時の泡沫

 それから暫く、新選組の中では大きな動きは無かった。
 局長が療養中の為副長が局長代理となり、改めて隊内の気を引き締めようと稽古に明け暮れてはいたが、出動の要請も無く。ただ新選組の与り知らぬ所では、数々の戦の火種が撒かれ始めており、いよいよ本格的に開戦の兆しが見え始めていた。
 それ以外で敢えて語るとするならば、月末に尾張藩から伏見退去を求められたが、局長代理が一蹴したと言う事くらいか。

「も少し穏便に断る事はできんのかいな」

 呆れる私の膝を枕にしているのは、歳三さん。つい先程尾張藩を追い返し、何故かこの伏見にある旅籠で合流を命じられたのだ。

「んな事言ったってよ」ぶすくれる歳三さんの頬を突きながら、ため息を吐く。屯所を出る尾張藩の者達と丁度すれ違ったが、あれはかなり怒っていたはずだ。

「どないな言い方をしはったんかは知らんけど、毎度毎度相手を怒らせとったら、味方もおらんなるえ」
「別に構やしねぇよ。目指すもんが同じなら、どうとでもならぁ」

 まぁ確かにそうなのだが、この人の場合は態度が露骨過ぎる。後で埋め合わせでもしておくか。そう考えていると、徐に歳三さんが体を起こしてじっと私を見つめてきた。

「……何やの? うちの顔に何ぞ付いてますやろか?」

 いつになく真剣な眼差しは、鬼の副長とも恋仲とも違うもっと深い物に感じ、一抹の不安を覚える。

「何ぞ言いたい事があるんやったら、ちゃんと言うとくんなはれ」
「ならば言う。お前はこのまま新選組を離隊し、山崎烝の名を捨ててこの伏見から遠く安全な場所に移れ」
「……はぁ!?」

 予想もしていなかった言葉に、私は思わず声を荒げて言った。

「珍しく真剣な顔をしてはる思たら、藪から棒に何ですのん!? 離隊? 名を捨てる? ふざけた事言わんとって!」

 つい先日、私から言い出した離隊の話を跳ね除け、手放さないと言った男の言葉だとは到底思えない。一体何故こんな事を急に言い出したのか。私にはそこに至るまでの経緯が分からなかった。

「うちは新選組の山崎烝や。離隊も名を捨てる事もしまへん」

 強い意志を持って言い切れば、歳三さんは舌打ちをする。

「今更そないな事言われても、うちが言う事聞くはずあらへんやないの」
「……死ぬぞ?」
「はい?」
「これから俺達が関わって行くであろう戦いは、今までとは比べ物にならないくらいに危険を伴う。俺は局長代理として、新選組を率いていく責任があるだけに、お前を守り抜く余裕は無いだろう」
「そんなん分かってますわ。自分の身は自分で守りますえ」

 何を今更?
 そう思ったのだが、歳三さんにとっては違ったようだ。

「俺は死ぬのなんざ怖くねぇ。戦って死ねれば本望だ。だがな、お前に死なれるのは我慢できねぇんだよ」

 そう言って、歳三さんは私を抱きしめた。息が止まる程に強い力は、思いの強さを表している。

「兵力の差で言えば幕軍の圧勝だろう。だがこれだけの兵力差にも関わらず、戦いを仕掛けてくる薩長には何か裏がある気がしてならねぇ。もちろん俺達の勝利は確信しているが、それでも仲間の犠牲は避けられない」

 そこまで言うと歳三さんは私の体を離した。その手を私の頬に当て、苦しそうな表情で見つめてくる。

「その中に、お前がいないとも限らないと思ったら……怖くなっちまった」

 そっと唇を合わせ、再び私を抱きしめた歳三さんの体は震えていた。

「この温もりも、今はこうして確かに存在しているが、全ての戦が終わった後にも確実に存在しているのかと思うと……」

 ――この人は、こんなにも弱かったのか。
 ――いや、最初から心の優しい人だった。

 そんな事を考えながら、私も歳三さんの背中に手を回す。

「うちは……ここにおりますえ。誰よりも歳三はんの近くにいるよって、安心してや」

 緊張しているのか、いつもより少し速い心臓の鼓動に合わせてポンポンと背中を叩き、私の存在を伝えた。

「そない心配やったら、うちはいつも歳三はんから見える所におりますえ。隠れてまいそになったら、誠の旗でも振りますわ。ここにおります~! いうてな」
「……先に敵に見つかるぞ」
「あ……ほな狼煙でも……」
「真っ先に集中攻撃を受けそうだな、お前は」
「う~む。どないしよ……」

