時の泡沫
芹沢さんに助けられてから数日が経ち。私は一人、壬生を訪れていた。
「ここ……やろか……?」
屯所と思しき屋敷を覗き込む。中からは男達の話し声や、剣術の稽古をしていると思しき竹刀のぶつかる音が聞こえてきていた。
「うーん。やっぱり声はかけにくいなぁ……」
しばしの時、門の前を行ったり来たりしていると。
「誰かに用があんのか?」
不意に声をかけられた。
「ひゃいっ! あ、はい。ありますっ!」
思わず変な声を出してしまい、恥ずかしさで真っ赤になってしまう。肩を窄めて小さくなった私を見て、声をかけてきた男は吹き出した。
「ぶはっ! 悪りぃ悪りぃ。驚かしちまった。誰だって急に声をかけられたらびびっちまうよな」
私の肩をポンポンと叩きながら言うこの男に嫌味なところは無い。何だか安心してしまい、私にも自然と笑みが浮かんだ。
「こちらこそ門の前で怪しいですわな、すんまへん。こちらに芹沢はんていてはりますやろか?」
「ん? 芹沢さんの知り合いだったのか。あの人ならあっちの屋敷だぜ。連れてってやるよ」
行こうぜ、と笑顔で踵を返し、男はさっさと歩き出す。その素早さに一瞬出遅れたが、私も慌てて後を追った。
「芹沢さーん。あんたに客だぜ」
「何だ、永倉君か。来客の予定は無いはずだがな」
玄関では無く庭から回り込むように案内され少々及び腰になりながら、私は永倉と呼ばれた男の後ろを付いて行っていた。丁度寛いでいたのか、少々不機嫌そうな声が部屋の奥から聞こえる。
「あんたに用があるみたいだから、聞いてやってくれよな。んじゃ、俺は戻るわ」
私がきちんと礼を言う間も無く、永倉さんはその場を去った。芹沢さんとはあまり仲良く無いのかな? 何と無くそんな空気を感じたのだが、気のせいだろうか。
「して、わしにどのような用向きでここにきた?」
再び部屋から声が聞こえた。半分しか空いていない障子戸からは、私の姿は見えていないのだろう。いや、ひょっとして覚えられてない……?そんな不安を感じながら、私は声をかけた。
「こんな場所からすんまへん。先日芹沢はんに助けて頂いた、琴尾です。今日は遅ればせながらお礼に伺いました」
一息で言い切り、返事を待つ。暫しの沈黙の後、ゆっくりと芹沢さんの姿が現れた。
「あの時の女か」
「はいっ! その女です。先日はほんまにありがとうございました!」
そう言って私は頭を下げる。
「お口に合うかは分かりまへんが、お酒をお持ちしました」
持ってきた酒を差し出すと、芹沢さんはフンと鼻で笑いながら受け取った。
「まさかこんな所まで来るとはな。壬生浪士組の噂は耳にしていよう」
呆れたように言われ、私は小さく頷く。
「へえ、聞いてます。ぎょーさん噂がありますなぁ」
助けられた後、意識するようになったからか、壬生浪士組の話をよく聞くようになった。しかし話の全てが彼らを否定するものばかり。存在自体が迷惑だという風潮で、ただの一つも良い噂を耳にしていない。
「結成してから日ぃが浅い割に、芹沢はんの悪名は轟いてて……」
そう、壬生浪士組の噂の大半は、芹沢さんについてだったのだ。酒乱、押し借り、乱闘騒ぎ。見事に悪人を具現化したような話ばかりで。
「ほんま驚きましてん」
私の言葉に、芹沢さんがこちらを睨む。だが、続けた言葉が表情を変えさせた。
「噂って、嘘しか広がらんもんなんやなぁって」
「嘘……?」
驚いているのだろうか? 少し目を見開き、私を見つめている。
「だって、芹沢はんはうちを助けてくれはりましたやろ? あん時あんだけ沢山の人がおったのに、手を差し伸べてくれたんは芹沢はんだけや。そんなお人が噂通りの悪人のはず無いし」
自信満々の顔で、私は続けた。
