時の泡沫
その日の内に局長より、総長付きの小姓の任を解かれた私は、西本願寺への屯所移転交渉の為奔走する事となった。
あの手この手と策を講じるも、未だあちらも必死に抵抗を続けている。その間も暇を見つけては総長の部屋を訪ねては居たのだが、声をかけても入る事は許されず。全く姿を見る事の無いまま、時ばかりが過ぎていた。
「今日もあかんかったな……」
出先で見かけた最中を手土産に、今しがた総長室を訪れたのだが、気配はあるにも関わらず返事は無くて。仕方なく壬生寺の境内で一人、最中を頬張っている。
「移転話が動き出してもうひと月くらいやんな」
次々と出される指示をこなすには、時間がいくらあっても足りない。気が付けば節分もとっくに過ぎていた。
「鬼の副長に豆を撒いたりたかってんけどなぁ」
総長の件があって以来、私達の関係は少しギクシャクしていた。
監察の山崎烝と琴尾。
副長と歳三さん。
同じなのに違う存在は、戸惑いを隠せなくて。思い切り豆でもぶつければ、気分も変わるかと思っていたのだが。
「すっきりせんなぁ」
盛大にため息をつき、横に置いた最中へと手を伸ばす。……が。
「無い」
包みはあるが、中身は空になっている。
「確か四つ買うて、一つ食べたはずやけど。随分強欲なお人やな……沖田はん!」
「もが?」
隠れているのは分かっていたが、敢えて気付かぬ振りをしてみればこれか。
振り向くと口に一つ、左右の手に一つずつ。
「食べんのはええけど、その姿はあかんやろ!」
「ふぁっへほひひほうはっはんへふほん(だっておいしそうだったんですもん)」
「そうやなー。美味しそうやわなー」
棒読みで返せば、満面の笑みでモゴモゴと最中を堪能する沖田さん。あまりにも幸せそうな姿に、私はただ苦笑いで見ているしかなかった。
「ぷはぁっ! 満足しました!」
「そらそやろなぁ……」
私の竹筒の水まで飲み干して、満足気に膨れた腹を摩っている沖田さんに、私は尋ねた。
「そんで? 何の用なん?」
「何の事でしょう?」
「こっちが聞いとんのや。屯所の中からついて回っとったやろ」
「そういやそうでした」
あたかも今思い出したかのようにポン、と手を打つ。
「土方さんが気にしてるんですよ。山崎さんが山南さんの所によく行っているようだから、何をしているのか見て来いって」
「何やそれ。直接聞いたらええやんな」
「ん~……聞きにくかったんじゃ無いですか? 最近仕事以外で顔を合わせて無いんでしょう? 恋仲なのに」
「っ!? 何でそれを……っ!」
思い切り動揺してしまう。
確かにそういう関係にはなったが、誰にも話さないとの決め事を交わしたはずだ。それなのに、沖田さんが知っているのは何故なのか。
その答えはあっさりと出された。
「だって土方さんに聞いたんですもん」
「何やてぇ!?」
「以前私が貴方に想いを告げた後、土方さんに戦線布告したんですよ。琴尾さんは私が貰いますってね。それがどうも土方さんの尻に火を付けたようで……想いを遂げてすぐに自慢されちゃいました」
「自慢って……」
「そりゃもうあーんな事やこーんな事まで、妄想できるくらいには」
「んなっ……!!」
信じられない! あの人はどこまで鬼を極める気なんだ!
あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうになる。
「何を言うたんか知らんけど忘れてや。後生やから記憶を消したって」
「やだなぁ、忘れませんよ勿体無い。でも……」
つい、と沖田さんの指が私の唇に触れた。
「私にはあんな風に言ったのに、土方さんの想いには応えたんですね……結構傷付きました」
そう言いながら、ゆっくりと唇をなぞる。
「でもこの唇が紡ぐ名前は土方さんでも、私は未だ諦めてはいませんからね。貴方が色恋に目覚めたのなら、私にも振り向かせる事が出来る機会があるはずですから。土方さんと仲違いしてる今なんて、絶好の機会ですよね」
例の如く悪戯っ子のような笑みを浮かべると、沖田さんは私に抱きついてきた。
「ちょっ、今は……!」
「分かってますよ。仲の良い所を見せつけてるだけですから」
その言葉に、何だ分かっていたのかと安心する。それは、先程からこちらを伺う気配。
「この距離だと声までは聞こえてませんね。土方さんから聞いてはいましたけど、相変わらず伊東さんに追い回されてるんですか?」
「ここ最近はなりを潜めとってんけどな……」
西本願寺の件で奔走している時は、一度も尾行の気配を感じてはいなかった。また再開したのかと思うとうんざりだ。
「そうですか。何にしても無粋ですね。あれが無ければ、接吻くらいは出来たのになぁ」
「はぁ!? 阿呆言いなや!」
「え~? だってさっき貴方が言ったんじゃないですか。『今は……』って」
「いやそれはそないな意味やのうて!」
「空気を読まずに行っちゃえば良かったかなぁ。せっかくの好機だったのに」
「いや、読んでもうて良かったわ……」
この人はどこまで本気か分からない。とりあえず、沖田さんが抱き付いたと同時に放った殺気のお陰か、今は気配が消えてしまっている。
私は沖田さんの腕から逃れると「屯所に戻りましょう」と促した。
「そうですね。あーあ、接吻は出来ないし、刀も抜けなかったし。つまらないなぁ」
「物騒な事言いなや!」
不満タラタラで屯所に向かう沖田さんの後を、私はうんざりしながら追うのだった。
屯所に戻ると、私達はその足で副長室を訪ねた。私の顔を見て、副長が小さく舌打ちしたのに気付く。
沖田さんもそれに気付いたのか、口の端を小さく上げて苦笑いをしていた。
とりあえずは先ほどの怪しい人物についてと、私が時々山南さんの様子を伺いに行ってはいるものの、一度も会えていない事を報告する。一応の納得をしたのか頷いた副長は、私達に新たな命令を下した。
あの手この手と策を講じるも、未だあちらも必死に抵抗を続けている。その間も暇を見つけては総長の部屋を訪ねては居たのだが、声をかけても入る事は許されず。全く姿を見る事の無いまま、時ばかりが過ぎていた。
「今日もあかんかったな……」
出先で見かけた最中を手土産に、今しがた総長室を訪れたのだが、気配はあるにも関わらず返事は無くて。仕方なく壬生寺の境内で一人、最中を頬張っている。
「移転話が動き出してもうひと月くらいやんな」
次々と出される指示をこなすには、時間がいくらあっても足りない。気が付けば節分もとっくに過ぎていた。
「鬼の副長に豆を撒いたりたかってんけどなぁ」
総長の件があって以来、私達の関係は少しギクシャクしていた。
監察の山崎烝と琴尾。
副長と歳三さん。
同じなのに違う存在は、戸惑いを隠せなくて。思い切り豆でもぶつければ、気分も変わるかと思っていたのだが。
「すっきりせんなぁ」
盛大にため息をつき、横に置いた最中へと手を伸ばす。……が。
「無い」
包みはあるが、中身は空になっている。
「確か四つ買うて、一つ食べたはずやけど。随分強欲なお人やな……沖田はん!」
「もが?」
隠れているのは分かっていたが、敢えて気付かぬ振りをしてみればこれか。
振り向くと口に一つ、左右の手に一つずつ。
「食べんのはええけど、その姿はあかんやろ!」
「ふぁっへほひひほうはっはんへふほん(だっておいしそうだったんですもん)」
「そうやなー。美味しそうやわなー」
