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時の泡沫

「遅ぇ!」

 漸く屯所に着くと、この一言を発した副長が、門の所で苦虫を噛み潰した表情で待っていた。

「すみませんね。でもこちらだって色々あるんですよ」
「ほう……そうかよ。んじゃ後でその色々ってやつを聞かせてもらおうか」

 危険な表情に思わず身震いしたが、副長も場の空気は読める人ではある。今はそれよりも沖田さんだ、という事で一旦私の話は横に置き、沖田さんの部屋へと向かった。

「それで、沖田さんは変わりありませんでしたか?」

 廊下を歩きながら沖田さんの様子を聞くと、副長は眉間に皺を寄せながら答える。

「ああ、いつも通りだ。喀血したと聞いてなきゃ、そんな状態だったなんて気付かねぇくらいだ」
「そうですか。とりあえずは落ち着いているという事ですね。で、今は?」
「ついさっき眠っちまったよ」

 ガラリと障子戸を開けて部屋に入れば、熟睡している沖田さんの姿にほっとした。規則正しい寝息に、雑音は混ざってはいない。

「良かった……」

 そっと沖田さんの額に手を当てる。熱もそんなには上がっていない。少々汗をかいてはいるが、この程度なら問題ないだろう。そう判断すると、私は副長と共に南部先生が到着する前に往診の準備を整えた。

 予想より早く到着した南部先生は、すぐに沖田さんの診察を始めた。眠っていた沖田さんも、増えた人の気配に気付いて目を覚ます。
 借りた聴診器で聞いた胸の音は、意外と大きな変化は感じられなくて。南部先生も、小さく頷いていた。

「急激に悪化しているという訳では無いようですね。喀血直前に酷く興奮するような事などはありませんでしたか? 急激に体を動かしたとか……」
「……特には……」

 沖田さんの答えに「そうですか?」と首を傾げながらも診察を続ける南部先生。流石に私もあの時の話は出来ない。
 何も言えぬまま南部先生の助手として動いていると、ふと副長の視線を感じた。その目は何か言いたげで。でも今確認するのは何故か憚られる。私は気付かぬフリを決め込むしかなかった。

 診察を終え、南部先生を見送ると、副長と私は副長室へと移動した。沖田さんは再び眠ってしまっている。

「喀血した時はどうなる事かと思いましたが……安静にしていれば落ち着く可能性が高いようなので安心しました。これからは今まで以上に気を付けて沖田さんを見ていますね」

 南部先生の最終的な診立てでは、気付かずとも何らかの急激な負担が体にあったのだろうという事で。とにかく今は安静にするよう注意を受けた。
 それならば、本格的に隊務から離れて徹底的に体調管理をしなければ。
 ここ最近は沖田さんが自分の判断で部屋から出ず、調子の良い時に見回りに加わる形を取っていたが、今後はそれも控えておいた方が良いだろう。窮屈な生活を余儀なくされてしまうが、これも体調を回復させるためだ。

「これ以上、悪化なんてさせない……!」

 南部先生が残していった処方箋を握りしめ、改めて決意した。新選組の医者としての私の責任は大きいのだから、と。
 ところがだ。しばし黙って私を見つめていた副長が、意を決したかのように眉間に皺を作って言った。

「これからもお前は……総司の看病が出来るのか?」
「それは一体どういう事です?」

 副長の言っている意味が分からず、見つめ返す。そこには様々な感情が綯い交ぜになっていて、真意を読み取ることが出来なかった。

「私では役不足という事でしょうか?」

 自分で傷付きながらもそう言うと、副長が小さく舌打ちする。

「そういう事じゃねーよ」

 よっぽど言いにくい事なのか、頭を掻きむしりながら眉間のしわを深くする副長。だったらどうしてそんな問いかけをしたのか。まさか……。

「……沖田さんと何か話をされましたか?」

 副長の表情が、一瞬で変わった。 その表情で全てを理解し、冷や汗が流れる。そして咄嗟に出たのは、謝罪の言葉。

「すみませんでした!」
「はぁ!? 何で謝ってんだよ」
「偶然見つけてしまい、つい悪戯心が……」
「……何の話だ?」
「え? だから豊玉発句集の事ですよね?」
「違うに決まってんだろ! 態とらしく話を逸らすな!」

 やはり誤魔化しはきかないか。私が知られたくなかった話は、沖田さんから直接伝わってしまっていたようだった。

「……何処まで聞いたんですか?」
「全てだよ。あの夜見てたって話から、今日の事まで全て、だ」
「……」

 今、自分の気持ちが分からない。隙を見せてしまった不甲斐なさと、それを知られてしまった怖さが相俟った感情は、私の心に混乱をもたらしている。
 もうこれ以上何を言えば良いかも分からず、私は肩を竦めて副長の次の言葉を待った。そんな私に、しばしイラついた態度を見せていた副長だったが、

「ったく……んな顔されたら、俺が悪いみてぇじゃねぇか」

と言うと、当たり前のように私の膝を枕にして横になった。

「副長……?」
「あ? 文句あっか?」
「……いえ……」

 何ともやさぐれた態度で睨んでくる副長に、戸惑いを隠せない。
 まぁとりあえずこれでこの人が満足するのなら、と、私はそのまま副長を受け入れた。

「お前は……」

 副長が、私を見上げてくる。

「はい?」
「お前は本当のところ、総司をどう思っている?」

 まっすぐに目を見て言われ、少し戸惑った。だが、答えはいつでも決まっている。

「大切な新選組の仲間です。そして今は絶対に治さなければならない患者でもあります」「それは、山崎烝として、だろ? 琴尾としてはどうなんだ?」

 男女の色恋としての答えを望まれ、少々困ってしまう。そういう答えを、本人以外に言う事は躊躇われてしまって。
 でも今は、答えなければならない場面にあるようだ。琴尾の私としては……。

「沖田はんの気持ちは嬉しいんやけど……うちにとって、彼は恋仲としての存在にはなれまへんのや」

 それが、答えだった。
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良かった👍