時の泡沫
副長室に入ると、部屋の主が鬼の形相で待ち構えていた。
「何かありましたか?」
「ありましたか? じゃねぇよ。こんな時間のかかる遣いなんざ頼んじゃいねぇはずだ。どこほっつき歩いてやがったんだ!?」
「すみません、ちょっと野暮用で……」
今にも噛みつきそうな勢いの副長の前に、慌てて頼まれていた物を置く。それと一緒に懐に入れていた紙を出し、こちらは副長の手に直接渡した。
「これは?」
「遣いの途中で渡された、副長への艶文ですよ」
「はぁ?」
嫌そうにその紙を開いた副長だったが、中を見て表情が一変する。
「そいつは良い妓だったか?」
「それはもう。”夢から現に引き戻される”ほどに。仔細お話しましょうか?」
「……そうだな」
含みのある私の言葉の意味を悟ったのだろう。鋭い目で私を見た副長が、小さく頷く。二人して周囲に誰もいないことを確認すると、私は先ほどあった出来事を全て語った。
話し終えた時、副長の顔に浮かんでいたのは眉間のしわとこめかみの青筋で。
「くそっ、面倒ばかり増えやがる!」
忌々しげに言う副長は、今にも暴れ出しそうだ。せっかく江戸から戻ってきても、一息つく暇すらない。
一種の里帰りとは言え、決して遊んでいたわけではないし、疲れも溜まっているだろうに。現に同行していた井上さんはこの数日、休みを取っている。出来る事なら副長にも体を休めて欲しいのだが、この人の立場と性格上、無理な話か。
それならば……。
「一つずつ整理して片付けましょうか。監察の者達もそろそろ諦めがついている頃でしょうし、動かせますよ」
「何だよ、諦めって」
「ああ、そこは聞き流して下さい」
つい心の声を先に整理してしまったのは、もちろんわざとだ。廊下から微かなため息が聞こえ、一拍置いて「失礼します」と襖が開けられる。そこにはいたのはもちろん、苦笑いを浮かべた吉村さんだった。
「今完全に諦めましたよ……」
「あん? だから何だよさっきから諦め諦めってよ」
理由が分からず、私と吉村さんの顔を交互に見て不満そうに言う副長に、私は言った。
「副長が戻ったら、また忙しくなるなと話していたんですよ。要するに洗濯を諦めた、と」
「洗濯だぁ? そんなのは手の空いた奴に任しゃ良いだろうが」
「……意外に察しが悪いんですね、副長って」
「あぁ!?」
流石に腹が立ったのか、拳を握りしめる副長に、吉村さんが引いている。
ちょっとからかい過ぎたかとは思いながらも、特に反省する気もなく、私は話を続けた。
「皆やる気があるって事ですよ。現にこうして吉村さんが来てくれています。……絞り込めたんですよね?」
「はい。確認も取れました」
吉村さんが地図を広げ、指し示したのは――河原町、近江屋。
「近江屋? 確かここは醤油屋じゃねぇか。それが何だってんだよ」
「山崎さんの指示で、坂本龍馬の潜伏先を探していました。こちらで間違いありません」
「やはりそこでしたか。薩摩藩邸への誘いを断ったという話を耳にはしていたので、土佐藩邸周辺だとは思っていたのですが……流石ですね、吉村さん」
頷き合う私達を、副長は暫し呆気に取られた表情で見ていた。が、すぐにいつものニヤリとした笑みを浮かべる。
「出来る組下がいるってのは、気持ちの良いもんだな。よくやってくれた。すぐに近藤さんとも話をしよう」
先程までの怒りはどこへやら。途端に機嫌の良くなった副長に、私と吉村さんはそっと微笑んだ。
「では、我々は指示を待っていれば?」
此処からは、副長の命令で動くべきだろう。一旦探索を終了させ、方針が定まるまで待機かと思いきや、副長の判断は早かった。
「いや、今暫くは近江屋周辺の立地や逃走経路、住人達の思想や贔屓を探っていてくれ」
「それは……」
言葉の意味を理解し、息を飲んだ。伊東さんの読み通り、やはり新選組は坂本を斬るのか。しかしそれは、容保公により固く禁じられているはずだ。以前永井様の護衛を命ぜられた際、局長が「せめて坂本の捕縛を」と求めたのだが、それすらも留め置かれている為、下手に動けば新選組の今後に関わってくる。
そんな私の考えが分かったのだろう。副長は笑いながら言った。
