時の泡沫
人知れず向かった先は、例の隠れ家。急いで琴尾の姿に戻り、今度は花屋へと向かう。そして最後に辿り着いたのは……。
「お久しゅう、烝はん。……もう四年ぶりくらいになるんやろか?」
元亭主の墓。
山崎の家を出て以来、ここに来たのは初めてだった。
あまり人は来ていないのだろうか。それなりに綺麗になってはいるのだが、花が無いのが気になって、真っ先に花を生けた。軽く掃除をして線香をあげると、何故か烝さんが喜んでいるように感じられて。
私は目を閉じ、ゆっくりと手を合わせた。
「なぁ烝はん。あんたはんがおらんなってからずっと、うちは烝はんの事を忘れた日は無かったんえ。でも思い出すのはほとんどが、苦しいのに笑顔を見せてくれはる姿やったんや。それが辛うてたまらんかった……」
改めて考えてみても、烝さんの怒ったり泣いたりした顔は思い出せない。それくらいいつも、彼は笑っていて。
まさか血を吐いてまで笑みを浮かべるとは思ってもいなかった為に、あの時はそれが凄く怖くて恐ろしかった。
でも今は少しだけ分かる。あれはきっと、私の為に必死の思いで作ってくれた笑顔だったのだ。心配をかけないように。罪の意識を感じさせないように、と。
「むしろ責めてくれた方が良かってんけどな……」
優しさは、時として凶器となる。私の胸には『烝さんの命』と言う名の刀が突き立てられたままだ。
これはきっと、未来永劫抜ける事は無い。
「でもな、これで良かったとも思てんのや。うちが烝はんを忘れん限り、山崎烝の存在は消えんのやし」
今際の際の言葉を思い出す。
――そない悲しい顔せんとってや。俺は琴尾の笑顔が好きなんや……お前は甘えたで寂しがりやし、俺がおらんなったら側にいてくれる人を見つけなあかんで。でもな、時には俺の事を思い出して欲しいねん。お前を愛していた男がおった事を忘れんといてや
「約束は守ってるんえ。うちは絶対烝はんを忘れへん。そやから……」
「俺との仲を認めて下さいってか?」
「そうや、うちは歳三はんと……ってぇえっ!?」
一人でしんみりと語らっていたはずなのに、気付けば後ろにもう一人増えていた。
「診療所と言い、此処と言い。神出鬼没ですな。本職は乱破か何かとちゃいますのん?」
驚きで飛び出しそうになった心臓を飲み込み、文字通り胸を撫で下ろす。この人の登場は、とことん心臓に悪い。
「ずっとつけて来てはったん? 気配は気ぃ付かんかってんやけど」
「いや、つけてねぇ。ここを知ってたから先回りしていただけだ」
「……最初からいてはったんかいな」
だったらもっと早くに声をかけてくれれば良いものを。盗み聞きとは趣味が悪い。
「うちは今、元亭主と語ろうてますんや。横入りはあかんえ」
「ついでに俺の紹介をしておきゃ良いだろが。素敵な恋仲が出来ました、くらい言っとけ」
「……どんだけ頭がお花畑やねん!」
墓の前とは思えぬ話の内容に、頭が痛くなる。私が烝さんに伝えたかったのは、断じてそういう事ではないのだ。
「ちょお黙っといたってぇな。うちは烝はんに言わなあかん事があるんえ」
「どうせ宣言しに来たんだろ。縛られず前に進むってな」
「どうして……」
この人は分かってしまったんだろう。
そう、私は決別しに来たのだ。烝さんの死を理由にして、逃げてきた過去から。
「気付いたんだろ? 亭主がどうして自分の命を捨ててまでお前を助けたのか。死を理由に過去に怯えていた自分の姿が、どれだけ亭主を悲しませていたのかをよ」
その通りだった。
全て自分が悪いのだと言いながらも、それを認めたくなくて目と耳を塞いだ。まるで悲劇の物語に出ているかの如く悲観し、悩み、逃げてきた。
だが先ほど南部先生からはっきりと言われ、当時の記憶を振り返った事で、自分の中の何かが吹っ切れた気がして。心の痛みも、極限を通り越すと違う物に変化するのかもしれない。
私は、改めて烝さんの墓に手を合わせた。
「烝はんは、心底命懸けでうちを想うてくれはったお人や。その想いで助けてもらったこの命を大切にして、うちは前に進むしな。だから……見守っててや」
言ってて胸の奥がツン、と痛くなる。今、私は笑えているだろうか。烝さんが一番好きだと言ってくれていた笑顔を、見せられているだろうか。
「遅うなってしもたけど、言わせてな。烝はん……おおきに、ありがとう」
