時の泡沫
時の流れは加速するばかり。
私が広島に滞在している間にも、京では様々な出来事が起こっていたようだ。顔見知りの多くの者が命を落とし、新選組の在り方について考えさせられる事も増えている。
また、長州周辺でも大きな動きがあり、いよいよ戦争が起こってしまった。
私と吉村さんは情報収集の為、本格的に別行動を開始する。
四境戦争では、芸州口の戦いに潜り込んで情報を集めたが、何度も命を落としかけた。
そこから見えてきたのは、懸念していた明らかなる幕府の衰退。そして、長州の先進的な戦い方。諸藩の戦いぶりや幕府の対応を克明に記録し、報告書として屯所に送ったものの、それらを目の当たりにした私の心はとても重く暗かった。
私達は、これからどうなっていくのだろう。新選組は、何処へ向かって行くのだろう。
最初はただ、大好きだった人の仇を取りたい一心で入隊した新選組。単なる京の一組織でしかなかった集団が、今や大きな時流の荒波に飲み込まれている事に気付かされ、恐ろしさを感じてしまう。
「うちは何処まで一緒に行けるんかな……?」
その答えが出るのはきっと、そう遠い事ではない。そんな気がしてならなかった。
それから程なくして、私と吉村さんは帰京する事となる。それは京を出てから、実に八ヶ月ぶりの事だった。
「只今戻りました」
久しぶりに屯所の門を潜ると、懐かしい顔が沢山迎えてくれた。
「山崎! 吉村! 生きてたんだな」
「勝手に殺さないで下さいよ」
「広島では夫婦姿だったそうじゃないか。吉村、山崎の女子姿はどうだった?」
「そうですね……よくお似合いでしたよ」
「だろうなー。俺も見てみたかったぜ」
「ちょっと! 何で私が女装すると決めつけてるんですか! 吉村さんだって……」
「それは無い!」
幾人もの隊士達が入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。こんな馬鹿馬鹿しい会話も、全てが嬉しくて懐かしい。あぁ、戻って来られたんだと実感できる瞬間だった。
局長室では、局長が満面の笑みで迎えて下さった。
「ご苦労だったな、二人共。長い間の広島滞在、大変だったとは思うが、お陰で大いに助かったよ。ありがとう」
「勿体無いお言葉です」
局長の労いの言葉がとても嬉しかった。この為に今まで頑張って来たのだと言っても過言では無いかもしれない。
だがそこに副長の姿が無かったのが、少々寂しくもあり、安堵もした。
「土方くんは伊東さんと小用で出ていてな。明日には戻るから、報告は私だけで聞いておくよ」
伊東さんがいない事に心の底から感謝しながら、私達は文では伝えきれていなかった出来事を報告し、五日間の休暇を貰って局長室を出た。
「長い間の任務、お疲れ様でした」
「山崎さんこそ。お互い無事帰ってこられて本当に良かったですね」
顔を見合わせ、笑みを浮かべる。ここまで来て漸く本当の意味で緊張が解れた。
「結構長くお休みを頂けましたね。吉村さんは予定を考えてます?」
「いやもう、とりあえずは寝たいですね。流石に緊張続きで寝不足ですし」
「私も同じです。では、お互い休み明けには体調を万全にしておきましょう」
そう言って頭を下げると、私は吉村さんと別れた。長旅の荷物の片付けもそこそこに、ずっと行きたかった場所へと足を運ぶ。
「すみません。先生はお出でになりますか?」
声をかけると、中から懐かしい人が出て来た。
「おや、山崎さんじゃないですか」
「お久しぶりです。南部先生」
そこは、木屋町にある南部精一郎先生の診療所だ。会津の藩医である南部先生とは、健康診断以降新選組も懇意にさせてもらっている。
広島にいる間も、私はずっと此処に来たくて仕方なかった。
「本当にお久しぶりですね。確か広島に行っておられたとか」
「ええ、漸く戻って来られました。先生はお変わりありませんか?」
「お陰様で私は息災です。が、松本は今城に上がっております。家茂公が是非にと申されまして」
言われて思い出す。現在十四代将軍、徳川家茂公が病床に着かれている事を。そんな大事に松本先生が呼ばれないはずが無く。しかも将軍直々のお呼び出しとあらば、命懸けで治療に当たっている事だろう。
「相変わらずお忙しいのですね。上京されたと耳にしたので、ひょっとしてこちらにと思ったのですが……」
松本先生は上京すると、必ず南部先生の宿近くに泊まっている。上手くすれば会えるかと思っていたが、目論見は外れてしまったようだ。
