時の泡沫
「ちょっ、待って……下さい……よ……沖田さんっ」
息が上がって上手く喋れない私が懇願するも、沖田さんは強引に私を引っ張って走り続ける。
「も、息が続かな……っ……沖田さんっ!」
人通りの全く無い路地に入った辺りで限界を感じた私は力を振り絞り、腕を引き抜いた。
「無茶……しんといてぇな……」
肩で息をしながら沖田さんを見る。同じ距離を走ったはずの彼が涼しい顔で立っているのが、何とも憎らしかった。
「自分……凄い体……力……あるんやね……」
こちらはなかなか呼吸が整わないというのに。私もそれなりに鍛えているはずだが、引っ張られる形で走ったために体勢が悪かった事を加味しても、その差を見せつけられた気がした。
はぁっと大きく息を吸って何とか落ち着くと、何故か沖田さんが怒っていることに気付く。
「沖田はん……何を怒ったはるん?」
むしろ怒るのは強引に連れ出されたこちらの方だ。納得のいかない私は、軽く沖田さんを睨みながら言った。
「ブスくれてても分からんえ。ちゃんと言うてくれな」
少し膨れている頬に手を当てて押すと、見事にプシューと中の空気が抜けていき、つい吹き出してしまう。
「子供みたいやな。副長と言い、沖田はんと言い、もう少し……」
「子供じゃないです!」
突然怒鳴られ、思わずビクリとした。沖田さんの顔は真剣だ。
「私は子供じゃありません! そりゃあ土方さんに比べたら未だひよっこかもしれませんが……」
「沖田はん?」
「私じゃダメなんですか……」
「え……?」
「私だって、貴方を一人にはしません。私の方が……っ」
その言葉を聞いて気付いた。私が自分の過去を話したのは、沖田さんと副長のみ。ただ、沖田さんには芹沢さんについてしか伝えていなかった為、あの話を知っているという事は……。
「あの話……聞いてはったんやね」
「たまたま隣の部屋にいたんですよ。……ねぇ、以前私も名前を尋ねた事がありましたよね。どうして私には教えてはくれなかったんですか!?」
「それは……あの時は未だうちも心の準備が出来てなかったと言うか……」
「じゃぁ今! 今教えて下さい。貴方の口から、私だけに向けて。貴方の名前を聞かせてくれよっ!」
その声はまるで、心の底からの悲鳴に聞こえる。私は小さく息を吐くと、沖田さんの目を真っ直ぐに見て言った。
「私は新選組、諸士調役兼監察、山崎烝。そして、沖田はんの知りたいもう一人のうちは……」
優しく、優しく。多分今、少しでも拒絶の片鱗が見えればこの人が泣いてしまいそうだから。
「琴尾。これがうちのほんまの名ぁや。うちに似合うた、かいらし名ぁやろ?」
私らしく、少しおどけても見せた。
「でも話を聞いとったんなら、何ですぐに声かけんかったん?あれからもう三月(みつき)近う経ってるし」
禁門の変以降、確かに隊務でしょっ中出入りはしていた物の、長期不在では無かった為、沖田さんと顔を合わせる機会はいくらでもあった。なのに彼はいつもの調子でふざけるばかり。こんな風に必死な姿を見せられたのは、これが初めてだ。
「うちが二つの名ぁを持ってるんは、沖田はんと副長しか知らんし、二人の事は信用してます。時にこうして素の自分でいられるんは二人のお陰やし、助かっとるんえ。一人や無いんも分かってるから心配しんでも大丈夫や」
最後にニコリと笑ってみせたが、沖田さんの表情は硬かった。
「……うちの答え、未だ足らんの?」
何を言っても無言のまま立ち尽くす沖田さんに、戸惑いを隠せない。
「……なぁ、何でそんな顔してはるん? 怒りながら泣きそやなんて……」
「好きなんですか?」
「……はい?」
「土方さんが好きなんですか?」
質問の意味を理解するより早く、私が理解したのは……自分が沖田さんの腕の中に囚われたという事。
「お、おき……」
「私は貴方が好きです。貴方を知ったのも、この気持ちに気付いたのも土方さんより後なのは認めます。でも私は誰より貴方が好きです!」
「……っ!」
息が止まりそうなほどに強く抱きしめられ、その想いの大きさを知る。身動ぎ出来ない状況に、私はただ身を任せておくしか無かった。
