時の泡沫
「それにしても、何故また私をつけていたのですか?」
外から見ても分かる程、腹を膨らませた沖田さんに私は尋ねた。
目はついつい目の前の皿を数えてしまう。島田さんよりは少ないか……何とか両手で足りる数に、この人は未だ人間だ、と思った。
「え? 今回も土方さんに頼まれたからですよ。……ケホッ、貴方を見守れって」
「副長に?」
あの人は何を考えているんだか。一介の監察に組長を着けなければならない程に、箱入り扱いでは困ってしまう。
「私はそんなに信用できないんですかね?」
何だか悲しくなってしまった。自分では、他の者たちに負けないくらいの働きをしているつもりだったのだが、未だ未だ認められていないという事か。
「いえ、違いますよ」
だがそれは、相変わらずあっさりとした言い方で、沖田さんに否定された。
「貴方は気付いて無かったようですが、伊東さん達が貴方を『女』だと認識している事に土方さんが気付いたのでね。念の為見守れと言われてたんですよ」
「え? いつ……ですか?」
「確か、伊東さんが貴方に興味を持ち始めた頃でしょうか。以前伊東さんと二人で出かけた時、顎に手を触れたって話がありましたよね? あれは多分喉仏を確認したんですよ」
私はどこまで鈍いんだろう。そんな頃から自分は深く調べられていたのか、と思い、血の気が引いた。
「貴方は周りの事には敏感ですし、仕事も早くて丁寧で腕も立つ、信頼できる監察です。でも自分が絡むとからっきしなんですよね。ケホッ……まぁそこが良いところでもあるんでしょうが」
「すみません……」
自分の驕りに気付かされ、恥ずかしくなる。今の自分は、周りに守られるばかりではないか。そう考えた時……。
「私はこのまま新選組にいても良いのでしょうか?」
無意識に口をついた。自分の言葉に驚き、慌てて沖田さんを見ると、そこあったのは冷たい眼差し。
「沖田さん……?」
責められているような気がして、怖くなる。これは暗に新撰組を辞めてしまえという事か……?
「あの……私は……」
「良いんじゃ無いですか? どちらでも。決めるのは貴方ですから」
何の感情も持たぬような無表情で答えられ、言葉が続かなくなった。
「あ……」
何かを言いたいのに、喉が締め付けられるように苦しくてたまらない。
どうして私はこんなに弱いのだろう。事が起こるたびに揺れ、誰かに頼り、守られる。こんな甘ったれた人間がいては、仲間に危害が及ぶ機会も増えるのではないか。私がいる事で、誰かの命を危険に晒してしまうのではないか。
そんな事を頭の中でグルグルと考えていると、沖田さんが呆れたように私を見ているのに気付いた。
「そんなに悩む事ですかね? そこにいたいか、いたくないか。答えはたった二つですよ。選んだその先の事は、やってみなくちゃ分からないんですから、先ずは道を選ばなきゃ」
「山崎さんって、実は面倒くさい人なんですかね?」と小さく笑い、沖田さんは追加でくずきりを注文する。その行動に少し気が紛れ、緊張が解れた気がした。
「未だ食べるんですか?」と呆れて言うと、沖田さんは当たり前のように言った。
「だって、今食べたいんです。ケホッ……食べられる時に食べておかなきゃ。物事は皆同じです。出来る時に出来る事を。やりたい時にやれる事を。だから……」
じっと私を見つめる沖田さんの目が、とても真剣なのに気付く。
「私は、自分の意志で新選組にいます。例え何があろうとも、新選組を辞めようとは思いません。これは私が自分で選んだ答えですから」
それは、ドキリとする程に大人の男の顔だった。
思わず頬が赤らんでしまった事に気付き、慌てて小さく頭を振る。だがそれは、私に大きな影響をもたらした。
「私も……新選組にいたいです」
目を瞑り、様々な隊士の仲間たちを思い浮かべる。
時折どうしても浮かんでくる伊東さんを押しのけながら、幹部連中や監察、平隊士の者たちの顔を思い浮かべていくと、やっぱりあの場所が好きだ、と確信できた。
「私も新選組の皆と一緒に、これから先も歩み続けていきたいです」
私も真剣な目で沖田さんを見る。私の覚悟が伝わったのか、ふっ……と沖田さんの目が優しくなった。
