時の泡沫
元治二年(1865年)三月下旬。副長は新たな隊士を募集するため、伊東組長や斉藤組長らを引き連れて江戸へと下って行った。
今回の東下の際、誰が行くかを決める話し合いの席で伊東さんがやたらと私を推していたようだが、副長が必死の形相で止めていたらしい。出発直前の斉藤組長に、何かあったのかと尋ねられたが、私にもよく分かりませんと答えるしかなかった。何とか言いくるめてくれた副長には、感謝するばかりだ。
「平和だ……」
真っ青な空を仰ぎ見ながら、呟く。
決して仕事が無いわけではないのだが、切羽詰まった指示もない為心に余裕がある。こんな機会を無駄にするわけにはいかないと、私は久しぶりに光縁寺を訪れていた。
「お久しぶりですね、総長」
花を手向け、しゃがみ込んで手を合わせる。気が付けばあの時からもう一か月が過ぎていた。
「総長が亡くなってすぐに屯所が移動になったので、なかなか来られず申し訳ありませんでした」
相変わらずこの場所の花が絶えることはないと、住職から聞いている。隊士よりも壬生界隈の者達の姿が多いという事から、総長がいかに周囲への配慮をしてきたかがよく分かった。
あの荒くれ者の男達が何だかんだ言いながらも、壬生で受け入れられ過ごして来られたのは、間違いなく総長の尽力の賜物だ。
「貴方はやはり、新選組にとって唯一無二の存在ですよ。……また来ます」
しばし語らい、さて帰ろうと立ち上がった時。
「おや、山崎さんじゃないですか」
不意に声をかけられた。
見るとそこにいたのは篠原さん。咄嗟に「つけられていたか!?」と身構えてしまったが、気配は感じていなかった上に、きちんと花を持っている。今回は単なる偶然なのだろう、と、自分の心に言い聞かせた。
ちなみに屯所から、別の人物が私をつけて来ているのは気付いている。だからこそ、私はあまり周辺を気にしてはいなかった。
「どうも。篠原さんも総長のお墓詣りですか?」
「ええ、伊東さんが出かけているので何とかのいぬ間に……って奴ですね」
「ああ、なるほど」
お互い目を合わせてくすりと笑ってしまう。どうやら立場は違えど、同じような苦労を味わってはいるようだ。
確かに伊東さんの周りにいる人間の中では、最も気の良さそうな人物に見える。
「たまにはのんびりしたいですよね。では私はお先に失礼します」
笑みを残したまますれ違いざまに頭を下げ、私はその場を離れようとした。ところが、「ちょっと待ってて頂けませんか?」と何故か足止めされてしまう。
「何か?」
「すみません。お時間がありましたら、少しばかりお話できればと思いまして」
『時間はありますが、お話はご遠慮させて下さい』
本音としてはそう言ってしまいたかったのだが、さすがにそれは無理がある。出来る事なら避けたい接触だったが、結局私は篠原さんと一緒に光縁寺を後にしていた。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
静かでゆっくり出来るから、との理由で足を運んだのは壬生寺。石段に腰を下ろせば、爽やかな風が心地良い。私は目を瞑って空を仰ぎ、大きく深呼吸をした。
「今日はとても気持ちの良い日ですね」
私が篠原さんに向けて言うと、何故か少し頬が赤くなっているのに気付く。
「……そうですね……」
もじもじしながら私を見る篠原さんの視線は、何かに釘付けのようだ。何となく寒気を感じ、その視線を辿ってみてようやく気付いた事。
――歳三さんの阿呆!!