息が上がって上手く喋れない私が懇願するも、沖田さんは強引に私を引っ張って走り続ける。
「も、息が続かな……っ……沖田さんっ!」
人通りの全く無い路地に入った辺りで限界を感じた私は力を振り絞り、腕を引き抜いた。
「無茶……しんといてぇな……」
肩で息をしながら沖田さんを見る。同じ距離を走ったはずの彼が涼しい顔で立っているのが、何とも憎らしかった。
「自分……凄い体……力……あるんやね……」
こちらはなかなか呼吸が整わないというのに。私もそれなりに鍛えているはずだが、引っ張られる形で走ったために体勢が悪かった事を加味しても、その差を見せつけられた気がした。
はぁっと大きく息を吸って何とか落ち着くと、何故か沖田さんが怒っていることに気付く。
「沖田はん……何を怒ったはるん?」
むしろ怒るのは強引に連れ出されたこちらの方だ。納得のいかない私は、軽く沖田さんを睨みながら言った。
「ブスくれてても分からんえ。ちゃんと言うてくれな」
少し膨れている頬に手を当てて押すと、見事にプシューと中の空気が抜けていき、つい吹き出してしまう。
「子供みたいやな。副長と言い、沖田はんと言い、もう少し……」
「子供じゃないです!」
突然怒鳴られ、思わずビクリとした。沖田さんの顔は真剣だ。
「私は子供じゃありません! そりゃあ土方さんに比べたら未だひよっこかもしれませんが……」
「沖田はん?」
「私じゃダメなんですか……」
「え……?」
「私だって、貴方を一人にはしません。私の方が……っ」
その言葉を聞いて気付いた。私が自分の過去を話したのは、沖田さんと副長のみ。ただ、沖田さんには芹沢さんについてしか伝えていなかった為、あの話を知っているという事は……。
「あの話……聞いてはったんやね」
「たまたま隣の部屋にいたんですよ。……ねぇ、以前私も名前を尋ねた事がありましたよね。どうして私には教えてはくれなかったんですか!?」
「それは……あの時は未だうちも心の準備が出来てなかったと言うか……」
「じゃぁ今! 今教えて下さい。貴方の口から、私だけに向けて。貴方の名前を聞かせてくれよっ!」
その声はまるで、心の底からの悲鳴に聞こえる。私は小さく息を吐くと、沖田さんの目を真っ直ぐに見て言った。
「私は新選組、諸士調役兼監察、山崎烝。そして、沖田はんの知りたいもう一人のうちは……」
優しく、優しく。多分今、少しでも拒絶の片鱗が見えればこの人が泣いてしまいそうだから。
「琴尾。これがうちのほんまの名ぁや。うちに似合うた、かいらし名ぁやろ?」
私らしく、少しおどけても見せた。
「でも話を聞いとったんなら、何ですぐに声かけんかったん?あれからもう三月(みつき)近う経ってるし」
禁門の変以降、確かに隊務でしょっ中出入りはしていた物の、長期不在では無かった為、沖田さんと顔を合わせる機会はいくらでもあった。なのに彼はいつもの調子でふざけるばかり。こんな風に必死な姿を見せられたのは、これが初めてだ。
「うちが二つの名ぁを持ってるんは、沖田はんと副長しか知らんし、二人の事は信用してます。時にこうして素の自分でいられるんは二人のお陰やし、助かっとるんえ。一人や無いんも分かってるから心配しんでも大丈夫や」
最後にニコリと笑ってみせたが、沖田さんの表情は硬かった。
「……うちの答え、未だ足らんの?」
何を言っても無言のまま立ち尽くす沖田さんに、戸惑いを隠せない。
「……なぁ、何でそんな顔してはるん? 怒りながら泣きそやなんて……」
「好きなんですか?」
「……はい?」
「土方さんが好きなんですか?」
質問の意味を理解するより早く、私が理解したのは……自分が沖田さんの腕の中に囚われたという事。
「お、おき……」
「私は貴方が好きです。貴方を知ったのも、この気持ちに気付いたのも土方さんより後なのは認めます。でも私は誰より貴方が好きです!」
「……っ!」
息が止まりそうなほどに強く抱きしめられ、その想いの大きさを知る。身動ぎ出来ない状況に、私はただ身を任せておくしか無かった。