時の泡沫
「まあ何にしても、楽になっているのなら良かったです。今日は時間があるので、ここで少しゆっくりしても良いですか?」
「ゴホッ、勿論ですよ。あ、でも一つお願いが」
「何ですか?」
「……京言葉を聞かせてください。最近……ゴホッ、あまり外に出ていないので、何だか懐かしくなってしまって」
「江戸の言葉では無く、京言葉を、ですか」
「ええ、今は……ゴホッ、京の言葉を聞きたいんです」
沖田さんにしては、随分気弱な言葉に思えた。それ程までに、体力の衰えを感じているのだろうか? 本人の生きる気力が弱まれば、病の治りは悪くなる。ここは何としてでも元気付けねばなるまい。
「そないな事くらい造作もあらへん。ほな、素のうちで遠慮のう喋らせて貰いますえ」
そう言うと、私は早速懐から発句集を取り出した。
「今日はこれで楽しみまひょ」
「これ……! ゴホゴホッ、最近見かけないなと思ってたんですよ。何処にありました?」
「副長室の押入れん中や。襖の上に、帳面を置く出っ張りが作ってありましてん。間違いなくうちら対策なんえ」
「散々からかいましたからね。随分面倒な対策を……ゴホッ、講じてたんだなぁ」
以前、机の上に置かれたままだった発句集を沖田さんがこっそり持ち去り、朗読会を開いた事があった。二つ三つ程読み上げたところで副長に見つかってしまい、沖田さんは烈火の如く怒られていたが懲りなくて。それ以来副長が隠し、沖田さんが見つけ出すと言う、ある意味追いかけっこが続いていた。
私も沖田さんに頼まれて見つけ出し、バレて叱られて以降闘争心に火が点いてしまい。それからずっと沖田さんと共謀していたのだ。
ここ最近は忙しくて存在を忘れていたが、副長は結構本気で隠していたんだな、と笑ってしまった。
「偶然とは言え、見つけてしもたからには読んだらな、副長に失礼やしな。うちらの戦いは未だ続いてますえ」
沖田さんと目を合わせ、ニヤリと笑い頷き合う。そして私達はゆっくりと発句集を開いた。
元々この発句集は、副長が京に上る前に書き溜めていた物だ。以前ざっと見た時から増えた形跡が無いのを見ると、最近は全く句をひねってはいない。半丁(1ページ)に五句ずつ記されたそれは、何度見てもその……個性溢れると言うか……。
「ゴホッ、やっぱり下手ですよね。何度読み返してもゴホゴホッ、まずい句ばかりだ」
「そないハッキリ言わんでも」
沖田さんの素直な感想に苦笑しながらも、否定は出来ない。
『さしむかふ心は清き水かがみ』ら始まる見せ消(みせけち)の句含む四十一句は、どれも素朴で若々しさを感じられる。だが、句として成り立っているかと言われると、よくぞまぁこれだけ下手……いや、個性的な句を考えられたものだと感心する出来栄えなのだ。
そんな個性溢れる句に、沖田さんが解説をしてくれ始める。
「『おもしろき夜着の列や今朝の雪』は、永倉さん達の事ですね。大雪に見舞われた日に、試衛館で達磨のように夜着に包まって……ゴホッ、外を見てたんです。確かあの時土方さんは、永倉さん、原田さんと平助の三人を、笑いながら雪の中に蹴落としてましたね」
「ひどっ!」
今の副長からは想像もつかない行動に、酷いと言いながらも噴き出してしまった。未だ京に上る前の副長は、無邪気な男だったのだろう。
「『横に行足跡はなし朝の雪』は……珍しく土方さんより早く起きた私と平助が、庭に足跡を付けたんです。出来るだけ雪を綺麗に残したくて、二人で同じ場所を踏むよう気を付けていたら、土方さんが漸く起きてきて……ゴホッ、私達を見てました。多分その時の句でしょうね。ただその直後、永倉さんと原田さんが大欠伸しながら縦横無尽に歩き回ってましたけど」
「……句いうもんは、一人でじっくり考えて捻り出すもんやと思てたけど……副長は日常生活をそのまま切り取ってはるんやね。沖田はんもよう見てはりますな」
試衛館の時からずっと同じ釜の飯を食べてきた彼らは、血のつながった親兄弟よりも固い絆で結ばれている。きっと私の知らない副長の姿を、この人はたくさん見て来ているんだな……そう考えると何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
「何を笑って……ゴホッ、いるんです?」
不思議そうに私を見る沖田さんに、何でもないと言わんばかりに小さく首を振る。
「何ていうか……羨ましいなぁ思て。何だかんだ言うても、お互い信頼してはるいうんがよう分かるわ」
「ゴホッ、そうですか? 土方さんなんて五月蠅いだけですよ」
「本気でそない思てたら、こないなちょっかいなんぞ出したりせぇへんわ」
心から疎ましく思っていれば、こんな風に一つの句から当時の情景など思い出せはしまい。それだけいつも気にかけて、思っているという事だ。兄として。同志として。
局長達も含め試衛館の面々の心の繋がりは、とても深い。最近一部に綻びが見えてはいるが、それでもきっと最後は…と思えるほどに、強い結びつきを感じられるから。それがありありと感じられるこの発句集は、出来の良し悪しは抜きにして、心を癒してくれた。
