時の泡沫

 月は変わって師走となり、煤払いも終えた頃。私は新たな問題に直面していた。

「山南総長付きの小姓……ですか?」

 珍しく局長室で言い渡された次の任務に、私は首を傾げた。

「私の年では少々無理があるような……」
「小姓っつっても名ばかりで、名目っつーか、ちっとばかし山南さんを見ていて欲しいんだ」

 副長の話はこうだった。

 元々山南総長は、文久三年(1863年)十月、大坂滞在中に起きた岩城升屋押し入り事件で不逞浪士を撃退した際、左腕を負傷していた。
 翌年起きた八月十八日の政変でも活躍はしたものの傷が悪化してしまい、それ以降刀を振るう事はなくなっている。その後も総長としての役職は持っているのだが、本人が表舞台に立とうとしなくなったらしい。

 更に今回伊東さんが加入して以降、ますます閉じこもってしまっている。このままではいけないと策を講じてはいたらしいが、状況は悪化するばかり。
 そこで何とか山南総長の心の内を聞き出せないかと考え、私に白羽の矢を立てたわけだ。

「すまんが、頼めるだろうか」

 局長が申し訳なさそうに頭を下げる。私も慌てて頭を下げた。

「局長! 頭をお上げください。命令とあらば喜んでお受け致します」
「そうか、助かるよ。君なら安心して任せられる」
「勿体無いお言葉です」
「いやいや、今回の件では伊東さんも君を推していてね。太鼓判を押していたよ」
「伊東組長……ですか……」

 少し前から隊編成が変わり、伊東さんは二番隊の組頭に就任していた。チラリと副長を見ると、苦虫を噛み潰した顔をしている。要らぬ厄介事が増えなければ良いのだが。

「仕事としては山南さんの動向を伺い、時に話し相手をしたり、茶を運ぶくらいで良い。とりあえず少しでも心を開かせるよう動いてみてくれ」
「承知しました。では早速」

 そう言って私は立ち上がると、厨で茶を用意して山南総長の部屋に向かった。

「山南総長、宜しいでしょうか?」
「どうぞ」

「失礼します」と足を踏み入れ、真っ先に目に入るのは書物の多さ。ある意味新撰組の書庫になっているこの部屋は、いつ見ても圧巻だ。
 ちなみに先日の煤払いで一番難航したのはここだったりする。

「おや、山崎くんじゃないか。どうしたんだい? 君がここに来るなんて珍しいね」
「はい。先ほど局長より、総長付き小姓役を命ぜられましたのでご挨拶に伺いました」
「私の小姓に……かい? そんな話は聞いていないが」
「鬼の副長に日々こき使われてボロボロになっております故、どこまでお役に立てるかは分かりませんが、仏の総長にお仕えする事で俺の年末が癒しの時になればと思っております」

 そう言って頭を下げると「仕事なんだか願望なんだか分からないね」と笑われてしまった。
 久しぶりに間近で見た総長は、少々やつれているように見える。

「最近あまり総長のお姿を見かける事が無いため、皆心配しております。その後お身体の具合は如何でしょう?」

 以前から私も気にはなっていたため、先ずは質問を投げかけてみた。

「心配をかけてしまったようで済まないね。部屋に篭りっぱなしだから、やはり体力は落ちているかもしれないな。でも体調は悪くは無いよ」

 微笑みながら返された答えは、とても優しい声音で。普段は鬼か獣かと言った猛々しい声ばかりを聞いているため、仏の声の穏やかさが心に沁みた。

「……山崎くん、大丈夫かい? 何とも言えない表情をしているが……」
「すみません。総長の声に聞き惚れて極楽の向こうを見ていました。こんな風に穏やかな会話ができる事は少ないので」

