時の泡沫
隠れ家で一刻程を過ごし、私達は再び屯所へと戻った。
実はすっかり忘れていた沖田さんの往診に行くと、「遅い!」と拗ねられ。更に、今まで何をしていたのかとしつこいくらいに尋ねられた。
まぁ確かに沖田さんとしては、副長の部屋を出てから二刻以上待たされていたのだから、腹が立つのも仕方のない事だろう。その事を気にして往診には副長も一緒に来てくれた為、何とか誤魔化す事は出来たものの、久しぶりに付けられた鎖骨近くの所有印が見えはしないかと内心ドキドキしていたのは秘密だ。
「……はい、これで診察は終わりです。私はこれから南部先生の所に行って、新しいお薬をもらってきますね」
診察自体は滞りなく終わったが、状況は芳しくない。肺の音は確実に悪くなっており、大きな咳はほとんど出ていないのだが、小さな咳と痰の絡みは出続けていた。
「ね? 診察中もほとんど咳が出ないでしょう? きちんと安静にしてるんですから、良くなってきてるんですよ」
「確かに大きな咳は無いようですね。良い傾向です」
同意をするも、私の心中は穏やかではない。沖田さんは大きな咳のみが『病による咳』だと思いたいようだが、それはただの屁理屈でしかないのだ。しかもこの部屋に入った時から気になってはいたのだが、室内にはうっすらと血の臭いが感じられていた。
沖田さんの顔色も、一刻前に見た時に比べて青白くなっている。嫌な予感はしていたが、それとなく尋ねても沖田さんは流してしまう為、とりあえずは様子を見てみる事にした。
「遅くなったお詫びに、帰りに何か甘い物でも買ってきましょうか?」
診察道具を片付けながら、沖田さんに尋ねる。すると返って来たのは意外な言葉だった。
「甘いものより……さっぱりした物が欲しいです。三杯酢のところてんが食べたいなぁ」
「何だ、総司。お前にしちゃ珍しいな。京に来てからは黒蜜しか認めない! とまで言ってたくせによ」
「別に良いじゃないですか。ちょっとばかり故郷の味が懐かしくなっただけですよ」
口を尖らせて言う沖田さんに、副長は首を傾げながら言った。
「お前、江戸でもほとんどところてんなんて食ってなかったじゃねぇか。そもそも酸っぱいのは嫌いだとか言ってなかったか?」
「そういやそうでしたね」
副長の言葉に、沖田さんも一緒になって首を傾げる。大の男が二人して首を傾げている姿は何だか滑稽で、つい吹き出してしまった。
「確かに沖田さんは今迄あまり酢の物系がお得意では無かったようですが……味覚が少し大人になったんですかね?」
「そうそう、きっとそうです。私は大人になったんですよ!」
「……総司、お前自分の年齢分かってて言ってるか?」
「煩いですよ」
呆れた顔をしている副長に、沖田さんが拗ねて軽く蹴りを入れる。
「いってぇな!」と副長が沖田さんの足を掴み、仕返しにくすぐろうとしたその時だった。
「待って下さい!」
私は咄嗟に二人の動きを止め、沖田さんの布団の下に手を入れる。触れた物を掴んで取り出すと、それは……。
「やっぱり、ですか」
大量の血を含んだ、手拭いだった。
「私達が来るまでの間に、血を吐いていたんですね」
沖田さんが副長に蹴りを入れた時、布団がよれた為、隠されていた手拭いが見えたのは幸いだった。もし気付いていなかったら、沖田さんはずっとこの喀血を隠し続けるつもりだったのだろう。先程からどうしても血の臭いの出所が分からなくて探っていたのだが、これでようやくはっきりとした。
「寝間着や枕元に隠せば、見つかってしまいますものね。さすがに足元の方の布団をめくる事はありませんから……でも医者として言わせてもらいます。隠し事は無しにして下さい。情報が無ければ、対処法を見つける事も選ぶことも出来ません!」
「すみません……」
状況を把握できたものの、この喀血量は以前に比べてかなり多くなっている。今は小康状態のようだが、今後急激な悪化を覚悟しておかねばなるまい。
私は動揺しながらもそれを必死に隠しつつ、沖田さんの自覚を促すべく強く叱った。その間、副長が何も言わなかったのは、私の剣幕に驚いたからだろうか。小さくなる沖田さんに、更に私は続ける。
「さっぱりした物が欲しくなったのは、口の中が血液や痰で気持ち悪いんでしょう。出来る限り口当たりの良い物をお出しするようにしますね」
そう言うと私は一旦席を外し、漬けておいた梅干とお茶を厨から持ってきた。ついでに副長の沢庵も用意してある。
「これだけでも大分違いますよ。出来る限り早く帰ってきますので、梅干を食べたら横になっておいて下さいね。私が戻るまでしっかりと寝ておいて下さい。副長、後は宜しくお願いします」
「分かりました」
「おう、任された」
二人が同時に返事をする。それを確認して頭を下げると、私は急いで南部先生の所へと向かったのだった。
