時の泡沫
翌朝、歳三さんの腕の中で目覚めた私は、不思議と力がみなぎっているのを感じた。
「起きたか?」
と優しい笑みを向けてくれる歳三さんに自ら口付けると、早速朝食の準備に取り掛かる。
「今日は沖田はんを迎えに行きますえ。局長と沖田はんの希望で、局長の妾宅に床を移す事になりましてん」
「ああ、聞いてる。だが大丈夫なのか? 南部先生の所にいた方が……」
「妾宅やったら屯所の目の前やし、お孝さんがいてるからいざという時は連絡係になってくれはる。むしろ安心や」
お孝さんとは、局長の元愛妾であった深雪太夫の妹であり、大坂新町遊郭にある吉田屋では御幸太夫と呼ばれていた女性だ。体の弱かった深雪太夫が亡くなった後、元々彼女を気に入っていた局長が身請けをして、不動堂村前に作った妾宅に住まわせている。
今更の話ではあるが、先日伊東さんを最後に呼び出したのもこの妾宅だった。彼女はいつでも局長に尽くし、新選組の為にと骨を折ってくれている。とても嫋やかで心優しい女性なのだが、その芯は強く、さすが局長を惚れさせた事はあると感心する程の存在だ。
「それに、沖田はんも早う屯所に戻りたい言うてはるしな。妾宅やったら落ち着けるからと、松本先生と南部先生に了承もろてます」
「そうか。なら良い」
小さく頷きながら、早速沢庵を摘まみに来た歳三さんの口に「お行儀悪いえ。」と言って切れ端を放り込む。殺伐とした毎日の中、この小さな幸せを感じさせてくれている歳三さんに、私は心から感謝するのだった。
屯所に戻り、早速南部先生の診療所へと沖田さんを迎えに行くと、既に準備は整っていて。 病室の襖を開けると、中には既に大小を差した状態で待っている沖田さんがいた。
「山崎さん!」
はじかれたように私の所へすっ飛んでくる沖田さんに、思わず後ずさる。
「……物凄く元気ですね……」
横にいる南部先生に言うと、返って来たのは苦笑いだった。
「夕べまでは青い顔をされてたんですけどね。今朝は屯所に戻れるから、と言いながら頬を紅潮させて準備をされてましたよ。食事も薬もきちんと摂って、山崎さんが来られるのを待ちわびてました。……ここってそんなに居心地が悪いんでしょうか」
「いえ、そんな事は!」
少し悲しそうに言う南部先生に、浮かれていた沖田さんは慌てて否定したのだが
「先生はよくして下さいましたよ。ただ一人の時間が長くて暇だし、嫌いな物を残せないし、苦い薬の後のご褒美は無いし、こっそり甘い物を買ってきてくれる人はいないし、からかえる人もいないので、つまらなかっただけです」
という無駄に素直な感想を言ってしまったため、その否定に意味がなくなっていた。
「……沖田さん、南部先生を滅多切りしてる事に気付いてます?」
呆れて引き攣る私を本気で不思議そうに見る沖田さんは、天然なのだろう。
「すみません。後でよ~~く言い聞かせます」
さすがに申し訳なくなり、私は南部先生に頭を下げた。
こんな風に好き勝手言われても、怒る事無く笑顔を向けてくれる南部先生は、間違いなく聖人だと思う。医者を極めればこのように出来た人物になれるのだろうかと考えたのだが、ふと脳裏に松本先生が浮かび、ああ、根本的な部分の違いだ……と思ってしまった事は誰にも言えない。
久しぶりに外を歩きたいとごねる沖田さんをなだめ、用意していた駕籠に乗せると、一路屯所へと向かった。幸いな事に今日は天気が良い。お陰で周りの景色を楽しみながら屯所に戻る事が出来た。もっぱら沖田さんが反応していたのは、甘味処の類ではあったが。
一旦屯所で局長達と顔を合わせ、妾宅へと入る。既にお孝さんも準備を整えてくれており、笑顔で沖田さんを迎え入れてくれた。
「何のお構いも出来まへんけど……」
そう言いながらも、沖田さんの為にと妾宅をいつも以上に綺麗に掃除し、部屋には綺麗な花まで活けてあるという心配りがされている。
「道を挟んだだけで、こうも違うもんなんですね。そりゃぁ近藤さんも頻繁にこちらに来るし、私を置きたがるのも分かります」
空気すらも澄んでいるように感じるこの場所に、到着するまで屯所の方が良いのにとごね続けていた沖田さんも納得していた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げ、沖田さんをお孝さんに任せると、すぐに私は次の任務に就く。監察方より、あちこちで不穏な動きがあり、手が回らないから手伝って欲しいと頼まれたのだ。
今の所分かっているのは、薩摩藩邸に御陵衛士の残党が匿われているらしいという事。そして、海援隊と陸援隊が紀州藩を探っているようだという情報も入っている。より詳細な情報を得る為、私も早速諜報活動に勤しんだ。
