時の泡沫2
私の言葉に、何も言わず首を横に振る歳三さんが、やけに小さく見える。私は、この人を置いて逝かねばならないのか……そう思うと泣きそうになり、慌てて話題を変えた。
「今日は……何日?」
「九日、いや、もう十日だ。夜には富士山艦で出航するからな。何か口に入れられそうか? 少しでも体力を付けておけ」
「……おおきに……あと、井上さ……んの御首は……? 井上くんは運……べた……?」
治療していた時に聞くべきだったのだが、あの時は何故か妙な昂揚感で治療に勤しんでいた為、周りが見えていなかった。果たして井上さんも、江戸まで連れ帰れるだろうか。
「いや……退却の途中、寺院の境内に刀と一緒に埋めてきたってよ。さすがに御首を抱えていては泰助の命も危ないからな。泰助は強硬に持ち帰ろうとしたようだが、周りが諭したらしい」
「そ……か……」
そんな辛い事があったにも関わらず、あの子は頑張っていたんだ。そう思うと、胸が熱くなった。
「歳三……はん……」
「ん? 何だ?」
「水……飲みたい……」
胸の熱さと共に思い出した、体の熱。傷のせいで、相当体温が上がっているのだろう。喉がカラカラになっていた事に気付き、私は水を求めた。
「分かった。ちょっと待ってろ」
そっと私を横たわらせ、歳三さんが水差しを取ってきてくれる。だがその時にはもう、私は目を開ける事も出来ない程にぐったりとしてしまっていた。
「琴尾!? おい、琴尾! 水を持ってきたぞ! 飲めるか!?」
私を片手で抱き上げ、水差しを口に運んでくれたものの、私にはもう飲む力すら無い。意識はあるし、歳三さんに答えたいと思っているのに、体が全く動いてくれないのだ。
「琴尾!……チッ!」
何度呼んでも身動き一つしない私に危機感を覚えたのだろう。歳三さんは一瞬考えたが、すぐに水差しを自分で銜えると水を口に含むと私に唇を重ねた。
口内に広がる水の冷たさが心地良い。少しずつ喉に流れ込む水をゆっくりと飲み込めば、カラカラに乾いていた体にしみこんでいくのが分かった。
「……ふ……っ」
思わず小さなため息が漏れる。それに気付いた歳三さんは、再び水差しを銜えると、口移しで水を与えてくれた。
何度も、何度も。私の目に光が戻るまで。
「お……きに……」
暫くして。何とか言葉を発する事が出来るまでに力を取り戻した私が言うと、歳三さんがほっとした顔を見せた。
「どうだ? 少しは楽になったか?」
「ん……ごめんな……心配ばか……り……」
「んなこたぁ良い。それよりも江戸に戻ったらすぐに松本先生の所に運ぶからな。しっかり治療してもらえ」
私の傷を気遣いながら、でも力強く私を抱きしめてくれる。こんな時でもその温もりが嬉しくて、私は幸せを感じていた。
「江戸……初めて……や……歳三はんの家……行ってみた……いな……」
「ああ、そんなのいくらでも連れてってやるさ。どうせ皆に紹介するつもりだったしよ」
「しょうか……い……?」
「決まってんだろ。俺の嫁だってな」
「……っ!」
思いもよらぬ言葉に、私は目を見開いて歳三さんを見た。その衝撃は大きく、言葉が見つからない。言った歳三さんも自分の言葉に驚いているのか、顔を真っ赤にしている。
「嫁……?」
「ああそうだよ!勝手に決めんなって言われそうだが、お前はもう俺の嫁として江戸に連れて行く。そう決めたんだよ!」
そう言った歳三さんは、私の頬をそっと撫でた。
「お前はこれからもずっと、俺の側で生きるんだ。戦が終わったら俺達の子を産んで、そいつらと更に先の世を……」
言葉に詰まった歳三さんの目には、涙が浮かんでいた。ああ、この人はこんなにも私の事を想っていてくれているのだ。それなのに……私はこの人の期待に応える事が出来ない。それならせめて……
「そやな……その夢一緒……に叶えよ……な……」
私は精一杯の笑顔を見せて答えた。例えそれが叶わぬ願いであると分かっていても。ほんのひと時、夢を見たって良いはずだ。
「楽しみやな……歳三はんとうち……の子供……どない……な子やろ……」
歳三さんに似たら、間違いなくやんちゃだろう。私に似ても……やんちゃ、だな。我がままで甘えん坊で、強気な癖に心根は優しくて……なんて事を想像している内に、私の意識はボンヤリとしてくる。
「……琴尾?」
歳三さんの声は聞こえていたが、そろそろ体力も限界だ。
「ごめ……少し、眠らせ……て……」
