時の泡沫

 朝を迎え、副長と私は別々に屯所に戻った。永倉さん達の話は伝えてあるので、近い内に動いてはもらえるだろう。
 後から戻った私が見た副長は、すっかり元の鬼に戻っていて。目が合うとニヤリと笑う姿に、思わず笑みがこぼれた。あの人はもう大丈夫だろうという確信が持てたから。

「山崎、仕事だ」
「はい!」

 早速与えられた仕事は、副長が吹っ切れた事を物語っていた。



 それから十日程経ったある日の八つ時。

「なかなか尻尾を出しませんねぇ」

 そう言いながら、空のお皿を重ねていくのは島田さん。最近の我々の合流場所は、専ら甘味処だった。
 伊東さん達が来て以降、屯所内で迂闊に話が出来なくなっている為、どうしても出先で顔を合わせるしかなくて。店はいつも島田さんに指定されているので、有無を言わせず甘味処になっている。
 最近は何処の甘味処に寄っても、店主が笑顔で寄ってくるほどだ。理由は言わずもがなと言ったところか。

「伊東さん達が来られてから二十日ほど経ちましたが、疚しい事など一つも見つかりませんね。聖人君子と思しきほどですよ」

 先日から島田さんと私は、秘密裏に伊東さんの動向を探るよう指示を受けている。今の所は接触を避け、様子を伺っている状態なのだがいかんせん収穫が無い。だからと言って、このまま手をこまねいてるわけにもいかなかった。

「あまりに完璧過ぎるのが気になります。私が接触しましょうか?」

 伊東さんは自分も仲間になったのだからという事で、幹部から平隊士まで全ての者と顔を合わせ、話をしようとしていた。それは監察の人間にも同様で、時間があれば是非にと打診はされている。だが相手の手の内が分からぬ今は未だ、極力接触を避けるよう副長に言われていた。
 確かに接触すれば、敏いあの男の事だ。こちらの動向が読まれかねない。下手をすると私の場合は女だと見抜かれてしまう恐れがある。できれば私としても接触は避けたいが、任務の為なら背に腹は変えられないだろう。

「何れにせよ、我々も無接触ではいられませんし、隙を作ってみましょう」
「分かりました。ではまずは山崎さんにお任せします」

 頷いた島田さんは、最後の一口を頬張ると席を立った。勘定を済ませて店を出た島田さんの後ろ姿を見送り、改めて卓の上に並んだ皿を見る。

「うちら、今日は四半刻もおらんかったよな……そんでこの皿数かいな」

 重ねられた山のような皿に、もう呆れるしか無い。

「はよ解決せな、この状態が続くと甘味処巡りで太ってまいそやわ。とっとと終わらせてまお」

 一つ小さなため息をつくと、胸焼けを押さえ込むように冷めてしまったお茶を流し込み、私も店を後にした。



 数日後。
 私が少し散歩でもしようかと屯所を出たところで、伊東さんとばったり鉢合わせた。もちろんこれは伊東さんの行動を把握した上で、顔を合わせるように動いた結果だ。

「おや、貴方は……」
「これは伊東さん、ご挨拶が遅れまして。山崎烝と申します」
「あぁ、監察方の。こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ない。伊東甲子太郎です」

 とても丁寧な頭の下げ方に感心する。
 誰に対しても分け隔てなく接するこの人の評価が高いのを、今この瞬間肌で感じられた。

「一度貴方ともお話ししたいと思っていたのですよ。とても優秀な人材だと伺っておりましたのでね」
「もったい無いお言葉です」
「いやいや、ご謙遜なさらずとも。今日はこれからご用事が?」
「いえ、本日は非番ゆえ、周辺をぶらついてこようと思っておりました」
「あぁ、良いお天気ですからね。では私もご一緒させて頂けますか?」
「当ては有りませんが宜しいでしょうか」
「それなら、良い店がありますから参りましょう」

 あくまでも朗らかで、非の打ち所のない会話は流石だと思う。これに乗らない手は無いと、私は伊東さんについて行く事にした。

「ここ……ですか……?」
「ええ、先日ここの大福を食べたら美味しくて」
「そ……うでしょうね……」

 まだ京に来て浅い伊東さんのお薦めとは、一体何処かと興味本位でついて来てみれば、まさかの島田さんご贔屓の店で。ちなみに先日伊東さんの話をしていた店でもある。

「おいでやす。おや山崎はん。今日は島田はんはいてはらへんのかな?」
「ええ、まぁ……」

 二人一緒で当たり前のような扱いはしないで欲しい。実際のところ、私自身は甘味に飽き飽きしているのだから。

「おや、山崎くんはよくこちらに?」
「よく……と言うほどではありませんが……」

と曖昧に濁すと、横から店主が口を挟む。

「島田さんとよう来てくれはるんですわ。とにかく島田さんが甘いモン好きでしてなぁ。ようけ食べてくれはるから、見ていて気持ちが良うて」
「なるほど、そうですか……」

 店主の言葉に耳を傾けながらも、伊東さんは何かを考え込んでいた。そして「ふむ」と呟くと、何故か持ち帰りの大福を注文する。

「伊東さん……?」

 店で食べるつもりで来たのでは? と不思議に思っていると、伊東さんが私の耳元でこっそりと言った。

「甘い物には飽きてしまっているのでは? 店を変えましょう」

 瞬間、ゾワリと鳥肌が立った。
 この人の洞察力と行動力、人誑しの才能は天性のものだ。たったこれだけの事なのに、全てを読まれている錯覚に陥った私は、必死に笑顔を取り繕う。

