時の泡沫
「分かりました。では」
今度こそ本当にその場を離れると、私は全速力で屯所へと走る。戻ってみれば、既に丑三つ時を過ぎていたにも関わらず、副長が目を爛々とさせて待っていた。早速斉藤さんとの話を伝えると、小さく頷く。
「奴らは伊東の所に行くだろうか」
少し辛そうな副長に、私は答えた。
「分かりません。でも最悪を想定しておかねばいけない状況にあると思います」
斉藤さんと話をしている時も、中から伊東さんや篠原さんの論ずる声が聞こえていた。彼らは彼らなりに、佐野さん達を助けようとしているのだろう。伊東さんの誘いに乗るか。新選組に残るか。それとも……。
今は待つしか無い。
「お茶、お持ちしますね」
きっとこの人は、今夜は寝られないだろう。いつもより濃いめのお茶と茶菓子を準備し、朝を待つ覚悟を決めた。
お茶を飲んで力が抜けたのか、副長が言う。
「未だ年若い奴らばかりだからな。血気盛んなのは仕方ねぇのかもしんねーけどよ」
ごろりと横になった副長に、私はさりげなく膝を貸した。一瞬目を見開いたが、フッと小さく笑い、そのまま頭を預けてくる。
「時にはこうして力を抜いて、冷静になるってのも必要なんだと分かりゃ良いんだがな……」
守護職邸での話し合いを思い出しているのだろう。自らを信じて疑わない情熱と、周りの見えない盲目的な危うさ。彼らにはきっと、副長の思いは届かない。
「もう一度話し合う機会はあるんです。その時に出来る事をしましょう」
見上げて来る副長に微笑みかける。スイと伸ばされた腕に導かれた私は、少しでも心が癒せる事を願いながら、副長に唇を重ねた――。
翌日。再び局長達は京都守護職邸へと向かった。
出発直前、島田さんからの情報で、佐野さん達は伊東さんの誘いを断ったと聞いている。何だか不吉な予感はあったが、当たって砕けるしかない。
そして再び、話し合いが始まる。今日も又、彼らは強硬に幕臣取り立てを批判していた。芹沢さんがよく口にしていた『尽忠報国の志』を、彼らも何度も口にする。その言葉を拠り所にして脱藩までしている彼らに、要は二君に仕えろと言っているのだ。
批判してきて当然だという事は分かっている。お互いなかなか主張を曲げる事は出来ず、時ばかりが過ぎていった。
だが最終的に佐野、茨木、冨川、中村の四人は折れて幕臣になるから、残りの六人の離隊を許して欲しいと、妥協案を出してくる。更に、佐野さん達四人だけでもう一度話し合いたいから暫く別室を貸して欲しいとも言い出して。それで丸く収まるのなら、と、こちらも要望を全て飲む事にした。
しかしその時の私は、胸騒ぎを感じていた。局長達が彼らを別室に送り出した時、四人の表情は何かを決意しているように見えたから。
「副長! 彼らはもしや……」
彼らの姿が見えなくなってから、私はそれを伝えようとした。けれど、心底ホッとした表情で局長と語り合う副長の姿を目にしたら、何も言えなくなってしまい……。
「どうした?」
「いえ……何でもありません」
思わずそう答えてしまった。結果、その躊躇が最悪な形となって突きつけられる事となってしまう。
「奴ら、遅いな」
佐野さん達が話し合うからと席を立ってから半刻程経ち。全く戻って来る気配のない彼らを訝しく思い、部屋を覗きに行くと――。
「佐野……っ!」
既に四人は自刃し、果てていた。
「ば……っか野郎っ!!」
変わり果てた姿の彼らに、副長の体が震える。
こうなる予感はしていたのに、何故私はあの時直ぐに言わなかったのだろう。話がまとまりそうだと喜ぶ副長に、余計な水を差したくなくて。どちらが残酷だったかなんて、考えれば直ぐに分かったものを……!
