時の泡沫

 ふわふわと、まるで雲に乗っているような心地よさに身を預ける。ずっとこのままでいられたらと願うほどに優しい温もりが全身を包んでいた。

――せ……わさ……

 音にならない声と、叶わない願い。

――し……いで……

 この温もりが消し去ってくれれば良いのに。
 全て忘れられたら良いのに……。





「……ん」

――なんや?

「……きさ……」

――うっさいなぁ……未だ眠いねん。

「やっまさっきさぁん!」
「やっかましいわっ! って、うひゃぁっ!?」

 人が気持ちよく寝ていたというのに、あまりの煩さに目を開ければそこには沖田さんの顔。鼻がくっつきそうなくらいの距離で上から覆いかぶさりながら、ニヤニヤと私を見つめる沖田さんの表情は何とも憎たらしい。

「よっぽど疲れてたんですねぇ。何回声をかけても起きてくれないんですもん。あと一回呼んでも起きなかったら、斬っちゃおうかと思いました」
「あんたが言うと洒落にならんしやめたって……怖すぎるわ」
「うわー。山崎さんって寝起きも口も悪いんですね。でもその言葉遣いはちょっと新鮮だなぁ」
「……申し訳ありません」

 笑顔の裏の腹黒さは天下一品のこの人を、真正面から相手するのは遠慮したい。

「ここにはどのような用向きで? こんな起こし方をする程の火急の用とは?」
「ああ、土方さんが呼んでますよ。これから祭りが始まるようなんで」
「はぁ?」

 祭りの予定など聞いてはいなかった、と記憶を手繰ってすぐに気付く。
 ああ捕り物か、と。
 どうやら未だ自分の頭は寝惚けているらしい。

「わざわざすみません。すぐに支度します」

 時間勝負で動かねば、と起き上がろうとして気付いた違和感。瞬時に理由を悟った私は咄嗟に布団を被り直した。

「沖田さん……私が寝てる間に、何か悪戯などしていませんよね?」
「酷いなぁ山崎さん。私は貴方の名前を呼んで騒いでのし掛かってみただけですよ。あ、これも貴方の言う何かした、に入りますかね?」
「充分やらかしてますね。ではここに来た時、私はどんな状態でした?」
「変な事聞きますねぇ。普通に阿呆面晒して寝てましたよ」
「阿呆面って……ならば、あなたが来る前に誰かが来た形跡は?」
「私は誰も見ませんでしたよ」
「……分かりました。では、すぐに行きますと副長にお伝え下さい」

 沖田さんが部屋を出ると、私は辺りの気配を確認してからゆっくりと布団を抜け出した。
 はだけた胸元から見える緩んだサラシと、敷いた覚えのない布団が何を意味するのか。

「やってもうたか……」

 新選組に入隊して約半年。緊張感が薄れる頃だと自覚はしていたのだが、後の祭り。

「当たって砕けるしかないやんな……行けるとこまで行かな」

 身なりを整え覚悟を決めて、私は副長の部屋を目指した。

「副長、お呼びですか?」
「あ、あぁ、入れ」
「失礼します」
「あまり休める時間をやれなくてすまなかったな。その……少しは寝られたか?」

 そういえば、部屋に戻ってからは一刻ほどか? 相当深い眠りだったようで、体はかなり軽くなっている。

「お陰様で、大分楽になりました。沖田さんに殺されかかって寿命は縮みましたけどね」
「はぁ?……まあ想像はつくけどよ。とりあえず時間も無いし本題だ。これから武田の隊を枡屋に向かわせる。分かるな?」
「承知致しました」

 今回は見聞役として武田隊に着いて行く。要は陰で見張ると言うわけだ。

「では、直ぐに」

 遅れをとってはいけないと、立ち上がった私の腕を何故か掴んだのは副長。
 訝しく思い、副長の顔を見てみれば、ほんのり頬が赤らんでいるように見えた。

「何か?」
「あ~、いや、その……お前、無理はして無いか?」

 部屋に入った時からずっと、副長が挙動不審な事には気付いていた。そして今もだが、こちらを向いてはいるものの視線を合わせようとはせず、何とも奥歯に物が挟まっているような物言いだ。
 これはやはり沖田さんが気付いて副長に伝えたか? 例えそうだとしても、私はシラを切り通すしかない。

「おかしな質問をなさいますね。発句帳の行方でもお探しですか?」
「ばっ……違う! そうじゃなくて……って言うか、何でお前が知ってんだ!」
「私の仕事をお忘れで? ちなみに沖田さんが大事に抱えておられましたよ。それはもう良い笑顔で。では、行ってまいります」
「やっぱりあいつか……っ!」

 怒りに震える副長の手からそっと自分の腕を引き抜くと、武田隊を追うべく走り出す。
 後ろから「未だ話が……」という声は聞こえていたが、敢えて聞こえぬふりをしたまま私は屯所を後にした。
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