「別に今すぐ斬ると言ってるわけじゃねぇよ。近藤さんからも話は聞いてるし、俺だってそう短慮じゃねぇ。だが今後何が起こるか分からねぇしな。念の為、だ」
「承知しました。では、早速」
私と目配せをし、頭を下げると吉村さんが退室する。その姿を見送り、私も動くかと立ち上がろうとした時だった。
「お前は待て」と止められる。
未だ何か指示があるのだろうかと座り直し、副長を見ると――。
「……ひょっとして、拗ねてます?」
先程までとは打って変わって、不貞腐れた顔になっていた。その顔の意味にすぐ思い当り、ため息を吐く。
「仕事、ですよ?」
「分かってらぁ! だがお前らの息は合い過ぎじゃねぇか?なんつーか……」
「夫婦みたい……と?」
「……」
やれやれ、とガックリ頭を落とす。分かってはいたが、この人の私に対する独占欲と執着心は、尋常では無い。それは嬉しい事なのだが、日に日に度を超していっているように思えるのは気のせいだろうか。
「広島であれだけ夫婦として生活していれば、息も合うようになりますよ。でも私達はあくまで仕事仲間です。お互い唯一無二の相方がいますのでね」
ニコリと笑って見せると、とりあえずは納得したようだ。ぶすくれた顔をしていながらも、小さく頷く。
だがこの調子では、副長としての手腕がどこまで発揮できるだろう。下手したら、吉村さんにも影響が及びそうだ。
「少々お疲れが溜まっているようですね。今夜辺りお休みを取られてはいかがですか?」
様々な角度から検討した結果、私が出した答えは、これ。
「私はこれから残りの仕事を済ませ、夜は外泊許可を頂きたく思います。副長も、局長とお話をまとめて、その後はゆっくりなさった方が宜しいかと」
「……分かった。好きにしろ」
仏頂面で許可を出した副長。だがその口の端が上がっていたのを、私が見逃すはずもなく。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げると、少しでも仕事を早く片付けるべく、私は副長室を後にした。
「何かありましたか?」
「ありましたか? じゃねぇよ。こんな時間のかかる遣いなんざ頼んじゃいねぇはずだ。どこほっつき歩いてやがったんだ!?」
「すみません、ちょっと野暮用で……」
今にも噛みつきそうな勢いの副長の前に、慌てて頼まれていた物を置く。それと一緒に懐に入れていた紙を出し、こちらは副長の手に直接渡した。
「これは?」
「遣いの途中で渡された、副長への艶文ですよ」
「はぁ?」
嫌そうにその紙を開いた副長だったが、中を見て表情が一変する。
「そいつは良い妓だったか?」
「それはもう。”夢から現に引き戻される”ほどに。仔細お話しましょうか?」
「……そうだな」
含みのある私の言葉の意味を悟ったのだろう。鋭い目で私を見た副長が、小さく頷く。二人して周囲に誰もいないことを確認すると、私は先ほどあった出来事を全て語った。
話し終えた時、副長の顔に浮かんでいたのは眉間のしわとこめかみの青筋で。
「くそっ、面倒ばかり増えやがる!」
忌々しげに言う副長は、今にも暴れ出しそうだ。せっかく江戸から戻ってきても、一息つく暇すらない。
一種の里帰りとは言え、決して遊んでいたわけではないし、疲れも溜まっているだろうに。現に同行していた井上さんはこの数日、休みを取っている。出来る事なら副長にも体を休めて欲しいのだが、この人の立場と性格上、無理な話か。
それならば……。
「一つずつ整理して片付けましょうか。監察の者達もそろそろ諦めがついている頃でしょうし、動かせますよ」
「何だよ、諦めって」
「ああ、そこは聞き流して下さい」
つい心の声を先に整理してしまったのは、もちろんわざとだ。廊下から微かなため息が聞こえ、一拍置いて「失礼します」と襖が開けられる。そこにはいたのはもちろん、苦笑いを浮かべた吉村さんだった。
「今完全に諦めましたよ……」
「あん? だから何だよさっきから諦め諦めってよ」
理由が分からず、私と吉村さんの顔を交互に見て不満そうに言う副長に、私は言った。
