時の泡沫
「副長……」
「ったく……珍しくお前が金の話なんざするから、おかしいと思ったんだよ」
大きなため息を吐きながら呆れたように言われてしまい、私はしゃがみ込んだまま顔を伏せた。
「……いけませんか? 私は何も悪い事はしていないつもりですが」
副長に見えない角度で口を尖らせる。何だか副長と南部先生の二人から責められているような気がして、目を合わせたくなかった。
「お前なぁ……俺の言いたい事が分かってるから、目を合わせねえんだろ? 聞けば給金の殆どを総司の薬に注ぎ込んでるみたいじゃねぇか。何でも一人で抱え込んでんじゃねぇよ。総司の事なら俺達にだって関係あるんだぜ」
近付いて来た副長が、私の頭をポンポンと叩く。
「総司の為にありがとよ。彼奴は俺の弟分だ。お前だけに負担を負わせる気はねぇよ」
その言葉に顔を上げると、そこにはとても優しい表情の副長がいた。南部先生も、にっこりと笑っている。
「沖田さんは、本当に幸せな方ですね。こんなにも思ってくれる人達が側にいて」
「それに運も強いぜ? 労咳を経験して克服した人間が、二人も身近にいるんだからな」
「え……?」
副長がニヤリと笑う。私と南部先生は、驚きで顔を見合わせたが、同時にフッと笑みが零れた。
「土方さんもでしたか。これは鬼に金棒と言ってしまって宜しいんですかね」
「それを言うなら副長の場合は、鬼に大砲かもしれませんよ?」
「お前ら……言いたい事言いやがって」
一気に場が明るくなる。これだけ心強い仲間がいるのだから、沖田さんはきっと大丈夫だろう。そんな確信が、私の中に生まれた。
少し痺れてしまった足を軽く抓って立ち上がると、南部先生に向かって言う。
「ではそうなると、どのように病と向き合えば……」
私は高麗人参が最後の砦だと思い込み、有らん限りの方法で手に入れてきた。だが逆を言うと、それ以外の方法を知らないのだ。あとは南部先生に任せるしかない。
「そうですね。全てにおいて必要なのはまず、気力体力です。高麗人参は体力の回復に役立ちますが、それに頼らねばならないようでは困ります。無くなってしまったら悪化する事と同じですからね。以前は明らかな体力低下が見て取れたので調合しましたが、最近は調子が良いようなので暫くは咳止めのみで様子を見ましょう」
それから……と、南部先生が私の日記を確認する。多分先生は、私が思っている以上にこれを読み込んでいたのだろう。慣れた手つきで自分の探す内容の箇所を開き、頷いている。
「短期間ではありますが、沖田さんの食事内容も書かれていて助かりました。沖田さんはかなり偏食のようなので、きっちりと栄養を考えた食事を採っていただきます。まずは何でも美味しく食べられるよう空腹感を得る為に、甘い物を減らして下さい」
その言葉を聞いた途端、沖田さんが部屋に飛び込んで来た。
「え~~! それは困りますよう!!」
涙目になりながら南部先生に縋り付く。その手には、既に空になった先ほどの金平糖の袋があった。
「総司! どうせ全部聞いてたんだろうが。お前の為だ。諦めて甘いもんとは決別しろ。甘味処も出入り禁止だ」
「嫌です! それじゃぁ生きてる楽しみがなくなるじゃないですか!」
「お前の人生は甘いもんで出来てるのかよ!」
「それ以外の何で出来てると思ってたんですか!」
バカバカしい言い争いが続く。
それを見ながら私と南部先生は笑っていた。
「確かに沖田さんは元気になっていますね。咳も止まっていますし」
「良い傾向ですよ。ここまで体力を取り戻せたのは、山崎さんが準備して下さった高麗人参の効果が間違いなく大きいと思います」
その言葉は、私にとって凄く嬉しい物だった。何だか照れくささも感じ、少しはにかんでしまう。
ところが私とは反対に、南部先生の表情は曇ってしまった。
「南部先生?」
いつも優しい笑みを湛えている先生だけに、このような表情を見せられると不安になる。一体どうしたのかと先生を見つめると、じっと私を見つめ返した後、覚悟を決めるように小さく嘆息した。
