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時の泡沫

 翌日、局長直々に松平容保公へと報告に向かった。それはすぐさま将軍にも伝わり、幕府に震撼をもたらす。
 それからというもの、新選組は戦の準備で大わらわだった。薩長にこちらの動きを気取られぬよう、軍備を整えながらも普段の巡察を怠らないようにしなければならない。副長が東下している事もあり、組長の私達がその差配をしていたのだが、やはり副長のいるいないで、隊士達のまとまりが違う事を感じていた。

「こない大事な時にいてはらへんのやもんな……はよ帰って来てや」

 ぽそりと小さく呟いた言葉は、彼に届いてくれるだろうか。何がともあれ、着実に近付いてくる戦の日に向けて、私達は準備を怠らなかった。

 しかしここから、事態は大きく変わりゆく。
 全ての軍備が整い、今すぐにでも戦に出られる状態になっていた十月十三日に、十五代将軍、徳川慶喜は、大政奉還を決意した。十月十四日。幕府は朝廷に政権奉還の意を伝える。そして運命の十月十五日。朝廷が正式に、大政奉還を受諾した。

『大政奉還、成る』

 その一報が届いた時、屯所内を大きなどよめきが走った。中でも局長の動揺は、噂にはなっていたものの現実的ではないと一笑していただけに、尋常では無くて。
 だがこの反応は、当然のものだろう。戦争回避をする為の最善の策ではあるが、我々は戦うつもりでここにいたのだから。自分達が命を懸けて守ろうとしていた物が、戦わずして折られてしまったように感じてしまう。

「これが大樹公のお決めになった事なら……我々は従うしか無いな」

 苦笑いしながら言う局長の胸中や、いかばかりか。戦は無くなったのだから、と、整えていた軍備を片付けるよう指示した局長は、肩を落として一人局長室へと戻って行った。
 情けない話、私は局長にかける言葉が見つからなかった。こんな時はやはり、あの人を思い出す。もし副長がここにいれば、鬼のように怒鳴り散らすのだろうか。それとも一緒に落ち込むのか。
 せめてもと思い、局長室までお茶を運んで行ったのだが、結局その日は局長の姿を拝む事が出来なかった。

 ちなみに、大政奉還の一報と時を同じくしてもう一つ、別の情報も屯所には届いていた。十四日に、長州へと倒幕の密勅が下っていたという話だ。
 あと一歩大政奉還が遅ければ、今頃確実に大きな戦争が起こっていただろう。まさに間一髪。偶然のように見えるが、この時期に大政奉還を決めたのは、全ての情勢を把握した上での徳川慶喜公の目論見通りなのではなかろうか。私には、そんな気がしてならなかった。

 その日以降、私達新選組はいつも通りの任務をこなし、特に大きな事件もなく、とりあえずは元通りの日々を過ごしていた。
 ただ一つ問題があるとするなら、坂本龍馬だ。大政奉還のきっかけを作った人物だという事が分かったため、坂本を屠れといきり立つ者は多い。更に坂本は、ここ最近あの永井様の屋敷に通っているらしく、その事で何かひと悶着ありそうな予感があった。

 事実それを懸念してか、松平容保公より新選組に、永井様の護衛をせよという命が下っている。大きな戦は回避したものの、問題の火種は其処彼処と燻っている事に変わりはないようだ。

「あの人が帰ってきたら、色々と忙しくなりそうですねぇ」

 今日の巡察の記録を付けながら私は、先ほど呼び出した吉村さんに言った。

「副長の事ですからきっと帰るなり、坂本の動向を探れだの何だの、荒れ狂いながら命じてくると思いますよ」
「そうでしょうね。我々監察も、今が一番落ち着いていられる時だろうと、各々自由を満喫しています」
「これぞまさしく『鬼の居ぬ間になんとやら』ってやつですね」

 相変わらず苦労しているんだなぁ、と微妙に同情しながらも、今まさにその自由を奪おうとしている私は、鬼なのだろうか。

「それでですね、吉村さん。実は……」
「坂本、ですか?」
「よくお分かりで」

 やれやれとため息を吐きながらも、優しい笑みを見せてくれる吉村さんは、本当に出来た人だと思う。

「呼び出して早々、こんな話の切り出し方をされれば誰だって分かりますよ」
「すみません。でも先を読んでおいた方が良さそうで。表立っての問題が起きていない分、水面下で色々と動いてそうじゃないですか」
「確かに山崎さんの仰る通りではありますが……具体的にはどのように?」

 吉村さんに言われ、考え込む。こういう時、副長ならどのような指示を与えるだろうか?
 私自身が監察の頃は、臨機応変とは言え基本的には副長からの指示に従っていた為、あまり考える事を必要としていなかった。だが今の私は、吉村さんに指示を与える立場になろうとしている。そしてその指示は、場合によっては吉村さんの命運を左右することもあるのだ。
 副長はいつも、こんな重い荷物を背負ってきていたのだな……。

「山崎さん?」

 ついしみじみと考え込んでしまっていたようだ。吉村さんに声を掛けられ、慌てて気持ちを切り替える。そして一つの指示を出した。

「まずは……坂本の隠れ家を探しましょう。何とか完全な特定まで持って行って下さい」
「承知しました」
「あ、でも無理はしないで下さいね。坂本の周辺を探っているのは、うちだけではないので」
「分かっていますよ」

 では早速、と部屋を出て行く吉村さんを「お願いします」と送り出す。そして私も立ち上がると、押入れから衣装箱を取り出した。

「久々にうちも動いてみよかな」

 今日この後は、非番になっている。吉村さんの負担を少しでも軽くしようと、私も坂本の情報収集を開始した。
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良かった👍