時の泡沫
副長達が京を発ってから暫くして。局長は、以前広島へと随行した永井様の紹介により、土佐の後藤象二郎と会見した。坂本龍馬と懇意であり、大政奉還を推し続けていると聞く男だけに、局長の身を案じてはいたのだが、「彼は刀嫌いで自由な男だったよ。とても有意義な時間を過ごせたさ」と帰屯早々ご満悦の表情だった。
その日以降、何度か会見の申し出を行っていたので、それだけ惹かれる物のある人物だったのだろう。何のかんのと理由を付けられて再会は叶わなかったが、局長の心に何らかの影響を与えたのは間違いなかった。
沖田さんはと言うと、相変わらずの療養生活を送っている。咳はあるものの、喀血は全く起きていない為、心は穏やかだ。
食欲もあり、一時は痩せてしまっていた体が、ほんの少しではあるが戻ったかのように見える。それどころか、最近はどの隊も巡察帰りにお土産として甘い物を買って来る為、少々お腹周りに肉が付き始めている感もあって。
「プヨプヨの腹肉なんて、生まれて初めてかもしれません」
沖田さんが、不思議そうに自らのお腹を摘まみながら呟いていた。それを横目で見ながら、何とはなしに私も自分の下腹を摘まんでみると……。
「……!」
あってはいけない厚みに、全身の血の気が引いた
そうでなくともここの所、屯所内での仕事が多くてあまり外には出ていない。更に沖田さんへのお土産の中には何故か私の分も含まれている為、ついつい一緒に食べてしまっていた。
「そら、太るわな……」
がっくりと肩を落とす。
このままでは、副長が帰る頃には雪だるまのようになってしまうかもしれない。そんな事になってしまったら……!
「それだけは絶対に、あかん!」
この瞬間から、私は自らに引き締めを課した。無駄に屯所内を歩き回り、巡察では人一倍動いて回る。
土産は沖田さんの分のみで、私の物までは買わぬよう、皆にも伝えた。私の必死の形相に何かを感じ取ったのか、それ以降皆からのお土産は減っていく。お陰で私も少しずつ、元の体に戻り始めていた。
だがそれに不満を持ったのは、沖田さんで。
「もっと甘い物が欲しいです~!」
と叫びながら、ジタバタと暴れる姿はまるで子供だ。
「毎日ちゃんとお茶請けは出してるでしょう?」
「あれだけじゃ足りませんよ~! 今迄みたいに、食後にも欲しいです!」
三食後と、午前午後のお茶の時間。計五回のおやつを当たり前にしていた自分が、今更ながらに怖くなる。部屋に篭りきりではつまらなかろうと、甘やかしたのがいけなかったな。
「プヨプヨだと、いざという時に戦えなくなってしまいます。あなたは武士なんですから、体型にも気を配らなければ!」
自分でも言っている事がよく分からなかったが、ある意味間違いではないだろう。朝夕二回のお茶請けは続けますから、となだめすかし、何とか落ち着いたのだった。
そんな冗談のような日々を過ごしていたある日。私は急遽組下を伴い、とある捕り物に出ていた。そして一人の男を重要参考人として捕縛する。その男こそ、先日陸援隊に間者として送り込んだ、村山謙吉だった。
前日に、取り急ぎ伝えたいことがあるという密書が届いた為、後の事を考えて敢えてこのような形で彼を屯所内に引き込んだのである。もちろんこの事を知っているのは私と局長だけであり、組下の誰も村山を知る者はいない。
念の為気を付けてはいたが、邪魔が入る事も無くすんなりとこの捕り物を終える事が出来て、ホッと胸を撫で下ろす。だが捕らえた村山を牢に入れ、隊士達を遠のかせた状態で彼からの報告を聞いた時――。
