このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

時の泡沫

 誰もいない事を願いながらやって来た隠れ家だったが残念ながら、中では吉村さんが次の尾行をする為の着替えをしていた。

「おや、山崎さん。伊東の方は……」

 私が入って来たのに気付き、いつもの笑顔で声をかけてくれた吉村さんだったが、私の姿を見て表情が一変する。そして何も言わぬまま部屋の隅に置かれた薬箱を持ってくると、目で私に座るよう促した。

「あ……大したことはありませんから、自分で出来ます。吉村さんは着替えてまた坂本の尾行ですよね? 行って下さい」

 さすがに吉村さんに傷の手当はさせられない。そう思い、さりげなく退室を促したのだが、吉村さんの返事はため息だった。

「伊東さんの方には、私が行くべきでしたね。分かっていますから、とにかく傷の手当てをしましょう」
「分かってる……?」
「副長とも話はしています。大丈夫ですよ」

 さぁ、と促された私は、小さくなりながら吉村さんの前に座った。

「気付いてたんですか……」
「当たり前ですよ。広島であれだけ一緒に暮していれば嫌でも分かります。ただ、貴方は隠したがっているようでしたし、下手に意識をしては任務に差し障りますからね。でも一応京に戻ってから、副長に確認はしました」

 てきぱきと消毒の道具を準備し、失礼しますよと言いながら、傷口だけが表に出るよう私の着物の裾をまくった。

「思っていたよりは浅いようですね。時間はかかりますが傷も消えそうです」
「そうですね……」

 常備されているサラシを傷口に巻いて治療を終えると、吉村さんはあっさりと立ち上がり、出て行こうとする。

「何も……聞かないんですね」
「聞いて欲しいんですか?」

 振り向き様に言った吉村さんの顔は、苦笑いだ。確かに今私の事を語られたところで、吉村さんには迷惑なだけだろう。

「話なら、私で良ければいくらでも聞きますよ。ただ貴方には、側に心強い味方がいるじゃないですか。どんな時でもまずはその方に話した方が良いのでは?……凄くやきもち焼きの方ですしね」

 最後に肩を竦めた吉村さんの表情が、一瞬歪んだのを私は見逃さなかった。これはつまり……。

「何だか色々とご迷惑をおかけしていたんですね……」

 間違いなく、副長の嫉妬心による苦い経験をしているのだろう。申し訳なさに頭を下げると、吉村さんが慌ててそれを止めた。

「頭を上げて下さい、山崎さん。色々ご事情がおありなんでしょう。それよりも今は坂本と伊東さんですよ。あとは私が動きますので、貴方は着替えて屯所に戻って下さい。あ、その時誰かひとり監察を寄越してください。指示はここに置いておきますので」
「いえ、それはいけませんよ。このまま私も……」
「ダメです」

 続けて監視を、と言おうとしたが、吉村さんの言葉は完全なる拒絶だった。いつもの柔和な表情とは打って変わって、今目の前にいる吉村さんは別人かと思う程、真剣な面持ちなのだ。驚いた私は何も言えなくなってしまった。

「貴方は怪我もしていますし、屯所に戻って下さい。この機会だから言ってしまいますが、副長からは出来る限り貴方を守るよう仰せつかっています。これ以上貴方の怪我が増えてしまうと、下手したら私は切腹ですよ」
「そんな大げさな……」
「まぁ切腹は冗談ですが、守れというのは本当です。広島行以降、私達が一緒に動く機会が更に多くなった事に気付いていませんでしたか? それは全て副長が手を回していたからです。本当は腹立たしかった夫婦設定を逆手にとって、貴方の護衛をするよう命じられているんですよ」

 吉村さんの言葉に、胸が痛くなった。

「それはつまり……私の存在が迷惑だという事ですよね……」

 そうでなくとも忙しい監察の仕事。そこに私の護衛まで加えられては、吉村さんにとっては邪魔なばかりだ。私は新選組の力になっているつもりで、むしろその力を削いでいたという事になる。
 あまりの衝撃に、泣きそうになった。そんな私を気遣うように、でもはっきりと吉村さんが言う。

「迷惑だとは思ってませんよ。前にも言いませんでしたか? 貴方の諜報能力は見事な物ですし、新選組にとって欠かせない存在だとは思います。ですが、こうして貴方を女性として見る者が増えてきている以上、新選組から身を引く時期が来ていると考えるべきだとも思っています。伊東さんにはもうばれているのでしょう? 実は隊内でも少しずつ、疑い始めている者が出て来ています」
「そんな……今更ですか?」
「今更だからですよ。特に新しく加入した者達程、疑いは大きいです」
「何故ですか? 新しい者程、顔を合わせる機会もないのに」

 慣れあっていれば、どこかでふと疑いを持つこともあるだろう。だが、一日に一度すれ違えば良い方だと言える程に顔を合わせない者がほとんどなのだ。それが何故……?

「普段は敏いのに、自分の事にはとことん疎いですね。……貴方が……その……」
「吉村さん?」

 流れるように話をしていた吉村さんが、急にどもってしまう。私は屯所で気付かずに、何かをやらかしているのだろうか?

「私が女子だと分かるような行動をしてしまっているのでしょうか?」
「いえ、その……綺麗に、なったんですよ」
「はい?」

 私から目を逸らし、頬を染めて言う吉村さんにポカンとする。落ち着かないのか、頭を掻きながらもそもそと体を動かすなど、今までの吉村さんからは考えられない姿だ。

「こんな事、妻にもなかなか言えませんよ。最初の頃の貴方は、気が張っていたのもあってか『女顔なだけ』だと言われればそれなりに納得出来ていました。ですが……多分副長と恋仲になった頃からでしょうね。急激に綺麗になったんですよ。大人の色香を纏っている……とでも言えば良いのでしょうか。表情も明らかに柔らかくなっていて、一度でも貴方と話したり間近で見た者は、何かしら惹かれる物を感じていると思います」

 言われてみて気付く。確かに私と話をしている者の多くは顔を赤らめたり、やけにじろじろと顔を覗き込んで来た。入隊当初から、女顔だとからかわれる事は多かった為にあまり気にしていなかったのだが、それらは全て私を女として疑っていたからだったわけか。

「でも、誰一人私を女扱いはしていないと思っていたのですが……」
「まぁ副長が牽制していましたからね。事を起こす前に何らかの手を下されています」

 吉村さんが、遠い目をする。きっとその全てにこの人は関わらされているのだろう。

「これ以上は勘弁して下さい。とりあえずそういうわけですので、今日はこのまま屯所に戻って、副長に経緯の報告をお願いします。私は坂本の尾行に戻りますので」
「分かりました。……色々とありがとうございます」

 私の知らない所で、私の為に何度も骨を折ってくれた吉村さんには頭が上がらない。私は万感の思いを込めて、礼を言った。そんな私に、吉村さんがくすりと笑う。

「良いんですよ。私も貴方に惹かれている一人ですから。副長にも言いましたが、妹が出来たような気がしてましてね。放っとけないんです」

 そう言って私の頭をポンポンと叩くと、吉村さんは玄関へと向かった。

「さすがに時間がありませんので、私はこれで。あとはお願いします」

 手早く草履を履いて頭を下げると、私の返事を待つ事無く吉村さんは飛び出して行く。それを見送った私は山崎の服に着替え、重い足取りで屯所へと戻ったのだった。
74/98ページ
良かった👍