時の泡沫
「更に正月の挨拶回りで近藤さんが、お偉いさんにちらりとその話をしたらしくてな。そちらも乗り気だったと言うから、もう話は決まったようなもんだろう。山南さんが反対するのは分かっていたが、あの話し合いの段階ではもう覆しようが無かった」
「だったら何故それを総長に言わなかったんですか?」
「言ったところで何も変わりゃしねぇだろ。不可抗力だが、結局は山南さんの与り知らぬところで話が進んじまったんだからな」
話を聞いて、改めて不器用な男だと思った。気持ちが分からないわけではないが、言わなければ伝わらない事を、全て自分の中で消化しようとしてしまっている。
この人はこれからもずっとこんな風に、背負い込む必要の無い物まで抱え込んでいくつもりなのだろうか。このままでは、いつかは潰れてしまうだろうに。
「山南さんの切腹については、何の言い訳もしねぇよ。追い込んじまった事実は覆せねぇ」
いつの間にか空になった湯呑を、割れんばかりに握りしめながら、副長は俯いた。
「では伊東組長から聞いたのですが、総長の脱走を知った時、局長が嬉しそうだったとか。それは事実なのですか?」
「それは違うっ!」
悲しげに俯いていた副長が、慌てたように叫ぶ。その瞳には、焦りと怒りが見えた。
「近藤さんだって山南さんを大切に思っていた! 元はと言えば、俺や近藤さんの中から攘夷の志が薄れてきたのが山南さんとの溝を作った原因さ。だがそれでも試衛館時代からの仲間なんだ! 大切な存在って事に変わりはない。もし万が一山南さんとの別れが嬉しそうに見えたのだとしたら……」
唇を噛み、きつく目を閉じた。そして苦しそうに言葉を絞り出す。
「俺と……同じだろう。もう山南さんの事で悩まなくて良いんだと……これで終わりなんだと、ホッとしたのかもしれない……」
仲間なのに分かり合えなかったもどかしさと、仲間だからこそ守りたかったという気持ちが綯い交ぜとなり、生まれた罪の意識。
その根源が無くなってしまえば……と思ってしまう程に、彼らも追い詰められていたのかもしれない。
「それで、終わりましたか?……悩みは無くなりましたか?」
「……んなもん、決まってんだろ。むしろ増え続けてらぁ……」
自嘲の笑みが浮かぶ。その顔は、遺されたものが背負う死者の想いの重さを、反芻しているかのように見えた。
「重そうですね」
「あん?」
私の言葉に、副長が首を傾げる。
「重いですよ。想いも、空気も」
「あー重い重い」と言いながら、私は副長の手の中の湯呑みを取り上げた。
「何でもかんでも一人で背負い込めば良いと思ってるみたいですが、そんなのは無理な話なんですよ! こんな小さな湯呑みだって、手に持っていれば片手しか使えなくなる。でも私が今引き取った事で、副長は両手を使えるようになりました。それと同じです」
私は湯呑みを下に置き、手を前に出して見せた。
「人間一人が背負える量なんて限られてます。その中から副長にしか背負えない物を選んだら、残りは私に回して下さい。私が無理なら他の仲間に振り分けます。一人では重くても、分ければ軽くなるんですよ。貴方は頭なんですから、部下を手足として使えば良いんです」
今必要なのは、鬼の副長だから。優しすぎては、今の新選組をまとめ上げる事など出来ないだろう。
「自分の役割を履き違えないで下さい。芹沢さんや総長の分まで、新選組の為に生きなければならないのですから。でももしどこかで弱音を吐きたくなったら……」
前に出していた手で、副長の顔を包み込んだ。
「いくらでもうちが聞くしな。そん為にうちが側におってやろ?」
にっこりと笑ってみせる。そしてそのまま、触れるだけの口付けをした。
「色々な事があり過ぎて、土方歳三と言う人間に対して疑心暗鬼になった事もあったけど、やっぱりうちは離れられん。何があっても側にいたい、そう思てるんえ。前に言うてくれはりました『うちの全てを受け入れる』いう話。うちも同じです。土方歳三という男の全てを受け入れますよって、何があろうと側にいるしな」
