時の泡沫
永倉さん達と別れた私は、副長から与えられた隠れ家に来ていた。
ここでは周囲からの詮索を避けるため、亭主に先立たれて一人で生きるお琴という女の設定になっている。ほぼ自分そのものの為、変に気負う必要も無くてありがたく、更に監察として動く際にも拠点がある方が動きやすいこともあり、一石二鳥も三鳥もあるというわけだ。
今夜は外泊許可をもらってある。久しぶりに伸び伸びと体を休められると思うと、嬉しくて仕方なかった。出来れば先程の件を副長に報告しておきたかったが、生憎今日は外出中。
「こればかりはしゃぁないもんな。最近寝不足でお肌の調子も悪いし、しっかり休んで明日スッキリ報告や」
まだ外は明るかったが、私はいそいそと寝床を整える。
「これぞ至高の贅沢やんなぁ」
満面の笑みで横になり、体を伸ばした私は、あっという間に深い眠りに落ちていった。
どのくらい眠っていたのだろう。もうすっかり日は落ち、差し込む月明かりで漸く手元が見えるくらいの深夜。外から聞こえた小さな物音で目が覚めた。
耳を澄ませると、この隠れ家の鍵を開けようとしているらしきカチャカチャという音が聞こえる。私はそっと布団を抜け出すと、苦無を握りしめて構えた。
とりあえず殺気は感じられない。だが家に入ろうとする意志を持っているのは明らかだ。
やがて鍵が外れたようで、ゆっくりと戸板が開けられる。私は息を潜め、その姿が見えた瞬間苦無を投げようとした。――が。
「副長……っ!?」
フラリと中に入ってきたのは副長で。ご丁寧に戸板を閉めてくれはしたのだが、そこで力尽きたように倒れそうになる。
「ちょっ……!」
慌てて苦無を投げ出し支えようとしたが、いかんせん体格が違いすぎて、そのまま押し倒される形になってしまった。
「ったぁ……副長、大丈夫ですか?」
なんとか土間ではなく畳に倒れ込む事は出来たが、この衝撃は痛い。しかも、のしかかられたままで、重い!
「副長……苦しいし、上からのいたってぇな」
押し退けようとするのだが、副長は動かない。
「なぁちょっと! 重いんやからさっさと……」
そこまで言って気付いた。この匂いは――。
「副長、ひょっとして酔うてはるん?」
「別にぃ~酔ってなんか……」
「メチャメチャ酔うてはりますやん。グダグダやし」
角度を変えてゆっくりと押し返し、漸く副長の下から抜け出すと、行灯に火を灯した。浮かび上がった副長は完全に酔いどれ状態で目が座っており、いつもの鬼の姿は片鱗も無い。
「こんなになるまで飲まはって……どないしはったんです? あんまりお強い方ではないんやし、無茶な飲み方しなや」
副長は、普段あまり酒を嗜まない。弱いとからというのはもちろんだが、酔いが回っている時に突然の襲撃にあっては対応できないからとの考えもあるからだ。そんな副長がここまで飲むとは、正直驚いた。
「今日は局長や伊東さん達と出掛けてたんやんな? 皆帰らはったん?」
起き上がれそうにも無いので、水さしで水を飲ませる。虚ろだった目が少しだけ光を帯び、私を見た。
「琴尾……」
「へえ」
差し伸べられた手を取ると、副長はゆっくりと指を絡めてきた。撫でるように動かされ、擽ったい。
「副長酔いすぎや。とりあえずここで休んどき。うちは屯所に戻りますわ」
せっかくの外泊許可だったが仕方ない。
「報告したい事もあるよって、副長も早う屯所に戻ってくださいね」
「ん~……」
と返事にならない声を出す副長に小さく溜息をつくと、私は帰る準備の為に立ち上がろうとした。しかし、「ここにいろ、琴尾……」と手が離れることは無く、強く握られたまま。
「ここにいてくれ……お前まで離れて……行かないでくれ……」
「副長?」
絞り出すように言う副長の声は、とても悲しそうで。これが本来の土方歳三なのだろうか。いつもの冷酷で自信家の鬼とは到底思えない。
「うちはここにおりますえ。そない不安がらんでも大丈夫や。ちゃんと側におるしな」
子供にするようにポンポンと頭を叩いてやると、少しだけ安心したように副長が頬を緩めた。
「しゃぁないし、うちはそっちに布団を敷く準備するわ。副長はこのまま寝――」
最後まで言えなかった言葉が、副長の唇に飲み込まれる。いつの間にか私の体は副長に覆い被さる形で抱きしめられ、唇が重なっていた。