あの頃は烝さんの『死』にばかり心を奪われていて、「ごめんなさい」しか言えていなかったから。
漸く言えた「ありがとう」の言葉に、心が温かくなるのを感じた。
その時、サァッと一陣の風が吹いた。ふわりと飛んできた白い花弁が、頬に触れる。それが何故だか烝さんからの口付けのように感じられて……私の言葉が伝わったのだと、確信できた。
「満足したか?」
歳三さんが、少し拗ねた顔をして聞いてくる。拗ねている理由は分からないが、今の私はすこぶる機嫌が良い。とりあえず返事をしておくかと、歳三さんに寄り添うように近付いた。
「おおきに。烝はんにはうちの気持ちも伝わったようやし、心機一転頑張りますわ」
すっきりとした笑顔で言うと、今度は歳三さんの眉間に皺が寄った。
「……歳三はん? どないしはったん? また眉間に皺寄せて……うちは話が終わりましたよって、戻りまひょ。沖田はんは未だ診療所においでやろか」
このまま此処に居続けると、歳三さんのご機嫌が悪くなりそうな気がした私は、早めにこの場を退散しようと促す。だが、そうは問屋がおろさなかった。
「未だだ。話は終わっちゃいねぇ」
「……はい?」
グイと引っ張られ、歳三さんの腕の中で直立不動になった私の体は、烝さんのお墓に向けられる。
私を後ろから抱きしめる形で歳三さんが言ったのは……。
「山崎さんよ。あんたが命懸けで守ったこいつは、この先俺が命懸けで守ってやるからな。あんたとの思い出もひっくるめて全部、俺が貰い受けてやる。だから安心してあの世から見守っててくれよ」
「歳三はん……!」
思いがけない言葉に鳥肌が立った。嬉しさのあまり言葉が思いつかず、代わりに涙が溢れてくる。
「おおきに……ありがとう……」
ただそれだけを言の葉に乗せ、私は涙を流し続けた。
――なぁ、烝はん。今うちは幸せなんえ。この幸せは、烝はんのお陰で得られたもんや。ほんまおおきにな……
心で烝さんに語りかける。そこに再び風が吹き、幾重もの花弁が私達を包み込んだ。その心地良さに目を閉じる。
すると風の音の中に、烝さんの声を聞いた気がした。
――幸せにな、琴尾
「烝はん……」
「琴尾は俺が絶対幸せにしてみせるさ。心も……体も、な」
バサッ!
歳三さんの言葉に重なるように聞こえた音に驚き、目を開けた。見ると、大きな枯葉が歳三さんの顔に引っかかっている。
「っ……! 何なんだ一体! こんなデケェ葉、どっから飛んできたんだよ!」
怒って葉を取り、地面に叩きつける歳三さんの姿を見て、全てを察した。流石に堪え切れず、吹き出してしまう。
「プッ……! 歳三はんが阿呆な事言うから、烝はんがヤキモチ妬かはったんえ。歳三はんの顔を覆う位の葉なんて、よう見つけはったなぁ」
そういえば烝さんはいつも、周りを笑わせようと色々仕込んでいた事を思い出した。
「感動したり、笑ろたりと、忙しない墓参りになってしもたなぁ」
私は涙を拭うと、墓石に刻まれた烝さんの名前を指でなぞった。もう、私の中にわだかまりは無い。
「久しぶりに話が出来て嬉しかったえ。また来るし待っとってな」
此処に来て一番の笑みを見せ、踵を返す。先程の落ち葉のせいか、不満そうな表情をしていた歳三さんも、私の笑みに吊られたのか笑顔になった。
「ほな、帰りまひょか」
「……ああ、そうだな」
今度こそ本当に、私達はその場を後にする。花弁が風に高く舞い、私達を見送ってくれていた。
診療所に戻る前に着替えようと、隠れ家に向かう道すがら、何故か歳三さんは私を小物屋へと連れて行った。そこで買った髪飾りは、先程私達を包んでくれた白い花弁をかたどった物で。
「歳三はん、これ……」
「何となく、な。……似合ってるぜ」
少し頬を赤らめながら微笑みかけてくれる歳三さん。
「本当に、お前には白がよく似合う……」
「……? おおきに。ありがとう」
何か深い意味がありそうだったが、今はこの喜びに浸りたい。烝さんを気遣ってくれたであろうこの贈り物を、私は生涯大切にしようと心に誓った。
隠れ家で半刻程お互いの気持ちを確かめ合い診療所に戻ると、不貞腐れた沖田さんが待っていた。
南部先生へのお礼も兼ねて、甘味の手土産を買っていなかったら今頃は、診療所が修羅場と化していたかも知れない。