言いたい事を言い終えた私は、副長の目を見つめてその反応を待った。
暫く見つめ合う形となっていたが、何を思ったか不意に副長が目を伏せる。再び私と合ったその目には、いつもの強い光が戻っていた。
「ったく……よくしゃべる奴だな」
「芹沢はんにもよう叱られてましたわ。そやけど言葉にせな相手に伝わらん事は多いしな。後悔は、もうしたないねん」
「琴尾……」
副長の頬を包む私の手に、大きな手が重ねられる。その心地よい温かさはごく自然に私の体を引き寄せ、体重を預ける形となった。
「俺に説教する女なんざ、姉貴くらいだと思ってたけどな」
「希少価値高いやろ? ありがたいと思てや」
「……山南さんの気持ちが、ちっとばかし分かったかもな……」
「何の事です?」
「いや、何でもねぇよ」
フッと小さく笑いながら、ポンポンと私の頭を優しく叩く。そのまま手は頬を滑るように移動し、私の顎を捉えた。そして、熱い眼差しが注がれる。
「離さねぇ」
唇が、触れる。
「お前だけは、何があろうと手離せねぇ」
唇から……首筋に。
「これは、お前が俺の物である証だ」
チクリ、と鎖骨近くで感じた甘い痛み。
私からは見えない、でも他人は目にする事のできる際どい場所に、所有印を付けられる。
「阿呆……こないなとこ、見られてまうやろ」
「見せつけてやれよ。お前に懸想する全ての輩に」
子供のような独占欲に呆れながらも、悪い気はしなかった。私に懸想する者など、ほぼ皆無ではあろうけれど。
「……ほんまに阿呆やな」
そう言いながら、私は自らの首筋に咲いた小さな花弁を撫でるのだった。
程なくして斉藤組長が訪れたため、私は副長室を後にした。
その折、私だけに聞こえるように言われた「今夜『例の場所』で」という言葉。それに従い夕刻に『隠れ家』へと出かけて見れば、既に寛いでいた歳三さんから驚くほど執拗に、伊東さんの部屋での出来事を聞かれ。
この男の嫉妬深さを表す、新たに散らされた無数の花弁に、私は朝まで溺れる事となってしまった。
「だったら何故それを総長に言わなかったんですか?」
「言ったところで何も変わりゃしねぇだろ。不可抗力だが、結局は山南さんの与り知らぬところで話が進んじまったんだからな」
話を聞いて、改めて不器用な男だと思った。気持ちが分からないわけではないが、言わなければ伝わらない事を、全て自分の中で消化しようとしてしまっている。
この人はこれからもずっとこんな風に、背負い込む必要の無い物まで抱え込んでいくつもりなのだろうか。このままでは、いつかは潰れてしまうだろうに。
「山南さんの切腹については、何の言い訳もしねぇよ。追い込んじまった事実は覆せねぇ」
いつの間にか空になった湯呑を、割れんばかりに握りしめながら、副長は俯いた。
「では伊東組長から聞いたのですが、総長の脱走を知った時、局長が嬉しそうだったとか。それは事実なのですか?」
「それは違うっ!」
悲しげに俯いていた副長が、慌てたように叫ぶ。その瞳には、焦りと怒りが見えた。
「近藤さんだって山南さんを大切に思っていた! 元はと言えば、俺や近藤さんの中から攘夷の志が薄れてきたのが山南さんとの溝を作った原因さ。だがそれでも試衛館時代からの仲間なんだ! 大切な存在って事に変わりはない。もし万が一山南さんとの別れが嬉しそうに見えたのだとしたら……」
唇を噛み、きつく目を閉じた。そして苦しそうに言葉を絞り出す。
「俺と……同じだろう。もう山南さんの事で悩まなくて良いんだと……これで終わりなんだと、ホッとしたのかもしれない……」
仲間なのに分かり合えなかったもどかしさと、仲間だからこそ守りたかったという気持ちが綯い交ぜとなり、生まれた罪の意識。
その根源が無くなってしまえば……と思ってしまう程に、彼らも追い詰められていたのかもしれない。
「それで、終わりましたか?……悩みは無くなりましたか?」