「そうですか、分かりました。じゃ、そういう事でこれからもよろしくお願いしますね。山崎さん」
「貴方なら何があっても大丈夫ですよ」と小さく耳元で囁き、いつもの悪戯な笑顔を浮かべて沖田さんが席を立つ。
一瞬唇を掠めた甘さに抗議する間も無く、「お勘定もお願いしま~す」と楽しげに言いながら、沖田さんは先に店を出て行った。
一人残された私は、沖田さんの言葉を反芻する。
「出来る時に出来る事を……か」
ごちゃごちゃと考えているよりも、状況に応じて精一杯の事をする。そう言えば私は元々、猪突猛進型だったなぁ、という事を思い出した。
「……よし!」
まるで霧が晴れたような爽快感に、嬉しくなる。
気を取り直してまた頑張ろう! と気合を入れ、そろそろ屯所に戻るかと店の主人に勘定を頼んだ。ところがである。
店主に言われたのは、それはもうとんでもない金額で……正に極楽から地獄へ。せっかくの爽快感が、一瞬で消え去ってしまった。
私のあまりの肩の落とし様に、さすがの店主も気の毒になったようで、「山崎はんも大変どすなぁ……」と同情しながら、私が帰るのを見送ってくれたのだった。
その夜、食べ過ぎて腹を下したと呻き、軽く咳までしていた沖田さんに石田散薬を渡してしまったのは、決して故意ではない。きっと、仏心がちょこっとばかり間違いを犯しただけだろう。……多分。
元治二年四月七日。
この日、改元して元治から慶応となる。とはいえ、私たちに何か変化があるわけではなく、ただ粛々と与えられた任務をこなしていく毎日だった。
それからひと月程経った五月中旬、新入隊士達と共に、副長達が漸く帰ってきた。
その数五十余名。広くなったはずの屯所が、一瞬で狭くなったように感じられる。
人数が増えたことにより、隊の編成や各々の役職も微妙に変わる事となったらしい。正直覚えるのが面倒くさかった。
その中で意外だったのが、新たに作られた参謀という役職。あれだけ警戒していた伊東さんを参謀にしたのは、副長の本意なのだろうか?
実際不満を持つ幹部も多いようだったが、何か意図があるのかもしれない。皆がざわざわと盛り上がる中、とりあえずは傍観するか、とぼんやり名簿の読み上げを聞いていると……。
「山崎さん、ちっとばかしええじゃろうか?」
と声をかけられた。
声の主は、備前国の出身で私と同じ諸士調役兼監察の浅野薫だ。彼とは何度か共に行動した事があり、信頼できる監察の一人である。池田屋では、あの死闘の中無傷だった程の腕前だ。更に元は医者だったらしく知識も豊富で、私も色々と教えてもらっていた。
「はい、どうなさったんですか?」
「いや、てぇした事じゃねんじゃけどな……」
チラリと目で合図を送られる。その意味を理解し、私は人の少ない部屋の隅へと移動した。すぐに浅野さんもやって来る。そこで聞かされたのは、有難く無い忠告だった。
「もう気付きよるかも知れんが、伊藤参謀には重々注意せられぇよ。前々からおめえさんを狙いよーたらしいんじゃけどな。参謀になった事で、その地位を利用してでも手に入れるんじゃとやっちもねぇ(しようも無い)事を言いよるらしいんじゃ」
「………は?」
開いた口が塞がらないと言うのを、自らの体で表現するとは思わなかった。他の監察からの忠告が来るほどに、あの人の動きが大事になってきているとは……そこまで私に固執したところで、そちらを向く事などありはしないのに。心の底から勘弁して欲しかった。
「……ご忠告ありがとうございます……」
「どねぇなつもりかは知らんけど、えれぇ者に気に入られてしもうたな。まぁわしらぁも気を付けてはおくけえ。一人で抱えられなよ」
そう言うと浅野さんは何事も無かったように立ち去り、隊士達の中に紛れ込んでしまった。
一方、湧き上がる嫌悪感と脱力感に襲われた私は、柱にもたれてがっくりと頭を落とす。
「ほんまもう勘弁したってぇな」
何も知らず、賑やかに騒いでいる隊士達が羨ましい。
前方で涼やかな笑顔を見せている伊東さんと、「てめぇらうるせぇ! 少しは黙って聞きやがれ!」と叫びながら名簿を読み上げる副長を恨みがましく睨みながら、私は一人頭を悩ませるのだった。
