時の泡沫

 あれは文久三年春のこと。

 満開の桜を見物しに、私は幼馴染のお咲と鴨川沿いを歩いていた。
 花見団子を頬張り、お喋りに花を咲かせ、と楽しんでいた時に突如現れた無粋な浪人二人。横柄に人々を蹴散らしながら歩く姿は、聞こえてくる言葉遣いから俗に言う東夷というやつか。
 あんな者達に関わったらろくな事が無い、と私達は足早にそこを去ろうとした。

――が、だ。やはりここはお約束。

「何だ? そんなに慌てて帰る必要は無かろう。俺達の酌をさせてやるから、ゆっくりしていくが良いさ」

 下卑た笑いを浮かべて声をかけてくる浪人達。怯えるお咲を庇いながら拒絶をしても、既に酔いが回っているのか私達の両脇を固め、挙句お咲の肩を掴んできた。

「ちょっ……こん子怯えてはるやろ! やめたってや!」

 パシンッ、と男の手を思い切り払い退ける。

「お楽しみは別んとこでやりや!」
「ほーう、えらく強気な女だな。面白い。ではお望み通り、お主とは別の場所で楽しむとしようか。……来い!」

 それまではただの酔いどれだった男の顔が急変する。強い力で手首を掴まれ、恐怖に足が竦んだ。

「やめ……っ!誰か……誰か助けて!」

 叫んでも、誰一人手を差し伸べてくれる者はいない。人は沢山いるのだが、皆遠巻きに見て見ぬ振りをするばかり。
 このままでは何をされるか分からない。ならばせめて――

「お咲逃げや! はよ逃げって!」

 震えているお咲に向かって叫ぶ。だが恐怖で体が動かないのか「でも……うち……」と呟くばかり。

「安心しろ。こいつも連れて行ってやるからよ」

 私の手を掴んでいるのとは別の男が、お咲の腰に手を回して抱きしめる。

「いやぁっ!」

 真っ青になって悲鳴をあげたお咲を見て、私は咄嗟に刀を抜いた。最も近くにいた男が、腰に差していた刀を。

「なっ……!」

 突然の事に男達が動揺する。と同時に拘束が解けたため、お咲を突き飛ばすように群衆の中へと押し込み、刀を構えた。

「きっ……さま……何をしているか分かってるのか?」
「自分の身ぃを守ろうとしとるだけや。それの何が悪いんや?」
「武士の魂である刀を盗るなぞ、愚の骨頂! 許されぬぞ!」
「その武士の魂を女子にあっさり抜かれるような輩が、ホンマの武士と言えるんか?」

 お咲を安全な場所に逃がしたことでホッとし、強気に出てしまう。言い過ぎたかと思った時にはもう遅く、男達は憤怒の表情で刀を抜いていた。

「おのれ、女子と思い甘く見ていればつけ上がりおって……斬る!」

 言葉と同時に振り下ろされた刀。

「おお……っ」

と群衆の声を聞きながら、私は反射的にそれを受けていた。キィンと高く響く刀のぶつかり合う音が、死の恐怖を煽る。

「ほう、今のを受けたか。だが次で終わりだ!!」

 再び斬りかかってくる男。
――今度こそ斬られる……! そう思った時だった。

 目に映ったのは、振り下ろされる男の刀と、受けようとする自分の刀。
 そして交差する、第三の刀。
 それは男の刀を弾き飛ばし、ザクリと地面に突き刺さった。

「………??」

 突然の事に訳が分からず呆気に取られていたが、ハッと気を取り直して周りを見ると、いつの間にか浪人が増えていた事に気付いた。だが双方仲間では無いらしく、お互いが睨みをきかせている。

「何だてめぇらは! 邪魔立てする気か!?」
「ふん、京の風情にそぐわぬ輩が騒いでいれば、一掃したくもなるわ」
「何だと!?」
「だが面白くもあったな。……女、よく受けた。良い刀さばきだったぞ。ここは見料代わりに助けてやろう」

 後から来た者達の中で多分頭的存在であろう男は、にやりと笑うと刀を抜き、私を庇うように目の前に立った。

「さあ来い。わしは壬生浪士組筆頭局長、芹沢鴨」
「壬生浪士組? 聞いたことも無いわ。貴様のような奴に名乗る名などあるものか!」
「ふん、良かろう。ならばさっさとかかって来い」

 話しながら落とした刀を拾い上げ、じりじりと詰め寄る男達。だが芹沢という男は、刀の峰で肩を叩きながら不敵な笑みを浮かべていた。
 そして次の瞬間。
 男達が刀を振り上げたのと同時に、煌めく横薙ぎの剣線。大きな音を立てて崩れ落ちるように倒れた二人はもう、息をしていなかった。
 それは正に神業の如き所業で。
 私はもちろん、遠巻きに見ていた群衆も、誰一人声をあげる事なく息を飲んだ。
 しかし当の本人はと言うと、面白くなさそうに刀の血を振り落とし、鞘に収める。

「ふん、弱い犬ほどよく吠える典型的な輩だな。つまらん。……おい女、大事無いな?」

 そう言いながら芹沢さんは、私の方を向いた。

「へえ……おおきに……あ、ありがとうございますっ!」

 全てが終わった事に気付くのに時間がかかり、礼を言うのが遅れてしまう。

「ほんまに助かりました。お強いんですなぁ」
「ふん、この程度の事造作も無いわい。それよりも先の啖呵はなかなかだったぞ。お主、名は何と申す?」
「うちは琴尾と申します」
「琴尾か。わしは壬生浪士組の芹沢鴨だ。後ろにいるのは、わしと志を共にするもの。何かあれば声をかけると良い」
「はい?」
「分からないのか? 芹沢先生はお主が気に入ったと仰られているのだ」

 横から口を出してきたのは神経質そうな男。見た感じ、芹沢さんの腰巾着といったところか。

「よい、新見。別に何としようとしているわけでは無いからな。ただ面白かった」
「はぁ……」

 新見と呼ばれた男は、私と芹沢さんを交互に見ながら不満そうな表情を見せていた。

「気にするな。わしらはもう行くとしよう。琴尾、次に会う事があればまた楽しませてくれよ」

 わははと高笑いしつつ去っていく芹沢さんとその仲間達。

「壬生浪士組、芹沢鴨……」

 後ろ姿を見送りながら、忘れないようにと私は名前を呟いた。

「面白いんはそっちや、芹沢はん」

 あれだけ怖い思いをしたはずなのに、その全ての記憶を払拭してしまうほどの圧倒的な存在感には感動すら覚えてしまう。

「また……会いたいなぁ」

 騒ぎが収まり、隠れていたお咲が飛びついてきても、私の頭は芹沢さんの事で一杯だった。
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