「……んなもん、決まってんだろ。むしろ増え続けてらぁ……」
自嘲の笑みが浮かぶ。その顔は、遺されたものが背負う死者の想いの重さを、反芻しているかのように見えた。
「重そうですね」
「あん?」
私の言葉に、副長が首を傾げる。
「重いですよ。想いも、空気も」
「あー重い重い」と言いながら、私は副長の手の中の湯呑みを取り上げた。
「何でもかんでも一人で背負い込めば良いと思ってるみたいですが、そんなのは無理な話なんですよ! こんな小さな湯呑みだって、手に持っていれば片手しか使えなくなる。でも私が今引き取った事で、副長は両手を使えるようになりました。それと同じです」
私は湯呑みを下に置き、手を前に出して見せた。
「人間一人が背負える量なんて限られてます。その中から副長にしか背負えない物を選んだら、残りは私に回して下さい。私が無理なら他の仲間に振り分けます。一人では重くても、分ければ軽くなるんですよ。貴方は頭なんですから、部下を手足として使えば良いんです」
今必要なのは、鬼の副長だから。優しすぎては、今の新選組をまとめ上げる事など出来ないだろう。
「自分の役割を履き違えないで下さい。芹沢さんや総長の分まで、新選組の為に生きなければならないのですから。でももしどこかで弱音を吐きたくなったら……」
前に出していた手で、副長の顔を包み込んだ。
「いくらでもうちが聞くしな。そん為にうちが側におってやろ?」
にっこりと笑ってみせる。そしてそのまま、触れるだけの口付けをした。
「色々な事があり過ぎて、土方歳三と言う人間に対して疑心暗鬼になった事もあったけど、やっぱりうちは離れられん。何があっても側にいたい、そう思てるんえ。前に言うてくれはりました『うちの全てを受け入れる』いう話。うちも同じです。土方歳三という男の全てを受け入れますよって、何があろうと側にいるしな」
言いたい事を言い終えた私は、副長の目を見つめてその反応を待った。
暫く見つめ合う形となっていたが、何を思ったか不意に副長が目を伏せる。再び私と合ったその目には、いつもの強い光が戻っていた。
「ったく……よくしゃべる奴だな」
「芹沢はんにもよう叱られてましたわ。そやけど言葉にせな相手に伝わらん事は多いしな。後悔は、もうしたないねん」
「琴尾……」
副長の頬を包む私の手に、大きな手が重ねられる。その心地よい温かさはごく自然に私の体を引き寄せ、体重を預ける形となった。
「俺に説教する女なんざ、姉貴くらいだと思ってたけどな」
「希少価値高いやろ? ありがたいと思てや」
「……山南さんの気持ちが、ちっとばかし分かったかもな……」
「何の事です?」
「いや、何でもねぇよ」
フッと小さく笑いながら、ポンポンと私の頭を優しく叩く。そのまま手は頬を滑るように移動し、私の顎を捉えた。そして、熱い眼差しが注がれる。
「離さねぇ」
唇が、触れる。
「お前だけは、何があろうと手離せねぇ」
唇から……首筋に。
「これは、お前が俺の物である証だ」
チクリ、と鎖骨近くで感じた甘い痛み。
私からは見えない、でも他人は目にする事のできる際どい場所に、所有印を付けられる。
「阿呆……こないなとこ、見られてまうやろ」
「見せつけてやれよ。お前に懸想する全ての輩に」
子供のような独占欲に呆れながらも、悪い気はしなかった。私に懸想する者など、ほぼ皆無ではあろうけれど。
「……ほんまに阿呆やな」
そう言いながら、私は自らの首筋に咲いた小さな花弁を撫でるのだった。
程なくして斉藤組長が訪れたため、私は副長室を後にした。
その折、私だけに聞こえるように言われた「今夜『例の場所』で」という言葉。それに従い夕刻に『隠れ家』へと出かけて見れば、既に寛いでいた歳三さんから驚くほど執拗に、伊東さんの部屋での出来事を聞かれ。
この男の嫉妬深さを表す、新たに散らされた無数の花弁に、私は朝まで溺れる事となってしまった。
