時の泡沫
南部先生に現状を伝えて後程の往診を依頼し、あとは買い物だなと歩いていると、偶然吉村さんに会った。私の顔を見てフッと笑顔になったところを見ると、あの後何があったのかを理解したらしい。
「吹っ切れたようですね」
そう言った吉村さんは、私と一緒に歩き出した。
「これから屯所に戻るところだったんですよ」
「という事は……」
「ええ、伊東さんが坂本に会った理由が分かりました。新選組が坂本の命を狙っているだろうから、近江屋を離れて土佐藩邸に移れと忠告しに行ったようです」
「また面倒な事を……」
その忠告に従われては、こちらの計画も水の泡になってしまう。伊東さんは相変わらず厄介事ばかり起こしてくれる人だ。
「ですが坂本は、心配無いと伊東さんを追い返したようです。本心か否かは分かりませんが、表向きはそのように答えています。だからあの時、伊東さんが浮かない顔をしていたんですね」
「なるほど。話を聞いてもらえないという事は、坂本からの信用も薄いんでしょうしね」
私が調べていた限りでは、坂本は明け透けな性格らしい。更に考え方は柔軟性に富んでいるが、筋の通らないことは嫌いなようだ。きっと伊東さんのように、一度新選組に与した人間が、正反対の思想で動くことを良しとはしないだろう。
「何にしても、間違いなく決行日に近江屋にいるとは限らなくなりましたね。少し様子を見るべきかもしれません」
困ったように言う吉村さんに、私は同意を示して頷いた。
未だ買い物が残っている事を吉村さんに告げた私は吉村さんと別れ、一人で馴染みの店が並ぶ通りに足を運んでいた。ここに来れば大抵のモノが揃うため、何かにつけて通っている私のお気に入りの場所だ。
「ところてんに、豆腐に、とろろ、うどん、大根、卵……」
するりと食べられて、あっさりした味付けに合う物を探していく。気が付けば大量に買い込んでしまい、店から離れる頃にはふらつく程の量になっていた。
「……ちょっと失敗したな……」
それなりに力はある方だと思っていたが、これは少々計算違い。屯所まで運ぶのはさすがに骨が折れるな、と後悔しながらよろよろと歩いていると。
「手伝おうか?」
不意に後ろから声をかけられた。殺気は感じられなかったので、ふらつきながらゆっくりと振り向くと、そこにはほっかむりをして少し俯いている町人風の若者が立っていた。
「いくらなんでも重いだろう? 俺も一緒に運んでやるよ」
そう言って若者は、手を差し出してきた。だが私もさすがにそれをすぐに真に受けるほど馬鹿ではない。
「どこのどなたかは存じませんが、ご親切にどうも。ですが遠慮します。私一人で十分運べますので」
突如襲われることを念頭に置き、警戒しながらそう答えた。すると、その若者は苦笑いしながら顔を上げ、私と目を合わせる。
「冷たいなぁ、山崎くん」
「……藤堂さん……」
それは、今朝方顔を合わせたばかりの藤堂さんだった。私が女だという事を知って驚いていたはずだったが、今は全く動じていないようだ。
「珍しいですね。貴方がそんな格好で町を歩かれるなんて」
「だって接触禁止だからさ。少しでもばれないようにしようと思って……」
「むしろ怪しくて目立ってるかもしれませんよ」
「え~?そうかなぁ?」
相変わらずの藤堂さんらしい姿が、少し嬉しかった。しかしこの人はあくまで御陵衛士側の人間だ。本人の意思とは関係なく、伊東さんに何かを吹き込まれている事も考えられる為警戒だけは怠らず、荷物を降ろして会話を続けた。
「それで、そんな格好をしてまで私に会いに来た理由はなんですか?」
「……うん……俺さ、山崎くんに聞きたい事があって。伊東先生の目を盗んで来たんだ。やみくもに探してたけど、何とか会えて良かったよ」
藤堂さんの表情はとても嬉しそうで、そこに嘘偽りは存在しない。未だ新選組にいた頃、藤堂さんはいつもこの笑顔で私達を癒してくれていたのを思い出し、キュッと胸が締め付けられた。
そんな私に、藤堂さんは予想もしていなかった質問を投げかけてくる。