「ええ、助かります」

 私の答えに、伊東さんも笑顔を見せた。

 大福を受け取り店を出て、向かった先は蕎麦屋。寒さ凌ぎにも良いだろうとの伊東さんの提案だ。
 冷えた体が中から温まるのを感じ、ホッと溜息が出てしまう。そんな私を、伊東さんは微笑みながら見ていた。

「あの……私の顔に何か付いていますか?」

 じっと見つめられ、居た堪れなくなる。思い切って尋ねると伊東さんは、ちょっと可笑しそうに目を細め、手を伸ばしてきた。

「そうですね。ネギがここに」

 顎に伊東さんの指が触れ、思わずビクリと体を引く。そんな私を見てクスリと笑った伊東さんの目はとてつもなく怪しくて、全身を悪寒が走った。

「あ、ありがとう……ございます……っ!」

 慌てて懐から手拭いを出し、口の周りを拭って気付く。ああ、これは揶揄われたな、と。このまま動揺していると相手の思うツボだ。私は気を引き締め直した。

「伊東さんはもう京の暮らしには慣れましたか?」
「ええ、お陰様で。目新しい物が多くて毎日飽きる事がありませんね。流石京だと思いました」
「それは良かった」
「山崎くんは京のお生まれでしたよね?」
「はい。よくご存知ですね」
「新選組に入れていただいたのですから、私も隊士の皆さんについて知っておきたいと思いまして」
「全員……ですか?」
「ええ。隊士名簿をお借りしましてね」

 さも当然と言わんばかりの笑顔に舌を捲く。この人は、全てにおいてソツが無い。

「ちなみに山崎くん」
「何でしょう?」
「貴方は何故新選組に?」

 ごく自然に尋ねられた質問も、その真意はきっと計り知れない物だろう。

「入隊理由ですか? 単純に、武士になりたかったからですよ」
「貴方は元鍼医でしたよね?」
「はい。ですが幼い頃から武士には憧れていまして。たまたま募集を見かけて応募したら、幸運にも入隊と相成りました」
「なるほど。ではもしその募集をかけていたのが長州だとしたら、貴方は応募していましたか?」
「長州……ですか?」

 意外な切り口に、思考を止められた。
 新選組の中での佐幕派と倒幕派を分ける何かしらの話は出るかと睨んでいたが、まさかの長州とは。

「考えたこともありませんでしたが……」

 求められる答えを探す。

「確かに、武士になりたいと言う理由だけで言えば、それも一つの選択肢だったかもしれませんね。ですが長州はお上に弓を引いて、京の治安を乱す輩。私としては京を平穏な地にするべく尽力してくれる側に仕えたいので、長州はありえませんね」
「なるほど。更にお聞きしますが、貴方は今の幕府をどうお思いですか?」

 いよいよ核心を突いてきたか――。先程まで穏やかだった瞳に、強い光が宿っているのが見えるのは間違いなく、幕府への忠誠心とは相反するものだろう。

「私は伊東さんと同じく、新選組に与する者。思いは貴方と同じなのでは無いでしょうか?」

「何だか禅問答のようですね」と笑いながら答えると、私の真意を探るかのように私を見つめた伊東さんは言った。

「いや、流石は優秀と誉れ高い山崎くんだ。貴方のような方がいると、新選組も安泰ですね」
「そんな大袈裟ですよ」
「貴方は頭の回転が早く、人当たりも良い。そして何より美しい」
「………は?」

褒め言葉の最後に、余計な物が入っていたような……。

「伊東さん? 一体何の話を……」
「見目の良さは、一つの大きな武器ですよ。ああ、誤解しないでください。私は色恋の話をしている訳ではないのです。新選組の前身、壬生浪士組が『壬生狼』ならぬ『身ボロ』と呼ばれていたのはご存じですよね?」
「ええ。存じています」
「当時は生活に余裕が無かったという事で、ボロを着るしかなかったと言うのは仕方の無い事でしょう。ですが今はきちんと給金があるにも関わらず、身形を整えていない者が多い。京の民や、その他大勢から見下される理由を作ってしまっていると思いませんか?」
「なるほど…」
「貴方は決して贅沢な着物を着ている訳ではありませんが、身形をきちんとされている。それは貴方が信用するに足る証ですね。貴方のような方を私は探していたのですよ」
「探していた……と言うと……?」

 さあ、どう出てくる? 伊東さん。
 私は伊東さんの次の言葉を待った。ところがである。

「さて、そろそろ屯所に戻りましょうか。今日は貴方と話ができて良かったです。有意義な時間でした」
「はぁ……」
「是非またお付き合い下さい。貴方とはもっと色々と語り合いたいですね」

 アッサリと話を打ち切られ、狐につままれたような気分になりながら、蕎麦屋を後にする。
 帰る道すがらに再びその話が出る事は無く、主に伊東さんの故郷や藤堂さんとの出会いについてなどを聞くだけで。あと一歩、突き詰める事が出来なかった。
 それでもハッキリと分かったのは、伊東さんは一筋縄ではいかぬ策士だという事。これからは今以上に警戒しなければ、と私は気合いを入れ直したのだった。
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良かった👍