時の泡沫
第二次長州征伐により、事実上大敗を喫した幕府は、その後急速に求心力を失っていく。
慶応二年(1866年)十二月五日に一橋慶喜が十五代将軍となったが、その流れに逆らえるだけの力をもう、幕府は持ち合わせてはいないようだった。
十二月二十五日には、孝明天皇が崩御された。
それは余りに急だった為、暗殺説がまことしやかに囁かれている。だが理由はどうあれ幕府との繋がりの深い天皇の崩御は、幕府を始めとする佐幕派の後ろ盾が無くなり、力を削がれた事に相違無い。これをきっかけに、勤王倒幕派が息を吹き返したのは一目瞭然だった。
時を遡るが、九月に起きた三条制札事件では、新選組と土佐藩の間で和解は成立したものの、この頃から隊内の雰囲気も少しずつ変わり始めている。この事件で失態を犯した浅野さんが除隊されたのは、彼を信頼していた私にとっては衝撃だった。
だがそれを忘れてしまうほどに大きな事件が、新たに新選組を襲う事となる――。
年が明けた慶応三年(1867年)元旦。
その日は新しい年を迎えられた喜びを感じながら、思い思いの時を過ごしていた。
伊東派の者たちはつい先程島原へと向かった為、屯所に残っているのは近藤派の者だけだ。今日は無礼講だと、本格的に酒を酌み交わし始めた面々の姿を見て、早目に逃げておくかと席を立った時。違和感を感じた私は、大広間全体を見渡した。
そこにいる全ての人間を確認し、その違和感の正体に気付く。
「まさか……ね……」
自分の中に生まれた不安を取り除くべく、私はそっと大広間を抜け出した。そのまま外へ向かおうとすると、「山崎!何処に行く?」と名を呼ばれる。振り向くとそこには、副長の姿があった。
気配を消して動いていたのに私に気付いたという事は、何か思う所があったという事か。
「永倉組長と斎藤組長の姿が見えません。何かお聞き及びでしょうか?」
私の言葉に、副長は頭を横に振った。それはつまり――。
「山崎、頼めるか?」
「承知しました」
これだけで、命令の全てが理解出来る。私は直ぐに踵を返すと、そのまま屯所を抜け出した。
目指すは島原。永倉組長と斎藤組長を連れ出した、伊東参謀の真意を探る為に。
島原に先回りした私は、伊東派の為に用意された部屋を確認すると、身を隠して待機していた。
暫くすると全員が着席し、宴会が始まる。そこで伊東参謀によって語られる内容は、例の如く尊皇攘夷論や、遠回しな新選組の体制批判だったが、私が注目していたのは、本来ならここにいるはずの無い二人――近藤派であるはずの永倉、斎藤両名の動向だ。
永倉組長はいつものように、酒を前にしてご機嫌に盛り上がっていた。普段は割といい加減なお調子者の立ち位置にいるが、実際は気配りが出来、頭の回転も速い人物である。伊東派の者達とも屈託なく話し、楽しめているようだ。
一方の斎藤組長も、和やかに酒を酌み交わしている。永倉組長のような気さくさは無いが、語りかけられれば真摯に答える姿勢は崩さない。自らが饒舌に語る事はせず、基本的には相手の聞き役になっているようだった。
やがて門限も近くなり、皆が帰り始める。やれやれとホッとしながら、私も帰ろうかと考えていると――。
「永倉さん、斎藤さん。お二人には残ってお相手をお願いしたい」
参謀が声をかけた。
そして二人を伴い、予め用意していたらしき部屋へと移動する。この用意周到さに参謀の本気を感じた私は、見つからないように細心の注意を払って後を追った。
幸いにも隣の部屋が空いていた為滑り込むと、襖越しに聞き耳を立てる。
「さて、先ずは飲み直しましょうか」
参謀の音頭で飲み始めたらしき三人。既に門限は過ぎている為に私としては気が気でなかったが、彼らはそんな事などどこ吹く風と言った感じで、時に笑い声をあげながらの歓談を続けていた。
だが、次第にそれは熱のこもった議論と化していく。
