時の泡沫
沖田さんの部屋に戻った時には既に、一通りの処置が終わっていた。咳き込み疲れたのか、深い眠りに落ちている沖田さんの顔は血色が悪く真っ白になっている。
対照的に、真っ赤に染まった布団や畳はとても鮮やかだった。
「よう、戻ったか」
私に気付いた松本先生が、声をかけてきた。
「お待たせ致しました。……沖田さんは?」
「見ての通りだ。本格的に悪化しちまってるようだな。南部の所に行く前と今の違いを確認してくれ」
「分かりました」
早速胸の音を確認すると、やはり前回に比べて音が悪くなっている。私の表情から全てを察した松本先生は、南部先生と顔を見合わせ、小さく頷いて言った。
「はっきり言うぜ。沖田はもう治る事はねぇよ。少々の寿命を延ばすことは出来るかもしれねぇが、完治する可能性は潰えちまってる」
「そんな……!」
松本先生に言われ、言葉を失う。
確かに私も、沖田さんにもう先が無い事は分かっていた。これだけはっきりと症状が出た後の流れは、私自身がこの目で見て来ているのだから。それでも自分の師である松本先生の口からそれを通告されるのは、やはり重みが違う。
「沖田さん……」
その名を呟き、ハッとする。今の会話を聞かれていたのではと思い、慌てて沖田さんを見た。だが荒い呼吸のまま、意識は無いようだ。
「いくらこいつでも、あれだけの咳と喀血じゃ暫く起きる事はねぇよ。むしろ熟睡しておいた方が良い。寝ていれば少しは体力も戻るし、苦しさも忘れられるからな」
苦々しげな表情で、松本先生が言った。それは今まで見た事の無い程に悔しさを湛えていて、ああ、これは本当にもう手立てが無いのだと思い知らされる。
「ですが、ただ手をこまねいて見ているだけというわけにもいきませんし、何か出来る事を考えませんと」
南部先生が何とか前向きな方向へと持っていこうとするも、名案は浮かばない。
「今出来る事はただ安静に。空気の良い落ち着いた場所で療養する以外、方法は無いという事ですね」
「そうだ。何らかの刺激で興奮でもしようもんなら、一気に悪化しちまうぞ」
「刺激……」
そう言われ、ふと頭に浮かんだのは坂本の事。
今日は十三日。明後日には暗殺を決行しなければならない。だが沖田さんがこんな状況で、私達は冷静に動けるのだろうか。坂本暗殺は、あくまで幹部のみが秘して行う手筈となっている。そう、私も実行の面子の一人として数えられているのだ。
――だがその間に沖田さんが急変したら?
元々この暗殺計画には、沖田さん自身が加わりたがっていた。もし体調が良いようなら連れて行ってくれと、何度も局長達に懇願していたのを目にしている。
だからこそ当日は、間違いなく沖田さんも落ち着かないだろう。それが原因で悪化させる事だけは避けたい。そこまで考えた時に気付いた事。
「副長は何処へ?」
私が風呂に向かうまでここにいたはずの副長がいなくなっていた事に、今まで気付いていなかった。
「あん? 土方は今頃どこかで泣いてんだろ。沖田が血ぃ吐いた~! ってな」
「……いくら松本先生でも締め上げますよ」
都合良く姿を現した副長が、荒々しく松本先生の前に寝具を投げ下ろす。
「お? 聞こえちまったか。悪い悪い」
「すみませんね、土方さん。師匠は悩み始めるとふざけてしまう性質でして」
「……余計な事を言うな、南部」
ブスッとしてしまった松本先生にどこか副長と同じ匂いを感じ、私は小さくクスリと笑ってしまった。
「あまりにあちこち血が飛んじまってるから、寝具と着物の替えを取りに行ってたんだっての。おい、お前らも取り換えるのを手伝え」
「ああ、分かった」
副長の呼びかけと同時に部屋に入ってきたのは、永倉さんと原田さん。その後ろからは井上さんが、濡らした大量の手拭いを持ってきてくれていた。
「総司は大丈夫なのか?」
着物を脱がせ、手拭いで血を拭っていてもピクリとも動かない沖田さんを見ながら、永倉さんが松本先生に聞いた。
「それはお前ら次第だ」
「俺ら次第って……俺らは何もできねーだろ? 見ているだけで何か違って来るのか?」
寝具を取り換えるため、ぐったりと動かない沖田さんを抱き上げながら原田さんが言う。
「だからお前ら次第っつってんだろ。とにかく安静にして、体を刺激するような行動や環境を作るな。この喘鳴が続いている以上、ちょっとした事ですぐにあの世からお呼びがかかるぜ」
「師匠! そこまで言っては……」
「こいつらには言っておかなきゃなんねぇだろ。医者がどんなに手を尽くしたって、周りの者が邪魔をすりゃ意味は無くなっちまうんだ」
南部先生の制止を振り切りそう言った松本先生は、副長をキッと睨みつけた。
「俺は新選組の理解者のつもりだし、お前らが何をしようと邪魔する気はねぇ。だがな、俺は医者である以上絶対的に患者を優先する。……沖田が魘されるほどの『さ』の字の憂い、考えろ」