「ゴホッ、勿論ですよ。あ、でも一つお願いが」
「何ですか?」
「……京言葉を聞かせてください。最近……ゴホッ、あまり外に出ていないので、何だか懐かしくなってしまって」
「江戸の言葉では無く、京言葉を、ですか」
「ええ、今は……ゴホッ、京の言葉を聞きたいんです」
沖田さんにしては、随分気弱な言葉に思えた。それ程までに、体力の衰えを感じているのだろうか? 本人の生きる気力が弱まれば、病の治りは悪くなる。ここは何としてでも元気付けねばなるまい。
「そないな事くらい造作もあらへん。ほな、素のうちで遠慮のう喋らせて貰いますえ」
そう言うと、私は早速懐から発句集を取り出した。
「今日はこれで楽しみまひょ」
「これ……! ゴホゴホッ、最近見かけないなと思ってたんですよ。何処にありました?」
「副長室の押入れん中や。襖の上に、帳面を置く出っ張りが作ってありましてん。間違いなくうちら対策なんえ」
「散々からかいましたからね。随分面倒な対策を……ゴホッ、講じてたんだなぁ」
以前、机の上に置かれたままだった発句集を沖田さんがこっそり持ち去り、朗読会を開いた事があった。二つ三つ程読み上げたところで副長に見つかってしまい、沖田さんは烈火の如く怒られていたが懲りなくて。それ以来副長が隠し、沖田さんが見つけ出すと言う、ある意味追いかけっこが続いていた。
私も沖田さんに頼まれて見つけ出し、バレて叱られて以降闘争心に火が点いてしまい。それからずっと沖田さんと共謀していたのだ。
ここ最近は忙しくて存在を忘れていたが、副長は結構本気で隠していたんだな、と笑ってしまった。
「偶然とは言え、見つけてしもたからには読んだらな、副長に失礼やしな。うちらの戦いは未だ続いてますえ」
沖田さんと目を合わせ、ニヤリと笑い頷き合う。そして私達はゆっくりと発句集を開いた。
元々この発句集は、副長が京に上る前に書き溜めていた物だ。以前ざっと見た時から増えた形跡が無いのを見ると、最近は全く句をひねってはいない。半丁(1ページ)に五句ずつ記されたそれは、何度見てもその……個性溢れると言うか……。
「ゴホッ、やっぱり下手ですよね。何度読み返してもゴホゴホッ、まずい句ばかりだ」
「そないハッキリ言わんでも」
沖田さんの素直な感想に苦笑しながらも、否定は出来ない。
『さしむかふ心は清き水かがみ』ら始まる見せ消(みせけち)の句含む四十一句は、どれも素朴で若々しさを感じられる。だが、句として成り立っているかと言われると、よくぞまぁこれだけ下手……いや、個性的な句を考えられたものだと感心する出来栄えなのだ。
そんな個性溢れる句に、沖田さんが解説をしてくれ始める。
「『おもしろき夜着の列や今朝の雪』は、永倉さん達の事ですね。大雪に見舞われた日に、試衛館で達磨のように夜着に包まって……ゴホッ、外を見てたんです。確かあの時土方さんは、永倉さん、原田さんと平助の三人を、笑いながら雪の中に蹴落としてましたね」
「ひどっ!」
今の副長からは想像もつかない行動に、酷いと言いながらも噴き出してしまった。未だ京に上る前の副長は、無邪気な男だったのだろう。
「『横に行足跡はなし朝の雪』は……珍しく土方さんより早く起きた私と平助が、庭に足跡を付けたんです。出来るだけ雪を綺麗に残したくて、二人で同じ場所を踏むよう気を付けていたら、土方さんが漸く起きてきて……ゴホッ、私達を見てました。多分その時の句でしょうね。ただその直後、永倉さんと原田さんが大欠伸しながら縦横無尽に歩き回ってましたけど」
「……句いうもんは、一人でじっくり考えて捻り出すもんやと思てたけど……副長は日常生活をそのまま切り取ってはるんやね。沖田はんもよう見てはりますな」
試衛館の時からずっと同じ釜の飯を食べてきた彼らは、血のつながった親兄弟よりも固い絆で結ばれている。きっと私の知らない副長の姿を、この人はたくさん見て来ているんだな……そう考えると何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
「何を笑って……ゴホッ、いるんです?」
不思議そうに私を見る沖田さんに、何でもないと言わんばかりに小さく首を振る。
「何ていうか……羨ましいなぁ思て。何だかんだ言うても、お互い信頼してはるいうんがよう分かるわ」
「ゴホッ、そうですか? 土方さんなんて五月蠅いだけですよ」
「本気でそない思てたら、こないなちょっかいなんぞ出したりせぇへんわ」
心から疎ましく思っていれば、こんな風に一つの句から当時の情景など思い出せはしまい。それだけいつも気にかけて、思っているという事だ。兄として。同志として。
局長達も含め試衛館の面々の心の繋がりは、とても深い。最近一部に綻びが見えてはいるが、それでもきっと最後は…と思えるほどに、強い結びつきを感じられるから。それがありありと感じられるこの発句集は、出来の良し悪しは抜きにして、心を癒してくれた。
