時の泡沫
池田屋での捕り物以降、長州はなりふり構っていられなくなったのだろう。お上に弓を引きかねない動きが見え隠れしていた。
そしていよいよ長州の挙兵が確認されると、新選組にも会津藩と共に出動が命じられる。京都守護職、松平容保様直々の命とあって、隊士達の士気は高くなっていた。
ところがここに、士気がどん底の者が一人。
「いい加減諦めて下さい。貴方は待機です」
「もう大丈夫なんですよ? いつまでも病人扱いしないで下さい」
「だったらさっさと体調を戻して下さい。熱は下がっても、そんなにフラフラとしていては刀もまともに振れません」
「分かってますけど……」
先日の暑気あたり以降、沖田さんの体調はなかなか回復しなかった。実は元々あまり体が強い方ではないらしい。土方副長の「顔色の悪い助勤なんぞ邪魔だ!」の一言で、沖田さんは待機決定である。それが副長の心遣いだという事は分かっていたが、納得しきれないようだった。
「屯所での待機も立派に隊務です。気合を入れて下さい」
私だって出て行きたい。
だが現在の命令は医務方であると同時に、私が看ていると沖田さんがおとなしいという理由から、半ば押し付け状態で残されている。
いわば道連れ。本当に迷惑な話だ。
「暇だなー。暇ひまひ~ま~」
「えーい煩い! 病人なんですから、おとなしく金平糖でも数えていて下さい!」
懐に入れていた金平糖を、わざと沖田さんに向けて放る。
反射的に受け取った彼は、カサカサと袋を開け「ひとーつふたーつ、みっつ食べたら数が減るー」と歌いながら食べ始めた。
この人の頭の中は、一体どうなっているんだか。許される者なら一度、中を覗いてみたい物だと思う。
新選組が出動の命を受け、九条河原に陣を敷いてからから三日経ち、五日経ち。
十日、二十日と時間ばかりが過ぎていく為、何も変化の無い状況に隊士達も皆苛立ちを隠せなくなっていた。
けれどもこのままでは埒が明かぬと伏見の長州藩邸に焼き打ちの命が下り、準備を整えているところに急転直下。
七月十九日未明、後の世で言う禁門の変(蛤御門の変)の開戦である。
時間と共に戦火は広がっていく。新選組は配置されていた場所が悪かったためか全てが後手に回っていた。監察総出で情報収集に当たっても、追い付けない。
「山崎さん、蛤御門にいる会津藩の戦況確認をお願いします!」
屯所待機を命じられていた私にも、声がかけられる。
「承知! すぐに向かいます」
慌てて支度し、飛び出ようとした時。
「私も行きます!」
準備万端の沖田さんが立っていた。
「冗談はやめて下さい! 副長に待機命令を出されているのですから、まずは体調を――」
「確認と伝令くらいなら問題ないですよ。このまま篭り続けてたら、本当に病人になっちゃいます。山南さんにも許可を貰いましたし、一緒に行きますよ」
「総長の許可……」
山南総長の許可は、局長の許可と同等。さすがに拒否はできない。
「分かりました。では、私は御所まで走りますので、無理はしないで下さいよ。これで悪化されたら私が副長に責められます」
「大丈夫ですよ。体調を崩しているとはいえ、あなたよりは体力がありますからね」
にやりと笑い、走り出す沖田さん。「ほらほら、置いて行っちゃいますよー」の声はあっという間に遠のいて行く。
――元気の有り余った子供やな。
やれやれと思いながら嘆息した私は、急いで沖田さんの後を追うのだった。
蛤御門に到着した時には、ほぼ決着がついていた。長州と会津の熾烈な戦いに薩摩が合流し、長州を一気に薙ぎはらったのだ。そこまでは良かったが――。
「敗走した長州兵が、市中に火を放ちながら逃げている!?」