「起きたか?」
と優しい笑みを向けてくれる歳三さんに自ら口付けると、早速朝食の準備に取り掛かる。
「今日は沖田はんを迎えに行きますえ。局長と沖田はんの希望で、局長の妾宅に床を移す事になりましてん」
「ああ、聞いてる。だが大丈夫なのか? 南部先生の所にいた方が……」
「妾宅やったら屯所の目の前やし、お孝さんがいてるからいざという時は連絡係になってくれはる。むしろ安心や」
お孝さんとは、局長の元愛妾であった深雪太夫の妹であり、大坂新町遊郭にある吉田屋では御幸太夫と呼ばれていた女性だ。体の弱かった深雪太夫が亡くなった後、元々彼女を気に入っていた局長が身請けをして、不動堂村前に作った妾宅に住まわせている。
今更の話ではあるが、先日伊東さんを最後に呼び出したのもこの妾宅だった。彼女はいつでも局長に尽くし、新選組の為にと骨を折ってくれている。とても嫋やかで心優しい女性なのだが、その芯は強く、さすが局長を惚れさせた事はあると感心する程の存在だ。
「それに、沖田はんも早う屯所に戻りたい言うてはるしな。妾宅やったら落ち着けるからと、松本先生と南部先生に了承もろてます」
「そうか。なら良い」
小さく頷きながら、早速沢庵を摘まみに来た歳三さんの口に「お行儀悪いえ。」と言って切れ端を放り込む。殺伐とした毎日の中、この小さな幸せを感じさせてくれている歳三さんに、私は心から感謝するのだった。
屯所に戻り、早速南部先生の診療所へと沖田さんを迎えに行くと、既に準備は整っていて。 病室の襖を開けると、中には既に大小を差した状態で待っている沖田さんがいた。
「山崎さん!」
はじかれたように私の所へすっ飛んでくる沖田さんに、思わず後ずさる。
「……物凄く元気ですね……」
横にいる南部先生に言うと、返って来たのは苦笑いだった。
「夕べまでは青い顔をされてたんですけどね。今朝は屯所に戻れるから、と言いながら頬を紅潮させて準備をされてましたよ。食事も薬もきちんと摂って、山崎さんが来られるのを待ちわびてました。……ここってそんなに居心地が悪いんでしょうか」
「いえ、そんな事は!」
少し悲しそうに言う南部先生に、浮かれていた沖田さんは慌てて否定したのだが
「先生はよくして下さいましたよ。ただ一人の時間が長くて暇だし、嫌いな物を残せないし、苦い薬の後のご褒美は無いし、こっそり甘い物を買ってきてくれる人はいないし、からかえる人もいないので、つまらなかっただけです」
という無駄に素直な感想を言ってしまったため、その否定に意味がなくなっていた。
「……沖田さん、南部先生を滅多切りしてる事に気付いてます?」
呆れて引き攣る私を本気で不思議そうに見る沖田さんは、天然なのだろう。
「すみません。後でよ~~く言い聞かせます」
さすがに申し訳なくなり、私は南部先生に頭を下げた。
こんな風に好き勝手言われても、怒る事無く笑顔を向けてくれる南部先生は、間違いなく聖人だと思う。医者を極めればこのように出来た人物になれるのだろうかと考えたのだが、ふと脳裏に松本先生が浮かび、ああ、根本的な部分の違いだ……と思ってしまった事は誰にも言えない。
久しぶりに外を歩きたいとごねる沖田さんをなだめ、用意していた駕籠に乗せると、一路屯所へと向かった。幸いな事に今日は天気が良い。お陰で周りの景色を楽しみながら屯所に戻る事が出来た。もっぱら沖田さんが反応していたのは、甘味処の類ではあったが。
一旦屯所で局長達と顔を合わせ、妾宅へと入る。既にお孝さんも準備を整えてくれており、笑顔で沖田さんを迎え入れてくれた。
「何のお構いも出来まへんけど……」
そう言いながらも、沖田さんの為にと妾宅をいつも以上に綺麗に掃除し、部屋には綺麗な花まで活けてあるという心配りがされている。
「道を挟んだだけで、こうも違うもんなんですね。そりゃぁ近藤さんも頻繁にこちらに来るし、私を置きたがるのも分かります」
空気すらも澄んでいるように感じるこの場所に、到着するまで屯所の方が良いのにとごね続けていた沖田さんも納得していた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げ、沖田さんをお孝さんに任せると、すぐに私は次の任務に就く。監察方より、あちこちで不穏な動きがあり、手が回らないから手伝って欲しいと頼まれたのだ。
今の所分かっているのは、薩摩藩邸に御陵衛士の残党が匿われているらしいという事。そして、海援隊と陸援隊が紀州藩を探っているようだという情報も入っている。より詳細な情報を得る為、私も早速諜報活動に勤しんだ。