せめて安心させたくて、必死に声を振り絞って伝えると、私はそのまま深い眠りについたのだった。
「今日は……何日?」
「九日、いや、もう十日だ。夜には富士山艦で出航するからな。何か口に入れられそうか? 少しでも体力を付けておけ」
「……おおきに……あと、井上さ……んの御首は……? 井上くんは運……べた……?」
治療していた時に聞くべきだったのだが、あの時は何故か妙な昂揚感で治療に勤しんでいた為、周りが見えていなかった。果たして井上さんも、江戸まで連れ帰れるだろうか。
「いや……退却の途中、寺院の境内に刀と一緒に埋めてきたってよ。さすがに御首を抱えていては泰助の命も危ないからな。泰助は強硬に持ち帰ろうとしたようだが、周りが諭したらしい」
「そ……か……」
そんな辛い事があったにも関わらず、あの子は頑張っていたんだ。そう思うと、胸が熱くなった。
「歳三……はん……」
「ん? 何だ?」
「水……飲みたい……」
胸の熱さと共に思い出した、体の熱。傷のせいで、相当体温が上がっているのだろう。喉がカラカラになっていた事に気付き、私は水を求めた。
「分かった。ちょっと待ってろ」
そっと私を横たわらせ、歳三さんが水差しを取ってきてくれる。だがその時にはもう、私は目を開ける事も出来ない程にぐったりとしてしまっていた。
「琴尾!? おい、琴尾! 水を持ってきたぞ! 飲めるか!?」
私を片手で抱き上げ、水差しを口に運んでくれたものの、私にはもう飲む力すら無い。意識はあるし、歳三さんに答えたいと思っているのに、体が全く動いてくれないのだ。
「琴尾!……チッ!」
何度呼んでも身動き一つしない私に危機感を覚えたのだろう。歳三さんは一瞬考えたが、すぐに水差しを自分で銜えると水を口に含むと私に唇を重ねた。
口内に広がる水の冷たさが心地良い。少しずつ喉に流れ込む水をゆっくりと飲み込めば、カラカラに乾いていた体にしみこんでいくのが分かった。
「……ふ……っ」
思わず小さなため息が漏れる。それに気付いた歳三さんは、再び水差しを銜えると、口移しで水を与えてくれた。
何度も、何度も。私の目に光が戻るまで。
「お……きに……」
暫くして。何とか言葉を発する事が出来るまでに力を取り戻した私が言うと、歳三さんがほっとした顔を見せた。
「どうだ? 少しは楽になったか?」
「ん……ごめんな……心配ばか……り……」
「んなこたぁ良い。それよりも江戸に戻ったらすぐに松本先生の所に運ぶからな。しっかり治療してもらえ」
私の傷を気遣いながら、でも力強く私を抱きしめてくれる。こんな時でもその温もりが嬉しくて、私は幸せを感じていた。
「江戸……初めて……や……歳三はんの家……行ってみた……いな……」
「ああ、そんなのいくらでも連れてってやるさ。どうせ皆に紹介するつもりだったしよ」
「しょうか……い……?」
「決まってんだろ。俺の嫁だってな」
「……っ!」
思いもよらぬ言葉に、私は目を見開いて歳三さんを見た。その衝撃は大きく、言葉が見つからない。言った歳三さんも自分の言葉に驚いているのか、顔を真っ赤にしている。
「嫁……?」
「ああそうだよ!勝手に決めんなって言われそうだが、お前はもう俺の嫁として江戸に連れて行く。そう決めたんだよ!」
そう言った歳三さんは、私の頬をそっと撫でた。
「お前はこれからもずっと、俺の側で生きるんだ。戦が終わったら俺達の子を産んで、そいつらと更に先の世を……」
言葉に詰まった歳三さんの目には、涙が浮かんでいた。ああ、この人はこんなにも私の事を想っていてくれているのだ。それなのに……私はこの人の期待に応える事が出来ない。それならせめて……
「そやな……その夢一緒……に叶えよ……な……」
私は精一杯の笑顔を見せて答えた。例えそれが叶わぬ願いであると分かっていても。ほんのひと時、夢を見たって良いはずだ。
「楽しみやな……歳三はんとうち……の子供……どない……な子やろ……」
歳三さんに似たら、間違いなくやんちゃだろう。私に似ても……やんちゃ、だな。我がままで甘えん坊で、強気な癖に心根は優しくて……なんて事を想像している内に、私の意識はボンヤリとしてくる。
「……琴尾?」
歳三さんの声は聞こえていたが、そろそろ体力も限界だ。
「ごめ……少し、眠らせ……て……」
せめて安心させたくて、必死に声を振り絞って伝えると、私はそのまま深い眠りについたのだった。