棒読みで返せば、満面の笑みでモゴモゴと最中を堪能する沖田さん。あまりにも幸せそうな姿に、私はただ苦笑いで見ているしかなかった。
「ぷはぁっ! 満足しました!」
「そらそやろなぁ……」
私の竹筒の水まで飲み干して、満足気に膨れた腹を摩っている沖田さんに、私は尋ねた。
「そんで? 何の用なん?」
「何の事でしょう?」
「こっちが聞いとんのや。屯所の中からついて回っとったやろ」
「そういやそうでした」
あたかも今思い出したかのようにポン、と手を打つ。
「土方さんが気にしてるんですよ。山崎さんが山南さんの所によく行っているようだから、何をしているのか見て来いって」
「何やそれ。直接聞いたらええやんな」
「ん~……聞きにくかったんじゃ無いですか? 最近仕事以外で顔を合わせて無いんでしょう? 恋仲なのに」
「っ!? 何でそれを……っ!」
思い切り動揺してしまう。
確かにそういう関係にはなったが、誰にも話さないとの決め事を交わしたはずだ。それなのに、沖田さんが知っているのは何故なのか。
その答えはあっさりと出された。
「だって土方さんに聞いたんですもん」
「何やてぇ!?」
「以前私が貴方に想いを告げた後、土方さんに戦線布告したんですよ。琴尾さんは私が貰いますってね。それがどうも土方さんの尻に火を付けたようで……想いを遂げてすぐに自慢されちゃいました」
「自慢って……」
「そりゃもうあーんな事やこーんな事まで、妄想できるくらいには」
「んなっ……!!」
信じられない! あの人はどこまで鬼を極める気なんだ!
あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうになる。
「何を言うたんか知らんけど忘れてや。後生やから記憶を消したって」
「やだなぁ、忘れませんよ勿体無い。でも……」
つい、と沖田さんの指が私の唇に触れた。
「私にはあんな風に言ったのに、土方さんの想いには応えたんですね……結構傷付きました」
そう言いながら、ゆっくりと唇をなぞる。
「でもこの唇が紡ぐ名前は土方さんでも、私は未だ諦めてはいませんからね。貴方が色恋に目覚めたのなら、私にも振り向かせる事が出来る機会があるはずですから。土方さんと仲違いしてる今なんて、絶好の機会ですよね」
例の如く悪戯っ子のような笑みを浮かべると、沖田さんは私に抱きついてきた。
「ちょっ、今は……!」
「分かってますよ。仲の良い所を見せつけてるだけですから」
その言葉に、何だ分かっていたのかと安心する。それは、先程からこちらを伺う気配。
「この距離だと声までは聞こえてませんね。土方さんから聞いてはいましたけど、相変わらず伊東さんに追い回されてるんですか?」
「ここ最近はなりを潜めとってんけどな……」
西本願寺の件で奔走している時は、一度も尾行の気配を感じてはいなかった。また再開したのかと思うとうんざりだ。
「そうですか。何にしても無粋ですね。あれが無ければ、接吻くらいは出来たのになぁ」
「はぁ!? 阿呆言いなや!」
「え~? だってさっき貴方が言ったんじゃないですか。『今は……』って」
「いやそれはそないな意味やのうて!」
「空気を読まずに行っちゃえば良かったかなぁ。せっかくの好機だったのに」
「いや、読んでもうて良かったわ……」
この人はどこまで本気か分からない。とりあえず、沖田さんが抱き付いたと同時に放った殺気のお陰か、今は気配が消えてしまっている。
私は沖田さんの腕から逃れると「屯所に戻りましょう」と促した。
「そうですね。あーあ、接吻は出来ないし、刀も抜けなかったし。つまらないなぁ」
「物騒な事言いなや!」
不満タラタラで屯所に向かう沖田さんの後を、私はうんざりしながら追うのだった。
屯所に戻ると、私達はその足で副長室を訪ねた。私の顔を見て、副長が小さく舌打ちしたのに気付く。
沖田さんもそれに気付いたのか、口の端を小さく上げて苦笑いをしていた。
とりあえずは先ほどの怪しい人物についてと、私が時々山南さんの様子を伺いに行ってはいるものの、一度も会えていない事を報告する。一応の納得をしたのか頷いた副長は、私達に新たな命令を下した。