 ふざけた返しで反応を見る。もちろん普段は決してこのような事を言いはしない。

「山崎くんは実は面白い人だったんだね。君のような人が小姓として側にいてくれれば楽しそうだ。」

 意外そうに笑った総長だったが、不意にその表情が曇る。

「だが私の心配より、君の方が体を休めるべきじゃないかい? 冗談のように言っているが、実際のところ疲れが溜まっているのだろう? 目の下が真っ黒じゃないか」

「ほら見てごらん」と渡された手鏡を覗くと、私の目の下には立派なクマが鎮座していた。

「本当ですね。全く気付いていませんでした」

 ここ最近の生活を思い返すと、確かに今まで以上に緊張感のある日々を送っていたとは思う。となると、このクマの原因は……

「伊東組長か……」
「……伊東さんがどうかしたのかい?」

 おや? と思った。私の小さな呟きに反応した総長の声が、微妙に硬くなった事に気付いたから。

「いえ、大した事ではありませんので」

 私如きの事で、総長の手を煩わせるわけにはいかないとの思いで受け流そうとしたのだが、総長の反応は異常な物だった。

「君も私を蔑ろにするのかい! 私はやっぱり除け者なのかっ!?」
「そ……うちょ……?」

 突然の激昂に驚いてしまう。こんな総長の姿を見るのは初めてだった。いつ何時でもこの人は、穏やかな笑みを浮かべていたから。

「近藤さんも、土方くんも! 伊東さんだって……っ」

 ダンッ! と握り拳で畳を殴り付ける姿は、恐ろしくも痛々しい。

「私は必要の無い存在なのかっ!!」

 何度も何度も殴り続ける総長の、目の焦点が合わない程の精神状態が意味するものは何か。
 そう考えた時、一つの可能性が浮かんだ。

「気鬱……か」

 そう気付いた瞬間、私は過去の記憶を呼び起こしていた。
 未だ鍼医の烝さんを『手伝って』いた頃に、治療を行っていた気鬱の患者。治るとまではいかずとも、落ち着かせる事は出来るだろう。
 懐に入れている鍼を取り出す。

「総長、失礼します」

 そう言って私は間髪入れず、気鬱のツボに鍼を刺した。
 いつもの総長なら、こんな油断などはしまい。あっさりと鍼を受け入れた総長は暫く固まっていたが、少しずつ正気を取り戻していった。

「私は……」
「総長、ご気分は如何でしょう?」
「あ……あ、大丈夫だよ……」

 頭を左右に数回振り、額に手を当てると総長は言った。

「すまない……迷惑をかけたね」

「いえ、お気になさらず。それよりも傷の手当てを。血が出ていますので」

 手拭いを裂き、傷口を覆う。後で軟膏を持ってくるかと考えていると、総長が悲痛な面持ちで語り出した。

「君も気付いただろう? これが私の閉じこもっている原因だ。私はちょっとした事で自分を抑えられなくなるんだよ。腕は怪我でまともに動かず刀を扱えない。冷静な判断力も無い。……こんな私が新撰組に必要とされるはずないだろう?」

 手当てした傷口を摩りながら、総長が続ける。

「以前から土方くんとはよく衝突していたが、それでもお互いの意見をぶつけ合える良い関係だったんだ。だが伊東さんが来て……それまでの関係が崩れてしまった。近藤さんは伊東さんの言い成りだし、土方くんはそんな伊東さんに対抗するかの如くだしで、私を見向きもしない。今の新選組に、私の居場所は無いんだよ……」

 自嘲の笑みを浮かべる総長。話を聞き、なるほど気鬱の原因は分かった。ならば今私ができる事は何か。

「でしたら、ご自分で居場所を作れば良いのでは?」
「自分で……かい?」
「はい。失礼ですが今の総長は、仲間に入れて貰えないと駄々をこねている子供と同じです」
「随分手厳しいね」
「子供なら大人が介入する事もできますが、大人はそうはいきません。自分で何とかするしかないと思っています」

 苦笑いで話を聞いている総長に、私は畳み掛けるように言う。

「総長は自分の必要性に気付いておられない。貴方に足りないのは自信です。貴方が心を開けば、周りは自ずと変わるかと」

「そうだろうか……」と自信なさ気に呟く総長を見て思った。私のような者が言う説教紛いの話を、きちんと聞いてくれるような上司なのだ。表に出れば、再び厚い信頼を得ることだろう。

「総長もお気付きのように、局長は伊東さんに心酔されており、副長は心労を重ねておられます。試衛館時代からのお仲間である総長が率先して副長の味方について下されば、どんなにか心強いかと」
「そう思うかい?」
「はい。そうでなければ、私を小姓にしてまで貴方を気遣うような事はしないのでは? 少なくとも私は、総長が新選組にとって唯一無二の存在だと思っております。もしどうしても心が荒れるようでしたら、お呼び頂ければいつでも鍼を打ちに参りますよ。何本でもご遠慮無く」

 そう言ってジャラリと鍼の束を出して見せる。

「……いや、そこは遠慮したいな」

 いかにも困った、といった視線が私とぶつかり……プッと二人一緒に吹き出してしまった。

「ありがとう。君のお陰で気持ちが楽になったよ」

 少しは役に立てたのだろうか。先程まで総長の顔に浮かんでいた暗い影は薄くなり、明るい笑顔を浮かべている。
 こうなればあと一押しだろう。

「善は急げ、ですね。今からでも副長とお話をしてみられては?」
「そうだな。何から始めて良いかは分からないが、まずは外に出てみようか」

 総長が立ち上がる。
 私も退室しようとすると、「ああ、そうだ。山崎くん。」と呼び止められた。

「はい?」
「君は私の小姓を任じられたのなら、暫くは私の命令で動けるのだね?」
「そういう事になります」
「では、総長命令だ。今日これから三日間休みを与える。少し体を休めなさい。土方くんには私から言っておくよ。今回の報告も、私からしておくから安心しなさい」
「……! ありがとうございます!」

 仏の総長完全復活?
 思ってもみなかった休みを与えられ、思わず相好を崩してしまう。ヒラヒラと手を振りながら副長室に向かう総長の背に、私は深々とお辞儀をするのだった
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