だがご機嫌が直りホッとしたのも束の間、今度は土産の取り分で拗ね始めた沖田さんに、私は嘆息するしかなかったのだった。
「お久しゅう、烝はん。……もう四年ぶりくらいになるんやろか?」
元亭主の墓。
山崎の家を出て以来、ここに来たのは初めてだった。
あまり人は来ていないのだろうか。それなりに綺麗になってはいるのだが、花が無いのが気になって、真っ先に花を生けた。軽く掃除をして線香をあげると、何故か烝さんが喜んでいるように感じられて。
私は目を閉じ、ゆっくりと手を合わせた。
「なぁ烝はん。あんたはんがおらんなってからずっと、うちは烝はんの事を忘れた日は無かったんえ。でも思い出すのはほとんどが、苦しいのに笑顔を見せてくれはる姿やったんや。それが辛うてたまらんかった……」
改めて考えてみても、烝さんの怒ったり泣いたりした顔は思い出せない。それくらいいつも、彼は笑っていて。
まさか血を吐いてまで笑みを浮かべるとは思ってもいなかった為に、あの時はそれが凄く怖くて恐ろしかった。
でも今は少しだけ分かる。あれはきっと、私の為に必死の思いで作ってくれた笑顔だったのだ。心配をかけないように。罪の意識を感じさせないように、と。
「むしろ責めてくれた方が良かってんけどな……」
優しさは、時として凶器となる。私の胸には『烝さんの命』と言う名の刀が突き立てられたままだ。
これはきっと、未来永劫抜ける事は無い。
「でもな、これで良かったとも思てんのや。うちが烝はんを忘れん限り、山崎烝の存在は消えんのやし」
今際の際の言葉を思い出す。
――そない悲しい顔せんとってや。俺は琴尾の笑顔が好きなんや……お前は甘えたで寂しがりやし、俺がおらんなったら側にいてくれる人を見つけなあかんで。でもな、時には俺の事を思い出して欲しいねん。お前を愛していた男がおった事を忘れんといてや
「約束は守ってるんえ。うちは絶対烝はんを忘れへん。そやから……」
「俺との仲を認めて下さいってか?」
「そうや、うちは歳三はんと……ってぇえっ!?」
一人でしんみりと語らっていたはずなのに、気付けば後ろにもう一人増えていた。
「診療所と言い、此処と言い。神出鬼没ですな。本職は乱破か何かとちゃいますのん?」
驚きで飛び出しそうになった心臓を飲み込み、文字通り胸を撫で下ろす。この人の登場は、とことん心臓に悪い。
「ずっとつけて来てはったん? 気配は気ぃ付かんかってんやけど」
「いや、つけてねぇ。ここを知ってたから先回りしていただけだ」
「……最初からいてはったんかいな」
だったらもっと早くに声をかけてくれれば良いものを。盗み聞きとは趣味が悪い。
「うちは今、元亭主と語ろうてますんや。横入りはあかんえ」
「ついでに俺の紹介をしておきゃ良いだろが。素敵な恋仲が出来ました、くらい言っとけ」
「……どんだけ頭がお花畑やねん!」
墓の前とは思えぬ話の内容に、頭が痛くなる。私が烝さんに伝えたかったのは、断じてそういう事ではないのだ。
「ちょお黙っといたってぇな。うちは烝はんに言わなあかん事があるんえ」
「どうせ宣言しに来たんだろ。縛られず前に進むってな」
「どうして……」
この人は分かってしまったんだろう。
そう、私は決別しに来たのだ。烝さんの死を理由にして、逃げてきた過去から。
「気付いたんだろ? 亭主がどうして自分の命を捨ててまでお前を助けたのか。死を理由に過去に怯えていた自分の姿が、どれだけ亭主を悲しませていたのかをよ」
その通りだった。
全て自分が悪いのだと言いながらも、それを認めたくなくて目と耳を塞いだ。まるで悲劇の物語に出ているかの如く悲観し、悩み、逃げてきた。
だが先ほど南部先生からはっきりと言われ、当時の記憶を振り返った事で、自分の中の何かが吹っ切れた気がして。心の痛みも、極限を通り越すと違う物に変化するのかもしれない。
私は、改めて烝さんの墓に手を合わせた。
「烝はんは、心底命懸けでうちを想うてくれはったお人や。その想いで助けてもらったこの命を大切にして、うちは前に進むしな。だから……見守っててや」
言ってて胸の奥がツン、と痛くなる。今、私は笑えているだろうか。烝さんが一番好きだと言ってくれていた笑顔を、見せられているだろうか。
「遅うなってしもたけど、言わせてな。烝はん……おおきに、ありがとう」
あの頃は烝さんの『死』にばかり心を奪われていて、「ごめんなさい」しか言えていなかったから。