皆が彼らの死に涙する中、私はゆっくりと彼らの遺体に近付き、一人一人の顔を覗いて回った。その表情は、介錯の無い切腹による苦しみはあるものの、満足感に溢れる物があって。やはり最初からこの四人は、死を覚悟していたのだと確信する。
ならばせめて、この死を単なる悲劇にはすまい。
「彼らは己の意志を貫くために、立派に果てました」
涙一つ零さず、口元に頬笑みさえ浮かべながら私は言った。
「彼らは武士の鑑です」
そしてその場にいた全ての人物と目を合わせていく。皆一様に驚いた顔をしていたが、最後に目を合わせた副長だけは、とても複雑な表情だった。
「山崎くんの言った通りだ。彼らは武士の鑑だ!」
私の言葉に感化されたのか、局長が声を上げる。その声を皮切りにして会津藩とも相談し、局長は組をあげて彼らを手厚く葬る事とした。
そして生前彼らが望んだ通り、残りの六名を放逐処分として離隊を許す。ひとまずこれでこの件は落着したであろう。皆心に傷を残しながら、そう思い込もうとしていた。
だが彼らの死によって、新たな問題の火種がくすぶり始めていた事を、この時の私達は未だ、知らない――。
今度こそ本当にその場を離れると、私は全速力で屯所へと走る。戻ってみれば、既に丑三つ時を過ぎていたにも関わらず、副長が目を爛々とさせて待っていた。早速斉藤さんとの話を伝えると、小さく頷く。
「奴らは伊東の所に行くだろうか」
少し辛そうな副長に、私は答えた。
「分かりません。でも最悪を想定しておかねばいけない状況にあると思います」
斉藤さんと話をしている時も、中から伊東さんや篠原さんの論ずる声が聞こえていた。彼らは彼らなりに、佐野さん達を助けようとしているのだろう。伊東さんの誘いに乗るか。新選組に残るか。それとも……。
今は待つしか無い。
「お茶、お持ちしますね」
きっとこの人は、今夜は寝られないだろう。いつもより濃いめのお茶と茶菓子を準備し、朝を待つ覚悟を決めた。
お茶を飲んで力が抜けたのか、副長が言う。
「未だ年若い奴らばかりだからな。血気盛んなのは仕方ねぇのかもしんねーけどよ」
ごろりと横になった副長に、私はさりげなく膝を貸した。一瞬目を見開いたが、フッと小さく笑い、そのまま頭を預けてくる。
「時にはこうして力を抜いて、冷静になるってのも必要なんだと分かりゃ良いんだがな……」
守護職邸での話し合いを思い出しているのだろう。自らを信じて疑わない情熱と、周りの見えない盲目的な危うさ。彼らにはきっと、副長の思いは届かない。
「もう一度話し合う機会はあるんです。その時に出来る事をしましょう」
見上げて来る副長に微笑みかける。スイと伸ばされた腕に導かれた私は、少しでも心が癒せる事を願いながら、副長に唇を重ねた――。
翌日。再び局長達は京都守護職邸へと向かった。
出発直前、島田さんからの情報で、佐野さん達は伊東さんの誘いを断ったと聞いている。何だか不吉な予感はあったが、当たって砕けるしかない。
そして再び、話し合いが始まる。今日も又、彼らは強硬に幕臣取り立てを批判していた。芹沢さんがよく口にしていた『尽忠報国の志』を、彼らも何度も口にする。その言葉を拠り所にして脱藩までしている彼らに、要は二君に仕えろと言っているのだ。
批判してきて当然だという事は分かっている。お互いなかなか主張を曲げる事は出来ず、時ばかりが過ぎていった。
だが最終的に佐野、茨木、冨川、中村の四人は折れて幕臣になるから、残りの六人の離隊を許して欲しいと、妥協案を出してくる。更に、佐野さん達四人だけでもう一度話し合いたいから暫く別室を貸して欲しいとも言い出して。それで丸く収まるのなら、と、こちらも要望を全て飲む事にした。
しかしその時の私は、胸騒ぎを感じていた。局長達が彼らを別室に送り出した時、四人の表情は何かを決意しているように見えたから。
「副長! 彼らはもしや……」
彼らの姿が見えなくなってから、私はそれを伝えようとした。けれど、心底ホッとした表情で局長と語り合う副長の姿を目にしたら、何も言えなくなってしまい……。
「どうした?」
「いえ……何でもありません」
思わずそう答えてしまった。結果、その躊躇が最悪な形となって突きつけられる事となってしまう。
「奴ら、遅いな」
佐野さん達が話し合うからと席を立ってから半刻程経ち。全く戻って来る気配のない彼らを訝しく思い、部屋を覗きに行くと――。
「佐野……っ!」
既に四人は自刃し、果てていた。
「ば……っか野郎っ!!」
変わり果てた姿の彼らに、副長の体が震える。
こうなる予感はしていたのに、何故私はあの時直ぐに言わなかったのだろう。話がまとまりそうだと喜ぶ副長に、余計な水を差したくなくて。どちらが残酷だったかなんて、考えれば直ぐに分かったものを……!
皆が彼らの死に涙する中、私はゆっくりと彼らの遺体に近付き、一人一人の顔を覗いて回った。その表情は、介錯の無い切腹による苦しみはあるものの、満足感に溢れる物があって。やはり最初からこの四人は、死を覚悟していたのだと確信する。
ならばせめて、この死を単なる悲劇にはすまい。
「彼らは己の意志を貫くために、立派に果てました」
涙一つ零さず、口元に頬笑みさえ浮かべながら私は言った。
「彼らは武士の鑑です」
そしてその場にいた全ての人物と目を合わせていく。皆一様に驚いた顔をしていたが、最後に目を合わせた副長だけは、とても複雑な表情だった。
「山崎くんの言った通りだ。彼らは武士の鑑だ!」
私の言葉に感化されたのか、局長が声を上げる。その声を皮切りにして会津藩とも相談し、局長は組をあげて彼らを手厚く葬る事とした。
そして生前彼らが望んだ通り、残りの六名を放逐処分として離隊を許す。ひとまずこれでこの件は落着したであろう。皆心に傷を残しながら、そう思い込もうとしていた。
だが彼らの死によって、新たな問題の火種がくすぶり始めていた事を、この時の私達は未だ、知らない――。