実はすっかり忘れていた沖田さんの往診に行くと、「遅い!」と拗ねられ。更に、今まで何をしていたのかとしつこいくらいに尋ねられた。
まぁ確かに沖田さんとしては、副長の部屋を出てから二刻以上待たされていたのだから、腹が立つのも仕方のない事だろう。その事を気にして往診には副長も一緒に来てくれた為、何とか誤魔化す事は出来たものの、久しぶりに付けられた鎖骨近くの所有印が見えはしないかと内心ドキドキしていたのは秘密だ。
「……はい、これで診察は終わりです。私はこれから南部先生の所に行って、新しいお薬をもらってきますね」
診察自体は滞りなく終わったが、状況は芳しくない。肺の音は確実に悪くなっており、大きな咳はほとんど出ていないのだが、小さな咳と痰の絡みは出続けていた。
「ね? 診察中もほとんど咳が出ないでしょう? きちんと安静にしてるんですから、良くなってきてるんですよ」
「確かに大きな咳は無いようですね。良い傾向です」
同意をするも、私の心中は穏やかではない。沖田さんは大きな咳のみが『病による咳』だと思いたいようだが、それはただの屁理屈でしかないのだ。しかもこの部屋に入った時から気になってはいたのだが、室内にはうっすらと血の臭いが感じられていた。
沖田さんの顔色も、一刻前に見た時に比べて青白くなっている。嫌な予感はしていたが、それとなく尋ねても沖田さんは流してしまう為、とりあえずは様子を見てみる事にした。
「遅くなったお詫びに、帰りに何か甘い物でも買ってきましょうか?」
診察道具を片付けながら、沖田さんに尋ねる。すると返って来たのは意外な言葉だった。
「甘いものより……さっぱりした物が欲しいです。三杯酢のところてんが食べたいなぁ」
「何だ、総司。お前にしちゃ珍しいな。京に来てからは黒蜜しか認めない! とまで言ってたくせによ」
「別に良いじゃないですか。ちょっとばかり故郷の味が懐かしくなっただけですよ」
口を尖らせて言う沖田さんに、副長は首を傾げながら言った。
「お前、江戸でもほとんどところてんなんて食ってなかったじゃねぇか。そもそも酸っぱいのは嫌いだとか言ってなかったか?」
「そういやそうでしたね」
副長の言葉に、沖田さんも一緒になって首を傾げる。大の男が二人して首を傾げている姿は何だか滑稽で、つい吹き出してしまった。
「確かに沖田さんは今迄あまり酢の物系がお得意では無かったようですが……味覚が少し大人になったんですかね?」
「そうそう、きっとそうです。私は大人になったんですよ!」
「……総司、お前自分の年齢分かってて言ってるか?」
「煩いですよ」
呆れた顔をしている副長に、沖田さんが拗ねて軽く蹴りを入れる。
「いってぇな!」と副長が沖田さんの足を掴み、仕返しにくすぐろうとしたその時だった。
「待って下さい!」
私は咄嗟に二人の動きを止め、沖田さんの布団の下に手を入れる。触れた物を掴んで取り出すと、それは……。
「やっぱり、ですか」
大量の血を含んだ、手拭いだった。
「私達が来るまでの間に、血を吐いていたんですね」
沖田さんが副長に蹴りを入れた時、布団がよれた為、隠されていた手拭いが見えたのは幸いだった。もし気付いていなかったら、沖田さんはずっとこの喀血を隠し続けるつもりだったのだろう。先程からどうしても血の臭いの出所が分からなくて探っていたのだが、これでようやくはっきりとした。
「寝間着や枕元に隠せば、見つかってしまいますものね。さすがに足元の方の布団をめくる事はありませんから……でも医者として言わせてもらいます。隠し事は無しにして下さい。情報が無ければ、対処法を見つける事も選ぶことも出来ません!」
「すみません……」
状況を把握できたものの、この喀血量は以前に比べてかなり多くなっている。今は小康状態のようだが、今後急激な悪化を覚悟しておかねばなるまい。
私は動揺しながらもそれを必死に隠しつつ、沖田さんの自覚を促すべく強く叱った。その間、副長が何も言わなかったのは、私の剣幕に驚いたからだろうか。小さくなる沖田さんに、更に私は続ける。
「さっぱりした物が欲しくなったのは、口の中が血液や痰で気持ち悪いんでしょう。出来る限り口当たりの良い物をお出しするようにしますね」
そう言うと私は一旦席を外し、漬けておいた梅干とお茶を厨から持ってきた。ついでに副長の沢庵も用意してある。
「これだけでも大分違いますよ。出来る限り早く帰ってきますので、梅干を食べたら横になっておいて下さいね。私が戻るまでしっかりと寝ておいて下さい。副長、後は宜しくお願いします」
「分かりました」
「おう、任された」
二人が同時に返事をする。それを確認して頭を下げると、私は急いで南部先生の所へと向かったのだった。
