時の泡沫
「君を見かけたのは、神仏に誓って偶然だよ。一人での散策は、もちろん危険を考えてそう広範囲ではないが、最近になって始めたんだ。……ある人の影響でね」
「ある人……ですか?」
「懐の広い、自由な人だ。こんな小さな日の本では無く、世界を見つめている人だよ」
――坂本龍馬か!
名を聞かずとも、確信があった。という事は、伊東さんは既に坂本と顔を合わせている?
「よっぽど器の大きな方なのですね。私もお会いしてみたいものです」
どこまで伊東さんは坂本と繋がりを深くしているのか。それを知りたくて、探りを入れようとした。――だが。
「いや、私も未だ本人と直接は会った事がないのだ。知人を通して聞いた話なのだが、その男が見つめている先の世がいかに素晴らしいかという事を知り、感銘を受けたと言う訳さ。私は未だ未だ視野が狭かったのだと気付かされたんだよ」
つまりは今の所、繋がっているのは中岡までという事か。これはあまり、坂本に関する有益な情報は得られないかもしれない。でもまぁ現状が分かっただけでも良しとするか。こちらがそんな事を考えているとも知らず、伊東さんは語り続ける。
「だが近い内に会おうと思っているよ。私は彼がこの国には必要不可欠な人物だと思っているのでね。そんな素晴らしい人物に会わない手はないだろう?」
やや興奮気味に語った伊東さんは、グイと湯呑みを開けた。
「この小さな島国の中で、更に小さな藩同士で争うような無益な事はせず、世界に目を向けて日の本を一つにする。それを実現するために奔走し、一つ一つを現実の物としている彼は、この国の救世主かもしれないね」
よほど心酔しているのか、その言葉からはとても熱い物が感じられた。
「貴方にそこまで言わせるとは……さぞかし御高名なお方なのでしょうね」
坂本の場合は、悪名と言った方が良いのかもしれないが。
何にしても伊東さん側の人間からは、坂本がどのように見られているのかが分かった。この調子で信奉者が増え続ければ、更なる大きな歴史の変化をもたらすかもしれない。
「そうだね、だからこそ……」
不意に伊東さんがこちらを向いたのが分かった。背中を向けたままの私は、いつでも取り出せるよう苦無を手に持ち、神経を尖らせる。そんな私の肩に、伊東さんはそっと手を置いた。
「安心したまえ。今ここでやり合う気はないよ。私が言いたかったのは、多分これから君達がしようとするであろう事をやめたまえ、という事さ」
「しようとするであろう事……?」
ややこしい言い回しに、伊東さんの言う事が理解できずに考え込んでしまったが、肩に置かれた手に力を込められた瞬間、全てを悟った。だがその悟りに気付かれぬよう、私は出来る限り無表情で伊東さんを見る。そこには、とても真剣な眼差しがあった。
「君は本当に敏い人だね。性別など関係なしに一人の人間として、今も心から君が欲しいと思っているんだよ」
やはり見透かされているか、と思う。つまりこの人は、自分の現状を明かしながらもこちらの状況を読み取っていたのだ。
新選組がこの先、坂本龍馬を暗殺するだろうと予測して。今どこまで新選組が動いているのかを。そして未だ、命令は出されていないという事に気付いたのだろう。
「私は……何があろうとも新選組を裏切る事はありませんから」
この駆け引きに負けるまいと、笑顔で返す。そんな私を暫く見つめていた伊東さんだったが、ため息を吐きながら苦笑いすると言った。
「新選組、か。では一つ君に聞きたい。今後新選組はどうなっていくと思うかい?」
そんな質問は想定していなかっただけに、戸惑った。だが答えに迷う事は無い。
「何も変わりませんよ。我々は今迄も、そしてこれからも武士として誠を貫いて行くだけです」
「それは例えば、近藤局長がいなくなっても、かい?」
「……え?」
局長がいなくなっても……?
突拍子のない質問に驚きながらも、その真意を探る。これは案に局長が命を狙われているという事か? それとも伊東さんが……?
「その質問は一体……」
我慢が出来ず、確かめようと口を開いた時。
「伊東さん、ここにいたんですか」
伊東さんを探していたらしい斉藤さんが、店に入ってきた。
「一人の方が自由に見聞を広められるからと、誰かさんの影響で勝手に歩き回るのは止めて下さい。貴方は良くても俺達は迷惑です」
心底迷惑そうな顔で言う斉藤さんに、すまないねと伊東さんが苦笑いで答える。
「しかも接触禁止なはずの新選組の者とのんびりお茶とは……呆れて物も言えませんな」
大きくため息を吐きながら、斉藤さんは自らの懐に手を入れた。そして巾着から金子を出し、私の手に乗せる。私は咄嗟に落とさないよう、両手でしっかりと挟み込んだ。
「これで二人分足りるだろう。俺は伊東さんを連れて帰る」
「……ありがとうございます」
「待ちたまえ斎藤くん。私は未だ山崎くんと……」
「待ちません。帰りますよ、伊東さん!」
面倒臭そうにそう言った斎藤さんは、有無を言わせず強引に伊東さんを引っ張って店を出て行った。
「意外と強引な所もあんねやな、斉藤はん」
あんな斎藤さんは初めて見るな、と思いながら私は、手の中の金子を見る。そこには金子以外に、小さく折りたたまれた紙があった。それは斎藤さんからの密書。中には近日中に新選組の屯所に戻る旨が、句に模して書かれていた。
「急いで副長に報告せなあかん。……店主~! 勘定ここに置いとくしな!」
斎藤さんに渡された金子をありがたく使わせてもらい、店を出る。
「何があるんかは分からんけど、本格的に忙しなりそやわ」
よし、と気合を入れると、私は屯所への道を急ぐのだった。
「ある人……ですか?」
「懐の広い、自由な人だ。こんな小さな日の本では無く、世界を見つめている人だよ」
――坂本龍馬か!