ここでは周囲からの詮索を避けるため、亭主に先立たれて一人で生きるお琴という女の設定になっている。ほぼ自分そのものの為、変に気負う必要も無くてありがたく、更に監察として動く際にも拠点がある方が動きやすいこともあり、一石二鳥も三鳥もあるというわけだ。
今夜は外泊許可をもらってある。久しぶりに伸び伸びと体を休められると思うと、嬉しくて仕方なかった。出来れば先程の件を副長に報告しておきたかったが、生憎今日は外出中。
「こればかりはしゃぁないもんな。最近寝不足でお肌の調子も悪いし、しっかり休んで明日スッキリ報告や」
まだ外は明るかったが、私はいそいそと寝床を整える。
「これぞ至高の贅沢やんなぁ」
満面の笑みで横になり、体を伸ばした私は、あっという間に深い眠りに落ちていった。
どのくらい眠っていたのだろう。もうすっかり日は落ち、差し込む月明かりで漸く手元が見えるくらいの深夜。外から聞こえた小さな物音で目が覚めた。
耳を澄ませると、この隠れ家の鍵を開けようとしているらしきカチャカチャという音が聞こえる。私はそっと布団を抜け出すと、苦無を握りしめて構えた。
とりあえず殺気は感じられない。だが家に入ろうとする意志を持っているのは明らかだ。
やがて鍵が外れたようで、ゆっくりと戸板が開けられる。私は息を潜め、その姿が見えた瞬間苦無を投げようとした。――が。
「副長……っ!?」
フラリと中に入ってきたのは副長で。ご丁寧に戸板を閉めてくれはしたのだが、そこで力尽きたように倒れそうになる。
「ちょっ……!」
慌てて苦無を投げ出し支えようとしたが、いかんせん体格が違いすぎて、そのまま押し倒される形になってしまった。
「ったぁ……副長、大丈夫ですか?」
なんとか土間ではなく畳に倒れ込む事は出来たが、この衝撃は痛い。しかも、のしかかられたままで、重い!
「副長……苦しいし、上からのいたってぇな」
押し退けようとするのだが、副長は動かない。
「なぁちょっと! 重いんやからさっさと……」
そこまで言って気付いた。この匂いは――。
「副長、ひょっとして酔うてはるん?」
「別にぃ~酔ってなんか……」
「メチャメチャ酔うてはりますやん。グダグダやし」
角度を変えてゆっくりと押し返し、漸く副長の下から抜け出すと、行灯に火を灯した。浮かび上がった副長は完全に酔いどれ状態で目が座っており、いつもの鬼の姿は片鱗も無い。
「こんなになるまで飲まはって……どないしはったんです? あんまりお強い方ではないんやし、無茶な飲み方しなや」
副長は、普段あまり酒を嗜まない。弱いとからというのはもちろんだが、酔いが回っている時に突然の襲撃にあっては対応できないからとの考えもあるからだ。そんな副長がここまで飲むとは、正直驚いた。
「今日は局長や伊東さん達と出掛けてたんやんな? 皆帰らはったん?」
起き上がれそうにも無いので、水さしで水を飲ませる。虚ろだった目が少しだけ光を帯び、私を見た。
「琴尾……」
「へえ」
差し伸べられた手を取ると、副長はゆっくりと指を絡めてきた。撫でるように動かされ、擽ったい。
「副長酔いすぎや。とりあえずここで休んどき。うちは屯所に戻りますわ」
せっかくの外泊許可だったが仕方ない。
「報告したい事もあるよって、副長も早う屯所に戻ってくださいね」
「ん~……」
と返事にならない声を出す副長に小さく溜息をつくと、私は帰る準備の為に立ち上がろうとした。しかし、「ここにいろ、琴尾……」と手が離れることは無く、強く握られたまま。
「ここにいてくれ……お前まで離れて……行かないでくれ……」
「副長?」
絞り出すように言う副長の声は、とても悲しそうで。これが本来の土方歳三なのだろうか。いつもの冷酷で自信家の鬼とは到底思えない。
「うちはここにおりますえ。そない不安がらんでも大丈夫や。ちゃんと側におるしな」
子供にするようにポンポンと頭を叩いてやると、少しだけ安心したように副長が頬を緩めた。
「しゃぁないし、うちはそっちに布団を敷く準備するわ。副長はこのまま寝――」
最後まで言えなかった言葉が、副長の唇に飲み込まれる。いつの間にか私の体は副長に覆い被さる形で抱きしめられ、唇が重なっていた。
