時の泡沫
「今回は『お琴』でお願いします」
開口一番、頭を下げる島田さんの言葉からは申し訳無さが伝わってきた。
『お琴』
それは私が京の町娘に扮した時の名だ。
我々監察が市中を探索する際、状況に応じて変装をするのだが、時に女の姿である必要があった。外に協力者はいるのだが、やはり隊外の者を危険な目に合わせるのは如何なものかとの事から私を含め、女顔の者数人が女装をして動く事になっているのである。
その話が出た当初の私は、性別がばれてしまう可能性を考えて断固拒否していた。すると島田さんが、気を使って言ってくれたのだ。
「無理を言っては悪いので、俺が女装しましょう」
と。だが島田さんは身の丈六尺(約180cm)、体重四十五貫(約169kg)という隊内一の巨躯。怖いもの見たさで試してみれば監察全員が、涙目になりながら是非私にやって欲しいと懇願してきて。一部白眼で泡を吹いていた輩もいたような……。
さすがにその状況では断る事など出来るはずもなく。渋々ながらも受ける事にしたという訳だ。
「無理を言って申し訳ありませんが、東山方面に池田屋の残党が集まっているようです。できる限りの場所の特定をお願いします。俺が行きたいところですが、池田屋の影響が大きく、男は全て警戒されてしまってて」
「分かりました。すぐに準備します」
「近くに待機しているので、何かありましたらすぐに合図をして下さいね。必ず自分の身の安全を最優先でお願いします」
そう言ってくれる島田さんは、本当に優しい人だ。監察の者全員に細やかな気配りをしてくれるだけでなく、誰にでも丁寧に接するので皆に信頼されている。彼がいるから、監察はまとまっていると言って間違い無いだろう。かくいう私も、彼に全幅の信頼を寄せていた。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、へまはしません」
大きく頷いて口にしたその言葉通り、私は数日で無事任務を全うしたのだった。
「お疲れ様でした」
島田さんの趣味と実益を兼ねて、落ち合ったのは甘味処。着替える時間が無かった為、私はお琴の姿のままだ。
他愛ない会話の合間に『明保野亭』の名を挟めば、口一杯に団子を頬張りながら島田さんが頷く。
「助かりました。すぐにでも副長にお伝えして動いて頂きます」
言っている事は真面目なのだが、甘味を食べている喜びが溢れている笑顔が眩しい。こんなにも幸せそうに甘い物を食べられる男は、島田さんと沖田さんくらいじゃなかろうか。
「ほんまに甘いもんがお好きなんですな」
「こればかりは止められませんね。こんなにお綺麗な方と一緒だと、尚更甘い物が進みます」
さらりと言われて、悪い気はしなかった。もちろん私が女だとは露ほども思っていまいが、全く嫌味を感じられないのはこの人の人徳だろう。
「島田はんはお上手ですな」
「いえ、本心ですよ。そう言えば副長も仰られていました。良い女だなって」
「副長が……ですか?」
何で副長がここに出てくるのだろう? 監察の仕事ぶりは、内部にも経過や手段をほとんど明かさない。私のこの姿も、監察以外は見る機会はほぼ皆無のはずなのだ。余程私が納得いかない顔をしていたのか、何も言わずとも島田さんが説明をしてくれた。
「少し前に、山城屋でお琴さんが内偵をしていましたよね。あの時副長が偶然貴方の姿を目にしたんですよ。私も一緒だったので気を逸らせようと働きかけたのですが、何処かで会った事があるはずだと首を捻っておられてて。挙句に『あれだけ良い女を忘れるはずねぇんだがな』と言って声をかけようとなさった為、止む無く種明かしをしたのです。いやぁ、流石に驚いておられましたよ。あんな顔の副長は初めて見ました」
部下として笑ってはいけないと思ったのか、顔は真面目なのに体を震わせて耐えている島田さん。これは相当凄い顔をしていたのだろう。
しかしなるほど、これで合点がいった。私の性別を知った後の副長の態度がおかしかったのは、そういう事か。自分で言うのもおこがましいが、好みの女が実は男だったと明かされ、驚いていたら今度は女だと分かり。
「まぁ混乱しますわな」
「女誑しの副長にとっては、唯一の汚点かもしれませんね。『俺は断じてそっちの趣味はねぇ!』とか言われてましたし」
「ぷっ……そん時の副長の顔、見たかったわ」
あの副長の焦る顔を想像し、私は暫く笑いが止まらなかった。