どうしても襖越しの為、細かい会話の内容までは聞き取れないのだが、所々聞こえてくる文言には物騒な物が含まれていて。とうとう永倉組長が、切れてしまった。
「ふっざけんなよ! 俺達に新選組を裏切れってのか!」
それは伊藤参謀の本意が、永倉組長にも伝わった証。パリンと器の割れる音がした所をみると、盃を投げつけでもしたのだろうか。
「あんたが新選組の行く末を真剣に話したいってぇから誘いに乗って来てみれば、結局は隊を壊したいって話じゃねぇか! 俺はごめんだね」
「ですが貴方は一度、近藤さんについて会津侯に建白書を提出されていますよね。斎藤さんもご一緒だったはず」
「それとこれとは話が別だ。そもそもあの話はもうケリがついてる!」
永倉組長の激高した声が響く。
しかしそんな事は意に介さぬかのように、参謀の声は穏やかだ。それでも先ほどまでに比べてはっきりと言葉が聞き取れるのは、弁に熱がこもっているという事だろう。
「では貴方は、今の新撰組の体制に満足しておられるのですか? 同志として始まった新選組が、時が経つにつれて主従関係を確立させていき、全ては上の気持ち次第。尊王攘夷と謳ってはいるが、実際は幕府の言いなりになっているだけ。これがどういう事か、貴方は分かっているはずだ」
答えは無い。永倉組長が、この参謀の言葉をどう受け取ったのか。表情を見る事が出来ないのがもどかしかった。
「斎藤さんはどのようにお考えですか?」
永倉組長が黙り込んでしまった為か、今度は斎藤組長に質問が投げかけられる。一瞬の沈黙の後、聞こえてきたのは、
「俺は……ただ己に与えられた使命を全うするだけだ」
という、最も斎藤組長らしい答え。
この人はきっとどこにいても、どんな時でも、ただ愚直に信念を貫こうとするのだろう。少ない言葉の中に、斎藤組長の人生観の全てが込められている気がした。
「ふむ、そうですねぇ」
その返事に、伊藤参謀が何かを考え込み始めたらしい。あまりにも静かな時が続き、聞き耳を立てている私は緊張しっぱなしの状態だ。
流れる冷や汗を拭いながら、私は少しでも会話を聞きもらすまいと神経を尖らせ続けていた。ところがその緊張を、斎藤組長が崩す。
「すまぬが、厠へ行きたいので席を外させてもらいたい」
そう言って斎藤組長が立ち上がり、部屋を出る音が聞こえた。これはひょっとしてと思い私もすぐに立ち上がると、気配を消したまま部屋から抜け出す。
斎藤組長が向かった先へと急げば、ちょうど廊下の死角になる場所で斎藤組長が待っていた。
「やはりお気付きだったのですね。斎藤組長」
「ああ、君だったのか。山崎君」
先ほど聞き耳を立てている最中、一瞬向けられた殺気。誰に気取られたかと冷や汗をかいたが、斎藤組長だったようでホッとした。
「君が来ているという事は、俺達がここにいる事は土方副長に伝わっているな」
「はい」
「ならば、副長には俺を信じて欲しいと伝えてくれ。私は新選組の組長だ、と」
「……分かりました」
新選組の組長。この言葉に秘められた意味はきっと、斎藤組長にとって深く重いものだろう。そう判断した私は、先ほどの部屋に戻る事無く島原を後にした。
屯所に戻る頃にはもう丑三つ時を過ぎていたのだが、副長は起きて待っていた。事の仔細を話すと「分かった」とだけ言い、この件についての任は解かれる事となる。
結局その後参謀達三人が屯所に戻ったのは三日後だった。
そのまま謹慎を言い渡されたのは、当然の事だろう。だが全員が上役という事もあり、表立っては適当な理由を付けてごまかさざるを得なかった。
それから暫く、伊藤参謀の動きはおとなしかった。しかしそれは嵐の前の静けさのように思えてならない。いつ彼が動き出すか分からない為、私たち監察は副長の命により、常に参謀の動向に注意を払い続けていた。