「あのさ……山崎くんは今、幸せ?」
「……はい?」
「だからさ、新選組に男として入って、毎日危ない橋を渡りながら生きる今の生活は、幸せなの?」
そう言った藤堂さんの目は真剣だった。だが私にはこの質問の意図が分からない。私が答えに困っていると、藤堂さんは質問の形を変えてきた。
「思い切って聞いてしまうけど、山崎くんは土方さんと恋仲なんだよね? 愛する人が側にいるのに、女としての幸せを望まないの? このままずっと夫婦にもならず男として生き続けるの?」
「夫婦……」
「俺は、男が女を守るのは当たり前の事だと思ってる。だから愛する人を危険な目に合わせるなんて以ての外だよ。新選組にいる限り、君はいつ命を落としてもおかしくない状況にある事を、土方さんだって分かってるはずだ! それなのに……」
そこまで言われ、ようやく彼の言わんとする事に気付いた。要は、私を心配してくれているのだ。彼は自分がその場所にいたからこそ、分かっているのだろう。新選組に居続ける事が、どれだけ危険かという事を。伊東さんと共に外の世界を見たことで、新選組という組織の過酷さを、改めて認識したのかもしれない。
「あの後伊東さんが言ってたんだ。山崎くんは新選組から離れるべきだって。君は土方さんに誑かされているだけなんだって」
「違うっ!」
真剣に話していた藤堂さんの言葉を最後まで聞くつもりだったが、さすがにこればかりは聞き流せなかった。あの人は、私を誑かしてなどいない。いつだって大切に想って、私の為に必死になってくれている。それを藤堂さんにも分かって欲しかった。
「副長は、いつだって私を大切にしてくれています。守ろうとしてくれています。私は……幸せですよ。副長だけでなく、他にもたくさんの隊士が俺を見守ってくれています。だから……」
藤堂さんの向こうに見えた、一人の男の姿に小さく微笑む。どうやら先程別れたはずの吉村さんが、心配で付いて来てくれていたらしい。
……副長が怖かったからかもしれないが。
「私はこれからも新選組にいます。大切な人と一緒にいられる事が、一番幸せなんですよ。……女子にとっては、ね」
少し照れくささはあったが、そうはっきりと言った私の顔には、自然と笑みが浮かんだ。それを見た藤堂さんは、振り返って吉村さんの姿を確認すると、同じく笑みを浮かべて言った。
「そっか。幸せなんだな」
そっかそっか、と無邪気に笑う藤堂さんの姿は、屯所で永倉さんや原田さんとじゃれ合っている時の姿そのままで。出来る事ならこのまま一緒に帰りましょう、と言いたくなった。
「藤堂さん……」
「俺さ、今でも新選組が好きだよ。出来る事なら馬鹿騒ぎしてた頃に戻りたいって思うくらい、忘れられない大切な場所なんだ。だから、その場所を守り続けている土方さんの事も信じたかった」
そう話す藤堂さんの目は少し潤み始めていたが、私はそれに気付かないフリをしながら話を聞いていた。
「でも最近伊東さんから聞く新選組の話は、存在そのものが悪だというものばかりでさ。特に土方さんに対しての執着心と罵詈雑言は尋常じゃなくて。でも山崎くんが女子で、しかも土方さんと恋仲だと分かった時ようやく分かったんだ。伊東さんの、山崎くんと土方さんへの執着心の意味が」
そう言うと、藤堂さんは突如私の腕を掴んだ。そして私の目を見つめ、真剣に続ける。
「伊東さんは間違いなく論客で、世の中を広い目で見られる凄い人だとは思う。でもそこに嫉妬が加わると、何かがねじ曲がってしまうんだ。もう手遅れなんだろうけれど……山崎くんは土方さんと幸せになってね」
「藤堂さん?」
嫌な予感がした。正体の見えない不安が私の全身を粟立たせ、激しく警鐘を鳴らしている。
「藤堂さん、何をなさるつもりですか?」
「君に会えて良かった。やっぱり新選組は俺にとって大切な場所だよ。誰よりも何よりも信じられる、大好きな場所だ。……ありがとう。幸せにね、山崎くん!」
「あ、藤堂さん!」