江戸に下る直前に、改めて付けられた所有印。最初に付けられた場所の上から更に強く吸われたので、かなり遠目からでもはっきりと分かるほどに鮮やかな色を帯びていたようだ。
気を付けていればギリギリ隠れる場所ではあるのだが、今は空気の気持ち良さについ無防備に首元を晒してしまっていた。
慌てて襟を正し、恥ずかしさで真っ赤になりそうな自分を落ち着かせる。
「ひょっとして……見えました?」
敢えて自分から話を振る。できるだけ余裕綽々の態度で。
「いや、まぁ……はい」
しどろもどろの篠原さんは、割と初心なのかもしれない。確か私より十ほど年は上だったはずなのだが何にせよ、こういう場合は中途半端に想像させるよりも、結果を与えておいた方が良い。
私は念のために用意しておいた理由を話した。
「これはお恥ずかしい。仕事で出会った女が、なかなかに情熱的な相手でしたもので」
正直、言っているこっちは顔から火が出そうな程の恥ずかしさだった。
ちなみにこれは以前探索中に、茶屋でどこぞの浪士が話していた言葉である。あの時は気分を悪くしながら聞いていたが、こんな所で役に立つとは思いもしなかった。
篠原さんの様子を伺うと、監察は時として体を張った仕事もする為か、何とか納得をしてくれたようだ。実際のところは危険な仕事は請け負っても「体は使うな」と副長より厳命されているので、そのような経験は皆無なのだが。
「それで、お話とは?」
改めて話を振る。下手に時間が延びれば、それだけ問題も起こりやすいだろう。とにかく出来るだけ早く切り上げたかった。
「あぁ、そうですね」
未だ若干頬を赤らめている篠原さんだったが、小さく頭を振ると気を取り直したように言った。
「単刀直入に言います。伊東の事をどう思いますか?」
「……はい?」
前回同様、私は嫌そうな顔をしているのだと思う。苦笑する篠原さんは、大きくため息を吐きながらがっくりと肩を落とした。
「ですよねぇ……」
一人で納得しないでほしい。一体この人の目的はなんなのか、私にはさっぱり分からなかった。
「すみません篠原さん。私には貴方の意図するものが分かりません。伊東さんは優れた論客であり、局長が信頼なさっている方だという認識です。どう思いますか? と尋ねられましても、これくらいしか……」
私の言葉に小さく頷く篠原さんは、何故か少しほっとしているようにも見えた。
今回の東下の際、誰が行くかを決める話し合いの席で伊東さんがやたらと私を推していたようだが、副長が必死の形相で止めていたらしい。出発直前の斉藤組長に、何かあったのかと尋ねられたが、私にもよく分かりませんと答えるしかなかった。何とか言いくるめてくれた副長には、感謝するばかりだ。
「平和だ……」
真っ青な空を仰ぎ見ながら、呟く。
決して仕事が無いわけではないのだが、切羽詰まった指示もない為心に余裕がある。こんな機会を無駄にするわけにはいかないと、私は久しぶりに光縁寺を訪れていた。
「お久しぶりですね、総長」
花を手向け、しゃがみ込んで手を合わせる。気が付けばあの時からもう一か月が過ぎていた。
「総長が亡くなってすぐに屯所が移動になったので、なかなか来られず申し訳ありませんでした」
相変わらずこの場所の花が絶えることはないと、住職から聞いている。隊士よりも壬生界隈の者達の姿が多いという事から、総長がいかに周囲への配慮をしてきたかがよく分かった。
あの荒くれ者の男達が何だかんだ言いながらも、壬生で受け入れられ過ごして来られたのは、間違いなく総長の尽力の賜物だ。
「貴方はやはり、新選組にとって唯一無二の存在ですよ。……また来ます」
しばし語らい、さて帰ろうと立ち上がった時。
「おや、山崎さんじゃないですか」
不意に声をかけられた。
見るとそこにいたのは篠原さん。咄嗟に「つけられていたか!?」と身構えてしまったが、気配は感じていなかった上に、きちんと花を持っている。今回は単なる偶然なのだろう、と、自分の心に言い聞かせた。
ちなみに屯所から、別の人物が私をつけて来ているのは気付いている。だからこそ、私はあまり周辺を気にしてはいなかった。
