時の泡沫
あれから数日経った元治元年(1864年)十月の終わり頃。
隊士募集の為に東下していた近藤局長達が帰ってきた。
「近藤さん、お帰りなさい!」
真っ先に出迎えたのは沖田さん。局長を父のように慕っているせいか、局長絡みになるといの一番に行動するのだ。その姿はさながら、主人を見つけて千切れんばかりに尾を振る犬のようで、見ていてほのぼのしてしまう。
「おう、総司。留守中息災だったか?」
「はい!」
満面の笑みが眩しい。
「戻ったか、近藤さん」
「歳! 屯所を任せきりにしてすまなかったな。大事無いか?」
「ったりめぇだ。誰に聞いてんだよ」
副長も、いつもの顰め面はどこへやら。表情がとても柔らかい。こうして近藤局長、女房役である副長、沖田さんの三人が並ぶと仲良し一家の図のように見えるのは、私の目の錯覚だろうか。
続いて幹部連中が局長を迎える中、少し遅れて到着したのは――。
「近藤さん、我々もこちらで宜しいのでしょうか?」
「あぁ、伊東さん。どうぞお入りになって下さい」
件の伊東甲子太郎が姿を現した。
「紹介しよう。こちらが伊東甲子太郎さんだ」
「初めまして皆さん。これから宜しくお願いします」
伊東さんが軽く会釈しニコリと微笑めば、隊士達がほう……と目を細める。幹部だけでなく、その場にいた平隊士達にも丁寧な態度を取る伊東さんに、早速好印象を持ち始めているようだ。私も彼の情報を集める際に遠目では何度か姿を目にしていたが、こうして改めて近くで見ると、表向きは確かに噂通りの良き人物に見えた。
だがもちろん、その存在を良く思わない人間もいるわけで。
「なーんか気にくわねぇんだよな」
伊東さんが到着してから数日経った頃。何故か壬生寺に一部の隊士を呼び出し、話し始めたのは永倉さん。神道無念流免許皆伝で、我武者羅な性格から「がむしん」と呼ばれている彼は、イライラを隠しきれないようだった。
「前評判通りの良い男なんだろうけどよ……色々と扱いが良すぎねぇか? 近藤さんも異常な程にベッタリだしよ。それによく見りゃあの男、目が笑ってねぇ。一見穏やかそうだが、腹ん中は真っ黒だと思うぜ」
さすがにこの人はよく見ている。あの笑顔は全て計算された物だろうと、私も感じてはいた。
「だからって今更どうすんだよ。平助がわざわざ声をかけてきたんだろ? 近藤さんは既に心酔しちまってるなら、俺達がどうこう言ったところで聞く耳なんざ持たねえよ」
宝蔵院流槍術の遣い手である原田さんも、同じ違和感を感じていたようだ。
「じゃぁ左之は納得してんのかよ。隊士が増えるのは悪いこっちゃねぇけど、今回の人選はどうも素直に受け入れられねぇ。斎藤はどう思う?」
話を振られた斎藤さんはしばし考え込んでいたようだが、「俺は局長達の指示に従うまでだ」と言うにとどまった。
斎藤さんは無外流の遣い手である。無口で物静かな性格で、特に副長からの信頼が厚い。
「お前はいつもそうだよな。まぁそれが隊士の正しい姿なのかもしんねぇけどよ」
永倉さんの言葉に、原田さんが苦笑いしながら頷いた。答えは分かってはいても、何らかの意見が欲しかったのだろう。とすると、次に意見を聞かれるのは――。
「山崎は伊東さんをどう見てる?」
最後に残っているのは私だけ。聞かれないはずが無い。
「そうですね……新選組と『志を同じくしている』のであれば、問題無いかと」
敢えて含みのある言い方をしてみれば、察しの良い永倉さんの表情が険しくなった。
「山崎お前、何か掴んでるな」
「いえ、私は何も」
「土方さんの見解は?」
「いつも通り、一歩下がった所から見ておられます」
「成る程な……」
これだけで全てを察してくれるのだからありがたい。
「何だよ? どういう事だ?」
理解できない原田さんが、永倉さんの肩に腕を回して聞いてくる。
「ったく、左之は相変わらず鈍いな。要は伊東さんに深入りするなってこった。土方さんは警戒してんだよ」
「そうなのか? 来たばっかなのに、もう衝突してんのかよ」
「お前だって、少しは胡散臭さを感じてんだろ。近藤さんは良くも悪くも素直だから、流されやすい。そこに付け込まれたら、気がつきゃ伊東さんが局長になっちまってたって事にもなりかねねえ」
永倉さんの見解は正しいだろう。そもそも加入と同時に局長に対して、総長どころか副長と同等に意見を述べる事もあるのだ。むしろ局長が自ら伊東さんに意見を求めるので、伊東さんが到着した日の夜以降、沖田さんですら声を掛けられないくらいに副長が荒れているらしい。伊東さんの影響力は、下手したら副長を既に凌駕し始めているのかもしれないのだ。