「うちは見たもんしか信じひんのや。芹沢はんはええ人や。うん、間違いあらへん! しかも強いし最強や!」
鼻息荒く話してみれば、呆れた顔をしている芹沢さん。
「よく喋る女だな」
暫く私を見ていたが、ふん、と小さく笑うと部屋に入り、すぐに戻って縁側にどかりと座った。手には杯を持っている。
「お前の喋りは長くて疲れるが、酒を飲みながらなら聞いてやらんでも無い。話したければ座って酌でもしながら話せ」
何とも勝手な事を言っているが、多分これは芹沢さんの優しさなのだろう。その証拠に、表情がとても柔らかい。
「ほな、そうさしてもらいます。そやけど飲み終わるまでに、話が終わるやろか?」
「……ほどほどにしろ」
「へぇ、何から話そかなー。ってあれ? うち何しに来たんやったかな? お礼に来たはずなんやけど……まぁええか」
何故だろう。芹沢さんはお酒を飲みながら話を聞いているだけなのに。喋り続けてる私に、時折小さく入れてくれる相槌が嬉しい。
「やっぱり優しいお人やな」
確か八つ時に屯所を訪ねたはずだったが。気付けば空が夕焼けで赤く染まっていた。
後から聞いた話だが私が喋り倒していた頃、新見さん他お仲間の面々は部屋の奥で『ひそひそ声』の大騒ぎをしていたらしい。
「あの女、芹沢先生に偉そうに喋って……斬られるんじゃないか?」
「いや、よく見ろ。先生の顔が……」
「何だあの妹か娘を見るような表情は!?」
「大人の女扱いじゃぁないな。あれは完全に子供扱いしてる」
「芹沢先生ってあんな顔もするんだな……」
「実は芹沢先生って、顔に似合わず子供好きだったりするよな」
「それって稚児……」
私には聞こえていなかったが、その会話は芹沢さんの耳に入っていたようだ。
さすがに聞き捨てならなかったのか、芹沢さんの手から放たれた鉄扇が障子戸を突き破り、畳に突き刺さった瞬間だけは私も目にしていた。
「ここ……やろか……?」
屯所と思しき屋敷を覗き込む。中からは男達の話し声や、剣術の稽古をしていると思しき竹刀のぶつかる音が聞こえてきていた。
「うーん。やっぱり声はかけにくいなぁ……」
しばしの時、門の前を行ったり来たりしていると。
「誰かに用があんのか?」
不意に声をかけられた。
「ひゃいっ! あ、はい。ありますっ!」
思わず変な声を出してしまい、恥ずかしさで真っ赤になってしまう。肩を窄めて小さくなった私を見て、声をかけてきた男は吹き出した。
「ぶはっ! 悪りぃ悪りぃ。驚かしちまった。誰だって急に声をかけられたらびびっちまうよな」
私の肩をポンポンと叩きながら言うこの男に嫌味なところは無い。何だか安心してしまい、私にも自然と笑みが浮かんだ。
「こちらこそ門の前で怪しいですわな、すんまへん。こちらに芹沢はんていてはりますやろか?」
「ん? 芹沢さんの知り合いだったのか。あの人ならあっちの屋敷だぜ。連れてってやるよ」
行こうぜ、と笑顔で踵を返し、男はさっさと歩き出す。その素早さに一瞬出遅れたが、私も慌てて後を追った。
「芹沢さーん。あんたに客だぜ」
「何だ、永倉君か。来客の予定は無いはずだがな」
玄関では無く庭から回り込むように案内され少々及び腰になりながら、私は永倉と呼ばれた男の後ろを付いて行っていた。丁度寛いでいたのか、少々不機嫌そうな声が部屋の奥から聞こえる。
「あんたに用があるみたいだから、聞いてやってくれよな。んじゃ、俺は戻るわ」
私がきちんと礼を言う間も無く、永倉さんはその場を去った。芹沢さんとはあまり仲良く無いのかな? 何と無くそんな空気を感じたのだが、気のせいだろうか。
「して、わしにどのような用向きでここにきた?」