漸く言えた「ありがとう」の言葉に、心が温かくなるのを感じた。
その時、サァッと一陣の風が吹いた。ふわりと飛んできた白い花弁が、頬に触れる。それが何故だか烝さんからの口付けのように感じられて……私の言葉が伝わったのだと、確信できた。
「満足したか?」
歳三さんが、少し拗ねた顔をして聞いてくる。拗ねている理由は分からないが、今の私はすこぶる機嫌が良い。とりあえず返事をしておくかと、歳三さんに寄り添うように近付いた。
「おおきに。烝はんにはうちの気持ちも伝わったようやし、心機一転頑張りますわ」
すっきりとした笑顔で言うと、今度は歳三さんの眉間に皺が寄った。
「……歳三はん? どないしはったん? また眉間に皺寄せて……うちは話が終わりましたよって、戻りまひょ。沖田はんは未だ診療所においでやろか」
このまま此処に居続けると、歳三さんのご機嫌が悪くなりそうな気がした私は、早めにこの場を退散しようと促す。だが、そうは問屋がおろさなかった。
「未だだ。話は終わっちゃいねぇ」
「……はい?」
グイと引っ張られ、歳三さんの腕の中で直立不動になった私の体は、烝さんのお墓に向けられる。
私を後ろから抱きしめる形で歳三さんが言ったのは……。
「山崎さんよ。あんたが命懸けで守ったこいつは、この先俺が命懸けで守ってやるからな。あんたとの思い出もひっくるめて全部、俺が貰い受けてやる。だから安心してあの世から見守っててくれよ」
「歳三はん……!」
思いがけない言葉に鳥肌が立った。嬉しさのあまり言葉が思いつかず、代わりに涙が溢れてくる。
「おおきに……ありがとう……」
ただそれだけを言の葉に乗せ、私は涙を流し続けた。
――なぁ、烝はん。今うちは幸せなんえ。この幸せは、烝はんのお陰で得られたもんや。ほんまおおきにな……
心で烝さんに語りかける。そこに再び風が吹き、幾重もの花弁が私達を包み込んだ。その心地良さに目を閉じる。
すると風の音の中に、烝さんの声を聞いた気がした。
――幸せにな、琴尾
「烝はん……」
「琴尾は俺が絶対幸せにしてみせるさ。心も……体も、な」
バサッ!
歳三さんの言葉に重なるように聞こえた音に驚き、目を開けた。見ると、大きな枯葉が歳三さんの顔に引っかかっている。
「っ……! 何なんだ一体! こんなデケェ葉、どっから飛んできたんだよ!」
怒って葉を取り、地面に叩きつける歳三さんの姿を見て、全てを察した。流石に堪え切れず、吹き出してしまう。
「プッ……! 歳三はんが阿呆な事言うから、烝はんがヤキモチ妬かはったんえ。歳三はんの顔を覆う位の葉なんて、よう見つけはったなぁ」
そういえば烝さんはいつも、周りを笑わせようと色々仕込んでいた事を思い出した。
「感動したり、笑ろたりと、忙しない墓参りになってしもたなぁ」
私は涙を拭うと、墓石に刻まれた烝さんの名前を指でなぞった。もう、私の中にわだかまりは無い。
「久しぶりに話が出来て嬉しかったえ。また来るし待っとってな」
此処に来て一番の笑みを見せ、踵を返す。先程の落ち葉のせいか、不満そうな表情をしていた歳三さんも、私の笑みに吊られたのか笑顔になった。
「ほな、帰りまひょか」
「……ああ、そうだな」
今度こそ本当に、私達はその場を後にする。花弁が風に高く舞い、私達を見送ってくれていた。
診療所に戻る前に着替えようと、隠れ家に向かう道すがら、何故か歳三さんは私を小物屋へと連れて行った。そこで買った髪飾りは、先程私達を包んでくれた白い花弁をかたどった物で。
「歳三はん、これ……」
「何となく、な。……似合ってるぜ」
少し頬を赤らめながら微笑みかけてくれる歳三さん。
「本当に、お前には白がよく似合う……」
「……? おおきに。ありがとう」
何か深い意味がありそうだったが、今はこの喜びに浸りたい。烝さんを気遣ってくれたであろうこの贈り物を、私は生涯大切にしようと心に誓った。
隠れ家で半刻程お互いの気持ちを確かめ合い診療所に戻ると、不貞腐れた沖田さんが待っていた。
南部先生へのお礼も兼ねて、甘味の手土産を買っていなかったら今頃は、診療所が修羅場と化していたかも知れない。
だがご機嫌が直りホッとしたのも束の間、今度は土産の取り分で拗ね始めた沖田さんに、私は嘆息するしかなかったのだった。