 割と本気で考えていたのだが、頭の上から小さく「馬鹿か」という声が聞こえ、拗ねながら見上げる。するとそこには、困っている歳三さんの顔があった。

「んっとに馬鹿だよ、お前は。一つくらい逃げる方法を考えやがれ」
「うちが逃げ込むんは、歳三はんのおるとこだけや。それ以外の場所、思いつくはずあれへんやろ」

 口を尖らせ、ゴツン、とわざと歳三さんの胸に頭突きする。
「いってぇな!」と怒る歳三さんを無視し、ぐりぐりと頭を押し付けた。

「うちの居場所はここ。戻る場所もここ。うちの全てはここから始まるんや」

 そう言った私は、痛みで不機嫌な顔の歳三さんを見てにやりと笑うと、歳三さんの着物に手をかけて思い切りよく胸元を開いた。

「はぁ!? 何やってんだ琴尾!?」

 露わになった胸元は、私が頭を擦りつけた事で少し赤くなっている。そこに唇を近付けると……

「……っ!」

 何よりも色濃い紅を刻んだ。

「うちだけの場所っちゅー証や」

 そして、悪戯が成功して喜ぶ子供のようにぺろりと舌を出す。突然の事に呆けていた歳三さんだったが、自分の胸元に残された跡を指で触れて確認すると、私を見て言った。

「初めて、だな。お前が俺に残すなんて」
「ええ記念になりますやろ? うちが側にいるのを感じられるし、これで戦も大丈夫や。消えそになったら、また……」

 付けてあげるから。そう言おうとしたのだが、その言葉は続かなかった。

「ん……」

 いや、言葉にする必要が無かったのかもしれない。触れた唇から、私の思いは全て歳三さんに流れ込んでいるのを感じたから。

「本当に……良いんだな?」
「ん……」
「絶対に俺から離れるなよ?」
「ん……」

 私の答えは全て、歳三さんの唇に飲み込まれる。
『否』の存在しない問いは、私達の繋がりをより強固にする為の誓いだ。

「お前にも、証を残そう」

 歳三さんの唇が、私の胸元に触れる。ちくりと甘い痛みを感じ、私は小さく呻いた。

「お前が俺の物だという証を残したくて、何度か付けてきたが……割と痛いもんだったんだな」
「何を今更しんみり言うてますねん! 今もこうして付けはったくせに!」

 頬を膨らませて怒ってみせると、歳三さんが笑い返す。ようやく見えた歳三さんの心からの笑顔に、涙が出そうな程の嬉しさを覚えた。

「んじゃ、せっかくだしもう少し増やしておくか」
「なっ……! 痛いんやから、これ一個で十分や! 増やしたいんやったら自分の体にしといてや」
「自分で自分に付けてたら、ただの変態じゃねぇか。俺はお前にしか付けたかねぇよ」
「うちはもう遠慮し……ん……っ」

 またも先を言わせてもらえず、私の言葉は歳三さんに飲み込まれていく。触れた箇所から伝わる熱と想いは、この上ない程に甘く切ない。

「愛してる」

どちらからともなく囁いた言葉が、私達を包み込んだ。

「生きるも死ぬも、共に」

 全てを賭けて、誓う。必ず、きっと。永遠の時を二人で歩み続けよう、と。
 その夜私達は誰よりも近く、深く触れ合い、お互いにその誓いを刻み込んだのだった。



 そして、いよいよ開戦の時。
 年は明けて慶応四年(1868)一月三日。鳥羽伏見の戦いが勃発する。
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