私が止めようとした時にはもう、藤堂さんの体は数歩先を走っていて。吉村さんも追いかけようとしたようだが、複雑な路地に入り込んでしまった為追跡を諦めた。
「吹っ切れたようですね」
そう言った吉村さんは、私と一緒に歩き出した。
「これから屯所に戻るところだったんですよ」
「という事は……」
「ええ、伊東さんが坂本に会った理由が分かりました。新選組が坂本の命を狙っているだろうから、近江屋を離れて土佐藩邸に移れと忠告しに行ったようです」
「また面倒な事を……」
その忠告に従われては、こちらの計画も水の泡になってしまう。伊東さんは相変わらず厄介事ばかり起こしてくれる人だ。
「ですが坂本は、心配無いと伊東さんを追い返したようです。本心か否かは分かりませんが、表向きはそのように答えています。だからあの時、伊東さんが浮かない顔をしていたんですね」
「なるほど。話を聞いてもらえないという事は、坂本からの信用も薄いんでしょうしね」
私が調べていた限りでは、坂本は明け透けな性格らしい。更に考え方は柔軟性に富んでいるが、筋の通らないことは嫌いなようだ。きっと伊東さんのように、一度新選組に与した人間が、正反対の思想で動くことを良しとはしないだろう。
「何にしても、間違いなく決行日に近江屋にいるとは限らなくなりましたね。少し様子を見るべきかもしれません」
困ったように言う吉村さんに、私は同意を示して頷いた。
未だ買い物が残っている事を吉村さんに告げた私は吉村さんと別れ、一人で馴染みの店が並ぶ通りに足を運んでいた。ここに来れば大抵のモノが揃うため、何かにつけて通っている私のお気に入りの場所だ。
「ところてんに、豆腐に、とろろ、うどん、大根、卵……」
するりと食べられて、あっさりした味付けに合う物を探していく。気が付けば大量に買い込んでしまい、店から離れる頃にはふらつく程の量になっていた。
「……ちょっと失敗したな……」
それなりに力はある方だと思っていたが、これは少々計算違い。屯所まで運ぶのはさすがに骨が折れるな、と後悔しながらよろよろと歩いていると。
「手伝おうか?」
不意に後ろから声をかけられた。殺気は感じられなかったので、ふらつきながらゆっくりと振り向くと、そこにはほっかむりをして少し俯いている町人風の若者が立っていた。
「いくらなんでも重いだろう? 俺も一緒に運んでやるよ」
そう言って若者は、手を差し出してきた。だが私もさすがにそれをすぐに真に受けるほど馬鹿ではない。
「どこのどなたかは存じませんが、ご親切にどうも。ですが遠慮します。私一人で十分運べますので」
突如襲われることを念頭に置き、警戒しながらそう答えた。すると、その若者は苦笑いしながら顔を上げ、私と目を合わせる。
「冷たいなぁ、山崎くん」
「……藤堂さん……」
それは、今朝方顔を合わせたばかりの藤堂さんだった。私が女だという事を知って驚いていたはずだったが、今は全く動じていないようだ。
「珍しいですね。貴方がそんな格好で町を歩かれるなんて」
「だって接触禁止だからさ。少しでもばれないようにしようと思って……」
「むしろ怪しくて目立ってるかもしれませんよ」
「え~?そうかなぁ?」
相変わらずの藤堂さんらしい姿が、少し嬉しかった。しかしこの人はあくまで御陵衛士側の人間だ。本人の意思とは関係なく、伊東さんに何かを吹き込まれている事も考えられる為警戒だけは怠らず、荷物を降ろして会話を続けた。
「それで、そんな格好をしてまで私に会いに来た理由はなんですか?」
「……うん……俺さ、山崎くんに聞きたい事があって。伊東先生の目を盗んで来たんだ。やみくもに探してたけど、何とか会えて良かったよ」
藤堂さんの表情はとても嬉しそうで、そこに嘘偽りは存在しない。未だ新選組にいた頃、藤堂さんはいつもこの笑顔で私達を癒してくれていたのを思い出し、キュッと胸が締め付けられた。
そんな私に、藤堂さんは予想もしていなかった質問を投げかけてくる。
「あのさ……山崎くんは今、幸せ?」
「……はい?」
