時の泡沫
「……はい?」
向けられていた殺気が消えた。構えていた刀を取り落としそうになり、剣士としてはありえぬほどの動揺を見せている。
「有栖川宮って……どういう事です? 私はそんな話知りません」
嘘は言っていないのだろう。この動揺は本物だ。
「聞いとんのはこっちや。でもまぁほんまに知らんかったみたいやな」
新選組の内部事情を探っていた時に耳にした噂は、芹沢さんが攘夷派だった有栖川宮家に対して、密かに奉公を申し出ていたという話だった。
確認に確認を重ねた為、この情報は信用に足る物だと思っている。会津藩による芹沢さん暗殺の命のきっかけは、間違いなくこれだろうと私は確信していた。何故なら会津藩が軽んじられている事を、はっきりと見せつけられた事になるのだから。
ただその事が近藤派に伝えられているかまでは分かっていなかったのだが……。
「所詮使い捨てのコマって奴か」
芹沢派と違い、近藤派は幕府に従順だ。ならば近藤派だけにしてしまえば、新選組は使い勝手が良くなる。
「何や虚しなるなぁ」
一通り考えを巡らせると、私の中からはもう復讐の文字は無くなっていた。
「良うしてくれた芹沢はんに恩義を感じて、殺した輩に復讐しようと飛び出して来たけど……あの人は大き過ぎて、うちがどうこう出来るもんやなかったな」
芹沢さんに直接手をかけた沖田さんを殺した所で、本当の復讐にはならない事が分かってしまったから。真の仇は会津藩……いや、その上か?
ここまで来ると、私にはもう手も足も出ない。
「もうええわ。斬るなり何なり好きにしたって下さいな。本懐を遂げたわけや無いけど、やりたい事はやれたわ」
何とも間抜けな幕引きだ。
「ほんま、阿呆らし」
苦笑いしている私に、漸く落ち着きを取り戻した沖田さんが近付いて来た。その手に刀は無く、鞘に納められている。
「うちの事斬らんの?」
「斬りませんよ。私達の知らない情報を集められるような優秀な人材を、むざむざ死なせたりはしません。今まで以上に働いて下さい」
「はぁ?」
先程までの鋭い目つきは何処へやら。いつものふざけた沖田さんがそこにいた。
「……うちら、今の今まで一触即発やったやんな」
「はい。でも分かり合えたみたいですし、今は一人でも多くの優秀な人材が必要なので」
「いや別に分かりおうてないし! なんやうちの今までの生き方、全部否定されとるみたいやないの」
「否定なんてしてませんよ。……私も芹沢先生、好きでしたから」
「え……?」
思いがけない言葉に、今度は私が動揺する。
「色々と迷惑はかけられてましたけど、根が悪い人じゃ無いのは皆知っていました」
「じゃぁ何で……」
合わせた瞳にドキリとした。それは今にも泣き出しそうだったから。
「私達は『会津中将お預かり新選組』ですから。……近藤さんの涙は嘘偽りの無い本物の涙ですよ」
「そう……なんや……」
その言葉で、沖田さんの心を理解できた気がした。
――なぁ、芹沢はん。うちの目ぇはフシ穴やったんかな?
『新選組には田舎者ばかりが集うているが、皆純粋で日の本の行く末を真剣に憂いている者ばかりだ。若輩者故に選ぶ道を間違える事もあろうが、それでも前に進み続けられるはずだ。わしはこの身を滅ぼす事になろうとも、新選組を守りたい』
何で今まで忘れてたんやろ。
芹沢はんのこの言葉を覚えていれば、うちもこんな遠回りせんで良かったんかな?
うちがほんまにやらなあかん事、もっと早うに気付けとったんかな?