「それで、新八はどうしたい? そもそも俺達をここに呼び出した意味は?」
黙って話を聞いていた斎藤さんが口を開いた。それは私も知りたかった事だ。普段あまり交流の無い私がこの場に呼ばれたのが、不思議で仕方なかったのだから。
「伊東さんが来てからまだ数日しか経ってないってのに、屯所の雰囲気が変わってきてるのがどうも居心地悪くてよ。誰かと話したくても、常に様子を伺われてる気がしてな。本当は平助達とも話したかったが、やっぱ平助に同門を悪く言う姿は見せたくねぇし、総司は伊東さんに心酔してる近藤さんの言いなりだし。土方さんは最近荒れてるから怖くて声かけらんねぇしよ……」
「それでこの場所、この人選ですか。では私は何故?」
「山崎は土方さんとよく話してるだろ? だから土方さんの考えが分かるかと思ってな。利用するような形ですまねぇ」
なるほど、と納得する。
基本監察は島田さんが統括しているため、組頭の面々と連絡を取り合う際、私が顔をあわせる事はほとんど無い。体が大きく、目立ちやすい島田さんはどうしても相手に覚えられやすい事から、自然と内部的な仕事を回される。
反面私は男女どちらとしても変装できるため隠密行動が多く、必然的に副長のそばにいる事が多かった。まぁこれには、私が女である事を隠す為の副長の気遣いも含まれているのだろうが。
「いえ。では副長には私から皆さんの懸念についてお伝えしておきます」
「すまねぇな」
「任されました」
ニコリと笑って会釈すると、原田さんが驚いた顔で私を見た。
「……山崎ってこんな顔して笑うんだなぁ」
「はい?」
「いや、仕事の時は人当たりの良さそうな顔をしてるけど、普段はあまり感情を表には出さねぇだろ? 正直近寄り難いっつーかあんまり関わりたくなかったんだよ。だから驚いちまった」
「私だって喜怒哀楽はありますよ。普段真面目に仕事してるから、無表情に見えてるだけです」
「なんか俺が真面目じゃねぇみたいだな」
「そこは否定しません」
「うむ、そうだな」
「っておい、斎藤! 便乗すんな!」
サラリと会話に入ってくる斎藤さんに、プッと小さく吹き出してしまう。
「満場一致だ諦めろ」と笑いながら言う永倉さんと「ふざけんな! 俺は真面目に生きてる!」と涙目になる原田さん。そのまま二人の追いかけっこが始まってしまい、この話はお開きになったのだった。
隊士募集の為に東下していた近藤局長達が帰ってきた。
「近藤さん、お帰りなさい!」
真っ先に出迎えたのは沖田さん。局長を父のように慕っているせいか、局長絡みになるといの一番に行動するのだ。その姿はさながら、主人を見つけて千切れんばかりに尾を振る犬のようで、見ていてほのぼのしてしまう。
「おう、総司。留守中息災だったか?」
「はい!」
満面の笑みが眩しい。
「戻ったか、近藤さん」
「歳! 屯所を任せきりにしてすまなかったな。大事無いか?」
「ったりめぇだ。誰に聞いてんだよ」
副長も、いつもの顰め面はどこへやら。表情がとても柔らかい。こうして近藤局長、女房役である副長、沖田さんの三人が並ぶと仲良し一家の図のように見えるのは、私の目の錯覚だろうか。
続いて幹部連中が局長を迎える中、少し遅れて到着したのは――。
「近藤さん、我々もこちらで宜しいのでしょうか?」
「あぁ、伊東さん。どうぞお入りになって下さい」
件の伊東甲子太郎が姿を現した。
「紹介しよう。こちらが伊東甲子太郎さんだ」
「初めまして皆さん。これから宜しくお願いします」
伊東さんが軽く会釈しニコリと微笑めば、隊士達がほう……と目を細める。幹部だけでなく、その場にいた平隊士達にも丁寧な態度を取る伊東さんに、早速好印象を持ち始めているようだ。私も彼の情報を集める際に遠目では何度か姿を目にしていたが、こうして改めて近くで見ると、表向きは確かに噂通りの良き人物に見えた。
だがもちろん、その存在を良く思わない人間もいるわけで。
「なーんか気にくわねぇんだよな」
伊東さんが到着してから数日経った頃。何故か壬生寺に一部の隊士を呼び出し、話し始めたのは永倉さん。神道無念流免許皆伝で、我武者羅な性格から「がむしん」と呼ばれている彼は、イライラを隠しきれないようだった。
「前評判通りの良い男なんだろうけどよ……色々と扱いが良すぎねぇか? 近藤さんも異常な程にベッタリだしよ。それによく見りゃあの男、目が笑ってねぇ。一見穏やかそうだが、腹ん中は真っ黒だと思うぜ」
さすがにこの人はよく見ている。あの笑顔は全て計算された物だろうと、私も感じてはいた。
「だからって今更どうすんだよ。平助がわざわざ声をかけてきたんだろ? 近藤さんは既に心酔しちまってるなら、俺達がどうこう言ったところで聞く耳なんざ持たねえよ」