開口一番、頭を下げる島田さんの言葉からは申し訳無さが伝わってきた。
『お琴』
それは私が京の町娘に扮した時の名だ。
我々監察が市中を探索する際、状況に応じて変装をするのだが、時に女の姿である必要があった。外に協力者はいるのだが、やはり隊外の者を危険な目に合わせるのは如何なものかとの事から私を含め、女顔の者数人が女装をして動く事になっているのである。
その話が出た当初の私は、性別がばれてしまう可能性を考えて断固拒否していた。すると島田さんが、気を使って言ってくれたのだ。
「無理を言っては悪いので、俺が女装しましょう」
と。だが島田さんは身の丈六尺(約180cm)、体重四十五貫(約169kg)という隊内一の巨躯。怖いもの見たさで試してみれば監察全員が、涙目になりながら是非私にやって欲しいと懇願してきて。一部白眼で泡を吹いていた輩もいたような……。
さすがにその状況では断る事など出来るはずもなく。渋々ながらも受ける事にしたという訳だ。
「無理を言って申し訳ありませんが、東山方面に池田屋の残党が集まっているようです。できる限りの場所の特定をお願いします。俺が行きたいところですが、池田屋の影響が大きく、男は全て警戒されてしまってて」
「分かりました。すぐに準備します」
「近くに待機しているので、何かありましたらすぐに合図をして下さいね。必ず自分の身の安全を最優先でお願いします」
そう言ってくれる島田さんは、本当に優しい人だ。監察の者全員に細やかな気配りをしてくれるだけでなく、誰にでも丁寧に接するので皆に信頼されている。彼がいるから、監察はまとまっていると言って間違い無いだろう。かくいう私も、彼に全幅の信頼を寄せていた。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、へまはしません」
大きく頷いて口にしたその言葉通り、私は数日で無事任務を全うしたのだった。
「お疲れ様でした」
島田さんの趣味と実益を兼ねて、落ち合ったのは甘味処。着替える時間が無かった為、私はお琴の姿のままだ。
他愛ない会話の合間に『明保野亭』の名を挟めば、口一杯に団子を頬張りながら島田さんが頷く。
「助かりました。すぐにでも副長にお伝えして動いて頂きます」
言っている事は真面目なのだが、甘味を食べている喜びが溢れている笑顔が眩しい。こんなにも幸せそうに甘い物を食べられる男は、島田さんと沖田さんくらいじゃなかろうか。
「ほんまに甘いもんがお好きなんですな」
「こればかりは止められませんね。こんなにお綺麗な方と一緒だと、尚更甘い物が進みます」
さらりと言われて、悪い気はしなかった。もちろん私が女だとは露ほども思っていまいが、全く嫌味を感じられないのはこの人の人徳だろう。
「島田はんはお上手ですな」
「いえ、本心ですよ。そう言えば副長も仰られていました。良い女だなって」
「副長が……ですか?」
何で副長がここに出てくるのだろう? 監察の仕事ぶりは、内部にも経過や手段をほとんど明かさない。私のこの姿も、監察以外は見る機会はほぼ皆無のはずなのだ。余程私が納得いかない顔をしていたのか、何も言わずとも島田さんが説明をしてくれた。
「少し前に、山城屋でお琴さんが内偵をしていましたよね。あの時副長が偶然貴方の姿を目にしたんですよ。私も一緒だったので気を逸らせようと働きかけたのですが、何処かで会った事があるはずだと首を捻っておられてて。挙句に『あれだけ良い女を忘れるはずねぇんだがな』と言って声をかけようとなさった為、止む無く種明かしをしたのです。いやぁ、流石に驚いておられましたよ。あんな顔の副長は初めて見ました」
部下として笑ってはいけないと思ったのか、顔は真面目なのに体を震わせて耐えている島田さん。これは相当凄い顔をしていたのだろう。
しかしなるほど、これで合点がいった。私の性別を知った後の副長の態度がおかしかったのは、そういう事か。自分で言うのもおこがましいが、好みの女が実は男だったと明かされ、驚いていたら今度は女だと分かり。
「まぁ混乱しますわな」
「女誑しの副長にとっては、唯一の汚点かもしれませんね。『俺は断じてそっちの趣味はねぇ!』とか言われてましたし」
「ぷっ……そん時の副長の顔、見たかったわ」
あの副長の焦る顔を想像し、私は暫く笑いが止まらなかった。