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時の泡沫

 翌六月十五日。四名の葬儀はしめやかに行われた。
 そして夕方には、西本願寺から不動堂村へと屯所を移す事となる。これは以前から決まっていた事ではあったが、葬儀と同日というのは正直複雑な気分だった。

 ちなみにこの新たな屯所は、西本願寺の全額負担で準備された物だ。新選組の為に一から建てられ、中はまるで大名屋敷のような作りになっている。初めて足を踏み入れた時は、あまりの豪華さに別世界を見ているかのようで。

「副長命令で全額負担させるまでに、どれ程苦労したか……」

 吉村さんのボヤきを聞いていた私は、密かに吉村さんに向けて手を合わせたのだった。

 その日の夜。一日慌ただしかった事もあり、就寝時間には皆泥のように眠ってしまっていて。屯所内はとても静かだった。
 全く眠気の訪れない私はこっそりと部屋を抜け出し、人目に付きにくい庭の端へと向かう。今夜の月はとても明るく、庭を一望出来るほど。月明かりに照らされた草花は、昼間とはまた違う美しさを見せていた。

「よりによって……何でこんなに月が明るいねん……」

 満月に近い月はひときわ大きく強く輝き、私をも照らし出す。
 今の私に、光など不要なのに。

「うちの後ろ暗い部分まで、照らさんとってぇな」

 月を睨む。
 空には雲一つなく、月を邪魔する物は無い。

「ほんま、腹立つわ」
「何に怒ってんだよ」

 もう驚きはしなかった。何の気配も感じさせぬまま、姿を見せたのは……副長。

「やっぱり神出鬼没ですね、副長は」
「お前の考えは大体分かるからな。……大丈夫か?」
「……何も問題無いですよ」

 案の定、副長は私の事を気にしていたようだ。
 佐野さん達を武士の鑑だと言った時、一人複雑な顔をしていたのは、私を心配してくれていたからという事は分かっていた。私が一人でいれば、この人はきっと来てくれるだろう。ここに来る時、そんな打算も確かにあった。
 だが――。

「私は眠れなくてちょっと散歩していただけですよ。こんな立派な屯所に移って、少々興奮していたようです」

 月を仰いだまま、私は副長を見ずに言った。今、目を合わせてはいけない。未だ私の心は乱れたままだから。

「でもいい加減寝なくては、明日からの隊務に支障が出てしまいますね。……失礼します」

 目を合わせないようにしながら副長に一礼すると、踵を返した。しかし腕を掴まれ、次の一歩が出せない。

「逃げるな、琴尾」
「副長! ここでその呼び方は…!」

 慌てて副長の口を手で押さえ、声を潜めて抗議した。いくら皆が寝ているとはいえ、ここは何の仕切りもない庭だ。万が一誰かが私と同じように部屋から出て来ていたら……。
 だが副長は冷静だった。

「こんな庭の端まで、誰も来やしねぇよ。ばれた時は俺が責任取ってやる。それより今はお前の事だ」

 口元にあった私の手を掴んだ副長は、不意に私を睨んだかと思うと、勢いよく側の木へと私の体を押し付けた。

「ぐっ……!」

 突然の事に受け身を取り切れず、しこたま背中を打ちつけてしまう。痛みに小さく呻く私に、副長は言った。

「まさか彼奴らの死は、お前のせいだとか思っちゃいねぇだろうな」

 怒気を含んだ声に視線を向けると、そこには怒りと苦しみが綯い交ぜになった顔があった。

「彼奴らは、お前が言ったように己の意志を貫いたんだ。命を懸けてそれを俺達に見せつけた。それだけの事だ。だからお前が気に病むことじゃねぇ」

 ああそうか、と思う。この人は、彼らの死に心を痛め、落ち込んでいるであろう私を励ましたくて。自らも傷付きながら、こんな形で心配を表現しているのか。
 未だ消えない背中の痛みを堪えつつ、私は小さく笑った。

「……琴尾?」
「違いますよ」
「違う……?」

 訝しげに私を見る副長は、心底私の心が分からないのだろう。会いたいけれど今は会いたくなかったこの人に、何故か心の内を明かそうとしてしまったのは、この月明かりのせいなのか。必死に被り続けようとしていた『山崎烝』という衣が、剥がれていく。

「うちは……あの人達が死んだ事に心は動いてへんのや。そら少しは悲しいけど、それだけや」

 副長の目が、驚きで見開かれた。自分が思っていたのとは違う答えを、全く想像していなかったのだろう。

「うちの正直な気持ちを言いまひょか。あの人達へは『何でこないに歳三はんを傷付けるんや! 歳三はんの行く末を邪魔せんとって!』って事や。そして自分自身には……『何でもっと上手く立ち回れんかったんや? こうなる事は予測出来たはずなんに、その場にあった歳三はんの笑顔を見続けたくて伝えられんかったんは、あん時のうちが女に……琴尾に戻ってしもてたからと違うんか?』と…」