外から見ても分かる程、腹を膨らませた沖田さんに私は尋ねた。
目はついつい目の前の皿を数えてしまう。島田さんよりは少ないか……何とか両手で足りる数に、この人は未だ人間だ、と思った。
「え? 今回も土方さんに頼まれたからですよ。……ケホッ、貴方を見守れって」
「副長に?」
あの人は何を考えているんだか。一介の監察に組長を着けなければならない程に、箱入り扱いでは困ってしまう。
「私はそんなに信用できないんですかね?」
何だか悲しくなってしまった。自分では、他の者たちに負けないくらいの働きをしているつもりだったのだが、未だ未だ認められていないという事か。
「いえ、違いますよ」
だがそれは、相変わらずあっさりとした言い方で、沖田さんに否定された。
「貴方は気付いて無かったようですが、伊東さん達が貴方を『女』だと認識している事に土方さんが気付いたのでね。念の為見守れと言われてたんですよ」
「え? いつ……ですか?」
「確か、伊東さんが貴方に興味を持ち始めた頃でしょうか。以前伊東さんと二人で出かけた時、顎に手を触れたって話がありましたよね? あれは多分喉仏を確認したんですよ」
私はどこまで鈍いんだろう。そんな頃から自分は深く調べられていたのか、と思い、血の気が引いた。
「貴方は周りの事には敏感ですし、仕事も早くて丁寧で腕も立つ、信頼できる監察です。でも自分が絡むとからっきしなんですよね。ケホッ……まぁそこが良いところでもあるんでしょうが」
「すみません……」
自分の驕りに気付かされ、恥ずかしくなる。今の自分は、周りに守られるばかりではないか。そう考えた時……。
「私はこのまま新選組にいても良いのでしょうか?」
無意識に口をついた。自分の言葉に驚き、慌てて沖田さんを見ると、そこあったのは冷たい眼差し。
「沖田さん……?」
責められているような気がして、怖くなる。これは暗に新撰組を辞めてしまえという事か……?
「あの……私は……」
「良いんじゃ無いですか? どちらでも。決めるのは貴方ですから」
何の感情も持たぬような無表情で答えられ、言葉が続かなくなった。
「あ……」
何かを言いたいのに、喉が締め付けられるように苦しくてたまらない。
どうして私はこんなに弱いのだろう。事が起こるたびに揺れ、誰かに頼り、守られる。こんな甘ったれた人間がいては、仲間に危害が及ぶ機会も増えるのではないか。私がいる事で、誰かの命を危険に晒してしまうのではないか。
そんな事を頭の中でグルグルと考えていると、沖田さんが呆れたように私を見ているのに気付いた。
「そんなに悩む事ですかね? そこにいたいか、いたくないか。答えはたった二つですよ。選んだその先の事は、やってみなくちゃ分からないんですから、先ずは道を選ばなきゃ」
「山崎さんって、実は面倒くさい人なんですかね?」と小さく笑い、沖田さんは追加でくずきりを注文する。その行動に少し気が紛れ、緊張が解れた気がした。
「未だ食べるんですか?」と呆れて言うと、沖田さんは当たり前のように言った。
「だって、今食べたいんです。ケホッ……食べられる時に食べておかなきゃ。物事は皆同じです。出来る時に出来る事を。やりたい時にやれる事を。だから……」
じっと私を見つめる沖田さんの目が、とても真剣なのに気付く。
「私は、自分の意志で新選組にいます。例え何があろうとも、新選組を辞めようとは思いません。これは私が自分で選んだ答えですから」
それは、ドキリとする程に大人の男の顔だった。
思わず頬が赤らんでしまった事に気付き、慌てて小さく頭を振る。だがそれは、私に大きな影響をもたらした。
「私も……新選組にいたいです」
目を瞑り、様々な隊士の仲間たちを思い浮かべる。
時折どうしても浮かんでくる伊東さんを押しのけながら、幹部連中や監察、平隊士の者たちの顔を思い浮かべていくと、やっぱりあの場所が好きだ、と確信できた。
「私も新選組の皆と一緒に、これから先も歩み続けていきたいです」
私も真剣な目で沖田さんを見る。私の覚悟が伝わったのか、ふっ……と沖田さんの目が優しくなった。