「今の状態を維持できれば乗り切れる可能性も高いので、沖田さんの食事には出来る限り栄養価の高い食材を選ぶようにして下さい」
「良いですね?」と少し強めに言った南部先生は、そのまま話を続ける。
「厳しい事を申しますが……貴方のご亭主はこの日記の内容から察するに、栄養失調と看病疲れによる体力低下が、進行を早めた原因かと思われます。この状態では多分薬を飲んでいても、結果は同じだったでしょう。実はよくある話なのですよ。看病する側の方が先に倒れてしまうというのは。患者が大切な者であればある程、自分の身を犠牲にしてしまいがちなので」
「そう……ですか……」
「その事を踏まえた上で、貴方も沖田さんの治療に当たって下さい。決して無理をしないように。一度労咳にはかかっているので移りはしないと思われますが、体力が落ちれば他の病にかからないとは言えません。看病する者が倒れれば、患者は例え治っても心にしこりが残ってしまう事を忘れないで下さい」
「はい……」
浮上しかけていた心が一気に突き落とされた気がして、胸が痛む。本当は分かっていたが、全てを受け入れるのが辛すぎて、薬を飲まなかったからという理由に縋り付いていたのだ。
だが南部先生からはっきりと言われた事で、もう現実から目を背ける事は出来なくなった。
私の存在が、烝さんを殺した。これは、紛れもない事実だ。それを本当の意味で認識した今、私は一つの覚悟をした。
「副長。この後少し非番にしてもらえませんか?」
「あ? 何だいきなり」
沖田さんと言い争いをしながらも、私と南部先生の会話には耳を傾けていたのだろう。明らかに心配そうに私を見ている。
「ちょっと行きたい所が出来まして。遅くとも夕餉の刻までには戻りますので。お願いします」
「……分かった」
それ以上は何も聞かずにいてくれた事に感謝しよう。私は頭を下げると、そのまま診療所を後にした。
「ったく……珍しくお前が金の話なんざするから、おかしいと思ったんだよ」
大きなため息を吐きながら呆れたように言われてしまい、私はしゃがみ込んだまま顔を伏せた。
「……いけませんか? 私は何も悪い事はしていないつもりですが」
副長に見えない角度で口を尖らせる。何だか副長と南部先生の二人から責められているような気がして、目を合わせたくなかった。
「お前なぁ……俺の言いたい事が分かってるから、目を合わせねえんだろ? 聞けば給金の殆どを総司の薬に注ぎ込んでるみたいじゃねぇか。何でも一人で抱え込んでんじゃねぇよ。総司の事なら俺達にだって関係あるんだぜ」
近付いて来た副長が、私の頭をポンポンと叩く。
「総司の為にありがとよ。彼奴は俺の弟分だ。お前だけに負担を負わせる気はねぇよ」
その言葉に顔を上げると、そこにはとても優しい表情の副長がいた。南部先生も、にっこりと笑っている。
「沖田さんは、本当に幸せな方ですね。こんなにも思ってくれる人達が側にいて」
「それに運も強いぜ? 労咳を経験して克服した人間が、二人も身近にいるんだからな」
「え……?」
副長がニヤリと笑う。私と南部先生は、驚きで顔を見合わせたが、同時にフッと笑みが零れた。
「土方さんもでしたか。これは鬼に金棒と言ってしまって宜しいんですかね」
「それを言うなら副長の場合は、鬼に大砲かもしれませんよ?」
「お前ら……言いたい事言いやがって」
一気に場が明るくなる。これだけ心強い仲間がいるのだから、沖田さんはきっと大丈夫だろう。そんな確信が、私の中に生まれた。
少し痺れてしまった足を軽く抓って立ち上がると、南部先生に向かって言う。
「ではそうなると、どのように病と向き合えば……」
私は高麗人参が最後の砦だと思い込み、有らん限りの方法で手に入れてきた。だが逆を言うと、それ以外の方法を知らないのだ。あとは南部先生に任せるしかない。
