時の泡沫

 それは元治二年(1865年)に入ってすぐの事。幹部が顔を突き合わせ、会議を行っていた。
 本来なら私は同席など出来る立場では無いのだが、私が小姓に就いてからは総長が落ち着いているという理由で、側にいるよう命じられている。その為私も末席に腰を下ろしていた。

「さすがに屯所も手狭だし、そろそろ移転を考えようと思うんだが……」

 今回の議題は屯所移転らしい。確かに隊士の数は急激に増え、八木邸と前川邸は芋の子を洗うような状態だった。私としても、移転は喜ばしい。

「そこでだ。移転先をいくつか考えてみたのだが、西本願寺が良いのではという話が出ている」
「西本願寺!?」

 皆が一斉に声を上げた。
 それもそのはず。西本願寺は勤王の色濃く、長州贔屓で有名だからだ。相対する新選組など受け入れるはずも無い。だが局長は胸を張って話を続けた。

「皆が驚くのも無理は無い。最初は私も悩んだのだが、土方くんと話をしている内に、西本願寺を抑えておけば長州への牽制にもなると気付いてな。どうだろう? 屯所は広くなり、お上の為にもなる。一石二鳥では無いだろうか?」

 ザワザワと幹部連中が騒ぎ出す。移転はともかく、場所が場所だけに皆すぐに答えを出すことができないようだ。ただ、局長と副長の間ではもう決定しているようにも見受けられた。

「移転は出来る限り早急に行いたい。意見のある者は言ってくれ」

 促すと、数人が声を挙げた。

「俺はあまり良い気はしねぇな。何でも力で解決すりゃ良いってもんでも無いしよ」

 永倉さんがそう言うと、原田さんが続ける。

「そもそも受け入れてくれんのか? 俺達は人を斬る事もあるんだぜ。寺なんて殺生はご法度だろ?」
「彼らの言う通りだ! いくらなんでも横暴じゃないか!」

 緊張が走った瞬間だった。
 声を荒げて怒りを露わにした総長に、皆の視線が一斉に注がれる。永倉さんと原田さんも、驚いて固まってしまった。

「僧侶に対して力で抑えつけようなど、言語道断! 屯所移転を理由に寺の動静を探ろうなど、恥ずかしいと思わないのか!?」

 凄まじい剣幕に、皆黙り込んだままだ。――副長を除いては。

「山南さん、あんたはそう言うと思ってたよ。だがそれなら代わりの場所が思い付くのかい?」
「探せばいくらでもあるだろう。わざわざ波風立てて仏を冒涜するような行為をしなくとも!」
「生憎今の俺達に必要なのは、仏の御加護じゃなく広い屯所だ。ついでに言うと、新選組に喜んで広い屋敷を貸してくれるような輩は、京にはいねぇ。どう転んだって波風は立っちまうんだよ」

 副長の目には、有無を言わせぬ強い光が宿っていた。それを見た総長が、ギリリと歯噛みする。

「ならば伊東さんはどう考えておられるのか? 是非意見を伺いたい」

 ハッと思い出したかのように言った総長はきっと、同門の伊東組長なら自分に賛同してくれると思ったに違いない。ところが……。

「山南さんのお気持ちはお察しします。ですが今回は私も近藤さん達の案に賛成です」
「伊東さん!?」
「確かにあまり褒められたやり方ではありませんが、これ以上長州に肩入れされては、我々としても厳しいのでは? 攻めの一手を投じるのも必要かと思いますよ」
「それはそうですが……」

 伊東さんの一言が、場の空気を一気に可決へと動かす。それに気付いた総長は、副長を睨みながら言った。

「既に手は打ってあったんだね、土方くん……もう君達の中では決定事項であり、この会議は、相談では無く事後報告だという事か」
「未だ先方と交渉はしちゃいねぇが、そう捉えてもらって構わねぇよ」

 火花を散らし、睨み合う二人。一触即発の状況を皆が固唾を飲んで見守っていたが、総長が「結局また……」と呟き、それ以上副長に何かを言う事は無く席を立ったため、事無きを得た。
 私は最後まで静観していたが、視線に気付き副長を見ると、目で『追え』と指示される。
 小さく頷き、私もそっとその場を離れて総長の後を追った。
 その後会議は誰一人異議を唱える事無く、可決で終了したという。

「総長、失礼します」

 返事を待たずして部屋に入ると、既に総長はひと暴れした後で。部屋中書物が散乱し、足の踏み場も無い状態だった。
 部屋の真ん中に放心状態で立ち尽くす総長にゆっくりと近付く。こちらに振り向きもしない背中にそっと手を当てると、体が大きくビクリと揺れた。

「総長……座りましょうか」

 急いで足下の書物を端に寄せ、空間を作る。されるがままの総長は、眼の光を失ったままその場に座り込んだ。

「これは……手の施しようが無い」

 完全に壊れてしまった総長を戻す手立てなど、私は知らない。
 今回の件は誰が見ても、副長の策略で総長を蚊帳の外に追いやっていたように見えるだろう。その結果がこうなる事を、副長は果たして予測していたのか――?

「総長……」

 多分無意識にやっているのであろう、畳に爪を立てている手に私の手を重ねる。ようやくこちらを見た焦点の合わぬ目は、私を素通りしながらも認識できたようだった。

「山崎……くん……」
「はい」
「やっぱり私は……新選組にはいらない人間だったよ」
「そんな事は決して!」
「……ありがとう、君の気持ちは嬉しかったよ。すまないが今は一人にしてくれないか?」

 せっかく成り立った会話は、全てを拒絶するかのように悲しい声で。私は素直に従うしかない。

「……分かりました」
「ありがとう、山崎くん……」

 部屋を出て障子戸を閉めきる最後の瞬間に見えたのは、これ以上なく優しい微笑みだった。
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