名を聞かずとも、確信があった。という事は、伊東さんは既に坂本と顔を合わせている?
「よっぽど器の大きな方なのですね。私もお会いしてみたいものです」
どこまで伊東さんは坂本と繋がりを深くしているのか。それを知りたくて、探りを入れようとした。――だが。
「いや、私も未だ本人と直接は会った事がないのだ。知人を通して聞いた話なのだが、その男が見つめている先の世がいかに素晴らしいかという事を知り、感銘を受けたと言う訳さ。私は未だ未だ視野が狭かったのだと気付かされたんだよ」
つまりは今の所、繋がっているのは中岡までという事か。これはあまり、坂本に関する有益な情報は得られないかもしれない。でもまぁ現状が分かっただけでも良しとするか。こちらがそんな事を考えているとも知らず、伊東さんは語り続ける。
「だが近い内に会おうと思っているよ。私は彼がこの国には必要不可欠な人物だと思っているのでね。そんな素晴らしい人物に会わない手はないだろう?」
やや興奮気味に語った伊東さんは、グイと湯呑みを開けた。
「この小さな島国の中で、更に小さな藩同士で争うような無益な事はせず、世界に目を向けて日の本を一つにする。それを実現するために奔走し、一つ一つを現実の物としている彼は、この国の救世主かもしれないね」
よほど心酔しているのか、その言葉からはとても熱い物が感じられた。
「貴方にそこまで言わせるとは……さぞかし御高名なお方なのでしょうね」
坂本の場合は、悪名と言った方が良いのかもしれないが。
何にしても伊東さん側の人間からは、坂本がどのように見られているのかが分かった。この調子で信奉者が増え続ければ、更なる大きな歴史の変化をもたらすかもしれない。
「そうだね、だからこそ……」
不意に伊東さんがこちらを向いたのが分かった。背中を向けたままの私は、いつでも取り出せるよう苦無を手に持ち、神経を尖らせる。そんな私の肩に、伊東さんはそっと手を置いた。
「安心したまえ。今ここでやり合う気はないよ。私が言いたかったのは、多分これから君達がしようとするであろう事をやめたまえ、という事さ」
「しようとするであろう事……?」
ややこしい言い回しに、伊東さんの言う事が理解できずに考え込んでしまったが、肩に置かれた手に力を込められた瞬間、全てを悟った。だがその悟りに気付かれぬよう、私は出来る限り無表情で伊東さんを見る。そこには、とても真剣な眼差しがあった。
「君は本当に敏い人だね。性別など関係なしに一人の人間として、今も心から君が欲しいと思っているんだよ」
やはり見透かされているか、と思う。つまりこの人は、自分の現状を明かしながらもこちらの状況を読み取っていたのだ。
新選組がこの先、坂本龍馬を暗殺するだろうと予測して。今どこまで新選組が動いているのかを。そして未だ、命令は出されていないという事に気付いたのだろう。
「私は……何があろうとも新選組を裏切る事はありませんから」
この駆け引きに負けるまいと、笑顔で返す。そんな私を暫く見つめていた伊東さんだったが、ため息を吐きながら苦笑いすると言った。
「新選組、か。では一つ君に聞きたい。今後新選組はどうなっていくと思うかい?」
そんな質問は想定していなかっただけに、戸惑った。だが答えに迷う事は無い。
「何も変わりませんよ。我々は今迄も、そしてこれからも武士として誠を貫いて行くだけです」
「それは例えば、近藤局長がいなくなっても、かい?」
「……え?」
局長がいなくなっても……?
突拍子のない質問に驚きながらも、その真意を探る。これは案に局長が命を狙われているという事か? それとも伊東さんが……?
「その質問は一体……」
我慢が出来ず、確かめようと口を開いた時。
「伊東さん、ここにいたんですか」
伊東さんを探していたらしい斉藤さんが、店に入ってきた。
「一人の方が自由に見聞を広められるからと、誰かさんの影響で勝手に歩き回るのは止めて下さい。貴方は良くても俺達は迷惑です」
心底迷惑そうな顔で言う斉藤さんに、すまないねと伊東さんが苦笑いで答える。
「しかも接触禁止なはずの新選組の者とのんびりお茶とは……呆れて物も言えませんな」
大きくため息を吐きながら、斉藤さんは自らの懐に手を入れた。そして巾着から金子を出し、私の手に乗せる。私は咄嗟に落とさないよう、両手でしっかりと挟み込んだ。
「これで二人分足りるだろう。俺は伊東さんを連れて帰る」
「……ありがとうございます」
「待ちたまえ斎藤くん。私は未だ山崎くんと……」
「待ちません。帰りますよ、伊東さん!」
面倒臭そうにそう言った斎藤さんは、有無を言わせず強引に伊東さんを引っ張って店を出て行った。
「意外と強引な所もあんねやな、斉藤はん」
あんな斎藤さんは初めて見るな、と思いながら私は、手の中の金子を見る。そこには金子以外に、小さく折りたたまれた紙があった。それは斎藤さんからの密書。中には近日中に新選組の屯所に戻る旨が、句に模して書かれていた。
「急いで副長に報告せなあかん。……店主~! 勘定ここに置いとくしな!」
斎藤さんに渡された金子をありがたく使わせてもらい、店を出る。
「何があるんかは分からんけど、本格的に忙しなりそやわ」
よし、と気合を入れると、私は屯所への道を急ぐのだった。