「どうも。篠原さんも総長のお墓詣りですか?」
「ええ、伊東さんが出かけているので何とかのいぬ間に……って奴ですね」
「ああ、なるほど」
お互い目を合わせてくすりと笑ってしまう。どうやら立場は違えど、同じような苦労を味わってはいるようだ。
確かに伊東さんの周りにいる人間の中では、最も気の良さそうな人物に見える。
「たまにはのんびりしたいですよね。では私はお先に失礼します」
笑みを残したまますれ違いざまに頭を下げ、私はその場を離れようとした。ところが、「ちょっと待ってて頂けませんか?」と何故か足止めされてしまう。
「何か?」
「すみません。お時間がありましたら、少しばかりお話できればと思いまして」
『時間はありますが、お話はご遠慮させて下さい』
本音としてはそう言ってしまいたかったのだが、さすがにそれは無理がある。出来る事なら避けたい接触だったが、結局私は篠原さんと一緒に光縁寺を後にしていた。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
静かでゆっくり出来るから、との理由で足を運んだのは壬生寺。石段に腰を下ろせば、爽やかな風が心地良い。私は目を瞑って空を仰ぎ、大きく深呼吸をした。
「今日はとても気持ちの良い日ですね」
私が篠原さんに向けて言うと、何故か少し頬が赤くなっているのに気付く。
「……そうですね……」
もじもじしながら私を見る篠原さんの視線は、何かに釘付けのようだ。何となく寒気を感じ、その視線を辿ってみてようやく気付いた事。
――歳三さんの阿呆!!
江戸に下る直前に、改めて付けられた所有印。最初に付けられた場所の上から更に強く吸われたので、かなり遠目からでもはっきりと分かるほどに鮮やかな色を帯びていたようだ。
気を付けていればギリギリ隠れる場所ではあるのだが、今は空気の気持ち良さについ無防備に首元を晒してしまっていた。
慌てて襟を正し、恥ずかしさで真っ赤になりそうな自分を落ち着かせる。
「ひょっとして……見えました?」
敢えて自分から話を振る。できるだけ余裕綽々の態度で。
「いや、まぁ……はい」
しどろもどろの篠原さんは、割と初心なのかもしれない。確か私より十ほど年は上だったはずなのだが何にせよ、こういう場合は中途半端に想像させるよりも、結果を与えておいた方が良い。
私は念のために用意しておいた理由を話した。
「これはお恥ずかしい。仕事で出会った女が、なかなかに情熱的な相手でしたもので」
正直、言っているこっちは顔から火が出そうな程の恥ずかしさだった。
ちなみにこれは以前探索中に、茶屋でどこぞの浪士が話していた言葉である。あの時は気分を悪くしながら聞いていたが、こんな所で役に立つとは思いもしなかった。
篠原さんの様子を伺うと、監察は時として体を張った仕事もする為か、何とか納得をしてくれたようだ。実際のところは危険な仕事は請け負っても「体は使うな」と副長より厳命されているので、そのような経験は皆無なのだが。
「それで、お話とは?」
改めて話を振る。下手に時間が延びれば、それだけ問題も起こりやすいだろう。とにかく出来るだけ早く切り上げたかった。
「あぁ、そうですね」
未だ若干頬を赤らめている篠原さんだったが、小さく頭を振ると気を取り直したように言った。
「単刀直入に言います。伊東の事をどう思いますか?」
「……はい?」
前回同様、私は嫌そうな顔をしているのだと思う。苦笑する篠原さんは、大きくため息を吐きながらがっくりと肩を落とした。
「ですよねぇ……」
一人で納得しないでほしい。一体この人の目的はなんなのか、私にはさっぱり分からなかった。
「すみません篠原さん。私には貴方の意図するものが分かりません。伊東さんは優れた論客であり、局長が信頼なさっている方だという認識です。どう思いますか? と尋ねられましても、これくらいしか……」
私の言葉に小さく頷く篠原さんは、何故か少しほっとしているようにも見えた。