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時の泡沫

「何やこれ……」

 頬に手を当てれば、止めどなく溢れてくる涙に濡れる。

「何で今更こんな……」

 天井を仰ぎ、目を覆った。

『そないに悲しい顔せんとってや。俺は琴尾の笑顔が好きなんや』

――烝はんが、うちの笑顔を好きやと言うてくれたから……

『黙って笑っていれば、良い女だと言えなくもないな』

――芹沢はんが、笑顔を褒めてくれたから……

 せめて思い出す時くらいは笑っていようと決めたのに。

「お前……まさか今まで泣いてなかったのか? 亭主が死んだ時も。芹沢さんが……殺された時も」
「だって……うちに出来るんは笑う事くらいしか……」

 漏れそうになる嗚咽を、手で押さえ込んだその時――。

 一瞬、何が起きたか分からなかった。
 全身に伝わってくる温もりで、ようやく副長に抱きしめられた事に気付く。

「ふ……くちょ……」
「泣けよ」
「え……」
「ここには俺しかいない。今まで我慢してきた物、ここで思い切り泣いて吐き出しちまえ」

 力強く抱きしめられた腕は優しさを備えていて、ほっとするような心地良さを感じた。更にふわりと頭を撫でられると、涙腺は緩むばかりで。

「ふ……っく……」

 これまでずっと胸にしまい込んでいた感情が、一気に噴き出してくる。もう我慢する事は出来なかった。

「烝はんも……芹沢はんも……うちを見てくれた人は皆逝んでもうた……っ! 何でうちを一人にするん!? 一人は寂しい……一人はもう嫌や……っ!!」

 わぁっと号泣する私を、副長は何も言わずに抱きしめてくれる。
 着物が涙で濡れても。我を失い、副長の胸を拳で強く叩いても。
 何も言わず、ただ静かに私が落ち着くのを待ってくれていた。



「申し訳ございません。取り乱しました」

 一頻り泣いた私は、畳に頭を擦り付けながら副長に詫びを入れていた。

「……泣くのは良いんだけどよ……力を加減しろっての」

 副長がさすっている胸には、私の拳の痕が赤く残っていた。まぁそこらの女子に比べたら私の力が強いのは間違いないのだが、鍛え方が足りないんじゃないか? なんて事を考えたとは、口が裂けても言えない。

「すみません」

 反省の姿を見せれば、溜息で許して貰えたようだ。

「で? 少しはスッキリしたのか?」

 ニヤリと笑いながら聞かれる。私はその問いに言葉ではなく、笑みで返した。

「良い顔しやがって」

 嬉しそうに破顔する副長。そしてやれやれ、と大きくノビをしたかと思うと、何故かクルリと後ろを向き、私に背を向けた。

「副長?」
「あー、その、何だ……お前は一人じゃねぇよ。少なくとも俺はここにいるし、お前を見てる。一人にする気はねぇよ」
「……はい?」

 少しだけ見える副長の頬が赤い事に気付く。これは照れながら、私を励まそうとしてるって事?

「新選組の一員として、今まで通り置いていただけるという事ですか?」
「そうだけど……それだけじゃねぇ」
「どういう事ですか……?」

 否定なのか肯定なのか、イマイチ副長の真意が分からず困っていると。

「鈍いヤツだな……」

 呆れたように溜息をつく。そして再びこちらを振り向いた副長は、今までに無く真剣な面持ちで私を見た。

「初めてお前を見かけたのは、芹沢さん達と一緒の時だった。遠目にもよく笑っている姿が見えて、変わった女もいたもんだと興味を持っていた」

 そんなに前からこの人は私の存在を知っていたのか。当時屯所に来た時はいつも芹沢さんの所に直行で、近藤派の隊士と顔をあわせる事は皆無だった為気付いていなかった。
 でも『変わった女』という表現が引っかかるのは流しておくべきか。

「隊士として入った山崎を見た時は、男のはずなのに何故か惹かれるものがあって戸惑っていた。山城屋の件もあったから余計にな。だからこそお前が女だと分かった時は、動揺しながらも安堵したさ。今全てが繋がってみると、俺はずっと一人の女に惹かれてたんだな」

 ここまで言われれば、いくら私が鈍くても分かる。

「俺は、一人の男としてお前を見てる。絶対一人にはしねぇよ」

 副長からすれば、時間をかけて育んできた想い。でも私にとっては寝耳に水な話であり、さすがに頭が真っ白になった。

「お前は俺の事をどう思っている?」

 尋ねられ、言葉に詰まる。

「あ……の、その……」
「あぁ、良いさ。急な話だし、すぐに返事を寄越せとは言わねぇよ。暫く考えてみてくれ。ダメならスッパリ諦めるさ。返答次第でお前をどうこうするなんて職権乱用はしねぇから安心しろ」

 そう言った副長の顔は少し寂しそうで、未だ考える事すらしていない私の胸にチクリと小さな痛みを残した。

「とりあえずそういう訳で、お前は今まで通り山崎烝として監察方に残れ。あと、近い内に監察用の隠れ家をいくつか増やすつもりだ。その内一つはお前が使え。男所帯の屯所だと、気を抜ける場所もねぇだろう?」
「でも、さすがにその特別扱いには……」
「なら俺の別宅って事にしておくさ。その分しっかり働いてくれ」
「分かりました……ありがとうございます」

 ありがたい申し出に一先ず礼を言った私は、退出しようと立ち上がる。
 そして副長室の障子戸に手をかけた時。

「琴尾」

 不意に呼ばれて振り向いた。
 と同時に唇に触れたのは――。

「……っ!!」
「俺はいつも見てるからな」

 耳元で囁くように言われ、全身が熱くなる。

「しっ……失礼しますっ!!!」

 消えない柔らかな感触に頭を混乱させながら副長室を飛び出した私は、真っ赤になりながら一目散に監察の部屋へと走り戻った。

 だから、私は全く気付いていなかったのだ。
 その時通り過ぎた隣の部屋に、息を潜める影があった事を――。
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