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時の泡沫

 慶応三年(1867年)六月十日。
 この日、新選組は幕臣取り立てとなり、局長は直参旗本として認められる。これは局長らにとって幼い頃からの悲願であったらしく、大いに喜んでいた。
 だがそれは同時に、新選組が完全な佐幕派になった事を意味する。尊皇攘夷を唱えてはいるが、開国派である幕府の傘下となれば、矛盾が生まれるは必死だ。

 実は過去に何度か幕臣取り立てを打診されてはいたのだが、新選組は尊皇攘夷派として結成された組織だからと断り続けていた。それなのに此処へ来て、何故今更この話を受けたのだ、と反発の声が上がり始めている。そしてその反発は、日を待たず形となって表れた。

 幕臣取り立てとなった数日後。
 局長、副長、尾形さん、吉村さん、そして私の計五名が急遽京都守護職邸に向かった。今朝方、隊士である茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、冨川十郎を初めとする計十名が、会津藩に脱退の嘆願書を提出したのだ。驚いた会津藩は残留を説得したのだが、彼らは聞き入れようとしなかったらしい。そこで一度、彼らと話し合いの場を持つよう言い渡され、我々が呼ばれたという事だ。

「まさか此処までやるとはな……」

 伝令の早馬が到着した時の副長は、流石に青くなっていた。 茨木さんの才を見込んで重用していた局長に至っては、心痛から胃を引きつけ、慌てて薬を処方した程だ。彼らの気持ちは分からなくも無いが、だからと言って今更幕臣取り立てを断る事も出来ない。お互い歩み寄る事は無いだろう、と私は踏んでいた。

 実際、話は難航した。会津藩直々の引き留めにも耳を貸さなかった彼らだ。我々との話し合いでも、彼らは首を縦に振ることは無く。私も様々な角度から話をしてはみたが、彼らの心を動かすには至らない。説得の甲斐もなく、話は平行線のまま。流石に夜も更けたため、話し合いは翌日に持ち越されたのだった。

 守護職邸を出てすぐの所には、島田さんが待ち構えていた。私達が屯所を出発したと同時に、監察も動いている。彼らは副長命令により、嘆願書提出までの経緯を追っていた。

「ご報告します。副長の読み通り、昨日佐野さんが月真院を訪れていました。伊東さんに、御陵衛士への入隊を頼みに行っていたようです。しかし新選組との約定があるからと、伊東さんは断っています」
「ちっ……やっぱり伊東絡みか」

 忌々しげに言う副長は、全てお見通しだったようだ。局長と目を合わせ、頷き合っている。

「御陵衛士への入隊は、新選組を脱する事と同意ですし、切腹は免れない。だからこそまずは会津藩に相談するよう、伊東さんが言ったらしいのです」
「それが嘆願書の形になったってぇわけか。面倒な事をしてくれやがるぜ」

 確かに会津藩が絡めば、そう簡単に腹を斬れとも言い辛くなるだろう。強引に事を進めれば、面目を潰してしまいかねない。伊東さんらしい配慮だな、と敵ながら感心してしまった。

「しかしそうなりますと、佐野さん達が強硬な手段を取る事も考えられますね。追いますか?」

 吉村さんが言う。離隊をしようとする事自体、相当な覚悟がある証なのだから、怖いものは無いかも知れない。

「そうだな……佐野達の動向は、島田が追ってくれ。吉村は不動堂村の件もあるからな。一旦屯所に戻れ。ったく、人手がいくらあっても足りねぇな」

 副長がボヤきながら、チラリと私を見た。反射的に目を見開き、口の端が上がってしまう。

「……嬉しそうだな、山崎」

 反対に副長は苦々しい表情だ。

「月真院ですね。行ってきます」
「言われる前に受けてんじゃねぇよ」

 チッ、と舌打ちされてしまったが、全く気にはならなかった。久しぶりの監察の仕事が嬉しくて。要は伊東さんの周辺を探るのだ。佐野さんが接触した以上、伊東さんもこちらの動向を伺っているだろう。既に今夜の話し合いの内容も、何かしらの形で伝わっているかもしれない。

「では早速」

 そう言うと、島田さんと私は直ぐに、各々が割り当てられた場所へと向かう。月真院に着いてみると、警備は手薄だった。
 闇に紛れて敷地に潜り込めば、やけにざわついている。耳を澄ませていると、『佐野』という言葉が聞こえてきた。どうやら伊東派の密偵が戻ってきているらしい。私も急いでここまで来たつもりだったが……流石だと感心してしまう。
 詳しく聞こうと声のする方へと向かったのだが、ここは厳しい。外の警備が手薄な分、あらかたの者が伊東さんの部屋周辺に集まっていた。これでは縁の下にも入れないなと様子を伺っていると――。

 チリン……チリチリン……。

 小さな鈴の音が聞こえた。
 音の出所を探ると、人気の無い庭の奥。目を凝らして見ると、ぼんやりと浮かび上がる庭木の間から、時折小さく反射して光る物がある。その位置を確認すると、私は躊躇する事なくそちらへと向かった。

 チリン……。

 誘い込まれるように鈴の音を追う。そこにいたのは、読み通り斉藤さんだった。

「……お前は今、助勤ではなかったのか?」

 呆れたように言う斉藤さんに、私は少し拗ねたように答える。

「私じゃダメなんですか? 今は監察の人手が足りないので、副長直々に命ぜられたんです。俺くらい何でも出来てしまうと、頼りにされやすいんですよね」

 冗談のように返してみたが、斉藤さんの表情は変わらない。眉一つ動かさずに、真っ直ぐ私を見てくる。

「お前の実力は認めている。少々無茶をする傾向にあるが、信ずるに値する存在だ」
「斉藤さん……」

 決しておべっかを使わない人だけに、嘘の無い信頼が嬉しかった。思わず感動して斉藤さんを見つめたが、何故かフイと顔を背けられてしまう。それには結構本気で傷付いたが、今はそんな事を考えている時では無い。

「それで、現状は」

 私は気持ちを切り替えると、お互いの情報交換に移った。

「……では明日の朝、佐野さん達を呼び寄せる、と」
「ああ、先程守護職邸に潜ませていた者からの報告を聞いて、伊東さんが即決した。考え直させるか、こちらに入隊を許すかはまだ決めかねているらしい。今皆が騒いでいるのは意見が分かれているからだ」

 話を聞く限り佐野さん達の離隊行動は、伊東さんにとっても予想外だったらしい。それだけに御陵衛士の中でも意見がまとまらないようだ。

「これから佐野達に、伊東さんからの伝言を伝えに誰かが走るだろう」
「分かりました。では私はこれで」

 少しでも早く報告し、対策を練らねば。私がその場を立ち去ろうとすると、何故か斉藤さんに引き止められた。

「山崎」
「はい?」
「お前は何があろうと、副長の側にいろ。決して裏切るな。あの方は優し過ぎるからな。側に支えが必要だ」

 この人は、私が女だとは知らない。でも何かを感じているのかもしれないな。本来なら警戒してもおかしくないこの言葉を、私は何故か素直に受け入れていた。
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良かった👍