「そうですね。全てにおいて必要なのはまず、気力体力です。高麗人参は体力の回復に役立ちますが、それに頼らねばならないようでは困ります。無くなってしまったら悪化する事と同じですからね。以前は明らかな体力低下が見て取れたので調合しましたが、最近は調子が良いようなので暫くは咳止めのみで様子を見ましょう」
それから……と、南部先生が私の日記を確認する。多分先生は、私が思っている以上にこれを読み込んでいたのだろう。慣れた手つきで自分の探す内容の箇所を開き、頷いている。
「短期間ではありますが、沖田さんの食事内容も書かれていて助かりました。沖田さんはかなり偏食のようなので、きっちりと栄養を考えた食事を採っていただきます。まずは何でも美味しく食べられるよう空腹感を得る為に、甘い物を減らして下さい」
その言葉を聞いた途端、沖田さんが部屋に飛び込んで来た。
「え~~! それは困りますよう!!」
涙目になりながら南部先生に縋り付く。その手には、既に空になった先ほどの金平糖の袋があった。
「総司! どうせ全部聞いてたんだろうが。お前の為だ。諦めて甘いもんとは決別しろ。甘味処も出入り禁止だ」
「嫌です! それじゃぁ生きてる楽しみがなくなるじゃないですか!」
「お前の人生は甘いもんで出来てるのかよ!」
「それ以外の何で出来てると思ってたんですか!」
バカバカしい言い争いが続く。
それを見ながら私と南部先生は笑っていた。
「確かに沖田さんは元気になっていますね。咳も止まっていますし」
「良い傾向ですよ。ここまで体力を取り戻せたのは、山崎さんが準備して下さった高麗人参の効果が間違いなく大きいと思います」
その言葉は、私にとって凄く嬉しい物だった。何だか照れくささも感じ、少しはにかんでしまう。
ところが私とは反対に、南部先生の表情は曇ってしまった。
「南部先生?」
いつも優しい笑みを湛えている先生だけに、このような表情を見せられると不安になる。一体どうしたのかと先生を見つめると、じっと私を見つめ返した後、覚悟を決めるように小さく嘆息した。
「今の状態を維持できれば乗り切れる可能性も高いので、沖田さんの食事には出来る限り栄養価の高い食材を選ぶようにして下さい」
「良いですね?」と少し強めに言った南部先生は、そのまま話を続ける。
「厳しい事を申しますが……貴方のご亭主はこの日記の内容から察するに、栄養失調と看病疲れによる体力低下が、進行を早めた原因かと思われます。この状態では多分薬を飲んでいても、結果は同じだったでしょう。実はよくある話なのですよ。看病する側の方が先に倒れてしまうというのは。患者が大切な者であればある程、自分の身を犠牲にしてしまいがちなので」
「そう……ですか……」
「その事を踏まえた上で、貴方も沖田さんの治療に当たって下さい。決して無理をしないように。一度労咳にはかかっているので移りはしないと思われますが、体力が落ちれば他の病にかからないとは言えません。看病する者が倒れれば、患者は例え治っても心にしこりが残ってしまう事を忘れないで下さい」
「はい……」
浮上しかけていた心が一気に突き落とされた気がして、胸が痛む。本当は分かっていたが、全てを受け入れるのが辛すぎて、薬を飲まなかったからという理由に縋り付いていたのだ。
だが南部先生からはっきりと言われた事で、もう現実から目を背ける事は出来なくなった。
私の存在が、烝さんを殺した。これは、紛れもない事実だ。それを本当の意味で認識した今、私は一つの覚悟をした。
「副長。この後少し非番にしてもらえませんか?」
「あ? 何だいきなり」
沖田さんと言い争いをしながらも、私と南部先生の会話には耳を傾けていたのだろう。明らかに心配そうに私を見ている。
「ちょっと行きたい所が出来まして。遅くとも夕餉の刻までには戻りますので。お願いします」
「……分かった」
それ以上は何も聞かずにいてくれた事に感謝しよう。私は頭を下げると、そのまま診療所を後にした。