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時の泡沫


 遠くでボソボソと話し声が聞こえる。あれは誰の声……?
 寒いのに暖かい。ここは何処なのだろう?
 ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、薄暗い中に行灯の光が浮かんでいた。

「ん……」

 褥から体を起こすと、誰かが近付いて来る。殺気は無いので警戒はしていなかった。

「気が付きましたか? 山崎くん」

 私の視線の先に座ったのは……

「伊東組長……」

 それはまさかの伊東さんで。後ろには、伊東さんの盟友である篠原泰之進の姿があった。

「ここは……私は一体?」
「ああ、覚えていないのですね。山南さんの姿を見て倒れてしまったんですよ。丁度篠原くんの目の前だったらしくてね。私の部屋なら落ち着けるだろうと彼が運んで来てくれたのです」
「そうでしたか。ご迷惑をおかけ致しました」

 頭を下げると、伊東さんはニコリと笑った。

「気にする事はありませんよ。君は一時的にでも山南さんの小姓を務めていたのですし。側で見ていた人が亡くなるのは辛いことですからね」
「そう……ですね……」

 まだ鮮明に覚えている総長の姿は、その場の空気をも再現する様で。

「総長……」

 白を染め上げる紅が、心臓を刺し貫く様な錯覚に陥り、私は胸を強く押さえた。

「本当に惜しい人を亡くしましたね」

 胸を押さえる手に、つと伊東さんの手が重なる。思わずビクリと手を払い除けると、伊東さんは怪しい笑顔で私を見つめていた。

「ああ、すみません。驚かせるつもりは無かったんですよ。……ねぇ山崎くん」
「はい?」

 不穏な空気を感じ、身構える。

「貴方はどうして山南さんが脱走したか聞きましたか?」
「いえ。未だ何も」

 私の返事に、伊東さんと篠原さんが目を合わせ、頷き合った。

「土方くんへの抗議の為ですよ。自分は総長と言う立場なのに、土方くんのせいで自分の意見が通らないのだと書き置きを残して脱走したそうです。その先にあるのが切腹だと分かっていながらの決行だったとか」
「そんな……」
「脱走が分かった時、密かに近藤さんは喜んでいたとも聞きます。そんな環境でしたから、今回の事は起こるべくして起こったのでしょう」

 心底悲しそうな表情で語る伊東さんだったが、私には何故かそれが薄笑いのように見えていた。そう……まるで蛇が獲物を見つけた時のような。

「私は山南さんに生きていて欲しかった。あの人がいたからこそ、新選組は今までやってこれたのでは無いかと見ています。」

 それは私も同じ思いだった。副長とぶつかり合うと言う事は、副長が気付けない部分に気付けるという事だから。そんな人をアッサリと切腹させてしまった事に、私の中で一種の絶望感が生まれていた。

「だから今回の事は残念でならないのです。何か山南さんを生かす方法は無かったのかと。粛清ではなく、信頼を育む努力は出来なかったのかと」

 熱い眼差しが私を射る。全身を舐めまわされるような悪寒を感じ、私はゆっくりと後ずさった。だが篠原さんが私の後ろに回り込む。同時に私も、布団の下で苦無を構えた。

「お話は分かりました。……で? あなた方の目的は何ですか? 倒れた私をわざわざここまで連れてきて、私に何を望んでいるのです?」

 倒れた私をわざわざここに運んできたのは、何らかの秘めたる理由があるはずだ。篠原さんの動きを気にしながら、伊東さんを睨み付ける。相変わらず殺気は無いが、こちらの動き次第では何をするか分からない。

「局長達のやり方に文句があるなら、直接仰って下さい。俺は駒であり、意見出来る立場ではありませんので」
「では単刀直入に申し上げましょう。貴方が欲しいのです」
「はぁ~~?」

 多分私はとんでもなく嫌そうな声を出したのだろう。何故か後ろからプッと吹き出すのが聞こえた。

「良い反応ですね。山崎さん」
「篠原、茶化さないでくれよ。今私は真剣に山崎くんに話をしているのだから」
「茶化してなんかないさ。私も真剣だよ。今の言い方は明らかに誤解を招くだろう?……すみませんね、山崎さん。警戒させてしまいました」

 振り向くと、篠原さんが頭を下げている。未だ笑いが残っているのか、口の端が少し上がっていたが、嫌な印象は受けなかった。

「伊東はこれでも虚勢を張る性格でしてね。外では口の立つ論客扱いだが、実は不器用な奴なんですよ」

「余計な事を言うな!」と怒る伊東さんに構わず、篠原さんは喋り続けた。

「先程から色々言っていますが一言でまとめると、貴方の力をお借りしてもっと新選組を良くしたい、という事なんですよ。隊士を恐怖で押さえつけるのではなく、信頼でまとめ上げていきたいと思っているんです」