報告を受けるまでも無く、市中のあちこちから火の手が上がり始めていた。その勢いは凄まじく、このままでは、京の町を焼き尽くしかねない。
「沖田さん、貴方は一足先に屯所に戻って報告して下さい。私は町の中を見てきます」
返事を待たず駆け出した私に、沖田さんが並走する。
「いえ、私も行きますよ。残党に出会う可能性もありますしね」
御所からほんの少し離れただけなのに。戦地には無かった大きな火柱と猛烈な熱風が蔓延していた。
燃え盛る家屋。飛び散る火の粉。崩れ落ちる瓦礫。響き渡る怒声と悲鳴。正に地獄絵図と呼ぶにふさわしいこの光景に、言葉が見つからない。
肌をちりちりと刺す熱風にさらされつつも、どうすることも出来ない自分の無力さに歯噛みしていたその時だった。
「山崎さんっ!!」
名を呼ばれたと同時に咄嗟に苦無で受けたのは、一本の刀。
「おのれ新選組! 貴様らのせいで……っ」
「大丈夫ですか!? 山崎さん!」
同時に攻撃を受けたのであろう沖田さんが、こちらを見ながら敵の刀を跳ね返していた。やはり未だ残党はこの辺りに潜んでいるらしい。
「こちらは無事です。そちらはお任せします!」
二の太刀を避け、急所に拳を入れる。先の戦いで敵が疲弊していたのもあってか、意外と呆気なく勝負はついた。気を失った残党に縄をかけて沖田さんを見れば、あちらも戦いは終わり、刀の血を振り落としている。
「沖田さ……」
声をかけようとした時、不意に私は動けなくなった。
沖田さんの向こうには、燃え盛る炎。逆光で黒く浮かび上がる影姿は、決して忘れる事などできない――。
「あん時と同じ……」
頭が真っ白になった。
「山崎さん、大丈夫ですか?」
硬直する私に気付き、沖田さんが近付いてくる。
「あれは……あんたやったんか?」
「山崎さん?」
ずっと特定できずに歯痒い思いをしていた。何としてでも見つけたかった。私の手が無意識に苦無を握りしめ、構える。
「山崎……」
「やっと……やっと見つけたで……芹沢はんの仇っ!」
そしていよいよ長州の挙兵が確認されると、新選組にも会津藩と共に出動が命じられる。京都守護職、松平容保様直々の命とあって、隊士達の士気は高くなっていた。
ところがここに、士気がどん底の者が一人。
「いい加減諦めて下さい。貴方は待機です」
「もう大丈夫なんですよ? いつまでも病人扱いしないで下さい」
「だったらさっさと体調を戻して下さい。熱は下がっても、そんなにフラフラとしていては刀もまともに振れません」
「分かってますけど……」
先日の暑気あたり以降、沖田さんの体調はなかなか回復しなかった。実は元々あまり体が強い方ではないらしい。土方副長の「顔色の悪い助勤なんぞ邪魔だ!」の一言で、沖田さんは待機決定である。それが副長の心遣いだという事は分かっていたが、納得しきれないようだった。
「屯所での待機も立派に隊務です。気合を入れて下さい」
私だって出て行きたい。
だが現在の命令は医務方であると同時に、私が看ていると沖田さんがおとなしいという理由から、半ば押し付け状態で残されている。
いわば道連れ。本当に迷惑な話だ。
「暇だなー。暇ひまひ~ま~」
「えーい煩い! 病人なんですから、おとなしく金平糖でも数えていて下さい!」
懐に入れていた金平糖を、わざと沖田さんに向けて放る。
反射的に受け取った彼は、カサカサと袋を開け「ひとーつふたーつ、みっつ食べたら数が減るー」と歌いながら食べ始めた。
この人の頭の中は、一体どうなっているんだか。許される者なら一度、中を覗いてみたい物だと思う。
新選組が出動の命を受け、九条河原に陣を敷いてからから三日経ち、五日経ち。
十日、二十日と時間ばかりが過ぎていく為、何も変化の無い状況に隊士達も皆苛立ちを隠せなくなっていた。