「ならば南部先生。他言無用で一つお願いしたいのですが……」
頭を下げると、多分何かを察してはいたのだろう。南部先生は私の願いを快く受け入れてくれた。
それから三日目の夕刻。
南部先生の診療所に泊まり込んでいた私の傍らにいるのは、苦虫を噛み潰したような顔をしている鬼の副長。
「これは一体どういう事だ? 山崎」
「ん~……どういう事なんですかねぇ?」
「っざけんなよ! こんなになるまで無茶してやがったなんて……っ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られてしまい、首をすくめる。
そう、私は現在怪我人として、この診療所に入院していた。
広島での探索の際、芸州口の戦いで情報収集をしていたは良いが、やはりただ見ているだけと言うわけにはいかなくて。何度も直接刃を交え、雨霰と降ってくる銃弾の中を逃げ惑った。
その時に受けた傷は自ら処置をしてはいたモノの、決して浅く無い傷が疼いて眠れぬ夜もあった為、帰京早々ここに治療をお願いしに来たわけだ。
南部先生は既に私の素性を知っている事から、安心して任せる事が出来た。だがこの事は他の誰にも話していない。南部先生にもしっかりと口止めしたと言うのに、何故副長が此処に来ているのか。
「吉村だよ。彼奴がお前を気にしていた。吉村の傷はお前がきちんと手当てをしていたから良かったが、お前は決して吉村に確認させなかったらしいな。いくら医術に長けていたとしても、自らの体は見えなかったり手の届かない事が多い。本当に大丈夫なのかと俺に聞きに来たんだよ」
「吉村さんが……そうですか。流石夫婦をやってただっただけの事はありますね」
「茶化してんじゃねぇよ! 俺が屯所に戻ってみれば、休暇の全てに外泊許可をとってやがるし、隠れ家にもいねぇし……探し回ったこっちの身にもなりやがれってんだ!」
烈火の如く怒り狂う副長に恐れ慄き、衾を頭まで被った。が、すぐに勢いよく剥がされ、体を押さえつけられる。
「傷! 見せてみろ!」
「痛いから嫌です」
「良いから見せろってんだよ!」
「嫌ですってば!やめて下さ……っ!」
無理やり寝間着の紐を解かれ、脇腹の辺りを覗き込まれる。そこにあるのは……赤く滲んだサラシ。丁度消毒にやってきた南部先生がそれを取ると、未だ塞がり切らない、玉を抉り出した痕がハッキリと見て取れる。
「……だから……見られたくなかったんですよ。少しは察して下さい!」
消毒の痛みに冷や汗をかきながらも必死で耐え、私は強気な態度を見せた。激しい戦火の中で受けた、最も大きな傷。それがこの運悪く当たってしまった跳弾によるもので。
浅いながらも脇腹に食い込んでしまった為、自らそれを抉り出し、出来る限りの消毒はしていた。
お陰で何とか膿む事は無かったが、傷はなかなか塞がらずに出血を繰り返し、何度か意識を手放した事もある。帰京の命令があと少し遅ければ、私はこうして生きてはいなかったかも知れない。
初見の南部先生が絶句してしまう程に、私の体はギリギリだったようだ。
「傷の処置は流石に上手くされていたのですが、何分にも傷が塞がりきらぬ内に無理して動き回っておられたようで……少々傷の治りが遅いんです」
南部先生が、困ったような表情で傷口をサラシで覆った。その姿を見ている副長の顔は、鬼を通り越していてこの世の物とは思えない。許されるなら今すぐ此処を逃げ出したかった。
「五日のお休みとの事ですが、山崎さんにはもう少しお休みをもらえませんかね? せめて傷が塞がるまでは」
「勿論だ。頼むよ先生。こいつを治してやってくれ」
副長が頭を下げる。その姿に南部先生は少し驚いた表情をしていたが、すぐに笑顔になると
「承知しました。時間をかければちゃんと治りますから安心して下さい」
と言って病室から出て行った。
残された私達はというと、何とも気まずい空気の中、お互い沈黙を保っている。
チラリと視線を向けると腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。このままでは埒があかない。困ったな……と襖を鼻の辺りまで被り、目を瞑った。
すると、自分の意思とは関係無しに訪れる強い眠気。消毒の痛みで体力をかなり消費した事もあり、頭がフワフワとしてしまう。此処で寝てはいけないと思えば思う程、体は抗うことを許さず……。
「山崎?」
副長が声を掛けた時にはもう、私は深い眠りに落ちていた。