 続きは君が、と伊東さんを促した篠原さんは、聞いてやってくれと言わんばかりに私を見た。改めて伊東さんに向きなおすと、拗ねたような、忌々しそうな表情をしている。
 いつも余裕綽々で、常に口角を上げている伊東さんしか見た事が無かった為、何だか新鮮だ。ちょっと誰かさんに似ていなくもないか……そんな事を一瞬考えてしまい、慌てて頭を振った。

「私の力と仰いますが先程も申し上げた通り、私には何の力もありません。ご命令とあらば動きますが、お貸し出来るような物など持ち合わせてはおりませんよ」
「ご謙遜を。しっかりと持っておられるじゃないですか。人を惹き付ける力を」

 拳を握りしめ鼻息荒く言う伊東さんに、一種の狂気を感じる。しかもこの人の言っている事はさっぱりだ。ならば補完してもらおうと、私は篠原さんを見た 。

 やれやれと頭を掻きながら篠原さんが言うには、

「お気付きだったと思いますが、我々は一時貴方を探らせて頂いていました。正確には監察の方々の素地を見極めたかったのです。中でも貴方が特別優秀だという事が分かり、是非我々の手助けをお願いしたいと思いました。任務の特性上、あまり他人と親しくしないようにされているようでしたが、一度関わると決めたら真摯に相手の心に寄り添える。これは誰にでも出来る事ではありません。言い方は悪いですが、今までに何人もの心を魅了してきた、貴方のその人誑しの才能を必要としているのです」

という事だ。正直これは褒められているんだか貶されているんだか分からない。ずっと私を付け回していた理由が分かった事だけはすっきりしたが、それ以外はむず痒さを残していた。

「ところが貴方は常に土方副長の傍らに寄り添っている。ずっと声をかけたかったのですが、土方副長が巧みに貴方と接触させないよう動いていたようですね。我々以上に貴方を評価しているのでしょう。端から見ると、過剰な程に大切な存在と見受けられました」

「大切な存在」という言葉が嬉しくて、つい顔が綻びそうになるのを必死に抑える。
 私自身も気を付けてはいたが、与り知らぬところでこんな攻防が繰り広げられていたという事は知らなかった。
 だがそれなら話は早い。

「私を評価して頂けるのは大変ありがたく思います。ですが俺は副長に採用して頂いた恩もあり、直下で動いているのです。私如きでも何か伊東組長のお役に立てるようでしたら、副長を通してご命令頂ければ、精一杯努力する所存です」

 そういうと私は徐に立ち上がった。もちろん苦無はいつでも取り出せるようにしながら。

「お話は以上で宜しいでしょうか。では、結論も出ましたし私はこれで失礼致します。ご迷惑をおかけ致しました」
「待ちたまえ、山崎くん」

 伊東さんが私を呼び止めようとしたが、敢えて振り向かずに襖を開けて廊下に出る。頭を下げると急いで襖を閉め、私は逃げるようにその場を走り去った。



 総長の葬儀は想像以上に盛大なものとなった。
 隊士ばかりか、壬生界隈からも大勢の弔問客がひっきりなしに訪れ、その死を惜しんだのである。生前の総長の人柄が偲ばれた。
 自ら希望した事もあり、総長の遺体の埋葬を任された私と神崎一二三は、山南家の家紋と同じであり、壬生の屯所からも程近い光縁寺に埋葬を頼んだ。
 その日から墓に花が絶える事は無い。
 私も暇を見つけて墓参りに行こうと思っていたのだが、悲しいかなそんな間などありはせず。

「三月十日に移転する。それまでに万事整えておけ」

という命令が急遽下り、大わらわだった。
 何とか前日までに出来上がったものの、棟梁達の苦労は計り知れないものがある。無茶なお願いをしたにも関わらず、移転の日には荷を運ぶのを手伝ったりもしてくれて、本当にありがたかった。
 そんな棟梁達の姿に衝撃を受け、斉藤組長が小さく傷ついていたようだ、というのは後に沖田さんから聞いた内緒の話。
 ちなみに島田さんは、八木さんに渡す礼金の金策に奔走していたらしい。
 副長も必死にかき集めていたそうだが、最終的にはたった五両にしかならなかったとぼやいていたそうだ。それを八木さんに渡したものの、副長は恥ずかしさで真っ赤になり俯いていたとか。
 更にその五両は八木さんからのご好意で、そのまま移転の祝い酒として返されたというから、穴があったら入りたかった事だろう。

 兎にも角にも、新たな屯所への移転は無事終える事が出来たのだった。
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良かった👍