けれどもこのままでは埒が明かぬと伏見の長州藩邸に焼き打ちの命が下り、準備を整えているところに急転直下。
七月十九日未明、後の世で言う禁門の変(蛤御門の変)の開戦である。
時間と共に戦火は広がっていく。新選組は配置されていた場所が悪かったためか全てが後手に回っていた。監察総出で情報収集に当たっても、追い付けない。
「山崎さん、蛤御門にいる会津藩の戦況確認をお願いします!」
屯所待機を命じられていた私にも、声がかけられる。
「承知! すぐに向かいます」
慌てて支度し、飛び出ようとした時。
「私も行きます!」
準備万端の沖田さんが立っていた。
「冗談はやめて下さい! 副長に待機命令を出されているのですから、まずは体調を――」
「確認と伝令くらいなら問題ないですよ。このまま篭り続けてたら、本当に病人になっちゃいます。山南さんにも許可を貰いましたし、一緒に行きますよ」
「総長の許可……」
山南総長の許可は、局長の許可と同等。さすがに拒否はできない。
「分かりました。では、私は御所まで走りますので、無理はしないで下さいよ。これで悪化されたら私が副長に責められます」
「大丈夫ですよ。体調を崩しているとはいえ、あなたよりは体力がありますからね」
にやりと笑い、走り出す沖田さん。「ほらほら、置いて行っちゃいますよー」の声はあっという間に遠のいて行く。
――元気の有り余った子供やな。
やれやれと思いながら嘆息した私は、急いで沖田さんの後を追うのだった。
蛤御門に到着した時には、ほぼ決着がついていた。長州と会津の熾烈な戦いに薩摩が合流し、長州を一気に薙ぎはらったのだ。そこまでは良かったが――。
「敗走した長州兵が、市中に火を放ちながら逃げている!?」
報告を受けるまでも無く、市中のあちこちから火の手が上がり始めていた。その勢いは凄まじく、このままでは、京の町を焼き尽くしかねない。
「沖田さん、貴方は一足先に屯所に戻って報告して下さい。私は町の中を見てきます」
返事を待たず駆け出した私に、沖田さんが並走する。
「いえ、私も行きますよ。残党に出会う可能性もありますしね」
御所からほんの少し離れただけなのに。戦地には無かった大きな火柱と猛烈な熱風が蔓延していた。
燃え盛る家屋。飛び散る火の粉。崩れ落ちる瓦礫。響き渡る怒声と悲鳴。正に地獄絵図と呼ぶにふさわしいこの光景に、言葉が見つからない。
肌をちりちりと刺す熱風にさらされつつも、どうすることも出来ない自分の無力さに歯噛みしていたその時だった。
「山崎さんっ!!」
名を呼ばれたと同時に咄嗟に苦無で受けたのは、一本の刀。
「おのれ新選組! 貴様らのせいで……っ」
「大丈夫ですか!? 山崎さん!」
同時に攻撃を受けたのであろう沖田さんが、こちらを見ながら敵の刀を跳ね返していた。やはり未だ残党はこの辺りに潜んでいるらしい。
「こちらは無事です。そちらはお任せします!」
二の太刀を避け、急所に拳を入れる。先の戦いで敵が疲弊していたのもあってか、意外と呆気なく勝負はついた。気を失った残党に縄をかけて沖田さんを見れば、あちらも戦いは終わり、刀の血を振り落としている。
「沖田さ……」
声をかけようとした時、不意に私は動けなくなった。
沖田さんの向こうには、燃え盛る炎。逆光で黒く浮かび上がる影姿は、決して忘れる事などできない――。
「あん時と同じ……」
頭が真っ白になった。
「山崎さん、大丈夫ですか?」
硬直する私に気付き、沖田さんが近付いてくる。
「あれは……あんたやったんか?」
「山崎さん?」
ずっと特定できずに歯痒い思いをしていた。何としてでも見つけたかった。私の手が無意識に苦無を握りしめ、構える。
「山崎……」
「やっと……やっと見つけたで……芹沢はんの仇っ!」