私が広島に滞在している間にも、京では様々な出来事が起こっていたようだ。顔見知りの多くの者が命を落とし、新選組の在り方について考えさせられる事も増えている。
また、長州周辺でも大きな動きがあり、いよいよ戦争が起こってしまった。
私と吉村さんは情報収集の為、本格的に別行動を開始する。
四境戦争では、芸州口の戦いに潜り込んで情報を集めたが、何度も命を落としかけた。
そこから見えてきたのは、懸念していた明らかなる幕府の衰退。そして、長州の先進的な戦い方。諸藩の戦いぶりや幕府の対応を克明に記録し、報告書として屯所に送ったものの、それらを目の当たりにした私の心はとても重く暗かった。
私達は、これからどうなっていくのだろう。新選組は、何処へ向かって行くのだろう。
最初はただ、大好きだった人の仇を取りたい一心で入隊した新選組。単なる京の一組織でしかなかった集団が、今や大きな時流の荒波に飲み込まれている事に気付かされ、恐ろしさを感じてしまう。
「うちは何処まで一緒に行けるんかな……?」
その答えが出るのはきっと、そう遠い事ではない。そんな気がしてならなかった。
それから程なくして、私と吉村さんは帰京する事となる。それは京を出てから、実に八ヶ月ぶりの事だった。
「只今戻りました」
久しぶりに屯所の門を潜ると、懐かしい顔が沢山迎えてくれた。
「山崎! 吉村! 生きてたんだな」
「勝手に殺さないで下さいよ」
「広島では夫婦姿だったそうじゃないか。吉村、山崎の女子姿はどうだった?」
「そうですね……よくお似合いでしたよ」
「だろうなー。俺も見てみたかったぜ」
「ちょっと! 何で私が女装すると決めつけてるんですか! 吉村さんだって……」
「それは無い!」
幾人もの隊士達が入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。こんな馬鹿馬鹿しい会話も、全てが嬉しくて懐かしい。あぁ、戻って来られたんだと実感できる瞬間だった。
局長室では、局長が満面の笑みで迎えて下さった。
「ご苦労だったな、二人共。長い間の広島滞在、大変だったとは思うが、お陰で大いに助かったよ。ありがとう」
「勿体無いお言葉です」
局長の労いの言葉がとても嬉しかった。この為に今まで頑張って来たのだと言っても過言では無いかもしれない。
だがそこに副長の姿が無かったのが、少々寂しくもあり、安堵もした。
「土方くんは伊東さんと小用で出ていてな。明日には戻るから、報告は私だけで聞いておくよ」
伊東さんがいない事に心の底から感謝しながら、私達は文では伝えきれていなかった出来事を報告し、五日間の休暇を貰って局長室を出た。
「長い間の任務、お疲れ様でした」
「山崎さんこそ。お互い無事帰ってこられて本当に良かったですね」
顔を見合わせ、笑みを浮かべる。ここまで来て漸く本当の意味で緊張が解れた。
「結構長くお休みを頂けましたね。吉村さんは予定を考えてます?」
「いやもう、とりあえずは寝たいですね。流石に緊張続きで寝不足ですし」
「私も同じです。では、お互い休み明けには体調を万全にしておきましょう」
そう言って頭を下げると、私は吉村さんと別れた。長旅の荷物の片付けもそこそこに、ずっと行きたかった場所へと足を運ぶ。
「すみません。先生はお出でになりますか?」
声をかけると、中から懐かしい人が出て来た。
「おや、山崎さんじゃないですか」
「お久しぶりです。南部先生」
そこは、木屋町にある南部精一郎先生の診療所だ。会津の藩医である南部先生とは、健康診断以降新選組も懇意にさせてもらっている。
広島にいる間も、私はずっと此処に来たくて仕方なかった。
「本当にお久しぶりですね。確か広島に行っておられたとか」
「ええ、漸く戻って来られました。先生はお変わりありませんか?」
「お陰様で私は息災です。が、松本は今城に上がっております。家茂公が是非にと申されまして」
言われて思い出す。現在十四代将軍、徳川家茂公が病床に着かれている事を。そんな大事に松本先生が呼ばれないはずが無く。しかも将軍直々のお呼び出しとあらば、命懸けで治療に当たっている事だろう。
「相変わらずお忙しいのですね。上京されたと耳にしたので、ひょっとしてこちらにと思ったのですが……」
松本先生は上京すると、必ず南部先生の宿近くに泊まっている。上手くすれば会えるかと思っていたが、目論見は外れてしまったようだ。
