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時の泡沫

 慶応三年(1867年)十一月三日。副長達は、新たな隊士達を引き連れて京に戻った。
 人数が増え、再び賑やかしくなった屯所の中に一人、怒気を放ちながら入って来た男がいる。

「お、お帰りなさいませ……」

 皆が恐れおののき遠巻きに見る中、私が意を決して近付いたのは、副長。

「やっぱり……耳にしてますよね?」
「ったりめぇだろうが! 大政奉還たぁ一体全体どういう事なんだよ、これはっ!!」

 目を吊り上げ、噛み付かんばかりの勢いで怒鳴られた。八つ当たりも良い所だが、甘んじてそれを受け止める。今この人を抑えられるのはきっと、私だけだろうから。

「詳細は局長にお聞き下さい。ここでぶち切れられても、誰も教えてはくれませんよ」
「そんなのは分かってらぁ!」
「だったらまずは一旦落ち着いて下さい。副長の貴方が荒れていては、隊士達の動揺を誘います」
「……くそっ!」

 こんな諭し方をしなければならない程に、大きな衝撃だったと言う訳だ。どのあたりで情報を耳にしたのかは知らないが、道中穏やかではなかっただろう。

 ――新入隊士達の心中が。

 私の言葉にイラつきながらも、そこはやはり副長だ。拳を握りしめながらではあるが、気を取り直したように落ち着いた表情を見せると、「道中に新人の特性を簡単にまとめておいた。あとはお前らに任せる!」と名簿を私に押し付けて局長室へと向かった。

「やれやれ……予想通りですね」
「ほんとだよな」

 そこにヌッと現れたのは、永倉さん。先程からこちらを遠巻きに見ていた一人だ。

「鬼が去ってから出てくるのって、卑怯じゃないですか?」
「そうか? 桃太郎が退治してくれると思ってたから、見守ってただけなんだけどな」
「桃太郎は、お供がいたはずなんですけどね」
「あれ? そうだったか?」

 わざとらしくすっとぼける永倉さんだったが、その目が笑っていないのは気付いている。私の手から名簿を取り上げ、ざっと目を通した永倉さんは言った。

「土方さんが帰って来たって事は、俺たちが忙しくなるって意味だからな。俺は左之と一緒に、早いとこ新人を鍛え上げる。お前も引き続き頼むな」
「……気付いてたんですか」

 私が密かに諜報活動をしている事を、この人は知っていたようだ。流石に敏いな、と感心する。

「お前さんの旦那が動いてたからよ。相変わらず夫婦で頑張ってんな」
「誤解されそうな言い方はやめて下さいよ。吉村さんとの仕事は確かにやり易いですけどね」

 分かってるよ、と言いながら私を小突いた永倉さんは、「先に全員の面を拝んでくるわ!」と踵を返して立ち去った。

 忙しないなとは思ったが、結局は永倉さんも落ち着かないのだろう。大政奉還とは、武士にとってはそれこそ天地がひっくり返るほどに大きな衝撃なのだから。
 だからこそ、この大政奉還を現実のものとした坂本龍馬がどのような人物なのか、私は興味を持っていた。そして実は先日から目星を付けて、坂本が隠れていると思しき宿の周辺に睨みを利かせている。そこで集めた情報はまだ浅いが、それでも坂本龍馬という男がいかに器が大きく自由であり、新選組とは相容れないかがよく分かった。

 更にもう一つ分かった事。多分きっと、伊東さんは坂本に近付く。坂本を知れば知る程、伊東さんの目指していた日の本の世が、見える気がしたのだ。そうでなくとも、坂本の盟友である中岡との繋がりを持っているのだから、伊東さんは動くだろうという予感があった。

 その予感が確信に変わるのは、ほんの数日後の事。
 この日私は、朝から野暮用で出かけていた。探索も兼ねている為町人姿で河原町を歩き、頼まれたものを買い付ける。昼前には一通りの買い物を終え、思っていたより時間が余ったから、と何とはなしに祇園さんに参拝した時。

「山崎くんじゃないか!」

 会いたくなかった人の声がした。

「これは伊東さん。それでは」

 間髪入れずに歩む方向を変え、その場を離れようとする。

「いやいやちょっと待ってくれないか。私には挨拶すらまともにしてはくれないのかい?」
「だから接触禁止だと言ってるじゃないですか!」

 この人には、学習能力が無いのだろうか。同じ会話の繰り返しには、閉口してしまう。
 だがその時ふと思った。これはひょっとして、好機なのではなかろうか? 今ここでうまく話を運べば、御陵衛士の動きなり、坂本達の動向なりが分かるかもしれない。
 相手が伊東さんだけに、余計な事をすべきではないとも思ったが、一度考えてしまった可能性は私を突き動かす。

「何か御用ですか?」

 こちらの考えを気取られぬよう、私はいつも通り嫌そうに答えた。それでも嬉しかったのか、伊東さんの顔がパッと明るくなる。

「たまたま通りすがりに君を見つけて、声をかけたのだよ。少し時間を貰えないかな?」
「貴方と話していた事がバレたら、私は切腹になるんですけどね。それが狙いですか?」
「私がそんな事を考えると思うかい? 君を切腹にするくらいなら、私がさらって連れ帰るよ」
「でしたらその場で腹を掻っ捌きます」
「……相変わらず冷たいね、君は」

 そう言った伊東さんは、寂しそうな顔をしていた。この人は策士なのだから、これも計算の内だろうとは思いながらも、つい小さく胸が痛む。
 だがここで優しく接してしまえばきっと、付け込まれてしまうだろう。徹底した態度の私に、伊東さんは言った。

「ならばお互い気付かなかった事にすれば良い。すぐそこの茶屋で、背中合わせに座ろうか」

 そして返事を待たず、茶屋へと向かって歩き出す。一瞬迷いはしたが、念のため周囲の気配を確認すると、私も茶屋へと足を運ぶ事にした。

「で? ここまでして私と話したかった事とは?」

 座して早々、私は尋ねた。

「いくら月真院から近いとはいえ、お付きの者もおらずに一人で散策するとは思えません。何か魂胆でも?」
「ここまでとことん嫌気を見せられると、いっそ清々しいね」

 フッと小さく笑った伊東さんは、置かれた湯呑に手を伸ばしながら話し出した。
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