そして漸く伊東派が本格的に動き始めたのは、一月半ばを過ぎた頃――。
慶応二年(1866年)十二月五日に一橋慶喜が十五代将軍となったが、その流れに逆らえるだけの力をもう、幕府は持ち合わせてはいないようだった。
十二月二十五日には、孝明天皇が崩御された。
それは余りに急だった為、暗殺説がまことしやかに囁かれている。だが理由はどうあれ幕府との繋がりの深い天皇の崩御は、幕府を始めとする佐幕派の後ろ盾が無くなり、力を削がれた事に相違無い。これをきっかけに、勤王倒幕派が息を吹き返したのは一目瞭然だった。
時を遡るが、九月に起きた三条制札事件では、新選組と土佐藩の間で和解は成立したものの、この頃から隊内の雰囲気も少しずつ変わり始めている。この事件で失態を犯した浅野さんが除隊されたのは、彼を信頼していた私にとっては衝撃だった。
だがそれを忘れてしまうほどに大きな事件が、新たに新選組を襲う事となる――。
年が明けた慶応三年(1867年)元旦。
その日は新しい年を迎えられた喜びを感じながら、思い思いの時を過ごしていた。
伊東派の者たちはつい先程島原へと向かった為、屯所に残っているのは近藤派の者だけだ。今日は無礼講だと、本格的に酒を酌み交わし始めた面々の姿を見て、早目に逃げておくかと席を立った時。違和感を感じた私は、大広間全体を見渡した。
そこにいる全ての人間を確認し、その違和感の正体に気付く。
「まさか……ね……」
自分の中に生まれた不安を取り除くべく、私はそっと大広間を抜け出した。そのまま外へ向かおうとすると、「山崎!何処に行く?」と名を呼ばれる。振り向くとそこには、副長の姿があった。
気配を消して動いていたのに私に気付いたという事は、何か思う所があったという事か。
「永倉組長と斎藤組長の姿が見えません。何かお聞き及びでしょうか?」
私の言葉に、副長は頭を横に振った。それはつまり――。
「山崎、頼めるか?」
「承知しました」
これだけで、命令の全てが理解出来る。私は直ぐに踵を返すと、そのまま屯所を抜け出した。
目指すは島原。永倉組長と斎藤組長を連れ出した、伊東参謀の真意を探る為に。
島原に先回りした私は、伊東派の為に用意された部屋を確認すると、身を隠して待機していた。
暫くすると全員が着席し、宴会が始まる。そこで伊東参謀によって語られる内容は、例の如く尊皇攘夷論や、遠回しな新選組の体制批判だったが、私が注目していたのは、本来ならここにいるはずの無い二人――近藤派であるはずの永倉、斎藤両名の動向だ。
永倉組長はいつものように、酒を前にしてご機嫌に盛り上がっていた。普段は割といい加減なお調子者の立ち位置にいるが、実際は気配りが出来、頭の回転も速い人物である。伊東派の者達とも屈託なく話し、楽しめているようだ。
一方の斎藤組長も、和やかに酒を酌み交わしている。永倉組長のような気さくさは無いが、語りかけられれば真摯に答える姿勢は崩さない。自らが饒舌に語る事はせず、基本的には相手の聞き役になっているようだった。
やがて門限も近くなり、皆が帰り始める。やれやれとホッとしながら、私も帰ろうかと考えていると――。
「永倉さん、斎藤さん。お二人には残ってお相手をお願いしたい」
参謀が声をかけた。
そして二人を伴い、予め用意していたらしき部屋へと移動する。この用意周到さに参謀の本気を感じた私は、見つからないように細心の注意を払って後を追った。
幸いにも隣の部屋が空いていた為滑り込むと、襖越しに聞き耳を立てる。
「さて、先ずは飲み直しましょうか」
参謀の音頭で飲み始めたらしき三人。既に門限は過ぎている為に私としては気が気でなかったが、彼らはそんな事などどこ吹く風と言った感じで、時に笑い声をあげながらの歓談を続けていた。
だが、次第にそれは熱のこもった議論と化していく。