「そうですか、分かりました。じゃ、そういう事でこれからもよろしくお願いしますね。山崎さん」
「貴方なら何があっても大丈夫ですよ」と小さく耳元で囁き、いつもの悪戯な笑顔を浮かべて沖田さんが席を立つ。
一瞬唇を掠めた甘さに抗議する間も無く、「お勘定もお願いしま~す」と楽しげに言いながら、沖田さんは先に店を出て行った。
一人残された私は、沖田さんの言葉を反芻する。
「出来る時に出来る事を……か」
ごちゃごちゃと考えているよりも、状況に応じて精一杯の事をする。そう言えば私は元々、猪突猛進型だったなぁ、という事を思い出した。
「……よし!」
まるで霧が晴れたような爽快感に、嬉しくなる。
気を取り直してまた頑張ろう! と気合を入れ、そろそろ屯所に戻るかと店の主人に勘定を頼んだ。ところがである。
店主に言われたのは、それはもうとんでもない金額で……正に極楽から地獄へ。せっかくの爽快感が、一瞬で消え去ってしまった。
私のあまりの肩の落とし様に、さすがの店主も気の毒になったようで、「山崎はんも大変どすなぁ……」と同情しながら、私が帰るのを見送ってくれたのだった。
その夜、食べ過ぎて腹を下したと呻き、軽く咳までしていた沖田さんに石田散薬を渡してしまったのは、決して故意ではない。きっと、仏心がちょこっとばかり間違いを犯しただけだろう。……多分。
元治二年四月七日。
この日、改元して元治から慶応となる。とはいえ、私たちに何か変化があるわけではなく、ただ粛々と与えられた任務をこなしていく毎日だった。
それからひと月程経った五月中旬、新入隊士達と共に、副長達が漸く帰ってきた。
その数五十余名。広くなったはずの屯所が、一瞬で狭くなったように感じられる。
人数が増えたことにより、隊の編成や各々の役職も微妙に変わる事となったらしい。正直覚えるのが面倒くさかった。
その中で意外だったのが、新たに作られた参謀という役職。あれだけ警戒していた伊東さんを参謀にしたのは、副長の本意なのだろうか?
実際不満を持つ幹部も多いようだったが、何か意図があるのかもしれない。皆がざわざわと盛り上がる中、とりあえずは傍観するか、とぼんやり名簿の読み上げを聞いていると……。
「山崎さん、ちっとばかしええじゃろうか?」
と声をかけられた。
声の主は、備前国の出身で私と同じ諸士調役兼監察の浅野薫だ。彼とは何度か共に行動した事があり、信頼できる監察の一人である。池田屋では、あの死闘の中無傷だった程の腕前だ。更に元は医者だったらしく知識も豊富で、私も色々と教えてもらっていた。
「はい、どうなさったんですか?」
「いや、てぇした事じゃねんじゃけどな……」
チラリと目で合図を送られる。その意味を理解し、私は人の少ない部屋の隅へと移動した。すぐに浅野さんもやって来る。そこで聞かされたのは、有難く無い忠告だった。
「もう気付きよるかも知れんが、伊藤参謀には重々注意せられぇよ。前々からおめえさんを狙いよーたらしいんじゃけどな。参謀になった事で、その地位を利用してでも手に入れるんじゃとやっちもねぇ(しようも無い)事を言いよるらしいんじゃ」
「………は?」
開いた口が塞がらないと言うのを、自らの体で表現するとは思わなかった。他の監察からの忠告が来るほどに、あの人の動きが大事になってきているとは……そこまで私に固執したところで、そちらを向く事などありはしないのに。心の底から勘弁して欲しかった。
「……ご忠告ありがとうございます……」
「どねぇなつもりかは知らんけど、えれぇ者に気に入られてしもうたな。まぁわしらぁも気を付けてはおくけえ。一人で抱えられなよ」
そう言うと浅野さんは何事も無かったように立ち去り、隊士達の中に紛れ込んでしまった。
一方、湧き上がる嫌悪感と脱力感に襲われた私は、柱にもたれてがっくりと頭を落とす。
「ほんまもう勘弁したってぇな」
何も知らず、賑やかに騒いでいる隊士達が羨ましい。
前方で涼やかな笑顔を見せている伊東さんと、「てめぇらうるせぇ! 少しは黙って聞きやがれ!」と叫びながら名簿を読み上げる副長を恨みがましく睨みながら、私は一人頭を悩ませるのだった。