 居た堪れなくなり、副長から目を逸らした。浮かぶ自嘲の笑みは、私の中の諦め。
『山崎烝』でなければならなかったあの瞬間に、歳三さんを想う女に戻っていた自分は、きっとこれから邪魔になる。

「副長と……歳三はんと恋仲になってからも、隊務の時だけは、と必死に自分の境界線を意識してきたつもりやった。そやけど肝心な時にそれを越えてしもてたらあかん。足を引っ張る元や」

 ならばどうすれば良いのか。自ずと答えは見えてくる。

「うちはもう、此処におっては……」
「此処にいろ!」

 重なるように言われた言葉はとても強い意志を持っていて。強引に顎を持ち上げ口付けられれば、続く言葉を紡げるはずも無く。

「終わっちまった事にグダグダ言ったところで何も変わりゃしねぇよ。彼奴らは己の意志を貫いた。お前は俺を守りたかった。それで良いじゃねぇか」
「でもあん時、うちが躊躇せんかったら、彼らは死なずに済んだかもしれんのや!」
「んなこたぁねぇだろ。例えその身は死んでなくても、己の意志に反して生きるのは生きた屍みたいなもんだ。むしろ残酷だったかもしれねぇ」

 歳三さんの言う通りなのかもしれない。それでも私は、自分が許せなかった。

「うちが居たいのは……守りたいと思うんは新選組やない! 歳三はんだけなんや! それに気付いてしもたから……っ!」

 こんな気持ちで此処にいても、新選組の為にはならない。色恋で武士や誠は語れないのだから。
 ところが、だ。

「良いじゃねぇか、それでもよ」
「え……?」

 歳三さんの意外な言葉に、呆気にとられる。

「俺を守るってことは、ひいては新選組を守るって事にならねぇか? 俺は新選組副長なんだぜ?」
「そらそうやけど……」

 分からなくはないが、今私が悩んでいる事とは方向性が違うように思える。だが歳三さんは、自信に満ち溢れた表情をしていた。

「お前は俺を守り、俺は近藤さんを守る。それは新選組を守るって事だ。何の問題もねぇよ。それに……な」

 再び私に口付け、見つめてくる。それはとても優しい眼差しだった。

「お前がいねぇと、俺は鬼じゃいられなくなっちまう」

 もう一度唇を重ねると、そのまま私は歳三さんの腕に包まれた。

「お前に支えられてんだよ。いつだってお前がいたから俺は立っていられたんだ。お前が居なくなったら、俺は死んじまったと同じだ」
「歳三はん……」
「俺もとっくに境界線なんて越しちまってるさ。だが今までやってこれてるんだ。存外これからも何とかなっちまうぜ? 二人一緒なら、な」

 腕の中、逆光でよく見えないが、きっと歳三さんは満面の笑みを浮かべているのだろう。言葉が、笑みが、ぬくもりが。私の心を包み込み、先程まで悩んでいたのが嘘のように心を軽くする。

「……女誑しは健在やな」
「何だよそれは。俺は真剣にお前をだな……!」
「へえへえ、分かってますよって」

 拗ねる歳三さんに、私は不意打ちで口付けた。

「おおきに、ありがとう……」

 支えられているのは私の方だ。心の底からの感謝の気持ちを込めた口付けは、彼に伝えてくれただろうか。
 さすがに照れくさくなり、私は歳三さんの胸に顔を埋めた。そんな私の突然の行為に、歳三さんは一瞬驚きで硬直してしまったようだが、すぐに自分を取り戻す。そしてしがみついていた私をゆっくりと引き剥がし、肩を掴んで顔を覗きこんできた。

「今のは俺への感謝の気持ちってやつか?」
「そ、そうやけど……」

 気持ちは伝わったようだが何やら不穏な空気を感じ、私は目を泳がせた。これはまたいつもの流れ!? 案の定、歳三さんの笑みは深くなっていく。

「んな警戒する必要ないだろうが。分かってる……いや、分かって『た』んだろ?」
「そんな事あらしまへん!」

 必死に否定しても、こちらは伝わらないようで。じりじりと間を詰められているような心持ちになる。何とか逃げ出さねば、と一歩足を下げた時。

「琴尾」
「へえ」
「お前が真剣に俺の事を考えて、悩んでくれて嬉しかったぜ」

 そう言うと、歳三さんは私を強く抱きしめた。

「俺も……誰よりも愛するお前を守りたい」
「阿呆……そない言われたら……」

 抗えるはずが、ない。

「こんなん……卑怯や……」
「ばぁか。お前が俺に敵うはずねぇだろが」

 唇が、重なる。

――今、この瞬間だけでも、月が隠れていてくれたら良いのに――。

 煌々と明るい月を恨みながらゆっくりと目を閉じると、私は歳三さんにその身を預けたのだった。
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