「副長が戻ったら、また忙しくなるなと話していたんですよ。要するに洗濯を諦めた、と」
「洗濯だぁ? そんなのは手の空いた奴に任しゃ良いだろうが」
「……意外に察しが悪いんですね、副長って」
「あぁ!?」
流石に腹が立ったのか、拳を握りしめる副長に、吉村さんが引いている。
ちょっとからかい過ぎたかとは思いながらも、特に反省する気もなく、私は話を続けた。
「皆やる気があるって事ですよ。現にこうして吉村さんが来てくれています。……絞り込めたんですよね?」
「はい。確認も取れました」
吉村さんが地図を広げ、指し示したのは――河原町、近江屋。
「近江屋? 確かここは醤油屋じゃねぇか。それが何だってんだよ」
「山崎さんの指示で、坂本龍馬の潜伏先を探していました。こちらで間違いありません」
「やはりそこでしたか。薩摩藩邸への誘いを断ったという話を耳にはしていたので、土佐藩邸周辺だとは思っていたのですが……流石ですね、吉村さん」
頷き合う私達を、副長は暫し呆気に取られた表情で見ていた。が、すぐにいつものニヤリとした笑みを浮かべる。
「出来る組下がいるってのは、気持ちの良いもんだな。よくやってくれた。すぐに近藤さんとも話をしよう」
先程までの怒りはどこへやら。途端に機嫌の良くなった副長に、私と吉村さんはそっと微笑んだ。
「では、我々は指示を待っていれば?」
此処からは、副長の命令で動くべきだろう。一旦探索を終了させ、方針が定まるまで待機かと思いきや、副長の判断は早かった。
「いや、今暫くは近江屋周辺の立地や逃走経路、住人達の思想や贔屓を探っていてくれ」
「それは……」
言葉の意味を理解し、息を飲んだ。伊東さんの読み通り、やはり新選組は坂本を斬るのか。しかしそれは、容保公により固く禁じられているはずだ。以前永井様の護衛を命ぜられた際、局長が「せめて坂本の捕縛を」と求めたのだが、それすらも留め置かれている為、下手に動けば新選組の今後に関わってくる。
そんな私の考えが分かったのだろう。副長は笑いながら言った。
「別に今すぐ斬ると言ってるわけじゃねぇよ。近藤さんからも話は聞いてるし、俺だってそう短慮じゃねぇ。だが今後何が起こるか分からねぇしな。念の為、だ」
「承知しました。では、早速」
私と目配せをし、頭を下げると吉村さんが退室する。その姿を見送り、私も動くかと立ち上がろうとした時だった。
「お前は待て」と止められる。
未だ何か指示があるのだろうかと座り直し、副長を見ると――。
「……ひょっとして、拗ねてます?」
先程までとは打って変わって、不貞腐れた顔になっていた。その顔の意味にすぐ思い当り、ため息を吐く。
「仕事、ですよ?」
「分かってらぁ! だがお前らの息は合い過ぎじゃねぇか?なんつーか……」
「夫婦みたい……と?」
「……」
やれやれ、とガックリ頭を落とす。分かってはいたが、この人の私に対する独占欲と執着心は、尋常では無い。それは嬉しい事なのだが、日に日に度を超していっているように思えるのは気のせいだろうか。
「広島であれだけ夫婦として生活していれば、息も合うようになりますよ。でも私達はあくまで仕事仲間です。お互い唯一無二の相方がいますのでね」
ニコリと笑って見せると、とりあえずは納得したようだ。ぶすくれた顔をしていながらも、小さく頷く。
だがこの調子では、副長としての手腕がどこまで発揮できるだろう。下手したら、吉村さんにも影響が及びそうだ。
「少々お疲れが溜まっているようですね。今夜辺りお休みを取られてはいかがですか?」
様々な角度から検討した結果、私が出した答えは、これ。
「私はこれから残りの仕事を済ませ、夜は外泊許可を頂きたく思います。副長も、局長とお話をまとめて、その後はゆっくりなさった方が宜しいかと」
「……分かった。好きにしろ」
仏頂面で許可を出した副長。だがその口の端が上がっていたのを、私が見逃すはずもなく。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げると、少しでも仕事を早く片付けるべく、私は副長室を後にした。
