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時の泡沫

「待ってはったんやろな、お琴はん」

 副長が会いに行ったと言う事は、彼女は他所に嫁ぐ事なく待ち続けていた証。

「罪なお人やな、副長は」

 苦笑いが漏れる。
 どこに行っても目に留まる男だとは分かっていたが、それらはあくまで一夜限りの夢物語。
 しかしお琴さんは違う。例え夫婦の形は叶わなくとも、お互いの存在は深く心に刻まれているだろう。

「なぁ、沖田はん……お琴はんはうちと似てはる?」
「いえ……でも何故ですか?」

 話を聞いていて、最も不安に思った事。それは……。

「うちは、お琴はんの身代わりなんやろか」

 許婚として縛り付ける程の想い人と、同じ文字を持つ女だったから。彼女を重ねて見ていたのでは……。
 そんな事は無いはずなのに、一度浮かんだ不安は消えなくて、胸を絞めつけている。

「うちは……」

 突如ポロリ、と大粒の涙が溢れた。泣くつもりなど無かったのに、意に反して一度緩んだ涙腺は、止まる事を知らないらしい。そんな私を見て、沖田さんが困った顔をしていた。

「すみません……私が余計な事を言ってしまったから……」

 戸惑いながら、私の頬に手を当てて涙を拭ってくれる。その手は思っていたより硬くて、体調が悪くても必ず毎日刀に触れているのだろうと感じた。

「いえ……うちこそみっともないとこ見せてしもて……すんまへん」

 謝りながらも、流れ続ける涙が滑稽だ。

「うちも未だ未だやな……こんな事くらいで泣いとったらあかんのに。山崎烝、一生の不覚ってやつやな。あ、そないな事より沖田はん、咳が止まってはりますやん」

 私の涙を拭い続けてくれる沖田さんを、これ以上困らせてはいけない。自分の気持ちを切り替えるためにも、私は話題を変えてしまおうとした。ところが……。

「無理、しないで下さいよ」

 突如沖田さんの真剣な眼差しが間近に現れ、そのまま視界を塞ぐ。

「……っ!」

 沖田さんの熱い唇が、私の眦に触れた。溢れ続けている涙を掬い取るように、そっと這わされた舌がくすぐったい。

「沖……」
「何故貴方はそうやって、自分だけ我慢するんですか? こんな話を聞いたのに、どうして笑おうとするんですか!?」

 怒ったように言いながら、沖田さんは何度も私に口付ける。それは涙の痕を辿るように、瞼から頬へと移動していった。

「そんなにも土方さんじゃなきゃダメなんですか!? 私だって……!」

 最後に唇を重ね、私を抱きしめる。想いの大きさを表すような抱擁は、とても力強かった。

「前にも言いましたよね? 私は貴方が好きです」
「沖田はん……」
「本当は労咳と分かった時点で一度諦めたんですよ。でも……忘れられなかった」

 再び重ねられた唇は、貪るように荒々しくて。逃れようと体を捩っても、がっしりと抱きしめられて抜け出す事が出来ない。差し込まれた舌が絡め取ろうとしているのは、私の心なのだろうか。呼吸をする事も忘れる程の情熱は、徐々に体の力を奪っていく。

「んっ……はぁ……っ」

 漸く唇が離れた時には、頭の中が真っ白で。足りなくなっていた空気を吸う為に、ただひたすら肩で息をする。沖田さんの肩に顎を乗せる形で寄りかかり、ここから離れる事すら思いつかなくなっていた。

「山崎さん……」

 私からの返事は無いのに、沖田さんは語り続ける。

「何度でも言います。私は貴方が好きです。私は土方さんと違って先の無い人間ですが、だからこそ貴方だけを見て、貴方だけを大切に想います」

 ぼんやりした頭で、その語りを聞いていた。見えてはいないが、きっと沖田さんは優しい表情をしているのだろう。その言葉は、愛おしさをまっすぐに伝えてくる優しい声音だから。

「私は……ね、山崎さん。誓ったんですよ。この屯所に移ってきた日の夜、貴方と土方さんの姿を見た時に……貴方を私の腕の中に留め置こうと」
「……っ!」

 ビクリと体が震える。それは意識が引き戻された瞬間だった。まさかあの夜、私たちの姿を見ていた者がいたとは。 しかもそれが沖田さんだったなんて……!

「あ……の……」
「土方さんは気付いていましたよ。何も言ってきてはいませんし、私も自分からは何も言ってませんけどね」

 沖田さんの腕の力が緩み、私の体が自由になる。そっと沖田さんの顔を見上げると、泣きそうな顔になっていた。

「沖田はん……」
「いつもの貴方なら、私の気配にも気付いていたでしょう。でもあの時、貴方は全く気付いていなかった。それ程までに土方さんの前では気を抜いてしまうんですね。土方さんしか……見えていなかったんだ」
「そ……れは……」

 痛い所を突かれ、言葉に詰まる。
 だがそれは間違いない事実だ。私はあの時山崎烝ではなく、琴尾として副長に……歳三さんに私の全てを預けていた。

「あの土方さんまで、貴方に夢中で暫くは私の存在に気付けていなかった。……あんな姿を見せられたら、私は……!!」

 沖田さんの表情が一変する。殺気とは違う、でも鋭い空気を纏い、勢いよく私を押し倒した。

「おき……っ!」

 咄嗟に受け身を取ったが、そのまま押さえつけられてしまい身動きが取れない。

「沖田はん! 何を……っ」
「私と土方さんの何が違うんですか!? 何で私を選んでくれないんですっ!?」

 それは、沖田さんの心からの悲鳴だった。

「私だって、貴方の全てを愛せます。……それを証明して見せますよ」
「なっ……!」

 沖田さんの目は、本気だ。私は慌てて逃げ出そうとするが、手足の自由を奪う形で圧し掛かられているため、体を捩ることも出来ない。

「沖田はん! やめ……っ!」
「やめませんよ。貴方に私の気持ちが伝わるのなら、どんな事だってします」
「こんなやり方じゃ……ん……っ!」

 抗議する私の唇を塞ぐように口付けて来た沖田さんは、唇を重ねたまま私の着物に手をかける。そして帯を解こうとした時……変化が起きた。

「……ぐっ……!」

 勢いよく跳ね起き、私から離れると部屋の隅に倒れ込む。そのまま胸を押さえ、体を丸めた沖田さんは咳き込み始めた。

「ゴホッ! ゴホゴホッ、ゴホッ!」
「沖田はん……!?」

 あまりに苦しそうな咳に、今あった事も忘れて駆け寄った。少しでも楽になるようにと背中をさするが、咳は止まる気配がない。それどころか咳は増える一方で。
 このままではいけないと、私は咳止めを取りに行こうとした。……が。

「ガハッ!!」
「沖田はんっ!!」

 畳の上に、紅い花弁が舞う。

「~~~~っ!!」

 それは、沖田さんにとって初めての喀血だった。
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