「ならば南部先生。他言無用で一つお願いしたいのですが……」
頭を下げると、多分何かを察してはいたのだろう。南部先生は私の願いを快く受け入れてくれた。
それから三日目の夕刻。
南部先生の診療所に泊まり込んでいた私の傍らにいるのは、苦虫を噛み潰したような顔をしている鬼の副長。
「これは一体どういう事だ? 山崎」
「ん~……どういう事なんですかねぇ?」
「っざけんなよ! こんなになるまで無茶してやがったなんて……っ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られてしまい、首をすくめる。
そう、私は現在怪我人として、この診療所に入院していた。
広島での探索の際、芸州口の戦いで情報収集をしていたは良いが、やはりただ見ているだけと言うわけにはいかなくて。何度も直接刃を交え、雨霰と降ってくる銃弾の中を逃げ惑った。
その時に受けた傷は自ら処置をしてはいたモノの、決して浅く無い傷が疼いて眠れぬ夜もあった為、帰京早々ここに治療をお願いしに来たわけだ。
南部先生は既に私の素性を知っている事から、安心して任せる事が出来た。だがこの事は他の誰にも話していない。南部先生にもしっかりと口止めしたと言うのに、何故副長が此処に来ているのか。
「吉村だよ。彼奴がお前を気にしていた。吉村の傷はお前がきちんと手当てをしていたから良かったが、お前は決して吉村に確認させなかったらしいな。いくら医術に長けていたとしても、自らの体は見えなかったり手の届かない事が多い。本当に大丈夫なのかと俺に聞きに来たんだよ」
「吉村さんが……そうですか。流石夫婦をやってただっただけの事はありますね」
「茶化してんじゃねぇよ! 俺が屯所に戻ってみれば、休暇の全てに外泊許可をとってやがるし、隠れ家にもいねぇし……探し回ったこっちの身にもなりやがれってんだ!」
烈火の如く怒り狂う副長に恐れ慄き、衾を頭まで被った。が、すぐに勢いよく剥がされ、体を押さえつけられる。
「傷! 見せてみろ!」
「痛いから嫌です」
「良いから見せろってんだよ!」
「嫌ですってば!やめて下さ……っ!」
無理やり寝間着の紐を解かれ、脇腹の辺りを覗き込まれる。そこにあるのは……赤く滲んだサラシ。丁度消毒にやってきた南部先生がそれを取ると、未だ塞がり切らない、玉を抉り出した痕がハッキリと見て取れる。
「……だから……見られたくなかったんですよ。少しは察して下さい!」
消毒の痛みに冷や汗をかきながらも必死で耐え、私は強気な態度を見せた。激しい戦火の中で受けた、最も大きな傷。それがこの運悪く当たってしまった跳弾によるもので。
浅いながらも脇腹に食い込んでしまった為、自らそれを抉り出し、出来る限りの消毒はしていた。
お陰で何とか膿む事は無かったが、傷はなかなか塞がらずに出血を繰り返し、何度か意識を手放した事もある。帰京の命令があと少し遅ければ、私はこうして生きてはいなかったかも知れない。
初見の南部先生が絶句してしまう程に、私の体はギリギリだったようだ。
「傷の処置は流石に上手くされていたのですが、何分にも傷が塞がりきらぬ内に無理して動き回っておられたようで……少々傷の治りが遅いんです」
南部先生が、困ったような表情で傷口をサラシで覆った。その姿を見ている副長の顔は、鬼を通り越していてこの世の物とは思えない。許されるなら今すぐ此処を逃げ出したかった。
「五日のお休みとの事ですが、山崎さんにはもう少しお休みをもらえませんかね? せめて傷が塞がるまでは」
「勿論だ。頼むよ先生。こいつを治してやってくれ」
副長が頭を下げる。その姿に南部先生は少し驚いた表情をしていたが、すぐに笑顔になると
「承知しました。時間をかければちゃんと治りますから安心して下さい」
と言って病室から出て行った。
残された私達はというと、何とも気まずい空気の中、お互い沈黙を保っている。
チラリと視線を向けると腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。このままでは埒があかない。困ったな……と襖を鼻の辺りまで被り、目を瞑った。
すると、自分の意思とは関係無しに訪れる強い眠気。消毒の痛みで体力をかなり消費した事もあり、頭がフワフワとしてしまう。此処で寝てはいけないと思えば思う程、体は抗うことを許さず……。
「山崎?」
副長が声を掛けた時にはもう、私は深い眠りに落ちていた。
