時の泡沫

 文久四年(1864年)六月五日。
 亥の刻の頃より始まった池田屋での捕り物は壮絶だった。

 二番組組長の永倉さんは左手親指を深く斬りつけられ、八番組組長の藤堂さんは汗でズレた鉢金を直そうとした隙を狙われ額を割られた。

 沖田さんは戦闘中に暑気あたりで倒れ、平隊士一名が討ち死に。
 戦闘中、私は伝令と怪我人の応急処置に当たっていたが、戦闘終了後に改めて現場を検証した時には、よく被害をあれだけに抑えられたもんだと感心していた。



「何だか騒がしいですねぇ」

 物凄く嫌そうな顔で薬を飲みながら、沖田さんが呟いた。
 ここは沖田さんの部屋。池田屋の検証の後、私に与えられたのは負傷者の看護だった。
 出来れば不逞浪士の掃討に加わりたかったが、局長命令では仕方ない。未だ傷口が開いているのに酒を飲もうとする永倉さんをなだめ、目覚めぬ藤堂さんの様子を伺い、最後に沖田さんの部屋に来たわけだ。

「昨日の池田屋で人手不足だろうと、会津藩から五名派遣されてきたんです。あ、薬はきちんと飲みきって下さいよ」

 暑気あたりの為か熱が高いので、熱冷ましを渡している。土方副長直々の取り計らいで、石田散薬も混ぜてある特注品だ。

――石田散薬に効果があるのかは知らないけれど。

「けほっ……なんかこれ、かつてない不味さなんですけど、変な物混ぜてません?」
「暑気あたりで倒れるような人に文句は言わせません。ちゃんと飲んで下さいよ」

 うえ~、と涙目になりながらもなんとか薬を飲みきった沖田さんは、よほどきつかったのか、ケホケホとむせつつ胸をさすっている。

「熱さえ下がれば飲まなくても良いんですし、しっかり休んで早く回復して下さいよ」

 そう言って、私はもう一つの包みを差し出した。

「けほっ……まだあるんですかぁ?」

 恨みがましい目でこちらを見ながら、沖田さんが包みを開く。

「これ……!」

 中に入っているのは、口直しに準備しておいた干菓子。

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに口に含んで味わう姿はまるで幼子のようで、失礼かとは思いながらも少しだけ可愛らしく感じてしまった。

「では、私はまだやる事がありますので失礼します」
「はぁい。次は金平糖でお願いしますね」
「自分で手配して下さい。では」

 ここで甘い姿を見せるとろくな事にならないのは身にしみてわかっている。後ろから聞こえる「病人に優しくない!」という不満の声を受け流しながら私は部屋を出た。そして先程から気付いていた、こちらを伺う気配を探る。庭の隅、丁度木の陰に隠れた人影は間違いなく副長だ。
 何かあるのだろうと近寄れば、無言で手渡される金子。

「とことん甘いですね。いつも通り緑寿庵清水で宜しいですか?」

 それは沖田さんが好きな、金平糖の専門店である。
 土方歳三という男は、普段鬼と称されるほどに気難しい顔をして笑顔を見せようとはしない。その実、常に周囲を伺いこうしてこっそりと細やかな心遣いをしているのだ。不器用で優しいこの姿を見せれば、隊士達ももっと慕ってくれように。

「買いには行きますけど、自分で渡して下さいよ。ここのところ沖田さんと顔を合わせる事が多くて、馴れ合いになってきてる節がありますし」
「別に悪い事じゃねぇだろ」
「私は自分の責務は果たしたいですが、子守は御免です」

 『子守』の言葉にムッとしたようだが、心当たりはあるのだろう。私の言葉を受け流すように副長が言った。

「ついでだ。東山方面。島田の指示を仰げ」

 どちらが『ついで』なのかと聞くのも野暮か。

「承知しました。他にも何か?」
「いや、別に……」

と言いつつ少し考え込む副長。何か問題を抱えているのだろうか?

「気になりますのでお話しいただけますか?」
「あぁ……さっきお前は総司について、馴れ合いやら子守やら言ってたな。でもそれはお前がそれだけ彼奴に心を許してるってぇ事にもなるだろう。実際の所お前にとって、総司はどういう存在だ?」
「どういう存在……ですか?」

 また何ともおかしな質問で。これは私が女だからと言う理由で試されているのだろうか? だとすると、理想の答えは?

「そうですね……実力的には尊敬できます。性格的には我儘で厄介です。まぁ役職は上ですが、年の離れた弟分みたいな感じですかね」
「それ以上の感情は無い、と」
「以上も以下もありませんよ。むしろそれ以外に何がありますか? 失礼ですが副長、それが今回の任務と何か関係でも?」

 訝しげに副長の顔を見れば、少し嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「いや分かった、もう良い。行ってこい」

 そう言ってフイと背を向けた副長は取りあえず納得したようだ。

「承知しました」と答えはしたものの、言葉に反して納得出来ていなかった私は首を捻りながら、同じく監察の島田さんの所へと足を運ぶしかなかった。
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