再び部屋から声が聞こえた。半分しか空いていない障子戸からは、私の姿は見えていないのだろう。いや、ひょっとして覚えられてない……?そんな不安を感じながら、私は声をかけた。
「こんな場所からすんまへん。先日芹沢はんに助けて頂いた、琴尾です。今日は遅ればせながらお礼に伺いました」
一息で言い切り、返事を待つ。暫しの沈黙の後、ゆっくりと芹沢さんの姿が現れた。
「あの時の女か」
「はいっ! その女です。先日はほんまにありがとうございました!」
そう言って私は頭を下げる。
「お口に合うかは分かりまへんが、お酒をお持ちしました」
持ってきた酒を差し出すと、芹沢さんはフンと鼻で笑いながら受け取った。
「まさかこんな所まで来るとはな。壬生浪士組の噂は耳にしていよう」
呆れたように言われ、私は小さく頷く。
「へえ、聞いてます。ぎょーさん噂がありますなぁ」
助けられた後、意識するようになったからか、壬生浪士組の話をよく聞くようになった。しかし話の全てが彼らを否定するものばかり。存在自体が迷惑だという風潮で、ただの一つも良い噂を耳にしていない。
「結成してから日ぃが浅い割に、芹沢はんの悪名は轟いてて……」
そう、壬生浪士組の噂の大半は、芹沢さんについてだったのだ。酒乱、押し借り、乱闘騒ぎ。見事に悪人を具現化したような話ばかりで。
「ほんま驚きましてん」
私の言葉に、芹沢さんがこちらを睨む。だが、続けた言葉が表情を変えさせた。
「噂って、嘘しか広がらんもんなんやなぁって」
「嘘……?」
驚いているのだろうか? 少し目を見開き、私を見つめている。
「だって、芹沢はんはうちを助けてくれはりましたやろ? あん時あんだけ沢山の人がおったのに、手を差し伸べてくれたんは芹沢はんだけや。そんなお人が噂通りの悪人のはず無いし」
自信満々の顔で、私は続けた。
「うちは見たもんしか信じひんのや。芹沢はんはええ人や。うん、間違いあらへん! しかも強いし最強や!」
鼻息荒く話してみれば、呆れた顔をしている芹沢さん。
「よく喋る女だな」
暫く私を見ていたが、ふん、と小さく笑うと部屋に入り、すぐに戻って縁側にどかりと座った。手には杯を持っている。
「お前の喋りは長くて疲れるが、酒を飲みながらなら聞いてやらんでも無い。話したければ座って酌でもしながら話せ」
何とも勝手な事を言っているが、多分これは芹沢さんの優しさなのだろう。その証拠に、表情がとても柔らかい。
「ほな、そうさしてもらいます。そやけど飲み終わるまでに、話が終わるやろか?」
「……ほどほどにしろ」
「へぇ、何から話そかなー。ってあれ? うち何しに来たんやったかな? お礼に来たはずなんやけど……まぁええか」
何故だろう。芹沢さんはお酒を飲みながら話を聞いているだけなのに。喋り続けてる私に、時折小さく入れてくれる相槌が嬉しい。
「やっぱり優しいお人やな」
確か八つ時に屯所を訪ねたはずだったが。気付けば空が夕焼けで赤く染まっていた。
後から聞いた話だが私が喋り倒していた頃、新見さん他お仲間の面々は部屋の奥で『ひそひそ声』の大騒ぎをしていたらしい。
「あの女、芹沢先生に偉そうに喋って……斬られるんじゃないか?」
「いや、よく見ろ。先生の顔が……」
「何だあの妹か娘を見るような表情は!?」
「大人の女扱いじゃぁないな。あれは完全に子供扱いしてる」
「芹沢先生ってあんな顔もするんだな……」
「実は芹沢先生って、顔に似合わず子供好きだったりするよな」
「それって稚児……」
私には聞こえていなかったが、その会話は芹沢さんの耳に入っていたようだ。
さすがに聞き捨てならなかったのか、芹沢さんの手から放たれた鉄扇が障子戸を突き破り、畳に突き刺さった瞬間だけは私も目にしていた。