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時の泡沫

「何を話していたんですか?」

 当たり前のように地面に置かれたままだった重い食材の袋を持ち上げながら、吉村さんが言う。
「すみません」と軽いカゴを持つと、並んで屯所に向かいながら答えた。

「正直よく分かりません。私が女子だという事を知って、俺を心配して下さってはいたようです。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「伊東さんが色々と藤堂さんに吹き込んでいるようです。新選組を憎ませようとしているのでしょうか。私や副長への執着心も尋常では無さそうです」
「ああ……」

 過去の伊東さんの暴挙を思い出したのだろう。吉村さんが、憐みの表情で私を見てきた。

「そんな目で見るのはやめて下さいよ。本気で泣きそうです」

 想像するだけで身震いさせる伊東さんの存在感は、ある意味凄いと思う。だが、それすら私からすればご遠慮願いたい存在だ。

「藤堂さんが私と接触したと分かれば、あちらの動きも早まるかもしれません。坂本の件もありますし、戻り次第副長と相談しましょう」
「そうですね」

 そろそろ日も傾き、夜の帳が下りてくる。屯所に戻り、副長と相談した後この食材で沖田さんの夕食を作ったら、慌ただしかった今日一日の疲れを癒そう。そう思いながら歩いていたのだが……

「遅ぇよっ!」

 屯所に着いて早々、またも副長の怒鳴り声に迎えられた。

「そんな事を言われましても、買い物が……」
「総司が喀血した」
「えっ!?」

 副長の言葉に硬直した私からかごを奪い取り、吉村さんに渡した副長は、私を沖田さんの部屋へと引っ張って走る。そこで見た物は、元は白かったはずの、真っ赤に染まった布団。そしてゼイゼイと息をしながらぐったりとしている沖田さんの姿だった。

「沖田さんっ!」

 慌てて駆け寄った私は、すぐに脈を診る。それはまるで長い距離を全速力で走ったかのように、異常な速さで脈打っていた。

「副長! 喀血したのはいつ頃ですか?」
「未だ四半刻経ってねぇくらいだ。つい先刻まで咳をし続けてたが、何とか今は落ち着いたらしい。だがずっとこんな呼吸のままだ」
「咳は喀血の前からですか? それとも同時に始まりました?」
「何回か咳をした後、突然血を吐きやがった。俺にはそれくらいしか分かんねぇよ」

 食材を厨に置き、そのまま病室に行ってくれたのだろう。息を切らせた吉村さんに差し出された往診箱を受け取ると、私は聴診器を出し、沖田さんの肺の音を聞いた。皆が息を潜め、私の言葉を待つ。音を確認した私は、唇を噛み締めながら言った。

「すみませんが、足の速い隊士に遣いをお願いします。松本先生の所へ」
「……そんなに悪ぃのか?」

 副長が、眉間のしわを深くしながら言う。私はそれに頷いた。

「ここまで悪くなった音を聞くのは初めてです。熱も高く喘鳴も激しいですし、一刻も早く松本先生に診てもらいましょう。先程南部先生の所にはおられなかったので、今は定宿にいるはずです」
「分かった。吉村、すぐに手配してくれ」
「承知しました。駕籠も回して宜しいですか?」
「ああ、頼む」

 吉村さんが飛び出して行く姿を見ながら、私は拳を握りしめる。
 私は、無力だ。医者と名乗っているにも関わらず、こうして誰かに頼らねば何も出来ない。悔しかった。とにかく悔しかった。
 ならば、今出来る事は何か。苦しそうにゼイゼイと息をする沖田さんの背中をさすりながら、祈る。どうか、少しでも苦しまなくて良いように。痛みが軽減されるように、と。鮮血が着物に付こうとも、再び咳き込んで吐いてしまった血を浴びようとも。私はその場から離れることなく沖田さんの背をさすり、苦しみで縋り付いてくる沖田さんを抱きしめた。

「あとは任せろ」と飛び込んで来た松本先生が一瞬私を見て眉をひそめたのは、私が紅に染まっていたからだろう。

「お前はすぐに風呂に入ってこい」と部屋を追い出され、私はとぼとぼと部屋に戻ると着替えを持って風呂に向かった。
 副長の命令で、風呂を見張るように言われた吉村さんが待っていてくれる中、私は思い切り頭から湯を浴びる。外気の冷たさを打ち消す、ビリビリとした熱さが心地良かった。湯に浸かると全身の筋肉が解れていくのが分かり、今までどれだけ自分が緊張していたのかを認識させられる。ほうっとため息を吐くと、眠気さえ感じられる程に体の力が抜けて行った。

「きっと大丈夫や。全てが丸ぅ収まるはずや……」

 水面に映る自分の顔を見ながら、自らに言い聞かせる。全てがきっと、上手くいく。諦めさえしなければ、前に進めるはずだから。私は新選組の為に、これからも尽くすのだと誓ったばかりではないか。事ある毎に落ち込んでいては、何も変わらない、生まれない。

「まずは、沖田さんを助けてみせる!」

 ザバッと音を立てて風呂から上がると、手早く身支度を整えた。外で待っててくれていた吉村さんは私の姿を見ると、とても優しい目で頭をポンポンと叩く。

「それで良いんです。何事も一つずつ、ですよ」

 独り言が聞こえていたのだろう。私を後押ししてくれるその言葉が嬉しかった。そして、何故か氷砂糖をひとかけら渡してくれる。

「これは……?」
「お詫びです。貴方を思っての事とは言え、離隊を促して悩ませてしまいましたからね。でもあの時の貴方は、新選組を離れた方が良いと思えてならなかったんです。今は……どこでもやっていけそうですね」

 そこには、包み込むような温かい笑顔があった。

「ありがとうございます。吉村さん。……でも私は子供じゃないし、沖田さんでもありません」

 笑いながら氷砂糖を口に入れる。口に広がる甘さは、甘味好きの沖田さんを治す力を与えてくれるような気がした。

「さぁ、もう行って下さい。南部先生もいらしたようです」
「分かりました。行ってきます!」

 吉村さんに促され、私は頭を下げると急いで沖田さんの部屋へと向かったのだった。
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