「だからさ、新選組に男として入って、毎日危ない橋を渡りながら生きる今の生活は、幸せなの?」
そう言った藤堂さんの目は真剣だった。だが私にはこの質問の意図が分からない。私が答えに困っていると、藤堂さんは質問の形を変えてきた。
「思い切って聞いてしまうけど、山崎くんは土方さんと恋仲なんだよね? 愛する人が側にいるのに、女としての幸せを望まないの? このままずっと夫婦にもならず男として生き続けるの?」
「夫婦……」
「俺は、男が女を守るのは当たり前の事だと思ってる。だから愛する人を危険な目に合わせるなんて以ての外だよ。新選組にいる限り、君はいつ命を落としてもおかしくない状況にある事を、土方さんだって分かってるはずだ! それなのに……」
そこまで言われ、ようやく彼の言わんとする事に気付いた。要は、私を心配してくれているのだ。彼は自分がその場所にいたからこそ、分かっているのだろう。新選組に居続ける事が、どれだけ危険かという事を。伊東さんと共に外の世界を見たことで、新選組という組織の過酷さを、改めて認識したのかもしれない。
「あの後伊東さんが言ってたんだ。山崎くんは新選組から離れるべきだって。君は土方さんに誑かされているだけなんだって」
「違うっ!」
真剣に話していた藤堂さんの言葉を最後まで聞くつもりだったが、さすがにこればかりは聞き流せなかった。あの人は、私を誑かしてなどいない。いつだって大切に想って、私の為に必死になってくれている。それを藤堂さんにも分かって欲しかった。
「副長は、いつだって私を大切にしてくれています。守ろうとしてくれています。私は……幸せですよ。副長だけでなく、他にもたくさんの隊士が俺を見守ってくれています。だから……」
藤堂さんの向こうに見えた、一人の男の姿に小さく微笑む。どうやら先程別れたはずの吉村さんが、心配で付いて来てくれていたらしい。
……副長が怖かったからかもしれないが。
「私はこれからも新選組にいます。大切な人と一緒にいられる事が、一番幸せなんですよ。……女子にとっては、ね」
少し照れくささはあったが、そうはっきりと言った私の顔には、自然と笑みが浮かんだ。それを見た藤堂さんは、振り返って吉村さんの姿を確認すると、同じく笑みを浮かべて言った。
「そっか。幸せなんだな」
そっかそっか、と無邪気に笑う藤堂さんの姿は、屯所で永倉さんや原田さんとじゃれ合っている時の姿そのままで。出来る事ならこのまま一緒に帰りましょう、と言いたくなった。
「藤堂さん……」
「俺さ、今でも新選組が好きだよ。出来る事なら馬鹿騒ぎしてた頃に戻りたいって思うくらい、忘れられない大切な場所なんだ。だから、その場所を守り続けている土方さんの事も信じたかった」
そう話す藤堂さんの目は少し潤み始めていたが、私はそれに気付かないフリをしながら話を聞いていた。
「でも最近伊東さんから聞く新選組の話は、存在そのものが悪だというものばかりでさ。特に土方さんに対しての執着心と罵詈雑言は尋常じゃなくて。でも山崎くんが女子で、しかも土方さんと恋仲だと分かった時ようやく分かったんだ。伊東さんの、山崎くんと土方さんへの執着心の意味が」
そう言うと、藤堂さんは突如私の腕を掴んだ。そして私の目を見つめ、真剣に続ける。
「伊東さんは間違いなく論客で、世の中を広い目で見られる凄い人だとは思う。でもそこに嫉妬が加わると、何かがねじ曲がってしまうんだ。もう手遅れなんだろうけれど……山崎くんは土方さんと幸せになってね」
「藤堂さん?」
嫌な予感がした。正体の見えない不安が私の全身を粟立たせ、激しく警鐘を鳴らしている。
「藤堂さん、何をなさるつもりですか?」
「君に会えて良かった。やっぱり新選組は俺にとって大切な場所だよ。誰よりも何よりも信じられる、大好きな場所だ。……ありがとう。幸せにね、山崎くん!」
「あ、藤堂さん!」
私が止めようとした時にはもう、藤堂さんの体は数歩先を走っていて。吉村さんも追いかけようとしたようだが、複雑な路地に入り込んでしまった為追跡を諦めた。