「屯所に戻りますわ」
懐から手拭いを出し、苦無の傷に巻く。意外と傷は深く「いったぁ!」と叫んでしまい、沖田さんに笑われてしまったが、この際そんな事は忘れてしまおう。
「早う屯所に現況を伝えな、うちら死んだ事にされてまいそうや」
「そうですね。土方さんに知れたら、次の日には墓石が建てられてますよ」
「……無駄に手際がええお人やな」
苦笑いをしながら、私たちは屯所に向けて走り出した。
途中、焼け出された民衆の介抱をしながらの移動ではあったが、その後は長州の残党に出会う事もなく、無事報告を終える事となる。
ちなみに、後に『どんどん焼け』と称されるようになった今回の大火は、私達が屯所に戻った後も燃え続け、最終的に鎮火するまで三日を要することとなった。その被害は凄まじく、復旧したのは明治に入ってからとの事である。
向けられていた殺気が消えた。構えていた刀を取り落としそうになり、剣士としてはありえぬほどの動揺を見せている。
「有栖川宮って……どういう事です? 私はそんな話知りません」
嘘は言っていないのだろう。この動揺は本物だ。
「聞いとんのはこっちや。でもまぁほんまに知らんかったみたいやな」
新選組の内部事情を探っていた時に耳にした噂は、芹沢さんが攘夷派だった有栖川宮家に対して、密かに奉公を申し出ていたという話だった。
確認に確認を重ねた為、この情報は信用に足る物だと思っている。会津藩による芹沢さん暗殺の命のきっかけは、間違いなくこれだろうと私は確信していた。何故なら会津藩が軽んじられている事を、はっきりと見せつけられた事になるのだから。
ただその事が近藤派に伝えられているかまでは分かっていなかったのだが……。
「所詮使い捨てのコマって奴か」
芹沢派と違い、近藤派は幕府に従順だ。ならば近藤派だけにしてしまえば、新選組は使い勝手が良くなる。
「何や虚しなるなぁ」
一通り考えを巡らせると、私の中からはもう復讐の文字は無くなっていた。
「良うしてくれた芹沢はんに恩義を感じて、殺した輩に復讐しようと飛び出して来たけど……あの人は大き過ぎて、うちがどうこう出来るもんやなかったな」
芹沢さんに直接手をかけた沖田さんを殺した所で、本当の復讐にはならない事が分かってしまったから。真の仇は会津藩……いや、その上か?
ここまで来ると、私にはもう手も足も出ない。
「もうええわ。斬るなり何なり好きにしたって下さいな。本懐を遂げたわけや無いけど、やりたい事はやれたわ」
何とも間抜けな幕引きだ。
「ほんま、阿呆らし」
苦笑いしている私に、漸く落ち着きを取り戻した沖田さんが近付いて来た。その手に刀は無く、鞘に納められている。
「うちの事斬らんの?」
「斬りませんよ。私達の知らない情報を集められるような優秀な人材を、むざむざ死なせたりはしません。今まで以上に働いて下さい」
「はぁ?」
先程までの鋭い目つきは何処へやら。いつものふざけた沖田さんがそこにいた。
「……うちら、今の今まで一触即発やったやんな」
「はい。でも分かり合えたみたいですし、今は一人でも多くの優秀な人材が必要なので」
「いや別に分かりおうてないし! なんやうちの今までの生き方、全部否定されとるみたいやないの」
「否定なんてしてませんよ。……私も芹沢先生、好きでしたから」
「え……?」
思いがけない言葉に、今度は私が動揺する。
「色々と迷惑はかけられてましたけど、根が悪い人じゃ無いのは皆知っていました」
「じゃぁ何で……」
合わせた瞳にドキリとした。それは今にも泣き出しそうだったから。
「私達は『会津中将お預かり新選組』ですから。……近藤さんの涙は嘘偽りの無い本物の涙ですよ」
「そう……なんや……」
その言葉で、沖田さんの心を理解できた気がした。
――なぁ、芹沢はん。うちの目ぇはフシ穴やったんかな?
『新選組には田舎者ばかりが集うているが、皆純粋で日の本の行く末を真剣に憂いている者ばかりだ。若輩者故に選ぶ道を間違える事もあろうが、それでも前に進み続けられるはずだ。わしはこの身を滅ぼす事になろうとも、新選組を守りたい』
何で今まで忘れてたんやろ。
芹沢はんのこの言葉を覚えていれば、うちもこんな遠回りせんで良かったんかな?
うちがほんまにやらなあかん事、もっと早うに気付けとったんかな?
「屯所に戻りますわ」
懐から手拭いを出し、苦無の傷に巻く。意外と傷は深く「いったぁ!」と叫んでしまい、沖田さんに笑われてしまったが、この際そんな事は忘れてしまおう。
「早う屯所に現況を伝えな、うちら死んだ事にされてまいそうや」
「そうですね。土方さんに知れたら、次の日には墓石が建てられてますよ」
「……無駄に手際がええお人やな」
苦笑いをしながら、私たちは屯所に向けて走り出した。
途中、焼け出された民衆の介抱をしながらの移動ではあったが、その後は長州の残党に出会う事もなく、無事報告を終える事となる。
ちなみに、後に『どんどん焼け』と称されるようになった今回の大火は、私達が屯所に戻った後も燃え続け、最終的に鎮火するまで三日を要することとなった。その被害は凄まじく、復旧したのは明治に入ってからとの事である。