局長の体が大きく震えたのを、私は見逃さなかった。
「倒幕派が挙兵……だと……っ!?」
それはあまりにも無謀で恐ろしく、そして有益な情報だった。
「倒幕派は、来る十月十五日に一斉襲撃を企てています。二条城には薩摩の兵。所司代邸には陸援隊と戸津川郷士軍。そして新選組の屯所にも、その他の浪士を振り分けている模様です」
今日は十月七日だから、八日後には戦となるわけだ。何も知らずにいたら、我々はまともに迎え撃つ事すら出来なかっただろう。
「ありがとう村山さん。貴方の情報のお蔭で、とても助かりました」
牢の柵越しではあるが、私は村山さんの肩に手を置いて労いの言葉をかけた。それが嬉しかったのか、はにかむように笑いながら村山さんが頭を下げる。
「いえ……お役に立てて光栄です」
これだけ大きな情報を掴むには、内部での信用が不可欠だ。単なる下っ端では、自分の持ち場を知らされるくらいが関の山だろう。
全体を把握できる立場になるまでには、かなりの苦労と同時に、危険も冒しているはずだ。このまま彼を陸援隊に戻したいのは山々だが、正直今まで以上に危険を伴う可能性が高く、私の中に躊躇が生まれていた。
「貴方はとても優秀な方なので、出来ればこのまま陸援隊の内情を探り続けて頂きたいのですが……今までとは風当たりが違ってくる事も考えられます。覚悟は宜しいですか?」
ここで否とは答えにくい事を分かっていながら、敢えて尋ねる。案の定、答えは予想通りの物で。
「もちろんです。私の命は新選組に捧げています」
村山さんのまっすぐな瞳に、局長はいたく感動した面持ちだった。
「ありがとう。君には期待しているよ」
「はっ。勿体なきお言葉」
その後倒幕派の仔細を確認すると、出来るだけ早い方が良いだろうという事から、誤認逮捕という理由でその日の内に村山さんを陸援隊に引き渡した。送り届けた際、私達への憎しみは勿論だが、村山さんにも疑いの眼差しが向けられていたのが気になってしまう。
「この度はこちらに落ち度がありました。本当に申し訳ない!」と出来るだけ心からの謝罪をしてはみたのだが……。
――彼に危険が及びませんように。
それだけを祈りながら、私は屯所へと戻ったのだった。
その日以降、何度か会見の申し出を行っていたので、それだけ惹かれる物のある人物だったのだろう。何のかんのと理由を付けられて再会は叶わなかったが、局長の心に何らかの影響を与えたのは間違いなかった。
沖田さんはと言うと、相変わらずの療養生活を送っている。咳はあるものの、喀血は全く起きていない為、心は穏やかだ。
食欲もあり、一時は痩せてしまっていた体が、ほんの少しではあるが戻ったかのように見える。それどころか、最近はどの隊も巡察帰りにお土産として甘い物を買って来る為、少々お腹周りに肉が付き始めている感もあって。
「プヨプヨの腹肉なんて、生まれて初めてかもしれません」
沖田さんが、不思議そうに自らのお腹を摘まみながら呟いていた。それを横目で見ながら、何とはなしに私も自分の下腹を摘まんでみると……。
「……!」
あってはいけない厚みに、全身の血の気が引いた
そうでなくともここの所、屯所内での仕事が多くてあまり外には出ていない。更に沖田さんへのお土産の中には何故か私の分も含まれている為、ついつい一緒に食べてしまっていた。
「そら、太るわな……」
がっくりと肩を落とす。
このままでは、副長が帰る頃には雪だるまのようになってしまうかもしれない。そんな事になってしまったら……!