どうしても襖越しの為、細かい会話の内容までは聞き取れないのだが、所々聞こえてくる文言には物騒な物が含まれていて。とうとう永倉組長が、切れてしまった。
「ふっざけんなよ! 俺達に新選組を裏切れってのか!」
それは伊藤参謀の本意が、永倉組長にも伝わった証。パリンと器の割れる音がした所をみると、盃を投げつけでもしたのだろうか。
「あんたが新選組の行く末を真剣に話したいってぇから誘いに乗って来てみれば、結局は隊を壊したいって話じゃねぇか! 俺はごめんだね」
「ですが貴方は一度、近藤さんについて会津侯に建白書を提出されていますよね。斎藤さんもご一緒だったはず」
「それとこれとは話が別だ。そもそもあの話はもうケリがついてる!」
永倉組長の激高した声が響く。
しかしそんな事は意に介さぬかのように、参謀の声は穏やかだ。それでも先ほどまでに比べてはっきりと言葉が聞き取れるのは、弁に熱がこもっているという事だろう。
「では貴方は、今の新撰組の体制に満足しておられるのですか? 同志として始まった新選組が、時が経つにつれて主従関係を確立させていき、全ては上の気持ち次第。尊王攘夷と謳ってはいるが、実際は幕府の言いなりになっているだけ。これがどういう事か、貴方は分かっているはずだ」
答えは無い。永倉組長が、この参謀の言葉をどう受け取ったのか。表情を見る事が出来ないのがもどかしかった。
「斎藤さんはどのようにお考えですか?」
永倉組長が黙り込んでしまった為か、今度は斎藤組長に質問が投げかけられる。一瞬の沈黙の後、聞こえてきたのは、
「俺は……ただ己に与えられた使命を全うするだけだ」
という、最も斎藤組長らしい答え。
この人はきっとどこにいても、どんな時でも、ただ愚直に信念を貫こうとするのだろう。少ない言葉の中に、斎藤組長の人生観の全てが込められている気がした。
「ふむ、そうですねぇ」
その返事に、伊藤参謀が何かを考え込み始めたらしい。あまりにも静かな時が続き、聞き耳を立てている私は緊張しっぱなしの状態だ。
流れる冷や汗を拭いながら、私は少しでも会話を聞きもらすまいと神経を尖らせ続けていた。ところがその緊張を、斎藤組長が崩す。
「すまぬが、厠へ行きたいので席を外させてもらいたい」
そう言って斎藤組長が立ち上がり、部屋を出る音が聞こえた。これはひょっとしてと思い私もすぐに立ち上がると、気配を消したまま部屋から抜け出す。
斎藤組長が向かった先へと急げば、ちょうど廊下の死角になる場所で斎藤組長が待っていた。
「やはりお気付きだったのですね。斎藤組長」
「ああ、君だったのか。山崎君」
先ほど聞き耳を立てている最中、一瞬向けられた殺気。誰に気取られたかと冷や汗をかいたが、斎藤組長だったようでホッとした。
「君が来ているという事は、俺達がここにいる事は土方副長に伝わっているな」
「はい」
「ならば、副長には俺を信じて欲しいと伝えてくれ。私は新選組の組長だ、と」
「……分かりました」
新選組の組長。この言葉に秘められた意味はきっと、斎藤組長にとって深く重いものだろう。そう判断した私は、先ほどの部屋に戻る事無く島原を後にした。
屯所に戻る頃にはもう丑三つ時を過ぎていたのだが、副長は起きて待っていた。事の仔細を話すと「分かった」とだけ言い、この件についての任は解かれる事となる。
結局その後参謀達三人が屯所に戻ったのは三日後だった。
そのまま謹慎を言い渡されたのは、当然の事だろう。だが全員が上役という事もあり、表立っては適当な理由を付けてごまかさざるを得なかった。
それから暫く、伊藤参謀の動きはおとなしかった。しかしそれは嵐の前の静けさのように思えてならない。いつ彼が動き出すか分からない為、私たち監察は副長の命により、常に参謀の動向に注意を払い続けていた。
そして漸く伊東派が本格的に動き始めたのは、一月半ばを過ぎた頃――。