まで元気になってきているようだ。私は喜びに舞い踊りながら厨へと向かった。
その日は一日穏やかに過ぎていった。
咳はあれども喀血は無く、部屋を訪れる者達との会話を楽しむ事が出来る程度に落ち着いていて。この調子でいけば、ひょっとして……そんな淡い期待を持ってしまう程に顔色も良くなっていた。
だが、夜になると再び咳は増えていき。眠りたいのにそれを許してくれない苦しみが、沖田さんの胸を襲う。
少しでも楽になるようにと試しに試し、枕を高くする事でようやく咳は落ち着いたものの、それは深い眠りに落ちる事を妨げるという悪循環だった。
「ゴホッ、ゴホゴホッ!……すみま……せん、山崎さん……貴方も眠りたいでしょ……ゴホッ!」
「私の事は気にしなくて良いんです。それより今は貴方の体ですよ。もう一度咳止めを飲んでおきましょう。松本先生から頂いているので」
薬を飲めば少しは違うという事が分かっているため、今ではもう薬を嫌がる素振りを見せなくなっている。その代わり、私も必ず甘い物を準備するようにはしていた。
「今日は凄い物をご用意しました。副長が出先で買ってきてくださったんですけどね……」
「ゴホッ、何ですか? その笑顔、気持ち悪いですよ。もったいぶらずに……ゴホッ! 見せて下さいよ」
「気持ち悪いって失礼な。……これです!」
「わあ……!」
私が満面の笑みで取り出した物。それは、誠の旗を模した飴細工だった。
「職人に頼み込んで作ってもらったそうです。これを食べて早く元気になって、また一緒に戦おうっていう、副長の気持ちの表れですね」
「土方さんが……」
飴細工を持ち、じっと見つめる沖田さんの瞳が潤み始めているのが分かる。様々な角度から飴細工を見ながら、沖田さんは笑った。
「誠の旗の形じゃ、食べにくいじゃないですか。……ゴホッ、土方さんってば、私が食べられないだろうと踏んでこの形にしたんでしょうね。でもそうはいきません」
そう言って、ぱくりと飴にかぶりつく。少々大きかったようで苦戦していたが、旗の形が少し変わり始めた時、大粒の涙が一つ零れ落ちた。
「……甘いです」
「そりゃそうですよ。飴ですから」
「飴だけじゃなくて……」
「副長も、ですか?」
それには答えず、再びぱくりと飴を口に入れる沖田さんを見ながら、私も切に願った。
この誠の旗の力で、一日でも長らえるように、と。そして願わくば、一度でも多くの戦場に足を運べる体を取り戻せるように、と。
綺麗に飴を食べ終えた沖田さんは、不思議と咳も収まり眠りに就く事が出来た。
「恐るべし、誠の旗の力……!」
冗談のように呟いたが、そこには心の底からの安堵がある。誠の旗は沖田さんにとって、とてつもなく大きな存在なのだろう。大切な物、大好きな人達。それらを全て集約した、生きる象徴なのかもしれない。
病とは、人の心持ち次第で症状が大きく変わるものなのだな。今回の事は、それを感じさせてくれる一件だった。
そして迎えた入院当日、十五日の朝。再び元気になった沖田さんの姿を見る事が出来た私は、夜の入院準備をすべく屯所内を走り回っていた。
この入院には、私は付き添わない事になっている。その為松本先生達の手を煩わせぬよう、足りない物が無いかの確認を行っていた。万が一不便があれば、先生やその使いの者が屯所に来てしまう。それでは困るのだ。
――そう、坂本暗殺決行は、翌十六日を予定していたから。
「副長、一通り準備は出来ました」
「そうか」
それでも昼前には荷物がまとまり、一段落する。あとは南部先生からの連絡を待つだけだ。それも思っていたより早く届き、夕方には沖田さんを診療所へと送り届けたのだった。