「それだけは絶対に、あかん!」
この瞬間から、私は自らに引き締めを課した。無駄に屯所内を歩き回り、巡察では人一倍動いて回る。
土産は沖田さんの分のみで、私の物までは買わぬよう、皆にも伝えた。私の必死の形相に何かを感じ取ったのか、それ以降皆からのお土産は減っていく。お陰で私も少しずつ、元の体に戻り始めていた。
だがそれに不満を持ったのは、沖田さんで。
「もっと甘い物が欲しいです~!」
と叫びながら、ジタバタと暴れる姿はまるで子供だ。
「毎日ちゃんとお茶請けは出してるでしょう?」
「あれだけじゃ足りませんよ~! 今迄みたいに、食後にも欲しいです!」
三食後と、午前午後のお茶の時間。計五回のおやつを当たり前にしていた自分が、今更ながらに怖くなる。部屋に篭りきりではつまらなかろうと、甘やかしたのがいけなかったな。
「プヨプヨだと、いざという時に戦えなくなってしまいます。あなたは武士なんですから、体型にも気を配らなければ!」
自分でも言っている事がよく分からなかったが、ある意味間違いではないだろう。朝夕二回のお茶請けは続けますから、となだめすかし、何とか落ち着いたのだった。
そんな冗談のような日々を過ごしていたある日。私は急遽組下を伴い、とある捕り物に出ていた。そして一人の男を重要参考人として捕縛する。その男こそ、先日陸援隊に間者として送り込んだ、村山謙吉だった。
前日に、取り急ぎ伝えたいことがあるという密書が届いた為、後の事を考えて敢えてこのような形で彼を屯所内に引き込んだのである。もちろんこの事を知っているのは私と局長だけであり、組下の誰も村山を知る者はいない。
念の為気を付けてはいたが、邪魔が入る事も無くすんなりとこの捕り物を終える事が出来て、ホッと胸を撫で下ろす。だが捕らえた村山を牢に入れ、隊士達を遠のかせた状態で彼からの報告を聞いた時――。
局長の体が大きく震えたのを、私は見逃さなかった。
「倒幕派が挙兵……だと……っ!?」
それはあまりにも無謀で恐ろしく、そして有益な情報だった。
「倒幕派は、来る十月十五日に一斉襲撃を企てています。二条城には薩摩の兵。所司代邸には陸援隊と戸津川郷士軍。そして新選組の屯所にも、その他の浪士を振り分けている模様です」
今日は十月七日だから、八日後には戦となるわけだ。何も知らずにいたら、我々はまともに迎え撃つ事すら出来なかっただろう。
「ありがとう村山さん。貴方の情報のお蔭で、とても助かりました」
牢の柵越しではあるが、私は村山さんの肩に手を置いて労いの言葉をかけた。それが嬉しかったのか、はにかむように笑いながら村山さんが頭を下げる。
「いえ……お役に立てて光栄です」
これだけ大きな情報を掴むには、内部での信用が不可欠だ。単なる下っ端では、自分の持ち場を知らされるくらいが関の山だろう。
全体を把握できる立場になるまでには、かなりの苦労と同時に、危険も冒しているはずだ。このまま彼を陸援隊に戻したいのは山々だが、正直今まで以上に危険を伴う可能性が高く、私の中に躊躇が生まれていた。
「貴方はとても優秀な方なので、出来ればこのまま陸援隊の内情を探り続けて頂きたいのですが……今までとは風当たりが違ってくる事も考えられます。覚悟は宜しいですか?」
ここで否とは答えにくい事を分かっていながら、敢えて尋ねる。案の定、答えは予想通りの物で。
「もちろんです。私の命は新選組に捧げています」
村山さんのまっすぐな瞳に、局長はいたく感動した面持ちだった。
「ありがとう。君には期待しているよ」
「はっ。勿体なきお言葉」
その後倒幕派の仔細を確認すると、出来るだけ早い方が良いだろうという事から、誤認逮捕という理由でその日の内に村山さんを陸援隊に引き渡した。送り届けた際、私達への憎しみは勿論だが、村山さんにも疑いの眼差しが向けられていたのが気になってしまう。
「この度はこちらに落ち度がありました。本当に申し訳ない!」と出来るだけ心からの謝罪をしてはみたのだが……。
――彼に危険が及びませんように。
それだけを祈りながら、私は屯所へと戻ったのだった。
