時の泡沫

 屯所移転から数日が経ち、漸く皆が落ち着きを見せ始めた頃。私は副長室に呼び出されていた。

「副長、山崎です」
「入れ」

「失礼します」と襖を開けると、そこにはとても不機嫌な顔をした副長の姿があった。思わず怯んでしまったが、なるべく目を合わせないようにしながら部屋に入り、副長の前に座る。

「お呼びでしょうか」

 手を付き頭を下げた状態で返事を待つが、私に届いてくるのは突き刺さるような怒気ばかりで、一向に話をする気配がない。そっと上目遣いで顔を見てみれば、そのまま穴が開いてしまうんじゃないかと思えるほどに深い眉間のしわがあった。
 こんな時は、出来る限り関わりたくない。

「御用が無いのでしたら、私はこれで……」
「用があるから呼んだんだろうが。頭を上げやがれ!」

 やはり逃げられないか……。観念してゆっくりと体を起こすと、副長の顔が少しだけほっとしたように見えた。
 これはひょっとして、緊張している?
 意を決して見つめてみると、鬼の副長らしからぬ不安の色が見て取れた。

「では、どのようなご用件でしょうか?」

 話を切り出しやすいように、こちらから尋ねる。少しの間何かを考えていた副長だったが、フッと小さく息を吐くと、意を決したように話し出した。

「ここのところ色々な事があり過ぎて、お前とは最低限の会話しか出来ていなかったからな。こちらから聞きてぇ事もあるし、お前も腹に溜めてるもんがあるだろう。今日は時間があるからとことん話すぜ」
「……はい」

 確かに私達は総長の切腹した日以来、命令と報告の時を除いては、顔すら合わせられないほどに忙しかった。
 我ながらよく働いていたと思う。だがそのお陰で総長のことを考える時間が無かったのは、ある意味ありがたかった。

「では、何からお話ししましょうか」
「そうだな。分かりやすく時系列に沿っていくか。山南さんが切腹した日、お前は何故戻ってきた?」
「何故と言われても……西本願寺まで加納さんが呼びに来て下さったんですよ。『総長が呼んでいる』と。……間に合いませんでしたがね」

 あれから時間が経っているため、冷静に思い返せるだけの心の余裕が出来ている。それでも未だ悲しみが癒えているわけではない。
 もしかしたら助けられたかもしれない、という後悔は心の内に抱えたままだ。

「あの日俺は、山崎には切腹を伝えるなと伝えていた。それを破っての行動の意味は何なんだ?」
「私には分かりません。ついでに副長がどうして私に伝えようとしなかったのかも分かりません」
「それは……」

 分からないと言うのは嘘だ。副長の真意は分かっている。
 切腹当日のあの時は冷静さを失っており、目の前の事だけで一杯になっていて気付けなかった。副長は私に見せたくなかったのだろう。総長の最期の姿を。でも私はそれをはっきりと副長の口から説明して欲しかった。

「俺の……責任だからな」

 絞り出すように紡がれた言葉は、とても苦し気で。副長の葛藤が感じられた。

「あんなやり方をすれば山南さんがどうなるか、俺だって分かってたさ。だからこそ手を打とうと、無理のある小姓なんて仕事をお前に任せたりしたんだ。お前は傍にいるだけで心を和ませる不思議な力を持ってるからな」
「随分買い被っておられますね」
「お前を監察にした理由の一つだからな。俺だけじゃなく、近藤さんや他の幹部達も認めてるぜ」

 要するに、先日篠原さんに言われた『人誑し』の才能というわけか。
 鍼医の手伝いをしていた頃に培った人当たりの良さは、今こうして生きる術になってくれているのだなと、我が事ながら感心してしまう。だが……。

「総長の件では、最終的にお役に立てませんでした。私の力不足です」
「お前がそう考えちまうだろうから、見せたくなかったんだよ! 山南さんの最期を!」

 ダンッと文机を叩く。
 怒りと悲しみの混じったその顔は、私の心をギュッと締め付けた。

「お前の記憶にある山南さんは、生きている姿であって欲しかった。これは俺だけの勝手な願いじゃねぇ。山南さんの願いでもあったんだ。切腹の直前に言われたんだよ」

――ねぇ土方くん。山崎くんはとても不思議な人だね。傍にいてくれるだけで癒されるし、その存在に心惹かれる物があるんだ。彼のお陰で私はこうして自分の心のままに行動が出来たんだよ。本当に感謝しているんだ。残された君たちにとっては後味の悪いものになってしまうが、今まで我慢してきた私の最後の我儘だ。私は死んで君たちの記憶に残るよ。私の存在を使って、新選組をまとめて行ってくれ給え。あぁ、でも山崎くんには全てが終わるまで隠しておいて欲しい。あの人の記憶に、私の死に様までは残したくないのでね。

「お前は西本願寺に詰めていた時だったし、丁度良いと思っていた。念のため山南さんの遺言だと言って屯所にいた者たちに、俺が良いと言うまでお前には伝えるなとも言ってあったんだよ。それなのに加納が動きやがったんだな」

 総長の願いでもあったのか……。
 確かに今真っ先に思い出す総長は、あの最期の姿だ。こればかりはどうしようも無い。

「最後まで優しい方でしたね……。私なんかにまで気を遣ってくださって」

 小姓としての期間は本当に短いものだったが、いつだって偉ぶる事無く接してくれていた。
 気鬱によって感情の波があっても、落ち着けば必ず謝り、自分を責めていた。
 新選組の為に今自分ができる事は何か。それを見つけるために、常に学ぶ姿勢を持っていた。
 間違いなく、尊敬に値する人物だったと私は思っている。

「総長の最期のお言葉、有難く心に留めておきます。副長のお心遣いと一緒に」

そう言って、私は頭を下げた。
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