「……!」
この瞬間、部屋の空気が突き刺すように鋭く変化した。誰もが黙々と沖田さんの着替えと布団の準備をする中、松本先生と副長の睨み合いが続く。
やがて、先に口を開いたのは副長だった。
「善処しましょう」
この一言に、皆がほうっと息を吐く。更に副長は続けた。
「では、先生にも協力をお願いしたい。総司を暫く預かってはもらえませんでしょうか。ここでは急を要する事態の対応が出来かねます故」
「ああ、それは構わねぇ。だが明日はどうしてもはずせねぇ用事があるから、明後日の夜から預かろう。明日だけは何とか山崎がこなしてくれ。南部もそれで良いな?」
「承知しました。では、私の診療所で十五日の夜から入院していただきます」
「お願い致します」
頭を下げた副長の眉間には、皺が寄っていた。
要するに松本先生は、坂本暗殺の計画を沖田さんの口から聞いてしまったのだ。本人が意識的に言ったとは思えないので、魘されながら断片的にでも意味の伝わる言葉を言ってしまったのだろう。
――十五日の決行は不可能だ。延期する。
副長が何も言わなくても、皆それは理解しており、各々目を合わせて頷いた。
「源さん」
副長が井上さんにだけ声をかける。するといつもの穏やかな表情で、井上さんは頷いた。
「汚れ物をくれるかい? まとめて洗って来るよ。ついでだから局長室も覗いてくるとしようか」
なるほど、これで決行延期は局長にも伝わるだろう。もし話が出なければ、未だ話せていない先ほどの伊東さんの件もあり、私から話を出さねばならなかった為、この流れは助かった。
「そんじゃ、話はまとまったって事で俺達は帰るぜ。山崎は明後日まで出来るだけ沖田の側にいてやれ。未だ手足が冷たいから、更に熱も上がるだろう。汗をかくだろうし水分と塩分を出来る限り補給させろよ。食えそうなら腹に優しい物を食わせとけ」
「分かりました」
南部先生から追加で薬を受け取ると、先生達は屯所を後にした。
しかし帰り際に言われた、「良くも悪くも医者の顔になったな……」という言葉には、どのような意味があったのだろう。
「一度見ておけよ」
その言葉と一緒に渡された、以前私が書いて病室に置いたままにしていた日記は、パラパラとめくると先生達の文字がいくらか追記されていて。そこに何か深い意味が隠されているような気がして、私は後で読んでおこうと懐に仕舞い込んだ。
対照的に、真っ赤に染まった布団や畳はとても鮮やかだった。
「よう、戻ったか」
私に気付いた松本先生が、声をかけてきた。
「お待たせ致しました。……沖田さんは?」
「見ての通りだ。本格的に悪化しちまってるようだな。南部の所に行く前と今の違いを確認してくれ」
「分かりました」
早速胸の音を確認すると、やはり前回に比べて音が悪くなっている。私の表情から全てを察した松本先生は、南部先生と顔を見合わせ、小さく頷いて言った。
「はっきり言うぜ。沖田はもう治る事はねぇよ。少々の寿命を延ばすことは出来るかもしれねぇが、完治する可能性は潰えちまってる」
「そんな……!」
松本先生に言われ、言葉を失う。
確かに私も、沖田さんにもう先が無い事は分かっていた。これだけはっきりと症状が出た後の流れは、私自身がこの目で見て来ているのだから。それでも自分の師である松本先生の口からそれを通告されるのは、やはり重みが違う。
「沖田さん……」
その名を呟き、ハッとする。今の会話を聞かれていたのではと思い、慌てて沖田さんを見た。だが荒い呼吸のまま、意識は無いようだ。
「いくらこいつでも、あれだけの咳と喀血じゃ暫く起きる事はねぇよ。むしろ熟睡しておいた方が良い。寝ていれば少しは体力も戻るし、苦しさも忘れられるからな」
苦々しげな表情で、松本先生が言った。それは今まで見た事の無い程に悔しさを湛えていて、ああ、これは本当にもう手立てが無いのだと思い知らされる。
「ですが、ただ手をこまねいて見ているだけというわけにもいきませんし、何か出来る事を考えませんと」
南部先生が何とか前向きな方向へと持っていこうとするも、名案は浮かばない。
「今出来る事はただ安静に。空気の良い落ち着いた場所で療養する以外、方法は無いという事ですね」
「そうだ。何らかの刺激で興奮でもしようもんなら、一気に悪化しちまうぞ」
「刺激……」
そう言われ、ふと頭に浮かんだのは坂本の事。
今日は十三日。明後日には暗殺を決行しなければならない。だが沖田さんがこんな状況で、私達は冷静に動けるのだろうか。坂本暗殺は、あくまで幹部のみが秘して行う手筈となっている。そう、私も実行の面子の一人として数えられているのだ。
――だがその間に沖田さんが急変したら?