宝蔵院流槍術の遣い手である原田さんも、同じ違和感を感じていたようだ。
「じゃぁ左之は納得してんのかよ。隊士が増えるのは悪いこっちゃねぇけど、今回の人選はどうも素直に受け入れられねぇ。斎藤はどう思う?」
話を振られた斎藤さんはしばし考え込んでいたようだが、「俺は局長達の指示に従うまでだ」と言うにとどまった。
斎藤さんは無外流の遣い手である。無口で物静かな性格で、特に副長からの信頼が厚い。
「お前はいつもそうだよな。まぁそれが隊士の正しい姿なのかもしんねぇけどよ」
永倉さんの言葉に、原田さんが苦笑いしながら頷いた。答えは分かってはいても、何らかの意見が欲しかったのだろう。とすると、次に意見を聞かれるのは――。
「山崎は伊東さんをどう見てる?」
最後に残っているのは私だけ。聞かれないはずが無い。
「そうですね……新選組と『志を同じくしている』のであれば、問題無いかと」
敢えて含みのある言い方をしてみれば、察しの良い永倉さんの表情が険しくなった。
「山崎お前、何か掴んでるな」
「いえ、私は何も」
「土方さんの見解は?」
「いつも通り、一歩下がった所から見ておられます」
「成る程な……」
これだけで全てを察してくれるのだからありがたい。
「何だよ? どういう事だ?」
理解できない原田さんが、永倉さんの肩に腕を回して聞いてくる。
「ったく、左之は相変わらず鈍いな。要は伊東さんに深入りするなってこった。土方さんは警戒してんだよ」
「そうなのか? 来たばっかなのに、もう衝突してんのかよ」
「お前だって、少しは胡散臭さを感じてんだろ。近藤さんは良くも悪くも素直だから、流されやすい。そこに付け込まれたら、気がつきゃ伊東さんが局長になっちまってたって事にもなりかねねえ」
永倉さんの見解は正しいだろう。そもそも加入と同時に局長に対して、総長どころか副長と同等に意見を述べる事もあるのだ。むしろ局長が自ら伊東さんに意見を求めるので、伊東さんが到着した日の夜以降、沖田さんですら声を掛けられないくらいに副長が荒れているらしい。伊東さんの影響力は、下手したら副長を既に凌駕し始めているのかもしれないのだ。
「それで、新八はどうしたい? そもそも俺達をここに呼び出した意味は?」
黙って話を聞いていた斎藤さんが口を開いた。それは私も知りたかった事だ。普段あまり交流の無い私がこの場に呼ばれたのが、不思議で仕方なかったのだから。
「伊東さんが来てからまだ数日しか経ってないってのに、屯所の雰囲気が変わってきてるのがどうも居心地悪くてよ。誰かと話したくても、常に様子を伺われてる気がしてな。本当は平助達とも話したかったが、やっぱ平助に同門を悪く言う姿は見せたくねぇし、総司は伊東さんに心酔してる近藤さんの言いなりだし。土方さんは最近荒れてるから怖くて声かけらんねぇしよ……」
「それでこの場所、この人選ですか。では私は何故?」
「山崎は土方さんとよく話してるだろ? だから土方さんの考えが分かるかと思ってな。利用するような形ですまねぇ」
なるほど、と納得する。
基本監察は島田さんが統括しているため、組頭の面々と連絡を取り合う際、私が顔をあわせる事はほとんど無い。体が大きく、目立ちやすい島田さんはどうしても相手に覚えられやすい事から、自然と内部的な仕事を回される。
反面私は男女どちらとしても変装できるため隠密行動が多く、必然的に副長のそばにいる事が多かった。まぁこれには、私が女である事を隠す為の副長の気遣いも含まれているのだろうが。
「いえ。では副長には私から皆さんの懸念についてお伝えしておきます」
「すまねぇな」
「任されました」
ニコリと笑って会釈すると、原田さんが驚いた顔で私を見た。
「……山崎ってこんな顔して笑うんだなぁ」
「はい?」
「いや、仕事の時は人当たりの良さそうな顔をしてるけど、普段はあまり感情を表には出さねぇだろ? 正直近寄り難いっつーかあんまり関わりたくなかったんだよ。だから驚いちまった」
「私だって喜怒哀楽はありますよ。普段真面目に仕事してるから、無表情に見えてるだけです」
「なんか俺が真面目じゃねぇみたいだな」
「そこは否定しません」
「うむ、そうだな」
「っておい、斎藤! 便乗すんな!」
サラリと会話に入ってくる斎藤さんに、プッと小さく吹き出してしまう。
「満場一致だ諦めろ」と笑いながら言う永倉さんと「ふざけんな! 俺は真面目に生きてる!」と涙目になる原田さん。そのまま二人の追いかけっこが始まってしまい、この話はお開きになったのだった。