元々この暗殺計画には、沖田さん自身が加わりたがっていた。もし体調が良いようなら連れて行ってくれと、何度も局長達に懇願していたのを目にしている。
だからこそ当日は、間違いなく沖田さんも落ち着かないだろう。それが原因で悪化させる事だけは避けたい。そこまで考えた時に気付いた事。
「副長は何処へ?」
私が風呂に向かうまでここにいたはずの副長がいなくなっていた事に、今まで気付いていなかった。
「あん? 土方は今頃どこかで泣いてんだろ。沖田が血ぃ吐いた~! ってな」
「……いくら松本先生でも締め上げますよ」
都合良く姿を現した副長が、荒々しく松本先生の前に寝具を投げ下ろす。
「お? 聞こえちまったか。悪い悪い」
「すみませんね、土方さん。師匠は悩み始めるとふざけてしまう性質でして」
「……余計な事を言うな、南部」
ブスッとしてしまった松本先生にどこか副長と同じ匂いを感じ、私は小さくクスリと笑ってしまった。
「あまりにあちこち血が飛んじまってるから、寝具と着物の替えを取りに行ってたんだっての。おい、お前らも取り換えるのを手伝え」
「ああ、分かった」
副長の呼びかけと同時に部屋に入ってきたのは、永倉さんと原田さん。その後ろからは井上さんが、濡らした大量の手拭いを持ってきてくれていた。
「総司は大丈夫なのか?」
着物を脱がせ、手拭いで血を拭っていてもピクリとも動かない沖田さんを見ながら、永倉さんが松本先生に聞いた。
「それはお前ら次第だ」
「俺ら次第って……俺らは何もできねーだろ? 見ているだけで何か違って来るのか?」
寝具を取り換えるため、ぐったりと動かない沖田さんを抱き上げながら原田さんが言う。
「だからお前ら次第っつってんだろ。とにかく安静にして、体を刺激するような行動や環境を作るな。この喘鳴が続いている以上、ちょっとした事ですぐにあの世からお呼びがかかるぜ」
「師匠! そこまで言っては……」
「こいつらには言っておかなきゃなんねぇだろ。医者がどんなに手を尽くしたって、周りの者が邪魔をすりゃ意味は無くなっちまうんだ」
南部先生の制止を振り切りそう言った松本先生は、副長をキッと睨みつけた。
「俺は新選組の理解者のつもりだし、お前らが何をしようと邪魔する気はねぇ。だがな、俺は医者である以上絶対的に患者を優先する。……沖田が魘されるほどの『さ』の字の憂い、考えろ」
「……!」
この瞬間、部屋の空気が突き刺すように鋭く変化した。誰もが黙々と沖田さんの着替えと布団の準備をする中、松本先生と副長の睨み合いが続く。
やがて、先に口を開いたのは副長だった。
「善処しましょう」
この一言に、皆がほうっと息を吐く。更に副長は続けた。
「では、先生にも協力をお願いしたい。総司を暫く預かってはもらえませんでしょうか。ここでは急を要する事態の対応が出来かねます故」
「ああ、それは構わねぇ。だが明日はどうしてもはずせねぇ用事があるから、明後日の夜から預かろう。明日だけは何とか山崎がこなしてくれ。南部もそれで良いな?」
「承知しました。では、私の診療所で十五日の夜から入院していただきます」
「お願い致します」
頭を下げた副長の眉間には、皺が寄っていた。
要するに松本先生は、坂本暗殺の計画を沖田さんの口から聞いてしまったのだ。本人が意識的に言ったとは思えないので、魘されながら断片的にでも意味の伝わる言葉を言ってしまったのだろう。
――十五日の決行は不可能だ。延期する。
副長が何も言わなくても、皆それは理解しており、各々目を合わせて頷いた。
「源さん」
副長が井上さんにだけ声をかける。するといつもの穏やかな表情で、井上さんは頷いた。
「汚れ物をくれるかい? まとめて洗って来るよ。ついでだから局長室も覗いてくるとしようか」
なるほど、これで決行延期は局長にも伝わるだろう。もし話が出なければ、未だ話せていない先ほどの伊東さんの件もあり、私から話を出さねばならなかった為、この流れは助かった。
「そんじゃ、話はまとまったって事で俺達は帰るぜ。山崎は明後日まで出来るだけ沖田の側にいてやれ。未だ手足が冷たいから、更に熱も上がるだろう。汗をかくだろうし水分と塩分を出来る限り補給させろよ。食えそうなら腹に優しい物を食わせとけ」
「分かりました」
南部先生から追加で薬を受け取ると、先生達は屯所を後にした。
しかし帰り際に言われた、「良くも悪くも医者の顔になったな……」という言葉には、どのような意味があったのだろう。
「一度見ておけよ」
その言葉と一緒に渡された、以前私が書いて病室に置いたままにしていた日記は、パラパラとめくると先生達の文字がいくらか追記されていて。そこに何か深い意味が隠されているような気がして、私は後で読んでおこうと懐に仕舞い込んだ。
